深く静かな呼吸による   心と身体のセンタリング
by centeringkokyu
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本気になれば出来るのに・・・
 土曜日には、中心塾西宮教室のレッスンがありました。西宮教室は、今月で丸6年経ちました。本当に月日の経つのは速いモノです。

 西宮教室の一回目から参加してくださっていたS和さんは、法科大学院の教授をしておられるご主人が、一年間ニュージーランドに行かれるので、暫く休会されることになりました。S和さんのお嬢さんは、お二人とも司法試験に合格されたという才媛ですが、S和さんご自身は非常にのんびりしておられると思い込んでいました。

 これまでのレッスンでは、少し身体のバランスが整ってくると、いつの間にか眠っておられたようでしたので、時々は椅子を使ったり、立位でのセンタリング呼吸法を交えながらレッスンを組み立てなければなりませんでした。

 ところが、この数ヶ月のレッスンでは、見違えるようにいろいろな動きをされるようになられたのです。今回のレッスンは、特にS和さんの為に、基礎的な考え方からお話させていただき、基本的な動きをしながら、解説をするようにしました。その全てを、軽々と素晴らしい集中力でこなしていかれたので、大変驚きました。

 レッスンの後で、お茶を飲みながら、この数ヶ月の劇的進歩についてお聞きしてみましたところ、「これからの一年間はK野先生にお願いできないので、できるだけ覚えようと思いました。」とのことでした。

 本気になれば出来るのに・・・

 次に、ご主人とスイスアルプスのトレッキングに行って、帰ってこられたY川さんは、下りでストックを強く握り続けられたようで、右腕から肩にかけての緊張がレッスンの後半まで取れませんでした。

 スイスでは山の上の方にまで、ブランドショップが出店していたので驚いたと言っておられました。当然ターゲットは、日本人ではなく、ロシア人や印度人ではないかとのことでした。レッスン後のティータイムに頂戴した、スイスのチョコレートは、非常に美味しかったです。

 その他の方達も、それぞれに新たな問題?を背負ってのご参加でしたが、皆さんレッスンの終わり頃には、ご満足して頂けたようですのでほっとしました。

 更に、レッスンの参加者数人で、S和さんがニュージーランドに滞在しておられる内に、ニュージーランド観光する計画をすでに立てておられるのですから、おばさんパワー恐るべしです。

 話は変わりますが、いよいよネコ殿ことM岡さんが新しいブログ「春風堂日記」を立ち上げられました。エキサイトブログ(リンク)にご紹介しておきましたが、呼吸が変わる 姿勢が変わる 生き方が変わるに、基本的な考え方を良く纏めておられますので、よろしければご一読ください。

 「春風堂日記」を読ませて頂いて、いよいよ私の方は、フェードアウトできる体勢が調ったとほくそ笑んでいます。これまで何度もブログの更新を休もうと考えてきましたが、今度こそやるのじゃ〜と決意しています。八百回目で一区切りは、2007年10月29日のことでした。今回は、966回目の更新になりますから、本当に嘘八百になってしまいました。

 先日、S川さんに私の決意をお話したら、「これまでに何回もそのことは聞いていますから、もういいですってぇ〜」と言われました。そんなに私の言うことを信用しないなら、今回は絶対「禁ブログ」を貫いてやると決意した私でした。「禁ブログ・パイポ」薬局には売ってませんよねぇ〜

 まぁ〜それでも、皆さんからの投稿に突っ込んだり「春風堂日記」に突っ込んだりはしますので、ご意見ご感想をお寄せ頂きたいと思っています。暫くブログを閉鎖する積もりはありませんが、これまでの記事は、予告無く削除する場合もありますのでご了承ください。

 ああぁっ〜 終わったぁ〜 ≦(._.)≧

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 土曜日は、6人でお好み村 尼崎市に行ってきました。初めての参加者は2人だけですが、喜んでいただけたようです。新店舗へは、今回で3回目の訪問になります。2回目の訪問時にはお好み村の村長さん(60才?)の3回目の五十肩?を調整させていただき感謝されました。今回は、ご子息のご結婚間近なので、新郎の父の挨拶の要点についてレクチャーさせていただきました。誰も期待してないから、短く感謝だけを述べ、無理に落ちを付けようとしない!というようなことでした。

 お好み村で、今回は「梅たま焼き」を注文したのですが、最後に食べる一枚としてお勧めします。次回は、梅たまの醤油味にもチャレンジしてみようと思っています。

# by centeringkokyu | 2008-07-28 00:00 | 呼吸法中心塾
ええ塩梅
 いや〜毎日暑いですねぇ〜、この暑さにもかかわらず、毎日数人は、ご来店くださいます。本当に皆さんお元気ですし、有り難いことです。

 一昨日お越しになった女性は、船場吉兆の「つぶやき女将」と同級生ですと言っておられたので、確か72才のはずです。偽装問題が発覚した頃には、同級生で励ます会をしようと話をしておられたようですが、使い回しが発覚して中止に・・・

 まぁ〜当然の結末でしょうなぁ〜

 昨日は、ある方のご招待で法善寺横丁 誠太郎にお邪魔しました。HPから転載させていただきます。

『 “アンバイ”というのは元々、「間」という意味の和語 “アワイ”から来た言葉です。 つまり、「ええアンバイ」というのは絶妙の間のことで 物事のおりあい、ほどあい、加減、都合、程度が なんともいえず良いというニュアンスで使われます。


 そこから、塩と梅酢で調味するから塩梅という解釈も生まれました。で、当店のことで恐縮なのですが 味の加減が“ええ塩梅”なのはもちろん お出しする料理の品数、一品一品のボリューム お出しする順序、タイミング……が じつに“ええアンバイ”とおほめの言葉を頂戴しています。』(転載終了)

 お料理は大変美味しかったですし、本当にええ塩梅でおました。
 ただ、ご招待くださった方も私も下戸ですので、食べるスピードが早すぎて、ご亭主の方からみると、本当は少々塩梅のしにくい客になるようです。勿論、ええ塩梅でお料理を楽しませて下さいました!

 帰り際に、ご亭主と女将さんがお見送りをしてくださったのですが、ふとご亭主の腰の辺りが気になりましたので、お聞きしてみると腰が痛いということでした。じゃぁ〜ということで、お客様もほとんどお帰りになられたようでしたので、カウンターの前の椅子でセンタリング呼吸法の簡易講習会をすることになりました。

 まずは現状認識をしていただき、左の腰が前に出て、右の股関節が開き、右肩が落ちているということを確認していただきました。この状態では、包丁の刃筋が身体の動きと一致していないのではありませんか?とお尋ねしますと、ちゃんと塩梅しているとのお答えでした。

 実際は、包丁を手首と腕で調整しておられるので、右腕は痛みませんか?とお聞きしてみましたところ、時々腕がだるくて眠れないようになるとおっしゃいました。

 呼吸に合わせた動きで、股関節と腕を誘導すると、少し楽になられたようで、左右の肩の高さも揃いました。

 身体の使い方を少しだけアドバイスさせていただいて、簡易講習会は終了しました。その時に、ええ塩梅になられたお礼にと頂戴したのが下の扇子です。

 あっ!そうそう、このお店が使っておられる箸置きは、清六作でした。

 参照1:中村清六 現代の名工
 参照2:すべての事につながる
 参照3:基本の練習
 参照4:交差する線
 参照5:すでに教えて頂いてました
 参照6:意識を切らない
# by centeringkokyu | 2008-07-26 00:11 | 日常
教えないから伸びる
 読売新聞朝刊に掲載された「日本の知力 識者に聞く 棟梁 小川三夫氏」をご紹介します。

 宮大工は教えない。学校の先生とは違う。例えばカンナがけは、「こういう削りくずが出るようにやれ」と言われるだけ。

 「法隆寺の鬼」と言われた西岡常一棟梁の削りくずは、向こうが透けて見えるのだが、それを窓に張って見本にして、1年ぐらい練習した。

 こういう方法が成り立つかどうかは、学ぶ側の構えによる。自分はテレビも新聞も見ず、寝る時でも布団にもぐり込んでじっと、物音も立てずに朝を待つという毎日だった。結婚したら、かあちゃんがよく寝返りを打つので、「緊張を保ったまま寝られないのか」と言ったら、「そんなことできない」と怒られた。

 まず体から入るのが職人だ。頭から入ってはいけない。大学出は体ができていないから疲れる。疲れるから頭で考えようとする。効率のいい方法を探すわけだ。しかし、それで早く上達したとしても、10年後、愚直に一段一段上ってきた人間に抜かれる。

 企業は即戦力を求め、優秀な人材を採用するそうだが、うちは逆だ。「この子はうちしかない」という人を採る。早大生と中学生が入門を希望してきた時も中学生を採った。

 大学生はよそでもやっていける能力がある。そして、この能力が邪魔になる。外の世界と自分を比べれば、逃げ場のある人間は修業に耐えられない。

 一方、世間をまだ知らない中学生は、首までどっぷり大工の生活につかって言われたことを素直に身につけるだけ。下手は下手なりに一生懸命やるだけ。5~6年たって「こういうやり方もあるのとちがうか」という一言で、10倍にも100倍にも伸びる時が来る。

 「教えない」というのは単に教えないわけではない。学ぼうという雰囲気がある中で放っておくということだ。学校では、生徒に学ぶ雰囲気がないからこそ、先生が教えざるを得ないのだろう。

 実は教える側も、教えてしまった方が目先は楽だ。教えないのは忍耐がいる。教えれば30分でできることが、放っておけば2日も3日もかかる。でも、教えてしまったら、弟子は教えられた範囲のことしかできない。それ以上を目指そうと思わなくなる。

 機械もないのに巨大な東大寺を作った奈良の宮大工には、作ることが可能だという揺るぎない信念があった。その精神力を養うには、教えたらいかん。
(聞き手・山田哲朗)

 #楽隠居です
 何かを伝えるというのは、本当にむずかしいものだと思います。常に自分が基準で、自分が普通だというところからしか始まらないからです。その為にも、現状認識してもらうことが最重要課題だと考えています。

 呼吸法中心塾では、現状に不満をお持ちの女性が中心ですから、結果として身体が楽になったり、姿勢や呼吸が変化したことに気づいていただきさえすれば、結果オーライということになります。

 一方合気観照塾では、他の武道の経験者や、治療関係者の割合が多いので、考え方や身体の使い方の先入観を捨てて貰うところまでいくのが大変なようです。合気に関しては、定義さえ決まっていないのですから、最初は話が通じるはずもありません。

 まして、練功法中心の稽古ですから、稽古の目的をある程度理解するのに数年かかってしまいます。その上、同じ練功法でも、毎年少しずつテーマが変わってしまいますから、何が本当なのか分からないはずです。そんなんでは、会員数が増えるはずもありませんなぁ〜

 相手からの力や意識に臨機応変に対応できるようになるためには、型を覚えることを目的にするべきではないと考えています。相手は、型どおりに来てはくれないからです。

 「動けば技になる」「技が生まれる(武産)」ということを目標にしたいのです。ですから、練功法はお教えしますが、そこからは自分で工夫していただくしかないと思っています。工夫すればきっと、いろいろな事に応用可能だということに気づいていただけるはずなんですけど〜・・・

 参照1:不揃いの木を組む
 参照2:教えなければ、考える
 参照3:観察力
 参照4:習い・稽古・工夫
 参照5:本当の合気とは
 参照6:合気の定義
 参照7:投げない柔術 振らない剣術
 参照8:自己流合気への道?
 参照9:伝言ゲーム
# by centeringkokyu | 2008-07-24 00:15 | 本などの紹介
「骨盤時計」のまとめ
 最近私は、骨盤時計が非常に大切だと痛感しています。ピラティスやフェルデンクライスでも同じ動きを教えているのですが、センタリング呼吸法のやり方は自己流?です。ただし、日常生活で使え、合気や治療にまでつながるやり方を模索し続けています。現在重要だと考えているポイントは、過去のモノとは少し違ってきていますが、ここで細かい違いを書くことはできませんので、以下の参照に纏めておきました。ピックアップしてお読みいただければ、概ねご理解いただけるものと思います。

 ▼お知らせ
 月刊秘伝WEB版全国道場ガイドに合気観照塾が掲載されました。
 道場ガイドに掲載されているメールアドレスも使用可能ですが、スパムメールが多いので、お問い合わせには、出来るだけ左記のメールアドレスをお使いください。

 7月26日と8月16日の観照塾の稽古は休ませていただきます。

参照1:ベリーダンスを学ぶ

参照2:腹への繋がり方

参照3:歩法と骨盤時計

参照4:歩法以前

参照5:発声法以前

参照6:スワイショウ

参照7:頸椎を伸ばす

参照8:腰腹同量

参照9:帯を使ったレッスン

参照10:骨盤時計と合気

参照11:初級・中級・上級に分けてみると・・

参照12:立禅と骨盤時計

参照13:短棒(太極棒)のメニュー

参照14:合気を味わうことによる自分自身の体の変化

参照15:合気の身体になれるかもしれない体操1〜4番

参照16:側臥位での骨盤時計

参照17:体内操作と皮膚感覚

参照18:学ぶとは洞察力を養うこと

参照19:デリカシーのほど

参照20:小脳トレーニング

参照21:センタリング呼吸法がすべて

参照22:舟漕ぎ運動でのテスト
# by centeringkokyu | 2008-07-23 00:02 | 呼吸法中心塾
いつもよりスコアが良くてびっくり!
 長堀教室に参加して下さったN村さんからのメールと私からの返信をご紹介します。

 ▼今日もありがとうございました。
 
 7月は忙しくて、ひどい時は知らない内に床で寝ていたこともあったほどです。でも、先日終業式が終わり今ほっとしています。この休み中に勉強して2学期に備えないとと思っています。
 
 今日のレッスンの仰向けで両足を上げるのが難しく感じました。おなかに力が入らないというのは腹筋が弱いということでしょうか。片足ずつならまだ上げやすいのですが、両足になるとなかなか上げられません。うつぶせはやりやすく感じます。
 
 体の動きがバラバラと言われたので、今日のレッスンのように呼吸をしながら体の部分部分をつなげて動かせるようにしたいです。

 先生にみていただいた後、体が縦に伸びた感じがし、また軽く感じました。
 夕方にボーリングをしたらいつもよりスコアが良くてびっくりしました。
 先生のおかげでお金を払わずにすみました。
 
 この夏休みは、顔を前に出さないことと膝をやわらかくして立つことに気をつけます。
 
 ▼楽隠居からの返信

 いつもメールをありがとうございます。

 今日も、お帰りの時にはすっかり魅力的になられ、本来のN村さんの可愛さがでたのではないかと喜んでいました。

 帰りの地下鉄の中でIYさんとお話ししていたのですが、N村さんは、何故肚を使えなくなってしまったのだろう?というのが私の疑問点でした。

 IYさん曰く、真面目だからどこかで違うことを自分ですり込んでしまったのではないでしょうか?とのことでした。

 夏休み中ですから、次回のレッスンまでに、もしIYさんとお会いになられるようでしたら、少林寺拳法の柔法を、骨盤底筋・肚と腰・横隔膜を使うやり方で習ってみてください。

 肚を使って肩を緊張させない。そして鈎手守法の意味を、身体で理解していただけるのではないかと思いますので・・・

 いつも本当に有難うございます。(引用終了)

 日曜日の長堀教室の初心者クラスでは、初心に返って
 現状認識・センタリング・呼吸・臨界点・拡張と収縮・立体的身体・体幹・骨盤底筋ー肚と腰ー横隔膜ー膻中ー瘂門ー百会・重力を感じる(浮かせるー落ちる)・虚を探す(使われていない部位ー実とのバランス)・繋げる・神経訓練などに関して簡単にお話させていただきました。

 指導員養成クラスでは、集中力の大切さと自分の閃きを確認するということを中心にレッスンを展開してみました。最後には、接触鍼を使って身体内部の繋がりを感じたり、自分がなんとなく気になる部位に鍼を当てて、腑に落ちる方向(補瀉)を軽く意識して、その経絡の変化の様子を検証していただきました。呼吸に連れて緊張と弛緩を繰り返すというイメージが大切だということなのですが、私が思った以上に、皆さんはこのレッスンを気に入ってくださったので、次回は、磁石や指先を使った奇経療法も味わっていただこうかと考えています。

 皆さんからの感想をお待ちしています。

 参照1:鍼灸の科学と皮膚科学
 参照2:虚無の意味
 参照3:針に糸を通す
 参照4:沈香も焚かず
# by centeringkokyu | 2008-07-21 12:12 | 呼吸法中心塾
「呼吸」のまとめ
 先日ある会員の方からお電話を頂戴し、「フェルデンクライスの呼吸法」と「センタリング呼吸法」での呼吸法は違いますよね?とのご質問をいただきました。

 正しい呼吸法についてから引用します。

 『モーシェ・フェルデンクライスも繰り返し述べていますが、フェルデンクライスでは、普遍的な常に正しい呼吸法というものはありません。ケースによって、人によって、呼吸は違わなければならない。

 自分に合っているか合っていないかは、呼吸自体が、カンフォタブルな(心地よい)、あるいはイージーで(気楽な)強制されていない感じであればいい動きです。』ということのようです。

 また、ドイツでフェルデンクライス・メソッドを習った事がある人からの又聞きですが、センタリング呼吸法で行っているような呼吸法は、習わなかったとのことでした。

 センタリング呼吸法での初歩的な呼吸は、心地よい呼吸ではありません。姿勢が崩れていると、楽な呼吸は出来ないと考えているからです。さらに、呼吸法は「気功」「太極拳」などとほぼ共通していますし、「合気」や「剣術」で検証しながら呼吸法として組み立てています。呼吸と動きによって身体を調整し、その微妙な変化を味わうことが、自分の癖に気づくための方法だと考えていますので・・・

 土曜日の観照塾の稽古では、横隔膜を意識した呼吸で合気を掛ける稽古をしました。勿論、肚と腰や視線とイメージの重要性も体感していただけたことと思います。

 ▼お知らせ
 今月の観照塾の稽古は終了しましたので、8月は「合気の身体になれるかもしれない体操」9・10月は「太極棒」11・12月は「杖とイメージ」の稽古を横隔膜を意識しながらやってみたいと考えています。

参照1:姿勢を直したとたんに、気持ちのいい呼吸を取り戻せた
...呼吸法を会得できるか?  呼吸できるからだを求めて  ▼呼吸が浅いとあくびが出やすい  年とともに衰えたなあと思う、わが筋肉。何もしなければ、筋肉は1年で1%減少するという。階段を駆け上がると息も上がる。長年の運動不足で、ちょ...

