日曜の午前9時だというのに、校舎の玄関にはジャージ姿の卒業を間近に控えた中3学生20数名と、同校の保護者会であるアボジ会のメンバー数十人がそれぞれ立ち話をしている。08年3月9日、立川市の西東京朝鮮第一初中級学校で行われた「アボジ会一日労働」にとりかかるところだった。
学校周囲外壁のペンキ塗り。アボジ会のボランティアにより50万近くの費用が浮く。公私立校なら自治体が費用を負担する。
1.アボジ会の一日労働
私が自転車を飛ばして学校に着くと、外壁の周りが赤いカラーコーンで囲まれ、壁は下10pほどの高さにビニールとテープでマスキングがしてあった。日曜の午前9時だというのに、校舎の玄関にはジャージ姿の卒業を間近に控えた中3学生20数名と、同校の保護者会であるアボジ会のメンバー数十人がそれぞれ立ち話をしている。08年3月9日、立川市の西東京朝鮮第一初中級学校で行われた「アボジ会一日労働」にとりかかるところだった。空は晴れて暖かいが、うっすらと白い雲が一面にかかっている。
■ペンキ塗り
中学3年女子の「きゃー、よごれる」という甲高い声が響く。やがてみな、それぞれ持ち場に散っていった。
中3は外壁のペンキ塗りを行った。内容はペンキを専用のローラーに浸し壁を一面塗りつけてゆくというシンプルなもの。みんな初めて見るだろう、業務用の一斗缶に詰まった白いペンキや、スポンジローラーを珍しげに眺めたりいじっている。隣にいる男子二人がローラー部を持って柄をぐるぐるとぶん回して遊んでいる。
「べったりぬっていいからね」。一斗缶を空けてペンキをトレイに流しながら徐さんは言った。彼は去年まで同校に子を通わせた卒業生だ。いまはリフォーム・建設業をしている。「5年前も一度来たんだけどね」。彼は学校の外装工事の指導を5年前と今回無償で引き受けた。一斗缶のペンキやローラーなどの実費は寄付のつもりで格安にしたという。彼は今朝6時から外壁のマスキング作業を行った。
校門を出て左側が男子、右側が女子の分担になった。22人いる中3がそれぞれローラーを上下させる。あっという間に壁が白く塗られていく。
学生たちは黙々と一人で塗っている者もいるが、多くは仲の良い友達数人ごとに作業しており、おしゃべりが耐えない。
■中3の会話
「飛び散ったイダ」(だろ)。「チョンマルハジマラ」(ほんとやめて)。一人の男子学生が友達にペンキをつけたと嘘をついている。朝鮮学校では授業はもちろん日常会話全てを朝鮮語で行うことにしている。だから学生たちは日本語が混じった朝鮮語で会話するのだ。
女子のほうがにぎやかだ。
「センセンニム、チョンマルミアナミダ」(先生、ほんとごめんなさい)。
「アジッ、セボンチェパッケ、イプチアンコイッタ」(まだ、3回しか、着てないんだけど)。
生徒が悪戯でペンキを先生につけたらしい。生徒がフォローを入れる。
「クゴッ、デザインジョグロ、チョスミダ。アディダスイジマンナイキジョギンミダ」(それ、デザイン的には、いいですよ。アディダスだけどナイキ的です)
その裏で別の二人の話が耳に入る。
「チンダルレウィサラム、ヌグヨッスルカ? チョンマルチョアハンダクゴ」(チンダルレ(つつじ)の人、誰だっけ? まじで好きなんだけど、あれ)
「パクパリャンイジ。ナドチョアハンダ。ニョンビョンネヤクサン、チンダルレコッチ……」(朴八陽でしょ。私も好き。寧辺の薬山つつじの花……)。中3の国語で習う朝鮮の詩である。そう国語として朝鮮語を習うのである。日本語は日本語という科目だ。
男子の声が聞こえる。
「○○ヌンオデ?」(○○はどこ?)。
「アジッ、オジアンコイッタ。ヌッチャムチャッタゴ」(まだ、来てないよ。寝坊したらしい)
「カブルジマラ! アボジヌンヨソッシエ オゴインヌンデ…」(ふざけんな!親父は6時に来てるのに…)
しばらくして遅刻した丸顔の男子が頭をかきながら作業に加わった。
黙々と一人で作業しているある男子に声をかけてみた。着古したジャージに身を包んだ見知らぬ男に戸惑ったのか、ぶっきらぼうに答えた。「イゴシコップケトゥエンダゴセンガッカンダミョン チョスミダ」(これがきれいになると考えれば良いんです)
これら外壁塗装の他はアボジ会が担当した。校舎の床ワックスがけ、新旧ピアノ入れ替え、どぶ掃除、の3つの作業が同時並行で進む。他にオモニ会が倉庫や炊事場などの清掃と整理を行っている。
