高山俊吉先生の勉強会
●サロン主宰者からのメッセージ(転載)
高山 俊吉先生
前略 昨夜はご多忙の中、サロン勉強会にて貴重な御話をして頂き厚く御礼申し上げます。先生の御話は理路整然としていて、要点が浮き彫りにされており、その上に先生の情熱がみなぎっており、参加者一同良く問題点を理解できたと確信いたします。時間がなくて残念でしたが、一晩明かしても尽きることのない議論になることでしょう。
それに先生のキーワードとして言われたのですが、国民一人ひとりが裁判制度について熟考し議論する機会を与えたとするならば、この裁判員制度提起も価値があったのかも知れず、国民の裁判への参加というとはまさにこういう議論を通じて考えることだとつくづく思いました。
しかし目的も分からないうちに、国民の知らない間にこのような国民生活に重大な影響を及ぼす裁判員制度が法制化され、しかも与野党全会一致とは摩訶不思議というか、国会議員の怠慢とも言えます。
この問題は憲法違反のデパートともいえる問題の外に、池内ひろ美氏が懸念されるところの家庭の問題まで、奥行きと広がりたるや脊筋の寒くなるような恐るべき問題を抱えています。保守・リベラルこの問題に対して一致して反対の立場を唱えているのは、この問題はイデオロギーの問題ではなく、まさに一人の国民(リベラルは「市民」と呼ぶのでしょうか)の誰にも侵されたくない自由や信条の問題を含んでいるからだと思います。
人を裁くなどということは神しか本来許されない行為であります。裁判官はその代理として人を裁くのであって、それには通常職業に要求されるよりはるかに専門的かつ哲学的知識・経験を要求されます。そんな専門家の仕事を素人ができるわけもありません。一部にはかかる制度に反対するのは法曹界の自己保身であり縄張り意識などという議論がありますがそれは矮小化した枝葉末節な与太話に過ぎません。
もちろん今の刑事裁判が完璧なものではなく、有罪率99%の現象は世界をみても異常であり、この是正のために一般市民という声も聞かれますが、これも本末転倒で、裁判制度そのものを法曹界が検討し再構築すべき専門家の問題であることは明らかです。
大体、多数決で有罪か無罪かを決定するなど、神も畏れぬ行為であり、しかも量刑も無罪と評決した人をも含め議論するなど、裁判のワイドショウ化であります。裁判を何か生活の延長のような、そして縫いぐるみを利用しての政府のPRほど不謹慎なものはありません。先生のおっしゃるように裁判には当事者に笑いなどありようがない、真面目で厳粛な世界のはずです。
アメリカの陪審制度で一人でも反対があれば何日でも議論し続けるという姿勢こそ裁判の神聖さを考慮しているシステムといえましょう。数日で結論を出す裁判など、まるでスターリンやヒトラーの暗黒裁判を彷彿させます。まさに被疑者への公平などありようもないでしょう。
日本はすべての分野においてメルトダウン現象が起こっています。それは見かけだけの言葉やスローガンに、それがことさら反対できない場合、流されてしまうという、逆言葉狩現象が起こっています。これこそ暗黒国家の道であります。あの人権擁護という誰もが反対できない言葉の陰に、恐るべき人民裁判所といえる第三委員会が、異論を唱える人々をギロチン台にあげるような法案が真面目な顔をして議論されている現状など、日本はすべて奇麗ごとの空気で政治も社会も支配されているように危惧します。
保守・リベラル共守らなければならない価値は「自由」であり、しからずんば「死」であること、我々は国民の固有の権利を危うくする、かかるメルトダウンに向かって戦っていかなければなりません。
昨日は先生のおかげで、裁判員制度について効果的に熟考できる機会を与えていただいて誠にありがとうございました。
今後とも先生のご活躍をお祈りするとともに、私どももこの制度の実現を阻止すべく陰ながら頑張りたいと存じます。本当にありがとうございました。
九拝
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