参照2:姿勢を意識する
...呼吸や視線の使い方を意識することで、身体の使い方が改善されるのですが、その方法はなかなか気づかれることはありません。そして、個人の癖を指摘しても、その癖を変えることが一番難しいようです。  女性の場合は、姿勢が変わると首の位置やバスト...

参照3:口で空気を吸っていると、からだがたるむ
...呼吸」ダイエット「鼻で呼吸」の驚異  医学博士・西原研究所所長 西原克成著からご紹介します。  腕や脚に筋肉がついているように、顔にも筋肉がついています。泣いたり笑ったりと表情をつくることができるのは、顔に筋肉があるから。口を動かし...

参照4:リラックスするためには鼻で呼吸する
...呼吸を意識してみてください。あなたは今、鼻で呼吸をしていますか? それともロを開けて呼吸しているのでしょうか?  鼻で呼吸をすると、自然と呼吸は深くなります。体からよけいな力が抜けて、リラックスできます。しかし口で呼吸をすると、呼吸は...

参照5:呼吸を観るということ
...呼吸を観るということは生命をより深く感じ、繋いでいくことです。それは、生後間もない赤ん坊が、少しずつ光を感じ、まもなく対象を目で追い、微笑むまでに成長していくのにも似て、自分の中に茫洋と広がり拡散する光が焦点を捉えて集中し、鮮明な輝きに変化...

参照6:脳内の回路を再構築
...呼吸法も合気もある意味では、脳の回路の再構築ではないかと考えています。体内操作と神経訓練ということですね!  ですから、正しい答えを求めても仕方がないのです。自分の限界をどのようにして、少しずつ変えていくかということの方が大切で、基準...

参照7:ダメージのような体の治癒反応
...呼吸症候群も同じ反応です。  病気ではありませんが、寒い場所に急に出たときに体がぶるっと震えて起こる寒けも自然の血流をよくする防御反応です。体を震わせる働きは体を守ろうとする反応なのです。  痛みのほとんどは、体の部位に発生する...

参照8:和式生活の勧め
...呼吸おくことで美しく見える。これは作法の所作などにも共通することだが、襟を正す、姿勢を正す、そんな気持ちで、日々の動作にひと呼吸おくという「間」を取り入れてみよう。立ち居振る舞いが美しくなり、品格や奥ゆかしさを表現できたり、礼を尽くすことに...

参照9:さくら散り 新芽が顔を・・
...呼吸法の指導をしてくださったお陰とのことでしたが、当然ご主人も3回しか付き添いをしておられないのに、見事に本質を理解してくださったようです。  まぁ〜お母さんがお兄ちゃんに、一生懸命九九を教えていても、お兄ちゃんはちっとも九九を覚えな...

参照10:みまかる
...呼吸法中心塾の教室では、80歳を超えた方が、継続してレッスンに参加されることはまずありません。夜のレッスンですし、自分で工夫しながら身体を動かしてみるという習慣がないのかもしれません。何も考えずに治療して貰うか、これだけを何回すれば効果があ...

参照11:脳と眼と呼吸
...呼吸についてですが、これも普段は無意識に呼吸していますね。何らかの呼吸法をするという事は、やっぱり意識的に呼吸を変化させる訓練です。そして、身体の中に空気が入ってくる時に、様々なイメージをするのです。気功などでも、両手の掌でボールを下に押し...

参照12:呼吸をコントロールしましょう
...呼吸のコントロールが大事なのも、同じ理由です。時間をかけ、ゆっくりと深く息を吐くのはすばらしい効果があり、血液の循環、心臓のはたらき、そして筋肉と神経を安定させます。心臓の鼓動が不規則なとき、血液の循環が正常ではないとき、肺のはたらきが均一...

参照13:短気になっていると感じたら・・
...呼吸をすると、気を長くもちやすくなります。早口になっていることに気づいたら、自分をコントロールして、ゆっくり、はっきりと話せばいいだけです。声を荒らげることも、逆に声をひそめることも避け、この平静な状態を維持するのだという決意に集中すれば、...

参照14:神経エネルギーを作る
...呼吸法によって空気から神経エネルギーを取りこむ。 (2)神経エネルギーを、貯蔵器官として働く神経系の主要な中枢に送りこむ。 (1)は、通常の呼吸のなかで誰でもつねに行なっている。ただ、人によって、というより呼吸のしかたによって、取り...

参照15:ヒートパックを使った呼吸法
..呼吸法をする時に使えば面白いのではないかと考えて、いろいろと試してみました。結構面白い効果がありました。  仰臥姿勢でお腹の上に置いて呼吸をすると、温熱効果と適度な重さが感じられ、呼吸と共にお腹が上下する感じが分かりやすいのです。そし...

参照16:姿勢と呼吸
...呼吸する、座って呼吸する、立って呼吸する、この三つのことについて僕は考えを述べたことがあるんです。先生も非常に興味を持たれた、非常に好奇心の強い人ですから。座っている時の人間の考え方、腰掛けている時の人間の考え方、感じること、それから寝てい...

参照17:正体と調息
...呼吸の臍下から通路するやうにする事なり。是亦人の呼吸と云うもの元来さうある筈の物なれども、彼の持込み悪しき人は中宮が内へ折れ込んで居るゆえ、それに支へられて、胸隔より出入りするなり。故に駈け走りなどに息を切ること早く、物を言へども響き弱く、...

参照18:こんなメールを頂きました
...呼吸法の要件  参照3:脳内の回路を再構築  参照4:使われていなかった筋肉との遭遇?  参照5:宗派が違う? ...

参照19:顎の位置と股関節運動
...呼吸法中心塾ではなく、自己中心塾だという人もあるくらいですから。  顎の位置と丹田への力の入り具合に注意して、膝を少し弛めてから、下図の脚上げ運動を、小さな動きでお試し下さい。...

参照20:季節の変化
...呼吸に合わせて丁寧にやってみました。すると、ほとんどの皆さんは、畳に背中がしっくりと着くようになられました。  身体が弛んでくると、首と頭蓋骨のアンバランスが目立ってきましたので、首と頭蓋骨と腕をつなげて動く方法を体験していただきまし...

参照21:「あなたはいい人間か、悪い人間か」と問われたら
...呼吸は、生きている限り続けているから、呼吸は出来ていると思うのが普通かもしれませんし、合気は愛気だと考えている人もおられるようです。  私にそれらを定義できるはずもありませんが、これからもボチボチ探究し続けたいと思っています。 ...

参照22:人と逢う・よく見れば見える・まっすぐ坐り、息を整える

参照23:まっすぐ鏡を見る

参照24:O脚と骨盤の関係
# by centeringkokyu | 2008-07-20 01:05 | 呼吸法中心塾
エキサイトのメールが復活?
 今年はエキサイトメールが来ないなぁ〜と思っていたら、突然復活したようです。調べてみると、以下のようなお知らせが見つかりました。

▼エキサイト及び、エキサイトメールをご利用のお客様へ大切なお知らせ

平素は エキサイトをご利用頂き、誠にありがとうございます。

 さて、昨年12月21日に、エキサイトメールのリニューアルを行いましたが、その直後に、ログイン障害、受信メールの大幅な遅延、過去データの復帰の遅延等の障害が発生し、大変ご迷惑をおかけしました。

 これら一連の障害については、リニューアル以降のサービス委託先である株式会社ISAOと早期の不具合改善にむけてさまざまな施策を行ってまいりましたが、現時点で多くの障害がほぼ解消に向かってはいるものの、いまだ完全な復旧に至ってはおりません。

 そこで、これ以上の長期化を避けるために、この度メールの運用・開発を自社に切り替え、以前のエキサイトメールと同じシステムで再構築することを決定いたしましたのでご連絡申し上げます。

 元のシステムに戻す理由としては、長年安定した運用実績があり、現在発生しているレスポンスの悪さや、ログインの問題が解消すると判断したためです。

 なお、エキサイトメールに関する現状は以下のとおりとなります。

 ログイン障害: 概ね安定しておりますが、現在も時間帯によってログインしにくい場合がございます。引き続き、システムの安定に向けて対策を採っております

 メールの送受信: 現在は障害は発生しておりませんが、ご不明な点は個別にサポートさせていただいております

 過去データの移行: 現在は完了しておりますが、個別にお問い合わせを受け付けております

 現状に関するお知らせに関しましては、お知らせページをご覧ください。

 今後のシステム再構築につきましては、今回の事態を真摯に受け止め、再びお客様にご迷惑をおかけしないよう万全の体制で実施する所存でございます。今後とも変わらぬご愛顧を賜りますよう、ご理解とご協力をお願い申し上げます。

 エキサイト株式会社  (引用終了)

 ということで、数々のスパムメールに混じっていた、以下の4通のメールに返信できていませんでした。大変失礼しました。

 08/01/01 ozekey様
 突然のメール失礼いたします。
 
 わたくし、合気と呼吸法が大好きなozekeyと申します。
 年は25、茨城県で本屋の店員をやっております。
 
 さて、ぶしつけながらもとつぜんメールさしあげましたのは、楽隠居さんのブログがあまりにも私の興味にぴったりだったので、驚いて連絡させていただきました。
 
 まだ全部は拝読していないのですが、時間を見つけて勉強させていただきたいと思います。
 
 年のはじめに縁あるブログを見つけてとても嬉しい気持ちです。

 なお、以下に私の今までの研究成果としてのブログなどを載せますので、よろしければごらん下さいませ。
(楽隠居さんから見ると取るに足らない情報かもしれませんが・・・)
 
 無浄随感http://plaza.rakuten.co.jp/ozekey/  日記です。
 呼吸と合気道http://blog.goo.ne.jp/ozekey  稽古メモです。
 合気ニューウェーブhttp://www.mag2.com/m/0000199960.html メルマガです。
合気雑感 http://www.geocities.jp/ozekey/aiki.html 改装中のHPです。
 
08/02/15 takebe様
初めまして、楽隠居さま。
takebeと申します。
吉原元棟を検索しておりましたら、貴殿のブログに辿り着きました。
身体操作の探求成果を惜しげもなく書かれておられるのに驚嘆しております。
時々、寄らせて下さい。

ところで、呼吸法中心塾と合気観照塾は見学可能なのでしょうか?
(還暦に届く世代で、古流の整骨術を学習中です)

 ご案内いただければ幸甚です。

 では、失礼いたします。

 08/03/27blackangel様
 センタリング呼吸法のブログ読み興味を持ったのですが、この呼吸法はどこで教えているのですか?

 ブログ内にはどこの県で教えているのかわからないので、具体的な場所や教室などの時間を教えて下さい。

 それとセンタリング呼吸法の話の中でフェルデンクライスの話がありましたが、フェルデンクライスを既に学習して取り入れているという事ですか?教えて下さい。よろしくお願いします。

 08/06/27 matsumura様
 初めて差し上げるメールで恐れ入ります。
「意拳論」というキーワード検索で、回りまわってたどり着きました。
大阪、堺に住み毎朝意拳の稽古らしきものをしている50半ばの普通のオッサンです。
 
「センタリング呼吸法」なるものに非常に興味をもち、メールを差し上げずにはいられなくなりました。どちらで、どのようなかたちで講習されておられるのか、お教えいただけないでしょうか?

一度体験してみたいと思っております。
よろしくお願いいたします。(転載終了)

 以上、無断で転載させていただきましたことをお許し下さい。

 ところで、合気観照塾(大阪府豊中市)は、見学自由です。会場や時間は個別にご連絡させていただきます。まだ興味がおありでしたらご連絡ください。月刊秘伝のWEB版道場ガイドがアップされれば掲載されるかもしれませんが・・・

 呼吸法中心塾の西宮(兵庫県)・芦屋(兵庫県)・難波(大阪府)・長堀(大阪府)の各教室は定員を満たしていますので、現在は新規募集をしていません。更に、参加者の集中力の妨げになりますので、見学はお断りしています。ご了承下さい。

 8月31日(日)の午後に「初めてのセンタリング呼吸法」講座の開講を予定しています。会場は芦屋市内になるはずです。会費は2,500円。講習時間は90分で、グループレッスンです。詳細は、8月中旬に決まると思いますので、このブログでもお知らせできると思います。

 メールへのお礼と、返信できなかったお詫びということで、どうぞお許し下さい。

 フェルデンクライス身体訓練法に関しては、参照をご一読下さい。

 参照1:道歌してる?Vol.1
 参照2:仮想対談1
 参照3:仮想対談2
 参照4:脳の迷路の冒険
 参照5:知るための訓練 スローモーション
# by centeringkokyu | 2008-07-17 21:59 | 日常
太陽神経叢を正しくはたらかせるには
 「丹田呼吸健康法 調和息入門」村木弘昌著からご紹介します。

 太陽神経叢を活発にはたらかせるためには正しい腹圧のかけ方を身につけておく必要がある。胸にも一緒に圧のかかるような腹圧ではだめで、必ず呼吸とともに生ずる腹圧が必要だ。

 近年、大脳皮質に新旧の二皮質があることがわかってきた。古い皮質は人間ばかりでなく脊椎動物のすべてにあるが、新しい皮質は人間特有の発達をしたものであり、ほかの動物と違ったいわゆる人間らしさを特徴づけているのは、この新しい皮質のおかげである。

「知を磨き心を練る」という言葉がある。この知を磨くというのは大脳の新皮質の訓練にあるが、心を練るというのは形而上の問題で、生体面では手がかりがないかというと、決してそんなことはなく、私は太陽神経叢の錬磨こそ心を練る手がかりになるものだと思っている。

 第二の脳という表現は新しいものではない。すでに一八七〇年にアメリカのワイオミング州で発見された恐竜の頭と腰の二か所に脳のあることが報告されている。もっとも、この場合の第二の脳は、脊髄の腰椎にあたる部分に膨大部があり、これをさして第二の脳というわけだ。

 しかし人間の場合の第二の脳は、腹脳ともいわれるように、腹腔内にある太陽神経叢をさしている。太陽神経叢は、絶えず上下に運動する横隔膜の直下にあり、そして腹部大動脈とその分枝(腹腔動脈および上勝間動脈)の上にまつわりついている。

 太陽神経叢は前に述べたように、自律神経の集合体である。つまり交感神経(大小内臓神経および腰神経節)が左右合体してその全体の形があたかも太陽が光を発しているようであるため、このような名前がつけられている。

 このように左右の自律神経が正中部において合体していることは胸腔内では見られず、腹腔内にのみ存在する現象である。腹腔内には太陽神経叢のほかに下腸間膜動脈神経節と下腹神経叢の集合体もあるが、太陽神経叢が最も見ばえがする神経細胞塊である。

 これらの神経叢がすべて腹部大動脈およびその分枝の基部にまつわりついている点からみると、何か動を好む神経のように感じられる。特に太陽神経叢では絶えず上下動する横隔膜の直下にあることが、さらにその感を深くする。

 太陽神経叢の位置はほぼ第十一~第十二胸椎の部分にあたり、それは親指ほどの大きさである。そして、その存在は胸椎の下部にあるが、あくまでも腹腔内である。それは横隔膜が上に向かってふくらみをもっているからで、あたかも腹腔が胸腔にせり込んでいるような形をしているためである。

 太陽神経叢の位置を前面から見ると、それは心窩の真後ろにあたる。そして、この心窩を内方へくびれさせるとき、太陽神経叢は前面から最短距離となる。

 腹腔の加圧減圧、つまり腹に力を入れたり、抜いたりを交互にすることで、横隔膜の運動による血流促進が起こり内臓の栄養は保たれ、それぞれの機能を発揮するわけだが、それが強力に行われるほど生体の運営は活発となる。腹腔の強い加圧と減圧は太陽神経叢の栄養をもよくし、その機能を充分に表すこととなろう。

 私たちの体の調子が悪いという場合は、必ずといってよいほど横隔膜の運動が鈍っているときである。

 たとえば、深い悲しみにうち沈んだときは顔色は悪くなり、食欲もなく、心臓も苦しくなる。この場合、顔色のよくないのは、血流の低下を表し、食欲不振は消化液の分泌低下であり、心臓が苦しくなるのは冠状動舵の栄養不足による。これはいずれも血流と自律神経の機能との低下を表している。

 激しい怒りや、恐れ、驚き、そのほか種々の好ましくない情動もまた生体の運営を攪乱する。場合によっては、大脳の英知をもってしても処理できないものがある。その場合にこそ、第二の脳、つまり腹脳といわれる太陽神経叢を活用することによって生体の運営を正しい方向へ向けてやる必要がある。

 第二の脳、太陽神経叢を練るのには、正しい腹圧のかけ方が必要となる。正しい腹圧が常にかけられるようになれば、太陽神経叢は活発にはたらき、生体は常に正しく運営されるわけだ。

 私たちの日常生活においては、好ましい情動もあるが、その半面、好ましくない情動の数々があとを絶たない。そのような好ましくない情動の起きた場合には、第二の脳を充分に活用すべきである。また高度に進んだ人間文明の生活環境では、前に述べたように第二の脳のはたらきが鈍りがちとなるから、絶えずこの太陽神経叢を錬磨するように心がけたいものである。