■ワックスがけ、ピアノの入れ替え
校舎では10人ほどのアボジがワックスがけをしていた。3階の階段では数人のアボジたちが腰をかがめて作業に没頭していた。古いワックスを金属のへらではがす人、その後から雑巾がけを行う人、きれいになった床にワックスをモップがけする人。「ワックスがけは1年に2度、アボジ会がやってるんだ。学生たちも気持ちがいいでしょう」。タオルで汗をぬぐいながら顔を赤くした李さんが言う。
「このままやってたら出られなくなるよ」。他のアボジがワックスで逃げ道をふさがれないよう声をかけた。
ピアノの入れ替えは、運動場に面した講堂のドア付近で行われていた。私が行ったときはすでに旧ピアノ数台が専用トラックに積まれ表面を毛布で覆われていた。講堂には真新しいアップライトピアノが1台、黒く光っている。
トラック荷台ゲートを閉めていたアボジに声をかけた。赤と白のチェック柄のシャツに白い綿パンの彼に、普通の仕事ならどれぐらいお金を取るか聞いてみたが、「まあ、けっこうかかるでしょうね」とそっけなく答えたきりだった。
■どぶ掃除
運動場の周りをぐるり回るコンクリ製の排水溝には、砂や落ち葉やその他ごみが堆積している。それを20人ぐらいのアボジと同校の男性の先生が非番で掃除していた。みな、ジャージや作業着姿である。午前9時ごろは威勢がよかったアボジたちも、1時間すぎるあたりには作業のきつさに本気を出し顔つきも真剣になりおしゃべりはほとんどない。
私も手伝うことにした。「じゃあ、全部の鉄格子をとって」と任忠先アボジ会会長に言われる。彼はてきぱきと他のアボジに指示を出し自分から作業も率先して行う。
力を入れると、排水溝にはまった鉄格子はあっけなく外れた。大体1m×四40pの鉄の塊であるからそれなりに重く、5つ目を外すとき腕と腰に疲れを感じた。それが数十はある。
次にスコップでゴミを掬い運動場にあげる。意外に堆積物が固まっておりスコップが通らない。体重をかけると先が数p沈む。ゴミを掬おうと力を入れるがなかなか動かない。堆積物のほとんどが水を十分に吸った運動場の砂だからだ。
掬いあげたゴミが貯まると小さな山ができる。するとX字の鉄棒で出来た台を持ってきて、およそ70×40pの大きな振るいにかける。一人がシャベルで振るいにゴミを移し、一人が振るいを前後させる。湿った砂は互いにくっつきなかなか振るい落ちない。そのうえ腕と腰のなれない筋肉を使うのでこれはかなりの重労働だった。アボジたちの顔は真っ赤だ。
振るいの目1p四方であるから、下に落ちるのは乾いた泥や砂である。これは乾いていれば集めて運動場に撒く。運動場は風に吹かれて砂が徐々に減ってしまうので、微々たる量だがそれの補填にもなる。
振るいに貯まるのは、落ち葉や小石などと、濡れて固まった泥やゴミである。前者は土嚢をつくる白い袋に詰められ、あとで燃えるゴミとして捨てる。後者はネコと呼ばれ建築現場でよく使われる一輪車を使って、運動場の片隅に集められる。そこで乾かされた後は、燃えるゴミとその他泥・砂に分けられ、前者は捨てられ、後者は運動場に撒かれる。
「そのままだと産廃になってしまう。すると値段がぐーんと高くなってしまう。細かい作業だけど、ウリヌンヘヤジオ(私たちはやらねばならないでしょう)」。任アボジは言う。
どぶ掃除の様子。水を吸った砂や泥を掬うのは重労働。土砂をふるいにかける作業はもっときつい。
■再度ペンキ塗り
ひと段落して、ペンキ作業を見に行った。さっきまできれいだった青いジャージがペンキの飛沫で白く汚れている。作業に飽きたのか疲れたのか、多くの生徒が仲良しとのお喋りに花を咲かせている。数人の生徒が黙々と作業をこなしている。
「ピゴナンムニダ」(疲れました)。金君は言う。鼻の下がペンキで白い。「電信柱もフィンセゲヘボリンダ(白く塗っちまうぞ)」と刷毛を塗るそぶりをすると、相方がにやりと笑った。
「トゥィー モーハゴイッソ? イッチョッ アジッ チラジアンコイッタ!」(後ろ何やってんだ? こっちはまだ塗ってねえよ!)。外壁の内側から男子の声が聞こえる。金君が応じた。「キョンインガハゴイッタ!」(キョンインがやってるよ!)
