司法参加 戦後の宿題
「恐るべき裁判権力は…」。
司法制度改革審議会会長を務めた憲法学者の佐藤幸治は三月、記者に会うなり古典の一節を読み上げた。フランスの思想家モンテスキューが十八世紀に記した「法の精神」。名著は説く。
「裁判権力を身分や職業に結び付けないで、一年のある時期に選ばれた市民に担わせるべきだ」
国民の司法参加は、古代ギリシャの時代から導入されていた。歴史を重ねる中で、今では先進諸国で国民参加の裁判が行われている。「プロ集団は独善的になる傾向があり、国民の目が必要。裁判官も例外ではない」と佐藤は指摘する。実際、一九七〇年代に「プロ裁判」のほころびがあらわになり、確定死刑囚の再審で八〇年代に四件の無罪判決が出た。
「陪審制や参審制でも導入しない限り、わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」
刑事法学の泰斗、元東大学長の平野龍一は八五年の論文で、捜査結果を追認する裁判官の姿勢が冤罪(えんざい)の原因と指摘。「真実を見抜く眼力を持っていると裁判官が考えるのは自信過剰」と主張したが、批判は改革のうねりにはならなかった。情報公開や住民投票など国民が政治や行政にかかわる機会は増えた。三権のうち司法だけが、国民がかかわれない聖域となっていた。
法務省の中枢ポストを歴任した検事総長の但木敬一は、オウム真理教事件の裁判で、司法と国民の乖離(かいり)を気付かされたと言う。
「あの裁判は検察、弁護士、裁判官の法曹三者とも手を尽くし、ある程度満足していた。だが被害者や国民からは『何で十年もかかるんだ』と怒られた。このギャップを埋めるのが司法改革だ」
佐藤も、司法への理解を深めてもらうには国民参加が必要と考え、改革審に臨んだ。その結果、二〇〇〇年九月に「国民が裁判官と責任を分担しつつ協働し、裁判に主体的・実質的に関与する」と新たな刑事裁判の青写真が示され、国民の司法参加が決まった。
昭和に入り、国民参加の陪審制を実施した歴史を日本は持つ。大戦の影響などで一九四三年に停止したが、その存在自体が否定されたわけではない。事実、戦後制定された裁判所法には「陪審制度を設けることを妨げない」と規定している。
佐藤は感慨深く振り返った。「国民の司法参加は戦後の宿題だったんです」(敬称略)
-------------2008.4/25東京新聞
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