 第二の脳を錬磨すれば、今後ますます激増すると思われる自律神経の失調症やノイローゼも未然に防ぐことができる。

 そして現代医学の大きな課題になっているところの現代成人病、つまり脳卒中、ガン、冠動脈性心臓疾患も、この第二の脳の活用によって前途に大きな光明を発見することを確信するものである。

 参照1:心と体が調和して「四徳」整う
 参照2:何してるんやろうこの会
 参照3:神経の訓練法
 参照4:「神経訓練法」&「霊術」まとめ

 月刊秘伝 2001年9月号から写真を転載させていただきます。
# by centeringkokyu | 2008-07-16 00:01 | 本などの紹介
第二の脳・太陽神経叢について

「丹田呼吸健康法 調和息入門」村木弘昌著からご紹介します。

 ▼太陽神経叢とは何か

 第二の脳、つまり太陽神経叢については最近とみに関心が高まってきたが、それについて私の考えを少し述べてみたい。第二の脳といわれる太陽神経叢は、腹腔内にあって、人間生活にきわめて大きな意義をもつ重要な神経叢である(神経叢の叢は「くさむら」のことであり神経叢とは神経細胞の集まりといったものとみてよい)。

 この太陽神経叢は、あとで述べようと思うが、自律神経であるところの交感神経が集まって一つの神経節をつくつている(神経節とは神経細胞が集まって塊状になったもの)。

 この太陽神経叢のはたらき方のいかんによって、私どもの生体も大きく左右される。そして人間の文明が進むほど、残念ながら、この太陽神経叢は活発にはたらかなくなる傾向にある。この自律神経の失調症は、文明の進展に伴ってますますふえていく現代病の一つであるが、これは太陽神経叢のはたらきを活発にすることによって治る。

 人間は万物の霊長と自負するだけにほかの動物には見られない文明を築いてきた。ちょっと身のまわりを見わたしただけでも、ラジオやテレビがあり、洗濯機、冷蔵庫、掃除機があり、冷暖房から種々の便利な乗り物、そのほか多くの能率のよい機械や器具がある。このような結構ずくめの文化生活のなかで人間の体はいったいどうなるだろうか。生活を便利にし、人間に楽をさせる点では貢献しているかもしれないが、健康という面からは逆行していて感心できない。頭も体も両方どしどし使ってこそほんとうの健康生活が営めるというものだ。

 今後さらなる科学技術の発展により、われわれの生活様式は一変するだろうが、体を動かさず神経の緊張を要求される仕事が多くなるであろう。心身のバランスを欠いた、このような精神緊張状態が長く続くことは自律神経にとつても好ましくないことだ。

 ▼太陽神経叢と腹圧の関係

 太陽神経叢のはたらきは腹圧と大いに関係がある。強い腹圧がかかるほど太陽神経叢の機能も冴えてくる。太陽神経叢は自律神経を調整して内臓が正しくはたらくようにできているが、腹圧が弱いとその調整する力が鈍ってしまい、自律神経失調症になる傾向が高い。

 自律神経の中枢は前述のごとく間脳の視床下部というところにあるとされている。そしてまた間脳の視床脳というところは、外界の種々の刺激を大脳皮質へ送り届ける中継場所となっている。そしてまた外部からの刺激に即応して(つまり大脳皮質の厄介にならずに)遠心性の神経に命令を出しているところである。この反射的に下される命令が常に正しいものとは限らない。

 鰻を焼く匂いで唾液や胃液が分泌されても、それが胃に入っていかなければ空振りになってしまう。かば焼きのにおいをどんなに嗅がされても、ふところぐあいが悪ければ、大脳の英知は唾液や胃液の分泌を止める力をもっている。

 しかし悲しみの情緒の深い場合は、胃液の分泌が悪く、空腹であるのに食欲が出ない。このような場合、間脳の自律神経中枢も正しくはたらかないし、大脳の英知も悲しみの情緒で曇ってしまう。

 そのほかの好ましくない情動、たとえば激しい怒り、恐れ、驚きなどの場合、間脳も大脳皮質も正しい指令を下すことができない場合がしばしばある。

 そのような場合にも太陽神経叢が正しくはたらいていると、たとえ大脳や間脳からの誤った司令がきても、それを調整することができる。

  ◎調和道丹田呼吸法とは
 ・下腹部の中心にあるとされる丹田に意識を集めた丹田呼吸法を身につけていくと、素晴らしい身心の健康がもたらされます。それが調和道丹田呼吸法です。

 ・調和道丹田呼吸法は、藤田霊斎道祖によって体系化されたもので、東洋古来から多くの先哲が実践してきた丹田呼吸法の真髄を掴み、現代人にも実行しやすいように工夫してあります。

 ・明治40年の創始以来、100年、多くの方々が身心の健康を実現してきました。
調和道丹田呼吸法は、体内の自然治癒力を高め、諸病の予防、克服などに威力を発揮します。また心の安定、活力化をはかり、スポーツ、武道、芸道、などの上達を促します。

 ・丹田呼吸法は、頭で理解しただけでは十分でありません。半年、一年と継続し、からだで覚えることが肝心です。

 参照1:巻頭言
 参照2:緊張させる 
 参照3:気づきの呼吸法
 参照4:難波教室参加者の感想
# by centeringkokyu | 2008-07-15 00:02 | 本などの紹介
ホリスティック医療
伝統療法や「祈り」も活用 病と向き合って治癒力高める
 MNS産経ニュース 2008.7.9

 薬剤投与や外科手術といった西洋医学では治しきれないさまざまな病を癒やすため、世界各地の伝統療法から「祈り」までも活用するホリスティック医療への関心が高まっている。心の持ち方や生活習慣、環境まで含めた全人、包括的な治療で、患者自身の「癒やす力」を高めるという。(八並朋昌)
                
 横浜市都筑区の山本記念病院。ホリスティック外来の総合診療部で、理事長の山本百合子さん(56)が、女性患者の脈を取りながら「食事が不規則ですね」などと話しかけている。インドで体得した伝統医療アーユルヴェーダの脈診だ。

 「体験してみますか」と山本さん。記者の両手の甲に両手を重ね、右手の脈を取る。「胃腸の調子が不安定。一つのことを気にしすぎるので、重い食事は避けて。冷たいものの飲み過ぎに注意」「いつもは穏やかですが、体調が悪いと、しつこく、怒りやすくなり、怒りが後を引きやすい」。ずばり言い当てられた。

 さらに全身に両手をかざす。5分ほどすると、腰から肩にかけてポッポと温かくなった。「背中のエネルギーの流れが悪く冷えていたので、流れを良くしました」。気功に似ているが、英国で学んだ「スピリチュアルヒーリング」という。

 子宮筋腫に腹膜炎や腸閉塞(へいそく)を併発して闘病を5年以上続けた山本さんは「もともと漢方治療も行っていたが、自分が患者になって、西洋医学だけではいけないという思いが一層強くなった」と平成15年に総合診療部を開設した。

 山本さんら4医師が、「ほっとする科」「よく聴く科」「痛みの外来」などを担当。ドイツ発祥のホメオパシー、体の各部位固有の波動を応用したバイオレゾナンス、日本生まれでハワイで発展したレイキ(霊気)、それに気功や経絡刺激など、さまざまな病気にさまざまな療法を行う。自由診療なので初診は1万500円から、再診は6300円からとなる。

 「例えば血球分析で患者自身の白血球の映像を見せながら説明すると、自分に備わる生体機能に驚き、意識するだけで免疫力が高まります。ホリスティック医療は、さまざまな療法で自分の病気に向き合うことでもあるんです」

 山本さんはNPO法人日本ホリスティック医学協会の常任理事も務める。協会は昭和62年の設立で、がんのホリスティック治療で知られる帯津三敬病院(埼玉県川越市)の名誉院長、帯津良一さん(72)が現会長。会員は医師、療法士、一般市民など約1300人。

 「病を癒やし健康を保つには、その人の身体性から霊性まで全人的に高めること。環境とのつながりも見直すことが大切」と事務局長の岸原千雅子さん。

 岸原さんはアロマテラピーとカウンセリングを行う「アルケミア」を東京・赤坂で経営する。「例えば、つらい幼児体験は本人が封印したつもりでも心身に影響している。このトラウマに向かい合うのは大変つらいが、不安や体調不良の解決につながることがある。この心理療法もホリスティック医療の一つなんです」

 さらに「患者や医師が祈ることもある。祈りの癒やし効果は米国の医師によって検証されている。ホリスティック医療はこうしたさまざまな療法のネットワークともいえるんです」とも。
                 
 協会は「万人のためのホリスティック医療」と題した公開シンポジウムを11月9日、全電通ホール(東京・神田駿河台)で開く。

 問い合わせは日本ホリスティック医学協会(電)03・3341・3418、山本記念病院総合診療部(電)045・594・2417。

 参照1:ホリスティック医療について
 参照2:「米国大学(院)学位商法」の危険性-ホリスティック
 参照3:ホリスティックな考え方
 参照4:ホリスティックフォーラム大阪
 参照5:屋比久勝子のプロフィール
 参照6:薬事法に問題ないんですか?
# by centeringkokyu | 2008-07-14 00:04 | 本などの紹介
稽古の感想とおまけ「合気の修得目標」
 2008/7/5 観照塾の稽古の感想
 
 気づいたこと

・    ゆるみをとり臨界点までもっていく→臨界点からの操作
・    接点の取り方・接点どうしのバランスと自分のバランスをとりながらの呼吸
・    どのようなとり方や姿勢になっても楽に呼吸できるか
・    固まらずフレキシブルに動く
・    技も治療も一動作でやっている様にみえるが、動作やイメージや意識のテンカンがその中にはある

(コマ送りができるか)→かたまったら緩め、またかたまったら緩めしながら修正し中心に繋げる
 
 特に、「楽に呼吸できるか」ということに注目していました。

 #楽隠居です
 N山さんの現在のテーマは臨界点での呼吸をどのように使うかということだと思うんですが、結局は横隔膜の操作ということになるはずです。このあたりのことについては、土曜日の稽古でやりましたので、多分お分かりいただけたと思います。横隔膜の操作についてブログに詳しく書くことはできませんので、非公開ということにさせていただきます。ご了承ください。

 ところで、資料を整理していたらこんなものがでてきましたので、紹介させていただきます。ただ、これを書いたのは15年ぐらい前で、まだ円運動の呪縛が染みついていた頃だということを念頭に置いてお読み下さい。

 ◎合気の修得目標についての提案
 
第一段階  相手の技を味わう。

第二段階  手の形の意味と引きと攻めを、身体で理解する。弛みを取る。

第三段階  手首・肘・肩・顎の円運動。胸の開合。落差をつける。
      脱力が出来ないと、正確な円運動が出来ないことを確認する。

第四段階  大きな六方円と初歩的な脱力及び吸い込みの確認。倒れ込み。
      寄せ足の意味を理解する。
      自分の体の中や相手との接点の虚実を意識する。
      意識しにくい部位が、動かせていない部位であることを確認する。

第五段階  身体全体の円運動と呼吸のリズムの一致。うねりの完成。
      顎と視線の使い方を確認する。目の力の虚実。

第六段階  腹部及び股関節の円運動。立て替え。動作と呼吸と意識の一致。

第七段階  足の裏の円運動。中心軸の完成。中心軸が出来ないと、脱力不能。
      吸い込みの深さと速さのレベルアップ。
 
 合気の修得目標について、簡単にまとめてみました。勿論、合気が掛けられるようになるための必要条件はまだまだ多くあります。修得順序も個人差があります。各自が自分のレベルを常に確認し、修得目標と現状とを認識して、何度も基本に戻ることを前提として、稽古に励むことが大切です。

 これを私は、蚊取り線香のようだと考えています。中には、普通のお線香のように、真っ直ぐに上達出来る方もいらっしゃいますが、大部分の方は、一周回って元の位置の繰り返しです。そして、何周か回って初めて、今まで自分が稽古してきたことの意味が、少しだけ理解できるようになります。

 ですから、あまり最初から完璧を目差さず、自分が信頼できる先輩のアドバイスを取り入れて、地道に稽古を続ける以外に、上達する秘訣はありません。練功法の深い意味を理解できるのは、自分の身体を練り上げた後しかないと断言できます。

 さらに、相手の技を受ける時は、倒れる・倒れないにあまり拘らず、相手の伝えてきた力が、自分の身体を、どのように通っていくかに集中してみて下さい。そうすれば、自ずと技の共通原理を身体で理解できるようになります。

 また、先輩の方は、相手の力がどの部分からの力かを感じて、相手のレベルに応じたアドバイスをしてあげて下さい。そうすることによって、かえって自分の欠点に気づき、その欠点を改善する為の方法が解るようになります。自分が出来ていなくても、人に説明することで、必要条件の再確認になるからです。
# by centeringkokyu | 2008-07-13 12:26 | N山りゅう
神経エネルギーを作る

 「集中力とカリスマ力」セロン・Q・デュモン著 古賀祥子訳からご紹介します。

 フィジカルの極を、ふたつの作用に分けて説明したのを覚えておられると思う。その第一は、神経系内部で十分な神経エネルギーを作ることである。

 この「作る」という言葉は、神経エネルギーが蓄えられるプロセスを正確に表現してはいない。実際は作るというより、吸収し循環させるわけだが、プロセスの全体像が簡潔に伝わるので、「作る」を使うことにした。

 神経エネルギーを作るプロセスは、次のふたつの段階に分かれる。
(1)特別な呼吸法によって空気から神経エネルギーを取りこむ。
(2)神経エネルギーを、貯蔵器官として働く神経系の主要な中枢に送りこむ。

(1)は、通常の呼吸のなかで誰でもつねに行なっている。ただ、人によって、というより呼吸のしかたによって、取りこむ量に違いがある。お気づきだと思うが、活力にあふれた力強い人はだいたいいつも深く規則的な呼吸をしている。それに対して弱々しい人は浅くて不規則な呼吸をする。深く規則的な呼吸は、全体的な身体の健康や体力に密接に関係しているのだ。

 東洋の心理学には、精神力を鍛えるためのむずかしい呼吸法がいろいろある。ここではその神秘の世界に深入りするつもりはないが、その基礎をなす哲学にはぜひ注目していただきたい。東洋哲学の教えでは、心身のさまざまな状態をそれぞれ表す呼吸のリズムがある。つまり、心や身体の状態は必ず特定の呼吸のリズムとして表れる。同じように(これは心霊術の秘儀のひとつだが)、特定のリズムで呼吸を繰り返すことで、心や身体をそのリズムに対応する状態にすみやかにもっていくことができるのである。

 このことを頭に置いて、少し考えてみよう。驚いたり腹が立ったりしたときは、冷静で落ちついているときとは呼吸のリズムが違うはずだ。あなた自身や周囲の人をよく観察してみれば、今までなぜそのことに気づかなかったのかと不思議に思うだろう。

 特定の感情に対応する呼吸のリズムを繰り返せば、そのリズムに対応する感情がたちまちわきおこってくるということも、耳新しい話ではないだろうか。「怒りの呼吸」をほんのしばらく(ただし正確に)続ければ腹が立ってくるし、「不安の呼吸」なら不安な気持ちになってくる。同じように、冷静で落ちついた気分に対応するリズムで意識的に呼吸をすれば、すっと気持ちを落ちつけることができるのだ。

 つねに冷静沈着で知られる東洋の賢者たちは、まさにこうしてその冷静な精神状態を維持していた。落ちついた一定のリズムで呼吸を続けることさえできれば、どんな状況でも感情をコントロールし、冷静さを保つことが誰にもできるのだ。

 呼吸のリズムをコントロールして神経エネルギーを取りこむためには、次のふたつの重要なポイントがある。

(1)心身が極度に緊張して神経エネルギーが大量に失われたときに、失われたエネルギーをおのずと回復してくれる呼吸のリズムがある。

(2)このリズムで意識的に呼吸をすれば、カリスマ力を発揮するのに必要な神経エネルギーを大幅に増やすことができる。

 「そんなすごい効果のある呼吸のリズムとは、いったい何なのだ」とお思いになるだろう。では、その疑問に答える代わりに、こちらから別の質問をさせていただこう。心身が極度の緊張を強いられたあと、荒い呼吸が収まってふだんの状態に戻りはじめたとき、あなたはどんなふうに呼吸しているだろうか。

 まずはため息をつくように、一度か二度長く息を吐いてから、静かで落ちついた、ゆっくりとした深い呼吸をするのではないだろうか。自分では気づいていなかったかもしれないが、この深い呼吸には、年代ものの大きな置き時計がゆっくりと時を刻んでいるようなリズムがある。ゆっくりと規則的なリズムでしばらく呼吸をし、落ちつきを取り戻すと、呼吸もふだんのリズムに戻っていく。

 ゆっくりと一定のテンポを刻むこのリズムこそ、正しく行ないさえすれば、空気から取りこむ神経エネルギーの量を大幅に増やしてくれる呼吸のリズムなのである。

 さて、ここで前の段落をもう一度読みなおして、頭に刻みこんでいただきたい。この文章のもつ大きな意味をあますところなく理解し、すっかり納得がいくまで頭のなかで何度も繰り返そう。この短い文章には、あなたをフィジカルのカリスマ力を操る達人に変えてくれる驚くべき真実が凝縮されている。きちんと理解してから、この先を読みすすめてほしい。

 ただし、このリズムがあっさり手に入ると勘違いしないことだ。まずは、自分にかなった呼吸のリズムを徐々に覚えていくことから始めなくてはならない。この点に関しては、私はヒントを与えることしかできない。心と身体の成り立ちや特徴はひとりひとり違うので、神経エネルギーの吸収量を高める呼吸のリズムも、人それぞれに違うからである。

 その方法(これしか方法はない)は、次のとおりだ。まず、極度の緊張から回復するときに、あなたが本能的に呼吸するリズムをきちんと確かめる。次に、その呼吸のリズムになるときの心や身体の状能を意識的に作りだして、そのリズムを練習する。そのリズムが身体に刻まれ、思ったときに再現できるようになるまで、練習を繰り返す。