その横で校門の鉄扉の塗装を金属のへらで落としているのは、校長と数人のアボジだ。腰をかがめて数人が鉄扉にすがりつくようにしている光景はなんだかこっけいである。「ヤスリルル サオゲッスミダ」(やすりを買ってきます)。へらではうまくいかないようだ。と、作業しているアボジが「これ、塗り残しだ」と声をあげた。門近くの外壁の裏にある凹んだ箇所だけ全くペンキが塗られていない。中3が塗り忘れたらしい。
その間も金君の手はあんまり動かなかった。「チグムハジアヌミョン トェジエトェンダ」(いまやんなかったら、豚になるよ)。ちょっと太めな彼に、体育の先生がきついことを言う。裏の壁では歴史の先生と女子生徒が冗談を言い合っていた。傍目から見ていた生徒が言った。「ソンセンニムロソ ハックセングァ ソンセンニムって オットッスムニカ?!」(先生として、学生と先生って、どうなんでしょうね?!)。
そうこうしてるうち、外壁はほぼ塗り終わった。全作業が終わったのは12時半ごろ。予定より1時間以上早く終わった。
■アボジ会一日労働の経済学
昨年7月までこの学校の運営に責任を負っていた前教育会会長の朴一用さんは言う。「アボジ会の一日労働は本当にすごい。人件費まで合わせたら全部で2、300万かかるんじゃないかな?」。その分だけ学校の支出が減るわけだ。
日本政府は朝鮮学校に現在まで1銭も教育費を出してこなかった。そればかりか60年前の48、49年には朝鮮学校を閉鎖する命令を出し民族教育を守ろうとする朝鮮人の運動を暴力で弾圧した。民族教育は朝鮮人の手で守られてきたが、日本政府の民族教育を認めないという姿勢は変わりない。
教育費について言えば、助成金を出している自治体も少なくない。だが出ていない地域も多く、金額もまばらであり、全国平均でも一人当たり公立校の10分の1程度である。その結果、朝鮮学校の主な収入源は月2万(中学は2万5000円)の高い学費と、同胞の寄付になる。学校の支出もきり縮める。一番縮められるのは人件費で、先生たちは校長ですら手取り年収300万円以下だ。次にきり縮められるのが学校の補修工事なのだ。どぶ掃除、運動場の整地、古くなったブランコ・鉄棒の撤去作業…。「アボジ会の活動には本当に助けられている」。この言葉は重い。「今日のペンキは中3に花を持たすためにやってる。ほんとは外壁より先に、校舎の水漏れや電気工事をやりたいんだが…」。朴前会長は率直に本音を覗かせた。
2.朝鮮学校の表情
時刻は午後1時。校庭の隅にブルーシートを敷き、参加者で昼食を食べる。七輪で焼肉を焼き、大人はビールや焼酎を飲む。中3はソフトドリンクだ。
ブルーシートの端っこに中3が男女ごとに七輪を囲んだ。女子は2つの七輪をみんなで囲む。肉が来る前から「クンパミヨ〜」(焼き栗〜)と、学芸会で歌った朝鮮の歌をみんなで歌いながら上機嫌だ。「ダイオキシン ナオジアンソ?」(ダイオキシンでない?)という声が聞こえる。風で煙が直撃した生徒が咳き込む。隣の生徒が「煙はミインネカンダ。ラヌンゴスン…」(煙は美人に行く。ということは…)と言う。一瞬の沈黙の後に、示し合わせたように煙の生徒を冷やかして、笑った。
はしゃぐ彼女らをみて、後ろにいた一人のアボジが「おまえら動け!ハシもってこい」と檄を飛ばす。「オモニたちで七輪を4つも使ってる…」とどこからか別のアボジが不平をもらした。聞こえるか聞こえぬのか、オモニ達は盛り上がっている。
「今日は事故もなく本当にうまくいきました。今日は特別にオモニ会が料理を作ってくれました。また去年の卒業生の徐アボジが朝6時から外装工事をしてくれました。本当にコマッスミダ(ありがとうございます)」。任アボジが挨拶し、乾杯の音頭をとり、打ち上げがはじまった。