 天才型か実力派の俳優ででもないかぎり、このリズムに対応するところまで心や身体の状態をもっていく ーー いわばその状態を「演じる」 ーー のは、はじめのうちはむずかしいだろう。思いどおりにできるようになるまで、あきらめずに続けよう。どんなことでもそうだが、これも練習を重ねるうちにうまくなる。まずは、心身が極度に緊張したときの精神状態を再現してみよう。すると、やがて緊張が解けて、回復するときの呼吸のリズムが現れてくる。根気よく練習を続けよう。

 心身が回復してきたことを示す最初のサインは、ため息のように長く息を吐きだす状態だ。それから一瞬、間があいたあと、穏やかでゆっくりとした深い呼吸が一定のリズムで続く。こうなると、心と身体がしだいにエネルギーと活力を取り戻してくるのがわかるはずだ。

 身体を休める、エネルギーを取り戻す、あるいは神経エネルギーの蓄積量を増やすといった目的でこの練習をするときは、よくあるように、人為的に呼吸のリズムを作る間違いに陥らないように気をつけよう。呼吸の長さを秒数で数えたり、一回の呼吸の長さを決めたりするのは間違いだ。そうしたことはいっさい考えず、身体がエネルギーを取り戻すときの穏やかで落ちついた感覚に身をまかせよう。そういう感覚は、正しい精神状態を作りだせば自然とわきおこってくる。すべてを自然な流れにゆだねることだ。

 このエクササイズを一日に何回練習したらいいかは、この時点では気にしないこと。もう少しあとで、神経エネルギーの循環プロセスとの関連で説明する。今必要なのは、この呼吸のリズムを覚え、思いどおりに、苦もなく ーー いわば本能的に ーー 再現できるようになることだ。それができるようになるまでは、ここから先の段階に進んでも無駄になるだけだ。

 ここでひとつだけ注意を促しておきたい。けっして無理をせず、ゆっくり取り組むことである。ここで問題なのは、あなた自身の成長だ。先を焦ってもろくなことはない。自然の流れにまかせて、本能的に覚えていくことが必要なのだ。やがてあなたのなかに生気と活力が増して、正しいことをやっているとわかるだろう。

 最後にもうひとつ。心身が悲鳴をあげているときに救いの手を差し伸べてくれる自然の仕組みと、回復を手助けするエネルギーを自在に取りこみ、エネルギーの蓄えを大きく増やす方法が、これでおわかりになったと思う。ということは、必要なときはいつでもエネルギーを与えてくれる自然の秘薬を手に入れたのと同じことなのだ。この喩えは、けっして大げさではない。

 #楽隠居です
 植芝盛平(1859〜1943)
 江間俊一(1861〜1933)
 ウィリアム・W・アトキンソン(1862〜1932)
 〔セロン・Q・デュモン〕
 藤田霊齋(1868〜1957)
 F. M. アレクサンダー(1869〜1955)
 岡田虎二郎(1872〜1920)
 田中守平(1884〜1928)
 中村天風(1887〜1968)
 アイダ・ロルフ(1896〜1979)
 平田内蔵吉(1901〜1945)
 モーシェ・フェルデンクライス(1904〜1984)
 野口晴哉(のぐち はるちか)(1911〜1976)

 私が興味をもっている健康法などの創始者を書き出してみました。1860年に産まれたとすると、30~50歳になるのは1890~1910年頃になります。今から百年も前に様々な健康法などがそれなりに確立されていたのでしょうね。西洋医学の考え方が中心になってきてからは、いろいろな法律が作られることによって、東洋医学的な考え方や体内操作の技術が失われていったのかもしれません・・・

 参照1:息のしかた
 参照2:息のしかた続
 参照3:腰を入れる
 参照4:ワークショップ
 参照5:脳と眼と呼吸
 参照6:呼吸をコントロールしましょう
 参照7:短気になっていると感じたら・・
 参照8:温故知新
 参照9:呼吸法いろいろ
 参照10:江間式心身鍛練法
 参照11:驚き!霊術の驚異?
 参照12:腰骨を立てる
 参照13:テレパシー
 参照14:合気の身体で日常生活
 参照15:創始者達
# by centeringkokyu | 2008-07-12 00:01 | 本などの紹介
憲法九条・法律の論理・誰でも入れる保険?・温暖化など
 ▼憲法九条を護持して戦略的安全保障の実現をから引用します。

 日本の親米保守派というのは伝来、中国に対するコンプレックスと優越感に裏書きされた存在であった。古くは明治維新の思想的バックボーンになった水戸学などもそうだろう。中国が気になってしょうがないくせに、中国は嫌いなのである。(山本七平氏の議論からの分析)

 しかし、面倒なことは自分ではなく他人にやらせるというのが賢いひとのやり方である。韓国は、ベトナム戦争に派兵させられた。日本はしなくて済んだ。これ以上に「憲法九条の効能」を物語る事例はない。

 しかも、憲法九条は、それをアメリカ側が保証してくれたのである。これを利用するという吉田茂の戦略眼はやはり鋭かった。今になって後悔しても遅い、と言い続ければいい。

 技術立国と憲法九条(ただし自衛隊の保持)は日本の安全保障の要だと思う。それを「一国平和主義」というならそれでも構わない。(そう批判されないために、「シーレーンの防衛」に日本がを米中を取り込む形で、自衛隊も象徴的に参加するという選択肢もある)

 日米合作の日本国憲法を守ることが日本の安全保障政策の根本にある。ゆえに、「憲法九条を守れ」と主張し続ける護憲主義の人たちの存在を一番歓迎しているのは、実は自民党である。(引用終了)

 詳しくは、ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報をどうぞ!

 ▼法律の論理 社会的バランスを考慮【竹内薫の科学・時事放談】
 MNS産経ニュース 2008.5.3 

 夫を殺害してバラバラにしてしまった被告に懲役15年の実刑が言い渡された。このニュースを見ていたら、急に30年前の法学教授の言葉が思い出された(当時、私は法学を専攻していた)。まだ若かった私は、法律により被告を裁く際の判断が「論理」にのっとっている、という教授の主張が理解できず、質問攻めにしていた。私には、この「論理」なるものが、数学や科学で使われている論理とは似て非なるもののように思われ、その奇妙な違和感の正体を突き止めようと躍起になっていたのだ。

 しつこい質問に嫌気が差したのか、老教授は、私に対して、まるで告白するかのようにつぶやいた。

 「裁判の現場では、まず、量刑ありきで、後付けに法律論をもってきて正当化することもあるかもしれませんねぇ」

 つまり、証拠や証言などをみながら、法律をきちんと適用していくと、論理的に判決が出る、という教科書の説明はウソで、実際には、裁判官の経験と感覚により、まず「15年の実刑」があるというのだ。言葉は悪いが出来レースなのだ。しかし、経験と感覚による判断では周囲が納得しないので、形式を整えるために、あたかも法律から論理的に判決が導き出されたかのような振りをする、というのである。

 法学の授業の最初の時間に、法学は「リーガルマインド」を育てる学問だ、と教わった。リーガルマインドとは、要するに「社会的なバランス感覚」にほかならない。どんな理由があるにせよ、夫を殺害してバラバラにした人間が、無罪放免となっては、社会が許さない。しかし、被告が夫の暴力に苦しんでいたのも事実らしい。だから、裁判長の頭の中には、かなり初期の段階から「10年以上の実刑」というバランスを考慮した結論があったのかもしれない。

 夫殺害事件の判決のニュースは、30年前の法学の老教授のつぶやきを見事なまでに裏付けている。弁護側と検察側、双方の精神科医がそろって「被告には責任能力がなかった」と精神鑑定したにもかかわらず、裁判長は、これを事実上無視して判決を下したからだ。

 もちろん、もっともらしい理由付けはなされていたが、その「論理」は、どう考えても数学者や科学者に理解できる論理ではなかった。誤解のないよう強調しておきたいのだが、今回の判決(量刑)に私が疑問を抱いて、弁護側を応援しているのでは決してない。むしろ、妥当な判決だったように思う。ただ、数学や科学の世界の論理に慣れている私は、「こじつけ」にしか聞こえない判決の「論理」が気持ち悪いのである。

 経験と感覚といえば、イギリスには成文法がなく、陪審員制度がある。「過去の判例に照らして、量刑は15年が妥当」と言われれば、たしかに納得できるし、「陪審員の全員一致で15年の懲役と決まりました」というのも納得できる。

 日本もいよいよ来年から裁判員制度が始まるわけだが、もしも、私が裁判員に選ばれたら、法律の論理的な適用について、裁判官を質問攻めにするにちがいない。なにしろ、30年前の私の素朴な疑問は、いまだに解消されていないからである-。(たけうち・かおる=サイエンスライター)(引用終了)

 参照1:「誰でも入れる」保険の真実
 参照2:誰でも入れます?
 参照3:地球温暖化問題について
 参照4:「CO2本位制」の時代へ
 参照5:中国の死刑

 今日のぼやき950「アルバート・ゴアの “グローバル・マーシャル・プラン”の背後にある「戦略構想」とその人脈」もどうぞ!

 「955」洞爺湖サミット(G8)では何も決まらず、裏側では、アフリカ救援どころか、アメリカ(金融崩れ)救援の話が本当の議題だったようだ。最新の金融分析。も、よろしければご一読を!!
# by centeringkokyu | 2008-07-11 00:01 | 社会
「あなたはいい人間か、悪い人間か」と問われたら

 ブッダ永遠の真理
 「恐れることは何もない」 嘘のない自分で生きていくために 
 スリランカ仏教界長老アルボムッレ・スマナサーラ著からご紹介します。

 それもこれもすべて自分で勝手に判断してしまった結果起こっていることでしょう。その判断そのものが、実は間違っているのです。いいですか、これはとても大切なことです。人間には決して正しい判断はできません。我々が正しいと思っている判断は、真理とは違うものなのです。我々は常に、YESかNO、善か悪、白か黒、右か左……というように決めつけたがっている。決めつけることによって、満足を得ようとする。ところが、世の中はそんな単純なものではないでしょう。

 その証拠に、たとえばご自分に次のような質問をしてみてください。
 「私はいい人間ですか~ それとも私は悪い人間ですか?」
 ご自分のことだから、よくご存じでしょう。正直な心で、答えを言ってみてください。「自分はよい人間だろうか、それとも悪い人間だろうか」。

 自分自身のことなのに、答えが出せないのではありませんか。ほんとうのところは、自分にもわからないのです。世間に出している顔はとりあえず別として、自分を内側から見て、内なる顔を見て、「よい人か、悪い人か」と自分に訊いたところで、正しい答えは言えません。それは、毎日の日々のなかで、「自分は今正しいことをしている、自分は今正しい」と思うときもあれば、「今の自分は正しいとは言えない、今の自分はちょっと正しくないのではないか」と思うこともあるからです。この世の中には、いけないことと知りつつもやってしまう場合もありますし、仕方なく嘘をついて人とつき合わなくてはならないケースだっていくらでもあるのです。そのくせ他人のこととなると、平然と「よい人間だ」、「悪い人間だ」、「嘘つきだ」、「正直者だ」などと、判断してかかるのでず。

 また、自分が何か間違ったことをして人から叱られることもあるでしょう。そういう場合、自分が間違っていると知っているのに、「なんでこの人は怒るんだ、自分のほうが絶対に正しいのだ」と反発するのではないですか。そして、そういう素直でない自分がイヤになるのではありませんか。
                                 
 そんなふうに、人間の心はさまざまに揺れ動くのです。まるで天の邪鬼のようにダダをこねたり、カメレオンのように自分の心の姿を変えて生きているのです。

 人のことはしょっちゅう嫉妬したり羨んだりするくせに、自分のことを他人が嫉妬したりするとこれまた不機嫌になったりする。人にお説教するのは大好きなくせに、自分がお説教されるととたんにふくれっツラをする。

 それでも、人間はほんとうのところは自分の何が正しいのかはまったくわかっていないのです。自分はもしかしたら間違っているかもしれないけれども、極端には間違っていないはずだ、最悪の人間ではないはずだ、と思いたがっているのです。自分のことさえよくわかっていない人間が、偉そうに世の中のことに対してよくもまあいろいろとしたり顔ができるものだ、と呆れてしまいます。

 「あの人はよくない人間だ」とか、「この人はいい人だ、信用できる人だ」とか、「この人は可愛い人だ」、「この人は怖い人だ」などと自分だけで判断して言うのです。

 この、いい人とか、可愛い人とかいう表現は、ぜんぶ自分ひとりの判断なのです。怖い、美しい、醜い、美味しい、寒い、暑いなどというのは、すべて自分の判断にしかすぎません。高い、低い、長い、短い、早い、遅い……、これすべて判断にしかすぎないでしょう。これらの言葉は、頼りになりますか。信頼できますか。これらの言葉を信用して言葉に頼ってみれば、とんでもない結果になると思います。これらははっきり言って、すべて嘘なのです。今、こうして私が皆さんに語っている文章も、私の判断です。人間には、取り敢えず自分の意思、考えを伝える手段はこの言葉による表現しかないのですね。喋ったり、書いたりしなければ、相手にメッセージは伝わらないでしょう。これはたいへんなことなのです。ぜんぶ自分で判断して喋っている。

 ということは、まず我々はこの判断する世界から脱して、判断しなくてもいい世界に自分を置かなくてはならないのです。判断しなくてもいい状態に、自分の心を持っていかなくてはならない。判断しなくてもいい世界というのは、どういうことでしょう。そのへんを、少し考えてみましょう。

 『7.あなたのなかにもう一つの別の頭が眠っている』から項目だけ抜粋しておきます。
 ▼人生に「これが正しい」なんて一つもない
 ▼眠ったままの頭はこうして刺激する
 ▼「自分のほうが正しい」と思わない訓練
 ▼新しい頭で自分の心を覗いてみると

 #楽隠居です
 ここ数日は、人権に関連する本をご紹介しましたが、私にはまだ人権とは何なのかを理解できていません。霊的概念なんでしょうかねぇ〜

 「世界平和を祈る」のはいいんですが、平和って何なんでしょうか。私の心はいつも平和ではないような気もします?平和が戦争の無い状態だとすると、全ての兵器を製造しないことで解決するはずですが、経済問題が絡んでいますから、まず不可能でしょうね。勿論、兵器を持ったまま平和を維持することもできますが、ある程度の年数が経つと、兵器の在庫処分と新兵器のデモンストレーションをする必要もでてきます!

 日本は、憲法九条があるから大丈夫というのも???

 そして、どう考えても自衛隊は軍隊でしかないでしょう・・・

 同じ言葉でも、人によって感じ方が違うし、愛・自由・平等が悪いとは思いませんが、ほんまにあるんですやろか〜

 呼吸は、生きている限り続けているから、呼吸は出来ていると思うのが普通かもしれませんし、合気は愛気だと考えている人もおられるようです。

 私にそれらを定義できるはずもありませんが、これからもボチボチ探究し続けたいと思っています。

洗脳の世界から引用します。
 霊的概念 ethereal idea
 神、美、正義、自由など、価値を含み、極度に強力な感情を引き起こす概念。それらは極めて曖昧で、人によって異なった、時には逆の意味を持つ場合がある。さまざまな霊的概念の強調は、文化間である程度異なるが、概念そのものは人間社会で広く表現され、価値を置かれ、議論される。


 参照1:知るための訓練 スローモーション
 参照2:般若心経は間違い?
 参照3:法句経
 参照4:悟りながら生きる
 参照5:悟りながら生きる続
 参照6:悟りながら生きる続々
 参照7:修行はあらゆる瞬間に
 参照8:呼吸による癒し
 参照9:ブッダは最高の治療をする
 参照10:信じやすい心
 参照11:戦争経済に突入する日本
 参照12:防衛省の天下り
 参照13:世界軍需企業一覧
# by centeringkokyu | 2008-07-09 00:01 | 本などの紹介
「学校―家族」複合体の破壊
  教育を救う保守の哲学  中川八洋 渡部昇一 共著からご紹介します。

 第二節 国連の「人権」マニアック――世界共産化運動の残滓

 国連とは、一九四五年に、米国の軍事的フロント組織として、まだソ連の共産革命を輸出するイデオロギー上のフロント組織として、矛盾対立する二重の特性をもって発足した国際機関である。前者の特性は、「世界の警察官(World Police)」である米国がなす、自由社会と世界秩序の擁護のための軍事活動を賛助し協力する組織として、米国によって設立されたから当然である。国連の本質はあくまでも米国がリーダーであった第二次世界大戦時の軍事同盟機構としての連合国(United Nations)であり、一般通念上の国際機閑ではない。中立国の都市ジュネーブでもなくウィーンでもなく、米国のニューヨークに国連が設置されているのはその名残りである。一九九〇年から二〇〇三年の今日までの、イラク制裁に対して、米国がいつも国連に対して対米無条件協力を要求するが、国連の設立趣旨からすると間違っていない。

 後者の特性は、国連の設立時に主に米国の国務省に巣喰っていた、(スターリン指揮下の)共産主義者たちが大量にもぐりこみ、またこれに加えてソ連を初め各国から共産主義者が国連職員として採用されたために、国連は世界共産化を狙う、ソ連のフロント組織の一つであるような機能を偶然にもってしまった。あのマッカーシー上院議員らによる「赤狩り」は一九五〇年から始まったもので、一九四五年の国連設立時にはまだなく、間に合わなかった。一九四八年採択の国連による世界人権宣言や一九八九年採択の「子供の権利」条約が、自由社会の原理に反するドグマに満ちた世界共産化マニフェストとなっているのは、これらの共産主義者によってそれが作文されたからである。日本共産党がこの条約などを全面的にバックアップし、宗教上の経典の如くに扱う理由もこれである。

 ノーベル経済学賞受賞の法哲学者ハイエクは、世界人権宣言を次のように批判してやまない。

 「世界人権宣言……は、明らかに、西側の自由主義的伝統の諸権利をマルクス主義的ロシア革命に由来する全く異なる概念と融合させようという試みである」。

 「国連総会が(一九四八年にこれを採択して)真面目に宣言する有様は、これが生み出す幻想が深刻な悲劇でないのであれば、単なる喜劇にすぎない」。

 実際に、世界人権宣言を起草した国連人権委員会の長は故ルーズヴェルト大統領のエリノア夫人であり、共産主義者であったことはつとに名高い。だから、世界人権宣言とはあくまでも世界共産化への号令書である。全人類が「プロレタリアート(労働者)」であるという架空の前提を仮構する。

 例えば、同二四条は「すべて人は……有給休暇を含む……権利を有する」、同二三条の3項は「すべて人は、……労働組合を組織し、……参加する権利を有する」、などとなっている。世界中の人類の半分は農民であり(それが自作農であれば尚のこと)有給休暇とも労働組合とも無縁である。しかし、世界人権宣言は、それをソ連のかつての国営農場/集団農場にせよ、とアッピールする。

 あるいは、インドネシアの旋盤工は日本のそれと同一賃金であるべきだと謳う、現実には不可能で無責任な幻想にすぎない第二三条の2項は「すべて人は、同等の勤労に対し、同等の報酬を受ける権利を有する」である。このように、世界人権宣言は、全人類が同一の組織に雇用されている、という架空を絶対前提にしている。しかも、この権利は誰に対して請求するかといえば、第二八条が「この宣言に掲げる権利及び自由が完全に実施される社会的及び国際的秩序」に対してであると定めているところをみると、世界は単一の権力機構に支配されることになっている。

 現実にはそのようなものはマルクスの『共産党宣言』が描く、「プロレタリアートの世界革命」か成功したあとの社会のみしかありえず、つまり世界人権宣言とは『共産党宣言』の寒現を仮想している。

 「子供の権利条約」も同様で、表向きは人身売買や性的虐待から児童を守るという人道的なものを装いながら、その裏で、国連に蟠踞(ばんきょ)する共産主義者たちによる、あのソ連のピオニールや毛沢東の紅衛兵をモデルとして、世界の児童・生徒を革命の前衛部隊にすることを目的の一つとしたものであった。

 「自己の意見を形成する能力のある子供がその子供に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する」(第十二条)

 「子供は、表現の自由についての権利を有する」(第十三条)

 「締約国は、結社の自由及び平和的な社会の自由についての子供の権利を認める」(第十五 条)

 前述の所沢高校生の「日の丸」反対や桂高校生の制服反対活動、そして校長に対する「意見の表明」という形での罵声の合唱は、「子供の権利」条約に拠っての、子供たちによる暴力的革命闘争そのものである。所沢高校でも桂高校でも、生徒の背後にこの条約を信奉する某左翼政党が煽動していた事実において、この条約は生徒を使嗾(しそう)して学校を某左翼政党の支配におく恰好の手段になる危険性を証明した。

 子供が学校の管理に関して、その管理責任をもつ校長と同等の、表現や結社の権利を有しているとすれば、数において生徒は校長の数百倍であるから、学校は空中分解して機能を停止するか、背後に某政党をもつ「赤い教師」と「赤い生徒」が管理を簒奪(さんだつ)的に独裁するか、のいずれしかない。実際には、後者のケースが実現していく。

 もともと学校にもいけない子供の多い貧しい後進国のために策定された、「子供の権利」条約を、日本が批准したことが間違っていたのである。日本の子供だちを「学校破壊」や左巽革命から守るために、我が国は早急にこの条約からの脱退を決断すべきである。

 前述した第十二条などの「子供の権利」条約の狙いは、レーニンや毛沢東あるいは金日成のなしたごとく、未熟な子供をおだてて「逆差別」してあげ、代りに長い歴史を経た伝統的な社会の慣習や規範が身についている親や大人を支配させる。そうすれば、親/大人の世代と子供の世代との間で、後者をして前者に反乱させて、親子間を完全に切断することができる。現在の社会規範や、その母胎たる慣習の継承を阻む目的が達成できる。慣習や伝統が継承されては、マルクス主義の教理である、「人類の進化した(と妄想する)新しい社会」を創造できない。

 法秩序的な社会規範にしろ、倫理・道徳上の社会規範にしろ、それらは伝統と慣習に従う人々の紐帯において生命を得ている。子供の世代が親や教師から伝統や慣習を教育されないとすれば、法(law)も道徳(morals)もいずれの規範も、空中分解する。子供たちもタコ糸から離れたタコのごとくに、社会規範(=タコ糸)から浮遊する個(アトム)となるから、それらの人格はアノミー(無規範)の自己破壊現象をきたし、動物化するし、なかには犯罪者の道を辿る。

 このように、人格が自己破壊して動物化した人間を、「狂気の哲人」マルクスとエンゲルスは、「共産主義的人間」だと定義した。これらの人間によって文明の社会は維持されないから、崩壊せざるをえない。一定以上の人間がアノミー化した社会を、仮に維持しようとすれば、その方法は強権的な全体主義しかありえないから、それは必然的に共産党による独裁体制の社会に移行する。これが、「子供の権利」条約のもつ危険性である。日本共産党が、この条約を金科玉条的にふり回すが、それによって共産党の政権が遠からず日本に樹立されるからに他ならない。

 共産社会をつくる確実な方法として、マルクスは伝統や慣習の世代間継受を阻止(切断)することを考え、そのために家族の破壊をかかげ、アッピールした。『共産党宣言』を初めとして、マルクス主義の、「家族破壊」にかける情熱の激越さの理由はこれである。家族ほどの機能はないが、それを補完する、慣習の世代間継受ができる中間組織としては、地域共同体(ムラ、近隣)、宗教団体、カイシャ、同業組合、学校などがある。このため、マルクス主義は、これらの中間組織すべての解体と破壊をめざす。たとえば、『資本論を読む』の著者でフランス共産党員のルイ・アルチュセール 一九一八~九〇年)は、この「学校破壊」の論理を次のように展開した。

 「成熟した資本主義的構成体において支配的な地位を占める国家のイデオロギー装置は、学校制度のイデオロギー装置なのである」。

 アルチュセールは、レーニンが模倣したフランス革命が、破壊の対象として、いの一番に選択したのが「教会−家族」複合体であったことからヒントを得て、「学校−家族」複合体の破壊なしには共産化革命は成就しない、と考えた。教師や親がなす伝統的な慣習の教育や道徳的訓育をその子供だちに拒絶せしめるに、「子供の権利」条約は実に有効である。アルチュセールの主張するように、新しい革命闘争としての、「学校―家族」複合体の破壊を目標としてそれが策定されたと推定して間違いはないだろう。

 詳しくは、配付資料 政治経済 S029をご一読ください。

 参照1:操られたルーズベルト―大統領に戦争を仕掛けさせた者は誰か
 参照2:近衛文麿とルーズヴェルト―大東亜戦争の真実
 参照3:時流を読む眼力
 参照4:正統の哲学-異端の思想―「人権」「平等」「民主」の禍毒
 参照5:国際連合 3つの幻想
 参照6:国連幻想
 参照7:古森義久『国連幻想』
 参照8:国連は誰のものか?
 参照9:洗脳の世界
 参照10:中韓の善悪と日本の美醜
# by centeringkokyu | 2008-07-08 00:01 | 本などの紹介
「人権教育」という、祖国喪失の洗脳

 「教育を救う保守の哲学」  中川八洋 渡部昇一 共著からご紹介します。

 第六章「人権教育」という、祖国喪失の洗脳―「スクール・ジャック」」を煽る、子供の権利条約

 「人権」とは、既存の国家そのものを解体・破壊し、「人権」の信奉者による「人権共同体」を新たに創造する、宗教的な革命を正当化するドグマである、と前述した。「プロレタリアート共同体」を夢想する階級闘争とプロレタリアート独裁国家づくりのマルクスの理論も、この「人権」のドグマから一直線に誕生している。なぜなら、労働が生存のために不可欠なプロレタリアートだけが「人権」の定義する「人間である」から、自らの生存のために労働を必要としないブルジョアジーは「人間でない」ことになるからである。

 このように、「人権」は、人間を二分し、対立させ、差別する、非人間性を極めるイデオロギーである。二十世紀の「人権」の信徒であるレーニンが、ロシア革命で「富農」を含め富裕な国民をシベリアでの強制労働に駆りたてたり餓死させたり銃殺したり、そして一方、貧民階級のものに権力の座につかせたが、このように、「人権」とは、原始的で野蛮な人間が権力の主体となり、文明的で真善美に生きる倫理的・道徳的人間を抑圧する、転倒した宗教的共同体に国家を改造する悪魔の呪文である。

 だから、ソ連邦の崩壊に伴ってマルクス主義が衰退し「プロレタリアートの地上の天国」の夢が粉砕されても、「人権」という呪文が存在する限り、一九九〇年代以降の日本で現出されているように、「人権」の阿片を吸った野蛮で赤い無法者(ならず者)たちが、「法の支配」を破壊し、権力を掌握し、文明的な人間を支配し殺裁する国家への改造をする、共産革命がなくなることは決してない。

 日本の現実において、「人権」は、在日外国人や、身体障害者あるいは凶悪犯罪者や精神障害者などを、「平等」ではなく、「特別に扱え」との逆差別化のドグマとなって猛威をふるっている。

 「被差別者」と称されるものを「王様」にして、他の一般の人々はその奴隷か虫けらかのようにそれらに奉仕させる「召使い」にする、〝逆平等″を強要する。殺人鬼の酒鬼薔薇聖斗は「人権」に守られて名前も顔写真も出ないが、その被害者の小学六年生の方はマスコミの好餌になるがままに放置されている。あるいは、日本の「人権」屋は、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんほか約百名の日本国民の生命と自由は、二〇〇二年九月十七日までは完全に無視してきた。バークが指摘した通り、「人権」は〝国民″という二文字を嫌い、「国民の基本権」を否定する。日本で「人権」がかくも「法の前の平等」や「法の支配」を平然と無視しこれを排除するように、「人権」とは立憲主義を拒絶する。「法の支配」や立憲主義なしには「国民の基本権」は守られないから、「人権」こそが必ず国民の生命や自由を侵害していくのである。

 中一少年が腰塚教諭をナイフで殺害したあとも、学校が生徒の持物を開けてナイフの所持検査をすることを「人権」で阻まれたように、「人権」とは無法者の方を必ず擁護する。ナイフで教師や生徒を殺傷する可能性のある犯罪予備軍の中学生が、「人権」のドグマでは、「王様」として特別に扱われ、法の枠外におかれるのである。

 倒錯性をもつ「人権」とは、実は非理非道のメカニズムを生む魔語である。つまり、「人権」とは、人間の法的・政治的な基本権利を擁護する近代概念ではなく、あくまで「自然人」の野蛮性を是認する、〝悪魔の宗教″上の呪文である。

 参照1:教育を救う保守の哲学
 参照2:人権擁護法案の国会提出を許すな
 参照3:サルでも分かる?人権擁護法案
 参照4:ぼやきくっくり【過去】人権擁護法案
 参照5:市民運動とは何でしょう
 参照6:NHKご用達プロ市民のひとたち
 参照7:日本のレーニンが知った労働
 参照8:達人が人を見る目
 参照9:権利の主張がかえって不利益をもたらす
# by centeringkokyu | 2008-07-07 00:02 | 本などの紹介
人権という権利を主張すべき相手は?
 「人権を疑え!」宮崎哲也【編著】からご紹介します。

 ▼なぜ誤解は生まれるのか

 このような誤った理解は、人権という概念を「人間が生まれながらにして固有している権利」という辞書的定義を丸呑みしたことに発出しているようです。

 この定義自体はある意味では正しいのです。「人間が生まれながらにして固有している権利」=人権でも間違いではないのです。

 にもかかわらず、この定義を十全として丸呑みすれば決定的誤謬となります。
 何故でしょうか。

 この定義には、人権という権利を主張すべき相手の名前が明記されていないからです。それはいうまでもなく公権力、国および地方自治体です。

 私たちが「人権を尊重せよ」と訴えられる相手はあくまで国家公権力であって、私人ではないのです。

 このことは民法上の私権を考えるとより鮮明になります。

 たとえば、私人Aと私人Bがある商品の売買契約を締結したとしましょう。ところが売り手Aが品物を引き渡したにもかかわらず、買い手Bは代金を支払ってくれません。

 これは単純な契約違反ですが、BがAの人権を蹂躙したとはいえません。AがBに主張できるのは「人権を守れ」ではなく、「契約を履行しろ」とか「商品を返還しろ」とか「支払いの遅滞によって生じた損害を賠償しろ」とかのはずです。

 ところが同じように金銭的賠償を求めるにしても、公務員による不法行為を原因とする国家賠償ならば人権問題となりえます。

 ことほど左様に、人権の辞書的定義における重大な欠落は公権力という宛先が不明なのです。ですから、人権=「人間が生まれながらにして固有している国家公権力に対する権利」と書けば定義としてかなり改善されます。

 この限定は大きな意味を持っています。

 まず名宛が明示されたことによって、自然法や天賦人権といった考え方が限定され、相対化されます。

 自然法思想とは、簡単にいえば実定された法以前に人間は義務や権利といった観念を有しており、しかもそれは永久不変の人の本性に根ざしたものであるといったイデオロギーです。近代以前はその人間の本性とは神や天の意志によって規定されるというのが常識だったのですが、近代以降は論理的な推知によって導きうるとされるようになりました。

 けれども、こうした見解は本質主義的誤謬というべきものです。「人間の本質は~~である」と予め(法以前に)規定する誤った思考に嵌(はま)っています。

 たとえば「結婚することは人間性の自然に適っている」とか「異性愛は人間の本性である」とか「私有財産の保持が人たるものの核である」とか「自分の生まれた国への愛着は人倫の基礎だ」といった言明が不変でも普遍でもなく、単なるローカルな信念に過ぎないことはいまや火を見るよりも明らかでしょう。

 かかる本質規定は、直ちに「結婚しない者」「同性愛者」「宗教上の理由などから私有財産を放棄する人」「生国を愛していない人」を人間の枠組みから排除してしまいます。

 人間という概念が相対性が明らかになった現在、人権の台石として自然法を据えることは不可能に近いのです。

 ただ私は一方で、自然法思想を完全に否定できるかという点には疑問を持っています。この論点は最後に触れます。

 第二に「国家」という人権主張の宛先を明記することによって、人権概念の消極的、防御的性格が明らかになります。

 つまり人権とは決してポジティヴな概念ではなく、あくまで国家権力が何らかのアクションを起こしたときに、それへの反作用としてはじめて表在化するものであるということです。

 したがって「被害者の人権」を主張する場合、それが加害者に向けられたものである限りそれは誤りとなります。被害者側が加害者側に直接主張できるのは、民事上の不法行為に基づく損害賠償請求のみです。しかし、それは私権であり人権ではありません。

 参照1:情報を疑ってみる
 参照2:溶けゆく日本人
 参照3:たたかい
 参照4:赤旗軍団は不気味
# by centeringkokyu | 2008-07-06 00:02 | 本などの紹介
観照塾稽古の感想
 N山さんからのメールをご紹介します。

 6月28日 観照塾稽古の感想
 
  気づいたこと
・    重さを感じる
・    丹田を込めたままセンタリング呼吸をする
・    横隔膜の操作
 
 特に感じた事はセンタリング呼吸をしている時に、丹田が抜けないようにする事の大切さで、これは横隔膜が落ちない様に保つためのポイントでもあるように感じました。
 
 今週は「骨盤時計」と「ヘ・た・レ」で、いかにきっちりと呼吸が出来るか挑戦していたのですが丹田を保ちながら鎖骨・横隔膜を弛めるところが、なかなか自分のイメージと合いませんでした。
 
 明日、先生の身体をまたまた触らせて頂きたく思っています。(変態ではないっすから)宜しくお願いします。
 
 #楽隠居です
 まず、重さを感じる為には、真っ直ぐ立っていることが必要です。真っ直ぐかどうかは、センタリングしてみないと分かりません。センタリング呼吸法をしながらチェックする為には、丹田感覚が必要です。さらに、横隔膜を操作する為には、丹田が決まっていないと駄目です。丹田が決まる為には、股関節・膝・足首が決まり、足の裏と頭部が繋がっているということが前提条件になります。

 丹田を保ちながら鎖骨を弛め、次に横隔膜を弛める為には、視線が決まり、頸椎が伸びていることが必要です。

 ここまでが出来るようになって初めて、相手との弛みが取れる臨界圧を肚で知ることができるのです。

 それが「腑に落ちる」ことだと思っています。そして、弛みが取れて噛み合ってからが、合気・呼吸力・中心力ということになるのではないでしょうか・・・

 こんなんどうか?から抜粋します。

 カン察し カンじ カンがえ カン冴えて 先入カンを 捨てんとアカン
 兼ね合いで 釣り合いとれて いい加減 過不足もなく 保つ中心
 中心を 保てた時に なんとなく 見えぬ虚実に 気付くうれしさ
 我が身体 こねて叩いて 引き延ばし 味わい尽くせ 腑に落ちるまで
 腑に落ちる 時がそのまま あるがまま まかせて歩む おおもとの道
 合気の理 弛みが取れて かみあって 中心合わす 円い息かな
 人に聞き 本に真理を 求めても 人の説く理を 知るは無理かも
 諸々の 臨界点を 意識して 腑に落ちたなら 無理はないかも
 そのまんま そこしかないと 気付く時 我が身の内に すでに理はあり