「いつも朝鮮語つかっていると日本語が出てこない。たまに使わないと」と笑うのは同校先生のユンさん。その裏で「てっちゃんはコラーゲンたくさん。お肌ぴちぴちイムニダ(ですよ)」とアボジが中3女子に声をかけている。もう酔っているのか。
ユンさんは最近の学生の変化について語った。「チェウドゥン(最優等)が昔は4、5人だったのに、いまはほとんどみんなだ。まじめだし、行事もちゃんとやる。やっぱりウリハッキョ(私たちの学校)がいいんじゃない?勉強できる環境がある」。そう語る彼はどこか寂しそうだ。
「娘に聞いたんだけどさ、スキー教室で校長ばっか滑ってたんだって?」隣でアボジたちに絡まれてた校長が頭を掻いている。「みんな学生たちは下手なのに、校長むちゃくちゃ上手で、学生置いて滑ってたって言ってたよ?」。
「ウェネガ パシリインガ?!」(何で俺がぱしりなんだ?!)。既に1皿目を食べ終わり新しい肉を持ってくる貧乏くじを引いた男子学生の悲鳴だ。
中3男子の輪にお邪魔してみた。先生に促され、各自自己紹介をしてくれた。恥ずかしいのかうっとうしく思われたか、どこかぎこちない。が、まじめだった。背が低く細身の趙君はサッカー部のキャプテンだ。隣の背格好の似た朴君にちょっかいばかり出している。一日労働について聞くと「うざい」と一言答えた。まわりが笑う。彼もにやにやしている。朴君はバスケット部をやっている。彼は周りの友達がスポーツに優れているとか勉強が出来るとか性格がどうとかを一生懸命に教えてくれた。長身の張君はバスケ部。無口だったが優しい表情をしている。同席したチェ先生に「ノガトゥンガタイガチョウンサラムン、ガタイロイギルリョゴハニカ、キスリヌロナジアンタ。ノリョッハミョン、チャムヌロナンダ」(お前みたいなガタイが良い奴は、ガタイで勝とうとするから、技術が伸びない。努力すれば、本当に伸びるよ)と言われると歯を見せて笑った。その隣はペンキ塗りのとき面白かった金君だ。彼もバスケをしており恰幅の良い彼は優秀な選手だという。
開始30分で早々と肉を平らげてしまうと、彼らは落ち着きがなかった。「サルサル チュックハルカ?」(そろそろサッカーしようか?)と言いすぐに校庭に行ってしまった。女子学生も講堂で卓球したり、バスケしたり、思い思いに遊び始めている。酒を飲まない彼らにとって、焼肉は食べたらそれで終わりなのである。
学生たちが去ったブルーシートに酒が回った大人たちが残された。と、仕事に戻るためペンキ塗りを指導した徐アボジが帰るところだった。去り際の彼になぜ子どもが学校に行ってないのに一日労働に来たのか聞いてみる。
「母校だから」。白髪で白い作業着に身を包んだ彼はさらりと答えた。「学生のときはここに来るのが嫌でたまらなかった。どうせこの国で暮らすし日本の学校に行きたかったんだ」と語る彼の目は少し遠かった。「昔、10代のころ、暴走族やってたよ。あの時クラブをつくってさ、何百人と集めた。みんな共和国旗(北朝鮮の国旗)をつけさせてね。20代になったら辞めたけどね」。
なぜ工事を格安で請け負ったのか聞いてみた。「どんなことでも日本人に頼めば高くつく。でもうちでやれば安いじゃないか」。本当なら50万近くかかるという。
朝鮮学校をどう思うか聞いてみる。「やっぱ、朝鮮人だからね。朝鮮語もしゃべれないとどうするんだ。普段アボジ会に参加してはいないけど、そんな一線を心の中に持っている。親もちゃんとしてないとダメだ。いま日本の学校にむしろ暴走族とかやっててヘンになってる」。盛り上がるブルーシートに目をやりながら「先生がしっかりしている。安心して任せられる」。「自分の国が何をやられているのかちゃんと見なければ。今も戦争中なんだから。やられたことをちゃんと聞かせないと。今の時代にそぐわない、じゃない。ちゃんと歴史を教えないとダメだ。日本人はそれを教えないからおかしくなる」。念のため解説すると、朝鮮戦争は現在も休戦状態で戦争中であり、日本が掃海艇を派遣し米国に官民挙げて協力した戦争であった。