 参照1:体全体が呼吸をする
 参照2:合気道修行
 参照3:合気の体内操作法
 参照4:合気修得への道
 参照5:根本は自分の中心力
 参照6:意守丹田
 参照7:骨盤時計と合気
 参照8:帯を使ったレッスン
 参照9:発声法以前
 参照10:スワイショウ
 参照11:代行の感想文
# by centeringkokyu | 2008-07-04 22:12 | N山りゅう
権利の主張がかえって不利益をもたらす

 「あなたの隣の〈モンスター〉」斉藤孝著からご紹介します。

 人は、開き直って自分の権利・利益を追求すると、暴走しはじめる。何らかの法的な根拠や金銭的な裏付けがあれば、いくら非常識でも弁護士に依頼して闘おうという姿勢になる。

 あるいは子どもが通う学校にしても、気に入らなければ替えればいいという発想が定着しつつある。おカネを払っているのはこちらだから、セレクトする権利もこちらにある、というわけだ。学校も消費財の一つと捉えているようだ。

 しかし、子どもがこうして公立・私立の問で転校を繰り返していると、学校という場所にロイヤルティーやアイデンティティを感じることは難しくなるだろう。人との関係性も希薄になるから、ともに学んで成長していくという意識も芽生えない。やがて学校に馴染めず、社会にもうまく適応できない人間に育ってしまう可能性もある。そういうマイナス面に、親はどこまで気づいているだろうか。

 つまり、自分の権利を主張していることによって、じつはそのこと自体に自分の足元をすくわれているのである。権利の主張の果てにあるのは、自分の利便性だけということになりかねない。モンスターペアレンツの中には、こうして肝心の子どもの成長を妨げているケースも少なくない。利己主義というモンスターを親子で育ててしまうことになる。

 もともと日本人にとっての成長・自立とは、さまざまな出来事に対して訴訟などを起こしたりせず、対話の中で丸く収めていく能力のことを指した。そついう協調的な解決ができることが、成熟するということだった。

 一方アメリカは、個と個の利益をぶつけ合い、ディベートし、そのコンフリクト(意見の衝突)の中から均衡を見出す社会である。だから主張ができなければ損をするだけではなく、人間的にも「自分の主体性がなくてダメな人問」という烙印を押される

 以前、私はディベートというものに非常にネガティプな印象を持っていた。あらゆる手段を講じて相手を潰す。相手の揚げ足をとるのも、アラを探して突くのも作戦の一つ。事態をより良くするための協調的、弁証法的なアイデアの出し方ではなく、とにかく相手を潰すことに全精力が注ぎ込まれる。大統領選挙の様子などを見ていると、まさにそのオンパレードの感すらある。子どもがそういうノウハウを学ぶことは、教育上よろしくないと思っていた。

 だがあるとき、アメリカでの生活が長かった人から、「アメリカ社会では、お互いに主張することによって、初めて合理的にバランスがとれる。だからそういう訓練も必要なんです」と教えていただいて、やや考えを改めることにした。今や日本社会もアメリカ化してきている以上、日本人もこうした「衝突を通した均衡」という技術が必要かもしれない。

 ただ問題は、私たち自身がそういう社会を望んでいるのだろうかということだ。少なくとも私は、なってほしくないと思っている。常にディベート的な観点に立ってお互いに主張を突き合わせて契約書にサインするような社会より、お互い融和的に、暗黙の了解で丸く収めていきましょうという社会のほうが魅力的ではないだろうか。

 もちろん、さまざまな場面で契約書が必要な時代に入っている感は否めない。私自身も、契約書にサインする機会が以前より増えた。たとえば出版にしても、以前は契約書などなかった。細かい契約など結ばなくても、お互いに相手に不利益になるようなことはしないという暗黙の了解があったからだ。だが、最近はしっかりサインを求められることが多い。諸般の事情から、出版社側としてそうせざるを得ないのだろう。

 しかし、会社によっては、明らかに一方的に有利な条項を盛り込んでくることも少なくない。こちらが注意しなければ、いいようにやられてしまう内容だ。油断できないので、こちらも弁護士に目を通してもらう手間が必要となる。

 あるいは、そんな契約社会を楯にした詐欺まがいの商法も散見される。都合の悪いことを目立たないように小さな文字で羅列し、契約後に「こう書いてあるじやないか」と詰め寄るようなケースだ。そこには悪意や敵対心しか感じられない。

 こういう契約社会を、私たちは目指すべきなのだろうか。

 #楽隠居です
 第五章には、『「先生」への敬意が消えた』という項目もあります。テレビドラマも開始されたようですから、いろいろな意味で注目されているのだと思います。

 私はなんとなく、間違った人権意識があるのではないかと考えています。自由と平等も勘違いしているのではないでしょうか?

 我が家では、アンパン一つでさえ、平等に分けることができませんし、私には餡や胡麻が少しでも多い方を選ぶ自由さえ与えられていないのです。私の人権は蹂躙されているのでは・・・

 あんたの自由は、私の不自由!どうしてくれるねんナ〜

 参照1:モンスターペアレント
 参照2:「モンスターペアレント」という言葉
 参照3:理不尽な親
 参照4:モンスター・ペアレントが、藤沢市PTAに「911自作自演説」で怒鳴り込み?
 参照5:教壇が消えた日
 参照6:人権週間
 参照7:自由・平等・友愛のモラル
# by centeringkokyu | 2008-07-03 22:01 | 本などの紹介
「食べる力」で元気回復
 【長寿を支える】読売新聞の記事からご紹介します。

 急速な高齢化で、2025年には65歳以上の人口が30%を超える。寝たきりなどの患者も急増している。長寿時代の健康をどう支えればよいか。

 東口高志・藤田保健衛生大教授は2000年、三重県の病院に赴任し、入院患者の状態に息をのんだ。約160人の高齢患者の3割以上に床ずれがあった。

 骨折、がんなど入院当初の病気はとっくに治っているのに、院内感染による肺炎などで寝たきりになっていた。その多くは、点滴で栄養補給をしていた。

 「点滴は医療者にとっては楽だが、合併症の危険が高まる。これは病院で作られた病気だ」医師や看護師らによる飲み込む訓練を始め、口からの食事に切り替えていった。約一年後に床ずれの割合は8%に減り、院内感も3分の1に激減した。多くの患者が退院できた。

 2005年、宮崎県門川町の田中病院を受診した男性(84)は、ボーッとし、家では失禁もしていた。

 整形外科など5医療機関にかかり、睡眠剤など十数種類の薬を飲んでいた。渡辺正明医師(35)が、薬の種類や量を減らすと、自力でトイレに行き、掃除機をかける日課も始めた。

 管による安易な栄養補給や過剰な投薬が、活力を奪う。逆に「食べる力」は高齢者を元気にする。

 宮崎市の老人保健施設「ひむか苑」。入居者の大和千早さん(78)は、エビフライをおいしそうに食べた。

 4年前、脳出血の後遺症で食べられなくなり、胃に穴を開けて管で栄養をとった。今では管を外し、職員と会話も楽しむ。

 その秘密がエビフライにある。口の中で簡単に砕け、飲み込みやすくまとまる。すりつぶした生のエビにナガイモなどを混ぜてつなぎとし、形を整えて蒸す。衣をつけて揚げ、しっぽを添える。この施設が独自に開発した「ソフト食」だ。

 料理を細かく刻むか、ミキサーでどろどろにしたものが多い高齢者の食事。「これでは食欲がわかない」と感じた管理栄養士の黒田留美子さん(62)が、約600種類を考案した。

 日大歯学部の植田耕一郎教授は「スプーン1杯でもロから食べれば、味を感じて意識が覚醒し、あごの筋肉の衰えも防げる。まさに"命のワンスプーン"」と強調する。

 東京都台東区の特別養護老人ホーム。女性(96)の鼻から内視鏡を入れ、のどの様子が画面に映る。この状態で、食事する。

 「あ、ご飯粒が気管に入ってますね」。画面を見つめていた菊谷武・日本歯科大准教授が声を上げる。

 飲食物が気管に入ると肺炎を招く危険があるが、女性はむせずに食べたため、内視鏡検査で初めて確認できたことだった。女性は、とろみを付けたものなら、うまく飲み込めた。

 菊谷准教授らが高齢者50人にこうした検査を行い、食べやすい食事に改めたところ、摂取エネルギー量が平均12%増え、8割近くの人は体重が増加した。

 口から食べるための工夫が必要だ。

 #楽隠居です
 以前あるドキュメンタリー番組でも、寝た切り老人に点滴だけではなく、棒に脱脂綿を巻いたものに水を含ませて少しずつ口に含ませるようにして、飲み込む力を無くさないようにすることが大切だと言っていました。

 身体はどんな小さな筋肉でも、使わないと使えなくなるのだと思います。そして、使おうとする気力が大切なのだと思います。

 【管による安易な栄養補給や過剰な投薬が、活力を奪う。逆に「食べる力」は高齢者を元気にする。】ということを、家族や医療関係者がしっかり認識しておくことが必要です。もっとも、私の場合は、過剰な食欲が体調を崩しているようなので、里芋シップをして、「邪実」になった胃経をなんとか「平」にもっていきたいと思います。

 何ごとも過剰はいけませんネ!

 参照:絶対に脳卒中に患わない方法
# by centeringkokyu | 2008-07-01 23:22 | 本などの紹介
何してるんやろうこの会
 土曜日にご夫妻でお越し下さったS多さんからのメールをご紹介します。

 昨日は、ありがとうございました。
 久しぶりのM井さんの指導で、ずいぶん自分の体が重くなったり、変わったのを感じました。M井さんの指導を受けるのは、久しぶりですが、K野理論M井派みたいなのが有って、私は、なんとなく分かり易いです。
 
 寝ころんで呼吸の上げ下げを腰の丸めから背中へ・・・・・後でやってみて、これって、立ってやると「三戦」?って、思いました。しかも、これにK野さんのひな鳥開合発勁が加わると、これはもうすごい練功です。背中が筋肉痛。K野さんがすごい体をしてるのは、こんな練功があるんだなあと思いました。
 
 また、空手もすごい練功があったんだなあと思いました。三戦は、はあーーーーーあーーーあーーと、息を吐くけど、ハッと吐くと発勁じゃないかなあと思いました。三戦も下から上がってきた合気を丹田から背中に上げて・・・・・・空手もすごかったんだなあと、思いました。
 
 少林寺も六段の整体と攻めのテキストを見ると、びっくりするくらいです。そりゃー人も倒れるわあと、思いました。まさに急所攻撃、こんなの知ってる人って、すごいですねぇ。
 
 空手も少林寺もK野さんが少林寺拳法部だったころは、すごかったんですねぇ。だんだんKー1になってきて、なんやど突き合いのみになってしまったんですねえ。ウェイトトレーニングで筋肉の鎧を、筋肉防具をつけて、ど突き合いになってしまったんですねえ。
 
 人間の体って、うまくできてますねえ。しかし、それをうまくつかおうと練功法を考えた人がすごいですねえ。
 
 今回は、寝ころびフェルデンクライスM井スタイルといい、麦踏み歩法といい、すごい充実した日でした。ビデオ練功もいいけど、やっぱり、実際にするのとえらい違いです。ビデオ練功は、K野さんの言動からもらうものがあるので、続けますが、月1は、豊中に行かないといけませんね。膝が悪くなって、戦いを捨てた(気持ちは、まだ捨ててないですが)・・・・捨てざるをえなくなったのが、かえって練功には、よかったのかもしれません。
 
 ところで、妻まで調整していただき、ありがとうございました。快調のようです。妻が、おもしろいこと言っていました。

 「日本拳法は、夫の練習で長いこと見ていたのでなんともないけど、躰道だの無門会だの柔術だのいろいろあるねえ。しかし、K野会は、見ているだけだったら、何してるんやろうこの会って、思うやろねえ。投げの練習しているかと思ったら、倒していきなり整体になったり、ちょっと手を動かしただけで、ウワァーとのけぞったり、そうかと思ったら立ってゆらゆらしたり、何してんのって思うやろねえ。それにしても、隣でやってる合気道が、気持ち悪すぎやねえ。芝居がかった口上が新興宗教みたいやなあ。まあ、ファッション感覚かなあ。」
 
 今回、すごい充実の1日でした。また、次回、夏休みもあることだし、おじゃまします。
 
 ありがとうございました。

 #楽隠居です
 私の中では、合気も呼吸法も調整も同じモノなので、なんとも思っていないのですが、よそから見たら、奇妙奇天烈意味不明な集まりなのでしょうねぇ〜

 別に、武術だとは考えていないので、全てが同じ身体・呼吸・意識の使い方の方が便利だと思っています。

 他所様は、それぞれが気に入って活動しておられる訳ですから、それなりに楽しんでおられることと思います。私なんかは、自分が一番普通だと信じ切っていますので、皆さんからは信じられないと言われているようですなぁ〜

 全ての人は、自分が基準ですからそれでいいんですよねぇ〜

 私が少林寺拳法部に所属していた時期には、私の同級生が夏の合宿中に亡くなりましたし、確か関西大会でも死亡者がでたと記憶しています。それに、学連の合宿でお酒を飲んだ勢いで、参加者の一人を山中湖だったかに投げ込んで死亡させたというような事件が重なりました。宗道臣先生は、「軍鶏の喧嘩みたいな乱取りをしてはいけない。」と言っておられ、その頃から暫くの間、乱取り稽古は自粛されていたのではないかと思います。

 そんな体験がありますので、健康第一だと私は考えているわけです。

 参照1:本格的にやりたいK野流
 参照2:固め技風 調整(長生)法
 参照3:合気道? それとも大東流?
 参照4:手の形 雑感
 参照5:ソフトボールと卵
 参照6:基礎の重視と日常からの鍛錬
 参照7:初心に帰ろう
# by centeringkokyu | 2008-06-29 22:47 | 合気観照塾
姿勢を直したとたんに、気持ちのいい呼吸を取り戻せた

 「日本人のはまる健康の落とし穴」からご紹介します。

 ヨガ、気功、ストレッチ……理想の呼吸法を会得できるか?
 呼吸できるからだを求めて

 ▼呼吸が浅いとあくびが出やすい

 年とともに衰えたなあと思う、わが筋肉。何もしなければ、筋肉は1年で1%減少するという。階段を駆け上がると息も上がる。長年の運動不足で、ちょっと走ると息切れはしていたが、最近とみに階段がつらい。「OOにして惑わず」の大台を目前にしたせいか。

 息切れといえば最近「呼吸が浅い」ことも痛感する。動かないから、肺を持ち上げる横隔膜も動きにくいのだろうか。運動不足と老化がじわじわ進行して到達した、浅い呼吸。これでは酸素も不足するはずだ。脳の酸素が足りないと、あくびが出やすい。なんだか仕事をサボっているように見えないか? まずい。失職の危機だ。重圧がじわりと背中にかかる。

 呼吸は、酸素を取り込むためにからだが無意識に行なう生命維持活動。普段は気にも留めないが、これがないと生きていけない。

 数年前、「高輪メディカルクリニック」の健康運動指導士でアロマテラピストの黒田恵美子先生を取材した。同クリニックは糖尿病などの生活習慣病の治療に、運動療法をかなり早くから取り入れている。高齢者の転倒の話題が出た。年とともに足元が危うくなり、転ぶと足の付け根などがポッキリ折れて、寝たきりになるケースが多い。転ばぬ先のケアで「歩き方教室」を企画したら、とても評判がよかったという。

 その教室で歩き方を直した70歳の女性が、「息ができたー」と言ったそうだ。まるで深海から陸に上がったように。そのカラクリはこうだ。

 正しい歩き方は
 ①おなかの丹田(へそから握りこぶし分下20Cm)のあたりに力を入れる。
  すると姿勢が自然に伸びる。
 ②太ももから足を上げる。
 ③ かかとから着地。
 ④そして元気よく腕をふる。

 姿勢を直したとたん、圧迫されていた腹筋が若いころのように伸び、横隔膜も大きく上下して、気持ちのいい呼吸を取り戻せたのだ。は----っ。

 ちなみに「よくない歩き方」は、猫背、前かがみ、足を地面にこすりつけるようなすり足。初めて直立二足歩行を始めた原始人のように危なっかしく、老いて見え、呼吸が浅くなる歩き方。

 そのときは他人事のように聞いていたが、いつもパソコンに向かっているので猫背、視力低下、呼吸が浅くなっている私も、あらら五十歩百歩ではないか。

 #楽隠居です
 最近のボディワークは、西洋的な身体使いを推奨しているようです。スカイフックとかいう、頭の天辺を吊すというイメージを使い、太腿を上げて、膝を伸ばし、踵から着地。そして、大きく腕を振るという感じですか?

 私は、日本の伝統的な身体の使い方の方が、農耕民族的な生活を引きずってきた日本人には合っているのではないかと考えています。これからの日本人は、また違ってくるのかもしれませんが・・・

 参照1:骨盤を立体的に使う
 参照2:骨盤底を意識する
 参照3:元の木阿弥
 参照4:日本文化の身体的な基礎
 参照5:口で空気を吸っていると、からだがたるむ
 参照6:姿勢を意識する
 参照7:宗派が違う?
 参照8:まっすぐ鏡を見る
 参照9:和式生活の勧め
 参照10:忍者走り
# by centeringkokyu | 2008-06-27 00:01 | 本などの紹介
マナーって何?

 これは、東京メトロが車内でのマナー向上のために、毎月作っているポスターです。東京には、こんなポスターがあるんですね。大阪では、「痴漢はアカン!」ぐらいですか・・・

 私は毎日電車通勤していますから、結構いろいろな場面に出会えますので、それなりに楽しいです。

 酔っぱらった人は別として、あまり座席を占拠するという人は見かけませんが、席を詰め合わせるということをしない人は、ときどき見かけます。ちょっと譲り合えばもう一人座れる筈なのに、結構気づかないのか、気づかないふりをしているのか・・・

 車内での化粧は猛烈に増えていますね。地下鉄で一番端の席に座って大きめの手鏡を取り出して、自分の荷物の上に鏡を立てかけて化粧を始めるのですが、電車が動き出すと鏡が床にころがり落ちるということを、何度も繰り返していたお嬢さんがおられました。あまり進歩がないので、ちょと信じられませんでした。

 JRの新快速に乗っている時に、二人がけの椅子の背もたれ越しに、何気なく前を見たら、お嬢さんが睫毛の手入れの真っ最中で、小さな鏡に大きく見開いた目だけが映っていてびっくりしたことがあります。

 そして今日は、新しい技を発見しました。それは、睫毛をカールさせる道具を百円ライターであぶってから、睫毛を挟むという技です。走行中の電車の中でバッグから、おもむろに百円ライターを取り出したときには、一体何を始めるんだ!っと思いました。

 携帯電話は、結構マナーが良くなってきていると思います。私はまだ携帯電話を持っていないので、その必要性は分かりません。必要だと感じたことも、今までのところありません。

 先日、JRの大阪駅で新快速を待って列に並んでいたところ、オバハンが携帯電話片手に列に割り込んできました。その時ちょうど電車が到着し、並んでいた人達が左右に分かれました。オバハンは開いたドアに背中を向けて、降りてくる人達を全く無視して、仁王立ちで携帯電話に叫んでいました。「あんた!今何両目のところにいてるのん?私、席取っとくからはよおいで!」そして、携帯を握りしめたまま、一番先に電車に乗り込んだのです。

 席を確保すると、自分の荷物を横に置いて、友達の席を確保してから電話で何かしゃべっていたのですが、電車のドアが閉まる直前に「アッ、ほんなら降りるワ!」と言って一目散に降りて行きました。

 風俗習慣はどんどん変わります。車内でお化粧することが、他の人にどのような迷惑をかけるのかは分かりません。私としては、女性があんなに一生懸命鏡に映る自分を見つめ、化粧が出来上がると、髪の毛を手櫛で何度も何度も撫で付けて、毛先を指で丸めていく姿は、結構セクシーだと感じます。誰のためにあんなに一生懸命になれるのかなぁ〜 でも、やっぱり自己陶酔かな?っと思って拝見しています。

 あれぐらい一生懸命身体全体のバランスを見て、日常の動き方を工夫すれば、もっともっとヒップもバストもアップして輝いてくるのに・・・

 と思う今日この頃であります。

 参照1:東京メトロ
 参照2:平然と車内で化粧する脳
# by centeringkokyu | 2008-06-26 00:02 | 日常
足のむくみを予防
 足のむくみ「たかが」と思わず足関節運動などで予防を
 MNS産経ニュース 2008.6.18

 長時間の立ち仕事や座り仕事をしている女性で、足のむくみに悩む人は少なくない。暑くなるこれからの時期は、寒いころに比べむくみが出やすくなる。むくみそのものは病気ではないが、内臓の病気が隠れていたり、血栓症を引き起こしたりする可能性もある。「たかがむくみ」と放置せず、原因を把握し、むくみを予防、解消していくことが大切だ。(平沢裕子)

 むくみは、血管からしみ出た水分が皮膚の下にたまった状態で、汗を大量にかく夏は体内の水分バランスが崩れやすくなることからむくみが起きやすくなる。

 足のむくみは、長時間の立ち仕事や座り仕事など足の“筋ポンプ作用”を使わなかったり、高齢により筋肉が衰えたりすることで起こりやすくなる。また、矯正下着などで体を締め付けるのも、血行が悪くなるので、むくみの原因となる。向こうずねを押したときに押した跡が残ったら、むくみがあるとみていい。

 足のむくみ予防研究会の平井正文代表(東海病院下肢静脈瘤(りゅう)・リンパ浮腫・血管センター長)は「長時間の立ち仕事の人に静脈瘤ができやすいなど、むくみを起こすライフスタイルは病気と深い関係がある。女性は男性に比べ筋肉が少ないことからむくみやすいだけに、日頃から予防策をとることが必要」と指摘する。

 平井代表は、1日の足のむくみの変化を調べるため、女子学生に協力してもらい、午前と午後各90分の講義前後と昼休み後にむくみの指標である足の太さを測った。その結果、むくみは一定時間を経過してから急に起こるのではなく、講義中などに足を動かさないでいると徐々に蓄積されることがわかった。

 また、むくみが予防できるかを調べるため、座っている学生に90分の講義中、つま先を上げるなどの足関節運動を20分ごとに10回やってもらったところ、講義後に足は太くなっていたものの、講義前との太さの差は運動しないときより小さかった。「足関節運動を時々やることで、むくみを予防できることがはっきりした」と平井代表。

 では、1回むくんでしまった足のむくみを取るにはどうしたらいいのだろうか。平井代表は、90分の講義後、むくんでいる状態で10分間、「歩く」「足を高く上げて寝る」「寝ころんでの空中自転車こぎ運動をする」の3つの方法を学生に試してもらった。その結果、10分間しっかり歩いてもむくみは解消されなかったが、「足を高く上げる」「空中自転車こぎ運動」では足の太さが講義前と同程度に戻っており、むくみが取れていた。

 さらに、別の実験では、弾性ストッキングをはくことで、朝と夕で足の太さがほとんど変わらず、むくみを予防できることが分かった。ただ、心不全や糖尿病など持病のある人は、ストッキングによる圧迫で心臓などに負担をかける可能性もあるので注意が必要だ。

 健康な人のむくみは一晩寝れば取れるが、朝になってもむくみが取れなかったり、むくみと一緒に尿が出にくいなどいつもと違った症状があるときは、病気が原因でむくみになっている可能性がある。鬱血(うっけつ)性心不全やネフローゼ症候群、肝硬変、甲状腺機能低下症などの病気はむくみを伴うことが多い。

 平井代表は「とくに片足だけがむくんだときは、静脈の病気やリンパ浮腫の可能性がある。むくみに気づかない人もいるが、足の太さが左右で違うようなら、むくみを疑い、一度専門の医療機関を受診してほしい」と話している。

 #楽隠居です
 写真は、むくみを予防する足関節運動。つま先を上げる→かかとを上げるをくり返し行う(足のむくみ予防研究会提供)ということですが、センタリング呼吸法椅子編では、出来る限り足の指先を反らすようにしたままで、骨盤を持ち上げる→骨盤を締めるという動きも呼吸に合わせてするように指導しています。

 指先→足首→膝→股関節→尾骨→腰椎5番→横隔膜→鎖骨→頸椎→瘂門が順番に持ち上がっていくという感覚が大切ですし、視線で頭部を固定し、鎖骨を弛め→横隔膜を弛めてから、ゆっくり息を吐くようにすると身体内部のバランスが変わるかもしれません。但し、無理をしたり、緊張したりしないことが前提になっています。

 呼吸を軽く意識しながら、以下の参照で紹介している動きを、工夫しながら体験してみていただきたいと思います。

 参照1:内ももに効く「ボール体操」
 参照2:入浴中ストレッチ こわばり予防
 参照3:ゆっくり無理せず 曲げ伸ばし
 参照4:「ヨガムドラ」のポーズ
 参照5:下肢静脈瘤情報サイト
# by centeringkokyu | 2008-06-23 00:01 | 日常
教えなければ、考える

 「子ども・絵・色ーーシュタイナー絵画教育の中から」
 としくら えみ著からご紹介します。

 わたしは、しばらく前に作家の神津カンナさんの書かれた興味深い文章を見つけました。(『母のひかり』1990年1月号 キリスト教保育豊発行)
 それは、『教えなければ、考える』と題された、カンナさんが母親から受けた教育のお話でした。

 ……子どもに質問はつきものである。目にするもの、耳にするもの、不思議に感じるもの、すべて、質問に変えて母親に尋ねる。
 「これな一に?」
 「どうしてそうなの?」
 「なんでああなの?」
 子どもは質問を連発する。もちろん幼いころのわたしも例外ではなかった。わりに言葉が早かったわたしは、ずいぶんとあれこれ質問をしては、おとなを困らせていたようである。

 たいていのおとなは、そんなわたしの質問に、丁寧に答えてくれた。わかりやすく、細かく、おもしろく、おとなは苦心惨憺して、解答をひねり出し、わたしに教えてくれる。けれども、母だけは別であった。

 たとえば母に「これな一に?」と電話機を指差して尋ねたとする。普通ならば、「これはね、電話と言ってね……」と、何かしらの答えをくれるのがおとなである。けれども母は決してそんなふうに説明はしてくれないのだ。まず驚いたような顔をして「あら!ほんとだ。不思議なものねえ。何かしら……」と大きな声を上げ、そして次に必ず言うのだ。「カンナ、これ、なんだろう?」

 わたしが質問したのである。答えるのは本来ならば母の役目なのだ。
 それなのに母は、答えを教えようともせずにわたしに同じ質問を投げ返すのである。何を質問しても、たいがいこんな調子だった。

 だから次第にわたしは、自分で質問し、自分で考え、自分で想像して、自分で答える……という子どもになっていった。

 母は後になってから、そのことについてこう説明してくれた。
「ある時にね、物干しにぶち下がっていた洗濯物から、しずくが垂れていたの。カンナはそれを見て〝あれはな一に?″と聞いてきたんだけど、わたしはわざと答えなかったのね。そしたらあなたはどうしたと思う?

 "あれは泣いているのかな。でもきれいになって気持ちよくなったのに泣くのはおかしいよね。あ、でもうれしくても涙が出ることがあるか……"なんて、ひとりごとを言いはじめるじゃないの。その時にね、ああ、子どもっていうのは教えるばかりが教育じゃないんだ。教えずに自分で考えさせるのも大切だって、つくづく感じたのよ」

 今の日本の教育というのは、幼児に対しても、高校生に対しても、あまりにも教え過ぎてはいないだろうか。もちろん教えなくてはならないことはたくさんある。しかし、知識の記憶ということに追われすぎていると、考えるという大切なポイントを忘れてしまうことも少なくない。決して思慮深いというわけではないけれど、少なくとも、考えることに億劫ではないという点に関しては、あの母の教育のおかげだと思っている。

 後に、カンナさんのお母さんの中村メイコさんのエッセイ(朝日新開1996年12月2日夕刊)を見て、カンナさんが受けた教育の源が判りました。中村メイコさんのお父さんが「何もかも一律に揃いすぎる学校教育は嫌いだ」という考えから、寺子屋式マンツーマンで、メイコさんを家庭で教育されたのです。その学びの中で、「考えて出す答えはいくつもあっていい。○×で片づくのが人生じゃない」ということを言われたそうです。

 このような発想ができることはとても大切だと思います。なんでもおとなから教えでもらったら、自分で考える力がつきません。答えはいつも一つというわけやはないんだと思っていたら、つまづいたり、壁にぶつかったときに、「じゃあ、こうやってみよう」という発想の転換ができるのです。

 その人の家、地域や国ではあたりまえのことでも、違う所に来ると、答えがまるで変わってしまうことだってたくさんあるのですから。日本語で〝異なる″というと〝間違っている″とか、いけないことのようにとられがちですが、人がみんなそれぞれ少しずつ異なっているのはあたりまえのことなのです。

 そういえば、幼稚園で子どもたちと何か考えるとき、答えを教えてしまわないで、「どうしてだろうねえ」と言うと、子どもたちはひとりひとりが自分で考え、「OOだからじゃない?」「△△だよ」と、次々に意見が出てきたことを思い出します。

 #楽隠居です
 私もこれからは、ウソを教えないで「どうしてなんだろうねぇ〜」と言うようにします。

 天心の 誠の外に 物なきに おのが心で おのがたづぬる

 所作を問ひ 心に答へ ひとり行く 道を知らずば 妙は有るまじ

 どこまで行っても、自問自答しかないのかもしれませんねぇ〜 

 参照1:行き過ぎた干渉が招くもの
 参照2:叱言以前
 参照3:知的正直
 参照4:武道歌撰集一之巻
# by centeringkokyu | 2008-06-21 00:03 | 本などの紹介
口で空気を吸っていると、からだがたるむ

 朝3分!「美呼吸」ダイエット「鼻で呼吸」の驚異
 医学博士・西原研究所所長 西原克成著からご紹介します。

 腕や脚に筋肉がついているように、顔にも筋肉がついています。泣いたり笑ったりと表情をつくることができるのは、顔に筋肉があるから。口を動かして食べたりできるのも、まばたきすることができるのも、ちゃんと筋肉が動くからです。

 スポーツでからだを鍛えれば筋肉がついたり、また反対に運動不足だと筋肉が弱って力が出なくなったりします。それと同じように、顔の筋肉も使わない部分があると、動きが悪くなったり、たるんだりしてしまいます。

 鼻を使わず口で空気を吸っていると、鼻も、鼻から上にある顔の筋肉も動かす機会はほとんどありません。するとまず、目もとの筋肉が重力にしたがって、下がってきます。使わない筋肉には力がありませんから、ズルズルと下へ落ちてしまう。つまり、目もとがたるんでしまうのです。さらに、ここの筋肉が衰えると、目のまわりに〝カラスの足あと″とよばれる、小ジワができてしまいます。

 では口で空気を吸えば、鼻より下にある顔の筋肉は鍛えられることになるからよいのか、といえば答えはノー。

 口で空気を吸うということは、口がいつも開いている状態ですから、下くちびるは緊張する機会がありません。すると下くちびるはしまりがなくなり、上くちびるにくらべてブヨッと厚くなって口角が下がってしまいます。

 ▼顔がたるむ

 よく美人をたとえて、"口もとがキリッと引きしまった感じの"と表現しますが、口で空気を吸っていると、これと正反対のことが起こってしまうわけです。

 また、ほおの筋肉も衰えます。これは、口で空気を吸うことイコール、鼻と口のまわりの筋肉がたるみきっているということなのです。口を動かすというよりは、ただポカンと開けているような状態ですから、鼻も口も動かしていないのと大差はありません。筋肉は動かしたり鍛えたりしないと、どんどん弱っていきます。口を開けていると、ほおが下へたるみ、最終的にはあごまでたるんで二重あごになってしまいます。

 口角が下がった口に、ゆるんだほお、たるんだあご。そのうえ、いつもポカンと口を開けていますから、表情までもしまりのない、ぽんやりとした顔つきになってしまうのです。

 ▼顔がたるむと、からだもたるむ

 たるむのは顔だけではありません。口で空気を取っていると、実はからだもたるんでしまうのです。

 顔は表面から順番に皮ふ、脂肪組織、筋肉、骨から成り立っています。そのうち筋肉には、笑ったり泣いたりなどの表情をつくる表情筋というものがあるのですが、これは首の筋肉ともっながっています。最近では「年齢は首に出る」などといって、ネックケアを心がける人が増えています。顔と首はつながっていますから、年齢による顔のたるみは首にも出る、ということなのです。

 さて、人のからだの筋肉は、腕は肩とつながり、肩は首とつながっているように、すべてが連動しています。ですから、口で空気を吸うことによって顔の筋肉が衰えると、つながっている首、さらに背中、胸、おなかまでもたるませてしまうのです。

 ▼猫背になり、からだがたるむ

 また口で吸っていると、どうしてもあごが、前に突き出るようなかっこうになってしまいます。一度、あごをぐっと引いて口で空気を吸ってみてください。吸いにくいでしょう? 口で吸おうと思ったら、あごが前に出ます。あごが前に出ると、自然と猫背になります。

 姿勢が悪いと、口で吸うにしても深呼吸のように思いきり空気を吸えません。浅い吸いかたになると自然と、肋骨の間にある筋肉を使うだけで吸える胸式呼吸をすることになります。すると、胸より下にある筋肉は使いませんから、今度はおなかのまわりの筋肉が弱り、とうとう下腹までポッコリと出てしまうのです。

 もちろん、浅い吸いかただと空気の取り入れも十分にできませんから、細胞に運ばれる酸素も少なくなってしまいます。このように、顔の筋肉がたるむと、からだまでもたるみます。また姿勢の悪さからも、からだはたるんでしまいます。

 しかし、口で空気を吸うことで衰えるのは、目に見える部分を動かしている筋肉だけではありません。胃や腸などの内臓の壁も筋肉でできていて、筋肉の力によって動いています。とくに胃や腸の筋肉が衰えると、動きが悪くなって食べたものを消化する力が弱まります。すると、体重増加につながるのです。

 ふだん、なにげなく吸っている空気ですが、口で吸うことによって顔だけでなくからだまでたるんでしまう。また、体重増加まで引き起こすなんて、ちょっと驚きでしょう?