後ろで聞こえる嬌声に振り向くと、女子生徒が校庭で自転車の四人乗りに挑戦しているところだった。
ブルーシートに戻って他のアボジに話を聞いた。「アボジ会があるから学校に集まる。これが単発でなく続くのがよい」。赤ら顔で語る。疲れた体にアルコールは早く回る。「学生にも良いとおもう。実際にアボジが頑張っている姿を見せられるし」。これは後で学生に確認してみよう。
別のアボジは言う。「親と仲がよい。みんな見てて思う」。
オモニたちの席からひときわ甲高い声が聞こえる。「みんな「アボジたちの食事なら作らない!」というオンマたち。今日は中3もアボジも一日労働をするから、オモニたちも倉庫とか炊事室の掃除や整理をしてたのよ」。韓オモニ会会長は語る。と、「スジのスープ出すの忘れた!」という甲高い声が響く。はっと沈黙が流れる。一呼吸おいて「もう、やだ〜」と笑いが堰を切った。
「今日はこれもってきました!」と差し入れのワインを手にするオモニ。おお、喚声と拍手があがる。オモニの輪の隅に座っていた中3担任のジュンシク先生が、さっと立ち上がり、ワインの栓を抜き、ひとりづつ注いで回った。「若くてきれいな人には量が多いわね!」と別のオモニ。反対側のオモニが「どのオモニの弁当がおいしかった?」と冷やかす。そのたびにオモニたちは腹を抱えて笑い、30代前半で独身のジュンシク先生はたじたじである。全員にワインが行き渡ったところで、会長が乾杯の音頭をとった。「エドゥレフィマンウルウィハヨ!」(子どもたちの希望のために!)。
オモニたちにアボジ会について聞いてみた。「オモニ会は学校の歴史と同じくらいの歴史がある」と韓さんはいう。「アボジ会がまとまるのは、5〜10年かかるんじゃない?」と隣の李さんは言う。
「日本の学校には友達をつくるために学校に通わす、と言う発想はない」と言う。彼女は日本人で在日朝鮮人男性と結婚し、4人の子を朝鮮学校に通わせていた。韓さんが言われてみれば、そうかもしれない、と言った。「どの塾に通わすのがよいか、とかそういう話はあるけど」 ルールは体で覚えるのが一番。
校庭の隅でブルーシートを敷き焼き肉で打ち上げ。
日本人女性で子を朝鮮学校に送っているオモニは何を考えているのか。朝鮮学校に子を通わすのに抵抗なかったか聞いてみると意外にも「朝鮮学校に入れたかった」と即答した。「自分の学生時代はね、昭島に住んでいたけど日本の子達が朝高の学生のファンクラブをつくっちゃって。『パッチギ!』みたいな世界で。だから自分の息子が朝高生になれるなんて素敵!と思っちゃって」。嬉々として語る李さんに韓さんも「はじめて知った」と驚いている。ねえちょっと――早速他のオモニに広める韓さん。
朝鮮学校のよいところを聞いてみる。「例えば運動会。日本の中学ぐらいだとだらだらやる。けど朝鮮学校は最後の行進までまでしっかりとやっててとても感動した。毎年障害物競争で立てた板を乗り越えるやつなんか、中々あがれない子をみんなで上げてあげるじゃない。そういう友情とか、日本学校にはない。(運動会で)親たちもお祭りみたいに盛り上がるし、学校で酒とか飲んでるし。それでいてメリハリがある。オモニ会とかアボジ会とかちゃんとやってる」。他にも朝鮮学校の先生が信頼できることや、オモニ同士友達としてつきあえる点をあげた。
ただ不安な点もある。「やっぱ言葉ですよね。本とかみんなウリマル(私たちの言葉)」。小学生の宿題もみてあげられないことが歯がゆい。「授業参観で授業の途中から行くと朝鮮語聞けないし読めないから何やってるか全然わからない。「ここにいて何の意味もないのかも」と思った。ただ、子どもがこっち見てうれしそう顔してるから…」。