 #楽隠居です
 息をするときは勿論なんですが、話をするとき、モノを食べるとき、歌をうたうときなどにも、無意識に顎を出す癖のある人もおられます。いつでも横隔膜・鎖骨・頸椎を意識しておく事が大切なんですね!身体は全部繋がっていますから・・・

 参照1:正しい呼吸法について
 参照2:呼吸法の呪文
 参照3:骨盤の締まり具合と首の据え方
 参照4:呼吸をコントロールしましょう
# by centeringkokyu | 2008-06-20 00:03 | 本などの紹介
呼吸を観るということ
 Y本さんからの投稿をご紹介します。

 呼吸を観るということは生命をより深く感じ、繋いでいくことです。それは、生後間もない赤ん坊が、少しずつ光を感じ、まもなく対象を目で追い、微笑むまでに成長していくのにも似て、自分の中に茫洋と広がり拡散する光が焦点を捉えて集中し、鮮明な輝きに変化し「見えてくる」から「しっかり見る」そして「観る」ことができる過程を体得し気づいていくのだと思います。

 骨格を整え、過剰な緊張を除き、適度な弛緩を保ち、身体の隅々に息を満たし、意識を外すことなく間を保つ・・・。無限大に広がり、無限小に収縮するリズムを味わう・・・そして、やがて現れ、集約する一点を観つづける。

 呼吸と身体の関わりを知るために提示される指示に従うと、変化に伴い身体の操作や呼吸のバリエーションが自然に浮かびあがるようになり、刻々と変化していく過程を具体的に捉えることができます。私は、自分の経過から、この変化の過程こそが学びと進歩の宝庫だと思います。

 K野師の提唱する呼吸法とは、この様に呼吸を介在にして自身を見つめ、鮮やかに照らす光を生み出す、創造性に満ちた精密でダイナミックな作業を継続していくことなのだと思います。

 感謝・・・唯、感謝。

 #楽隠居です
 Y本さんは、気功教室を主宰しておられますし、「気功への道」津村喬著(1990年11月初版発行)では、練功法のイラストを描いておられます。そして、素晴らしい感性をお持ちですので、私もいろいろな事を教えていただいています。本当に有り難いことです。
 
 参照1:背部の意識
 参照2:意識を切らない
 参照3:お礼

# by centeringkokyu | 2008-06-18 00:02 | 呼吸法中心塾
こんなメールを頂きました
 ▼土曜日の個人レッスンに来られたN野さんからのメール

 昨日は、突然でしたのに姉と二人、本当にお世話になり有難うございました。
 
 そちらでも うすらぼんやり。 帰ってからも うすらぼんやり。
 教えていただいたことを思い出そうとしても うすらぼんやり・・・?!
 言葉の意味を自分に都合のいいように解釈しつつの うすらぼんやり、まだ続いています。
 
 よくも長く、歪んだままで、捻れたままで、それを維持しようと頑張ってたんだ!と。
 
 今、午後の三時過ぎというのに、今朝一度起きてから、もう一度寝て気付くとお昼。でもまだ眠い。少し食事をして、未だに うつらうつらが止まらないままです。少し庭掃除をしましたが、気持ちよく緩めていただいた身体が「もちょっと休みたい」と。
 
 中心に寄った骨盤が一気に細くなって、触ると嬉しいです。見た目もそうですが、身体が喜んでる感じがします。

 本当にありがとうございました。

 ▼日曜日の長堀教室に参加されたN村さんからのメール

 最近もともと太い足がますます太くなったと感じているN村です。
 ふくらはぎはもちろん、ふとももの外側はキョーレツです。
 忙しい毎日を理由に自分の体のことを何も考えていないつけが回って来た気がします。
 
 毎回レッスンで反省してはまたいつもの生活の繰り返しをしているような…。
 
 先生に整えていただいて「気持ちいい」と言っていることがすでに人任せのような発言だと感じました。
 
 考えることをやめた馬鹿女にならないように気をつけます。
 宗派を変えるつもりで…。

 ▼6月10日に来られたY川さんから、今日メールを頂きましたのでご紹介します。

 先日は、お忙しいところありがとうございました。

 あれほど、疲れがたまっているとは意識がなかったのですが、身体の方が求めていたようで潜在意識が人の行動を左右するんだと改めて感じ入りました。

 そのつもりであれば、当然スカートでは行かないのですから・・・

 疲れすぎて、気がつかない状態というのは久しぶりだったように思うのですが、あの日は、お香の組香の席中で、ふらっとして、おかしいと思ったんですが・・・・・

 そういうことがあれば、次からは、気をつけないといけませんね。
 こんな時に、事故ったり、倒れたりするんでしょうから。

 さて、その後ですが
 ゆるめていただいたお陰で、眠くて眠くて、二三日は、毎日昼寝してましたし、夜も早く寝てました。

 それでも、やはりあちこちおかしいのは仕方がありませんですよね。

 横向いて、六時十二時していると、肩のあたりでポクポクと。
 やれやれと思っていると、

 次の日に今度は左の腰のあたりをひねってしまって・・・
 冷えてるみたいですね。

 体操を欠かさず、身体のうごかし方も気をつけていると、痛みもなくなり、やっとましな状態に戻って報告しています。

 ところで、原因の一つですが、
 香木を切るはさみの使い方が悪いようです。
 今日も、香木を切っていて、右肩の肩胛骨のあたりが痛くなりましたから。
 つながってないんですね。

 #楽隠居です
 このように、皆さんからメールを頂戴しますと、いろいろと考えなければいけないことが山積という感じですね。でも、皆さん自作自演ということをしっかり自覚しておられるので、とっても安心です。

 先週は、金・土・日とレッスンが続きましたので、私も少々疲れてしまいました。金曜日と、日曜日の前半のレッスンはM岡さんにお願いして、私は「座布遁の術」などとつぶやきながら座布団に隠れて遊んでいたので、それほど疲れる筈はないのですが・・・

 まだまだ身体の使い方がまずいようで、反省しています。

 ところで、このブログのネームカードのアクセス解析をみますと、2月頃から毎月1万以上カウントされていますし、訪問者のユニーク数は、毎日150を越えています。このブログを始めた頃には、毎日20〜30というところでしたから、信じられません。

 アクセス解析がどのような仕掛けになっているのか分かりませんが、ご訪問下さった皆さんには心から感謝いたします。

 すでにネタ切れですから、皆さんからのメールをお待ち申し上げています。ほんまにたのんますわ〜

 参照1:自分でカスタマイズ
 参照2:呼吸法の要件
 参照3:脳内の回路を再構築
 参照4:使われていなかった筋肉との遭遇?
 参照5:宗派が違う?
# by centeringkokyu | 2008-06-16 22:35 | 呼吸法中心塾
ダメージのような体の治癒反応
 「安保徹の病気にならない三大免疫力」からご紹介します。
 
 現代医学は、急激に発達しましたが、病気を守ろうとする人間がもともと備えている免疫力や人間の防御反応にあまり目を向けてきませんでした。

 人間の体は自分で自分の体を修復する、すばらしい力を備えています。それが痛みや発熱、湿疹、震え、炎症、かゆみ、だるさなど、時としてダメージのように思える症状になって現れます。こうした症状を病気の悪化と捉えて、薬で治そうとする人が多いのですが、それは間違いです。これは、血流障害が起きて体が自分自身で治癒しようと起こした生体反応で体が自分の力で治そうとする行為です。症状のほとんどが、免疫力の治癒反応なのです。

 発熱はバランスを崩した体の修復を行っています。例えば風邪をひくと熱が出て体温が高くなります。高熱で体がだるく節々も痛くなり大変つらいものです。この状況は、風邪をひきリンパ球が減り免疫力が低下しているため、体が何とか熱を出し体温を上げて、リンパ球を増やしてウイルスと闘おうとしている状況です。せっかく体が発熱してウイルスを退治しようとしているときに解熱剤などを使って熱を下げるのはかえって治りが悪くなります。風邪を引いて熱が出たら、「やった、よかった、がんばってくれている、おめでとう」という感じです。風邪をひいたときは、薬を使わないで体力が消耗しないように体を休めて、発熱でリンパ球を増やして自然に治るのを待つのがよい方法です。辛抱して熱が下がったときの爽快感は何ものにもかえがたいものです。

 ひきつけやけいれんといった震えは血流循環をよくしようとしています。ひきつけは高熱のために脳が酸素不足になっていることが原因で起こります。このまま高熱状態が続けば脳細胞が壊れてしまうので何とか逃れようとして震える現象を引き起こします。体を小刻みに震わせることで血流循環をよくしようとしているわけです。

 お年寄りに多い脳の病気、パーキンソン病には振せんと呼ばれる体を小刻みに震わせる特有な症状があります。この病気は中脳にある神経伝達物質のドーパミンを分泌する組織である黒質が変性し分泌量が減少して手足の震えやこわばりが起こるものです。長期のストレスが交感神経の緊張を慢性化させて体の血流はもちろん脳の血流を悪くしています。黒質は神経細胞の中でも特に豊富な血液を必要としますから、脳への血流を改善しようとする防御反応です。てんかんの発作も過呼吸症候群も同じ反応です。

 病気ではありませんが、寒い場所に急に出たときに体がぶるっと震えて起こる寒けも自然の血流をよくする防御反応です。体を震わせる働きは体を守ろうとする反応なのです。

 痛みのほとんどは、体の部位に発生する血流障害です。免疫の働きによって、滞っていた血液が流れ出る際に起こります。腰痛は腰、膝痛は膝の部分に筋肉疲労のための血流障害があり、放っておくと全身に広がるのでこの場所で修復するため治療している状態です。引越しなど重い荷物を運んだ後に腰痛が起こるのは、動いたことで乳酸がたまり、それが邪魔になって血流が悪くなります。免疫機能が血流を改善しようと自然治癒力を働かせ血管拡張に必要なプロスタグランジンという物質を出して発熱や痛みを起こさせるため、荷物を運ぶ無理から解放されたときに腰痛が起こるというわけです。頭痛、生理痛といった痛みも無理から解放されたときに起こる、血流が改善するためのステップなのです。ですから、頭が痛くなったら、「頭に血が通いだしてよしよし」と思えばいい、腰が痛くなったら「血流不足が回復しているな」と思えばいいんです。

 同じように腫れも血流を増やして修復している過程です。しもやけは、寒さで生じた血流障害と組織障害で起こります。そのとき体内では血管拡張に必要なプロスタグランジンやアセチルコリンを分泌させ一時的に激しい腫れと痛みとかゆみがおそってきます。痛みやかゆみ、腫れは傷が回復したり、組織が修復するために体自身が行う治療です。

 例えばストレス病といわれる15~17歳の受験期の子どもに多い潰瘍性大腸炎になった腸の内部を内視鏡で見ると潰瘍が腫れています。腫れて治ろうとしているのです。残念ながら、消炎鎮痛剤を飲ませると腫れが引いて治る機会を失ってしまいます。薬を飲んでいるとかえってお腹の調子が悪いと、病院に行くのをやめた子どもが病院に行った子どもよりも治っています。

 発疹は、免疫細胞が働き体にとっての悪いものを外に排除しようとする状態です。アトピー性皮膚炎で湿疹の起こる場所は関節の折れ曲がる場所、血行不全になりやすい場所から発症します。

 炎症でかゆみが出るのを利用して上手にかいて血流をよくすれば治りが早くなります。赤く腫れ上がったり黄色い膿が出てくるのも長期にわたってステロイド剤を使うことによって皮膚に沈着した、酸化コレステロールを体外に排泄しようとしている自然な反応です。

 こうした治癒反応を止めるのは間違った治療です。血流を回復するには必ずこうした症状を伴います。しかし、必ず体は自然治癒に向かっていっていることを忘れないでください。

 #楽隠居です
 実際には、どこまでが治癒反応だと感じるかということが問題だと思います。これを読んでいてふと、昔読んだ「肥田式 天真療法」のことを思い出しましたので、ついでにご紹介します。

  天真療法から引用します。

 大悟徹底の悟人肥田春充先生創始になる「聖中心道肥田式強健術」には、別伝として腰腹同量力を活用して病者に生命活力を注入する治療法である「強圧微動術」と自己療法の傑作といわれた「天真療法」の二法が伝承されております。

 天真療法は「純生理学的自然療法の真髄」とその合理的療法故に、戦前の医師や研究者などが絶賛を与えた療法です。

 天真療法は先生自らが死をみること数知れずという自己の体質を振り返り、生理学と解剖学さらに臨床医学などを総合的に研究され大悟の叡智により創始されました。その内容は「安静法」、「断食を含む食養法」、「排泄法」の三法が一体となった無薬療法です。

 とくに安静はこの療法の中心にあって、身体が沈まない、歪まない、水平の床の上に無枕で仰臥、ただ大の字に心身を放擲して寝るのです。マリアに抱かれて眠るイエスの如く、自らの人生を信じて何らの不安も煩悶もなくすべてをまかせきってただ眠ることを「安心静体」と、いうのです。

 この時の姿勢は呼吸操練の基礎として修せられる自然体休養姿勢で、私が所持している春充先生の書『天寵無限』の心境です。

 これは「人はオギャーと生まれて成長すれば、その裡には人生を全うすべき機能と能力に満ちていて、人生上の病気の一切に必要な薬は自らの体内で創り出せるのである」という信念に基づいて実践されます!

 ですから天真療法は、人は弱く、故に庇い補いされなければ天寿は全うできない!という考え違いをお持ちの方には無理な療法なのです。(引用終了)

 極端な表現をすれば、何もしない療法なのですが、自分の心身を観照し続けるということなのかもしれません。不安とどう向き合うかということが大切なのでしょうが、身体に起こることは、全て治癒反応だと考え、自分の身体を信じ切れるかどうか、私には分かりません。でも、駄目なときは寿命だと考えれば、少しは自分の身体の素晴らしさを信じることができるはずだと思っています。

 参照1:聖中心道肥田式強健術とは?
 参照2:治療と言うこと
 参照3:自分の体の変化の観察
 参照4:立ち止まって振り返る
 参照5:日本の医者は、ほとんど病気の予防法を知りません!
# by centeringkokyu | 2008-06-15 10:45 | 本などの紹介
病気はみんな温めて治す

 「安保徹の病気にならない三大免疫力」からご紹介します。

 病気のうちの8割は交感神経緊張の状態が続いて血流が滞って低体温になって引き起こされるものです。心臓や血管に負担がかかって起こる狭心症、不整脈、心筋梗塞も、無理して起こる病気のくも膜下出血も、薬を飲みすぎて起こる病気も血流が滞って低体温になるからです。いいかえれば低体温は病気の温床です。

 交感神経の緊張で起こる痛風や胆石症、尿路結石症も、興奮する生き方により、どうしても代謝が早くなっていろんな老廃物、尿酸やコレステロールが血中で高くなります。高くなっただけではまだ病気にはなりませんが、さらに無理を重ねて顔色が悪い状態になると血流が途絶えて低体温になり、老廃物が溶けきれないで結晶化して病気になってしまうわけです。溶けきれない尿酸が針のような結晶になって痛風に、コレステロールは胆石症に、カルシウムは尿路結石になります。無理して顔色が悪くなったら体温を上げればいいわけです。体温を上げると免疫の活性が高まります。血液は免疫そのものですから、血流がよくなると症状が改善されてきます。

 本来、無理な生き方が原因で病気になったのですから、生き方を変えるのがベストですが、とりあえず、病気のつらい症状から脱却しようとするには体を温めればいいのです。まずは糖尿病やパーキンソン病などの全身病は体全身を、腰痛や膝痛は局部を温めることをしてみるのです。何度もいいますが、痛みや発熱は体が自ら治ろうとしている治癒行為なので、腰痛や膝痛を病院へ行って湿布薬を貼ると治る機会を失ってしまいます。温湿布でも冷湿布でも痛み止めの成分が入っているのでこの成分の働きで血管が収縮して血流はよくなりません。経皮吸収のため局部はもちろん全身の血流が滞り、あらたな部分に別の血流障害を起こすことがあり高血圧、糖尿病、便秘などの病気が出やすくなります。

 病気は温めると治るようにできています。痛みは体の治癒反応ですから、体の治癒力をじゃましないで、痛みから逃れる方法は積極的に血流を増やし治癒を助けることなのです。血流が増えれば、組織はその時点から修復を始めてくれます。

 血流障害を起こす原因のほとんどが筋疲労と冷えですから、腰痛も膝痛も温めながら治して繰り返さないように少しずつ筋肉を付ければ治ります。太っていることが原因での腰痛や膝痛は運動をして筋力がアップすればエネルギー消費も増えるので体重が落ちて一石二鳥です。

 治療のポイントは保温と筋肉運動にあります。始めは動ける範囲、動かせる範囲で体操のようなゆるやかな運動をして、筋肉を刺激し発熱を促して血流を増やします。徐々に運動量を増やして筋力を高めていきます。楽な生き方をしてきた人の場合も、ふくよかな体をひ弱な筋肉で支えるので疲れやすく腰痛が多いのですが、積極的に筋肉連動に取り組むことです。コルセットを付けている人ははずして血流をよくしましょう。

 保温には、湯たんぽやカイロ、お風呂や足湯、腹巻き、健康寝具を活用して温めて体温を上げて体を守るのがいちばんです。健康で余力のある人は熱いお風呂に一気に入ると、手っ取り早く体を温めることができます。ただし、かなりの発汗で体のエネルギーを消費するので疲れます。どこまでも自分の心地よいと感じる温度で温めましょう。

 血流が回復するときには必ず痛みが伴います。長期にわたって痛み止めの薬、消炎鎮痛剤(アスピリン、インドメタシンなど)を使っていた人が急に止めると、血流が改善し激しい痛みが出ます。しかし、これは治癒反応ですから、ちっとも治らないと勘違いして薬を再使用しないでください。治そうとしているのに消炎鎮痛剤をまた飲むのは治るためのステップを止めてしまいます。これでは元のもくあみです。ですから、自分の体と相談しながら耐えられる痛みの程度を見極めて少しずつ行います。

 私は、薬は絶対に使ってはいけないと言っているのではありません。炎症がひどく痛みが我慢できなかったり、腫れがたまらなく痛くてどうしようもないときは、薬を使ったほうがいいときもあります。大事なのは常用しないということです。

 薬を使えば一時的に症状がおさまるので治ったような気がします。しかし、その実は交感神経を緊張させて低体温を招き、よけいな病気まで招いてしまっています。自然に治ろうとする治癒力まで阻害してしまっています。基本的には治っているのではありません。しかも慢性病の治療薬は長く飲むことが前提ですから、病気は減りようがありません。

 60歳代前後の高血圧や糖尿病の患者さんは大体10~15年前から薬を飲んでいる人が多く、考えてみると40歳代で無理して無理して働き続けた結果が発病になっているわけです。ちょうど厄年の頃が境目です。今からでも生き方はもちろん、病気の根本的な成り立ちや薬の弊害を理解して薬に頼ろうとする気持ちを転換してほしいと思います。

 参照1:病をつくる薬
 参照2:薬には副作用がある
 参照3:風邪は100%の治癒
 参照4:OOは知っているものの為
# by centeringkokyu | 2008-06-14 00:02 | 本などの紹介
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