名前は李克美を名乗っているが、呼ばれるときは「プンミオモニ」(プンミ(娘の名)のお母さん)という。
彼女は普段看護師をしている。その傍ら、去年・今年とオモニ会の役員をやってみた。「みんなほとんど働いている。働いているから来ません、というのは通用しない」。本当に大変だったと語る李さんに「本当に大変だけど一生懸命やれば楽しくなる」と韓さん。
オモニ会の人たちは本当に仲良しに見える。1週間後の卒業式は、歴史上初めてオモニたち全員でチョゴリを着るという。
「つけ毛ある?」と思い出したように誰かが言った。みんな口々に「ポニーテールやると5歳若返る」とか「モリコックムジね」(髪につける飾り花禁止ね)とか言う。テンションは下がる気配がない。
そこに李さんの夫が現れた。「じゃあ、俺サンモ(朝鮮の農楽(田楽のようなもの)で男がつける細長い帯を頂点につけた帽子)回すわ」と言う。「男は学ランに刺繍入れて来て。「祖国統一」って!」と誰かのオモニが叫んだ。校長も「じゃ、歴史上初めてパジチョゴリで卒業式やります」と言いながら乱入して来た。ほんとに?という野次に「もう8万円で買いました」と彼は返す。
15時をすぎ風が肌寒くなってきた。既に焼肉はないが子どもや学校の話を肴にした保護者の酒盛りは尽きなかった。誰かが中3歌え、と言った。盛り上がってしまい「歌、歌」コールが始まる。学生たちは暫く躊躇っていたが逃げ道がないのを悟ったか観念し歌い始めた。曲は「クンパムタリョン」(焼栗打鈴)。朝鮮の民謡だ。面倒そうな人も、まんざらでもない顔をしてる学生もいる。女子2人が前に出てぐるぐると踊り始めた。その2人のアボジが出て娘の手をとり踊ろうとするが、反射的に娘が後ずさる。爆笑の渦に圧され、苦笑いする娘とにやけたアボジがくるくると踊った。誰かが「卒業公演は、違うやつ、頼む」とレベルの高い注文をつける。
学生は先生の元に集まり簡単なホームルームを済ませると解散した。まだほとんどの学生はそのまま学校で遊んでいる。
任アボジ会会長は言う。「アボジ会の目標はオモニ会について行くこと。追随ではない。越えることはなくとも、必ず同等にはなるだろう。次のアボジ会はもっと学校に還元する」。
ブルーシートのあたりまで日陰が伸びてきた。学生たちの声を聞こうと、バスケをしている男子学生のもとへ行く。西日がまぶしい。
玄関近くは運動場より一段高くなっている。運動場にあるバスケ台をうまく移動して、ゴールまでの距離を縮めたあと、ダンクシュートの練習をしていた。さっきの趙君は「ダンクできます」と言って私に見せてくれた。だが一度も入らない。そのうち着地に失敗しこけてタイルで体をしたたかに打った。みんなで笑う。
アボジ会の印象について聞いてみると、「親父くさい。酒臭い」と素っ気ない。「焼肉始まったらもう終わらない。五時間ぐらいかかってる」。最後にぽつりと「一番苦労してるのはオモニたち、ってうちのオモニが言ってた」。
1週間後に卒業を控えている彼ら。「卒業とか言っても、あんまり実感は沸かない」と言う張君。別の学生は寂しいと言う。「一つ下の学年にかわいい子がいる。彼女に会えないなんて…」。メモを取る私にそんなこと書くなと言ったのは言うまでもない。
長身の張君はダンクをがんがん決めてしまう。それを見ていた同校OBで総連の活動家が一言。「お前すごいな。パチンコ台の高設定台みたいだな」。
トイレに立ったアボジにこう言ってみた。アボジたちが期待するほど子どもたちはアボジ会のことよく知らないみたいだと。「それで良い因じゃない?本当は見えないほうが良いよ。朝鮮学校の良いところは情緒教育だと思う。隣の子を心配できる子になる…」。
片づけが始まったのは午後4時。参加者みんなで片付けるのであっという間に終わった。
◇ ◇ ◇
枝川裁判 リンク集
※掲載が遅くなりました。(編集部)