この人に聞く-第1回
千年にわたる伝統を持つ文章語(書き言葉)のある文化は、世界に稀(まれ)。私たちの祖先は万葉の昔から優れた漢字文化を取り入れながら、精緻(せいち)で格調高い文語体を磨き上げてきたが、今、文語は消滅の危機にさらされている。 (聞き手・本誌編集長)
あいこう・じろう
1933年長崎県生まれ。55年東京大学法学部を卒業して、同年通商産業省入省。在職中に外務省、科学技術庁、経済企画庁等に出向。海外勤務を5回、ハーヴァード大学でフェローを1年。資源エネルギー庁次長を経て、83年に駐クウェート大使で退官。86年にソニー入社、専務などを歴任。インド系IT企業顧問も勤める。2003年以降「文語の苑」代表幹事に。近著に『世にも美しい文語入門』(海竜社)がある。
●聖書の「求めなさい。そうすれば与えられます」といった口語体を文語体にすると、「求めよ。さらば与えられん」となり、とても説得力が出てきます。文語体というと、古文、漢文、歴史的仮名遣(かなづか)いといったいかめしい表現が頭をよぎるだけでしたが、愛甲さんが著した『世にも美しい文語入門』を拝読し、正直なところ難しかったのですが、文章語に一歩近づくことができました。今、文語はどんな状況になっているのでしょうか。
焦眉(しょうび)の急(きゅう)を告げるのは、“教材の整備”です。どういうことかと言いますと、「文語は民族の伝統を守るために大事なものだから、私も勉強しましょう」という人たちに対して、何から読み学んだらいいのかという指標となるものがないのです。戦前の教育を受けた人にとって文語は、水や空気みたいなものですから入門とかなんとかというプロセスは必要がないのですが、戦後の教育を受けた人はそうはいきません。
●愛甲さんは大学のサークルで、学生の文語文を添削なさっているのでしょ。そういうところで使うための「教材」ということでしょうか。
今、「文語同好会」はお茶の水女子大学にあります。『国家の品格』の著者・藤原正彦先生の斡旋による第一号の同好会です。ウェブサイトで文語の創作を行っている「文語の苑(その)」のメンバーが、古典の朗読と文語文の添削をこの同好会で行なっています。学生の半分以上は国文学科の生徒さん。ほかに東京大学の情報学科の人とか、毛色の違う人もいます。お茶の水大学で文語を学ぶことから、「文語倶楽部・茶苑(ちゃえん)」と命名していますが、そこで教えているのはハイレベル。国文学を専攻する彼女たちですから「茶苑」ではこれでいいのですが、「文語初心者」がスクラッチから始めようという時に、役に立つような教材がまったくないのは問題です。
それを作ろうというのが教材整備への考え方ですが、私の本はそういう意味からいうと第一弾。文語をやってみると面白いですよ、有意義ですよ、と宣伝する啓蒙(けいもう)書なのです。
しかし、出版社の都合で「入門」となっていますが、入門書じゃない。(笑) だって、この本を読んだからといって、いきなり文語ができる、文語の世界に仲間入りできるわけじゃありません。本格的な入門書も含め、いろいろ作っていかなくちゃいけないのです。
●小学生用のドリルをイメージしたらいい?
ドリル以前です。書店にある韓国語4週間とかスワヒリ語4週間といった「○週間でわかる文語」です。(笑) 知らない外国語に初めて遭遇する、といったイメージですよ。日本の国語学者は文語を外国語扱いすると反発しますが、文語は日本の若い人にとっては外国語同然ですから、最初から中国語や韓国語、アラビア語と同じものという感覚で入っていかないと歯が立ちません。2階にいて「ここまでおいで」といっても上る梯子(はしご)(教材)がないのが、今の文語。本物の文語を紹介する副読本も必要です。
さらに辞書も必要ですね。古語辞典もありますが、この現代語は文語ではどう言ったらいいんだろう、という場合に引けるような辞書がありません。たとえば、昔のビジネスレターといえる「候(そうろう)文」に挑戦してみる場合や、小学唱歌の『あおげば尊し』の疾(と)し(速い)や別れめ(別れよう)など用語解説も必要ですので、掲載内容はいっぱいあります。
文語の根を残そうとウェブサイト開設
そしてもう一つ、私が焦眉の急だと言うのは文語の入門書を書ける人や副読本を監修できる人たちが、もうどんどん亡くなっていることなのです。この半年間に、「文語の苑」のオリジナル・メンバーが2人亡くなりました。今まで自覚していなかったのですが、カウンティングに入った焦燥感を覚えるようになりました。
最初は我われも、若い人たちを指導してゆっくり人を育てようと思っていましたが、今や文語の本を書ける人が死ねば、あと2、3年の間に文語も死ぬという事態です。そうすると、新人養成とか、この5年間やってきたような専門のウェブサイトを作ってそこで文語文を発表するとか、のんびりしたことも言っていられません。みんなが書けるうちに書いておこう。我われが死んでも文語は残る……という悲壮な覚悟ですよ。(笑)
●戦後60年の空白はたいへんな損失ですね。
そうです。文語は日本の言語伝統の要(かなめ)です。文部科学省はたくさんの予算を取って、伝統的な重要文化財などの保護・保存を一生懸命やっているけれども、それはハードウェアですよね。
しかし、ソフトウェアのコアになるところ、つまり、我われの祖先がものを考え、感じていた言葉を失ったら終わりですので、「文語の保存」はやるべきです。とにかく、戦前まで公的部門や学校教育でも正面から取り上げられていた文語を、読んだり書いたりできる人たちが発言する機会がないままに今に至ったので、迂遠(うえん)なことを言っていられなくなりました。根を残すことが急務です。根が残っていれば、芽を吹いて花が咲くのですから。文語の根をどうやって残すかという選択が、今ほんとうに迫られています。
●ホームページで「文語の苑」を開設したのは5年くらい前になりますか。
4月で5年になります。実際に動き出したのはその半年前ですね。
●本誌では、「文語の苑」幹事の岡崎久彦さん(元タイ大使)、新井寛さん(國語問題協議會事務局長)と、永池スコーレ会長の鼎談を通して文語の意義や「文語の苑」の役割を紹介しました。
そうでしたね。我われは最初、文語での 「同人雑誌」を作りたかったのですが、編集スタッフ集めや販路の開拓をしなければいけませんし、何よりもお金もかかる。そんなファンド・レイジングをやってお金を集めて同人雑誌をはじめても、原稿が集まらなきゃすぐポシャってしまいますからね。どうしようかって悩む中で出てきたアイデアが、専門のウェブサイトを作ろうということでした。それで、ホームページを作って、その時に「文語の苑」というグループを結成し、いろんな先生方に発起人をお願いしてスタートしました。スコーレ協会の永池会長も賛同してくださいました。
ところが、ウェブサイトっていうのは文語とは相性(あいしょう)が悪い。(笑) 正漢字表記などの記述面はもちろん、パソコンができる人は「文語ってなに?」ですし、文語を知っている人はキーボードが苦手な世代。本当に心配したのですが、アクセスが十万件を超えています。「高級な趣味の世界のウェブサイトとしては、よくここまで来ましたね」と専門家にも言われました。
でも実態は、投稿者が限られていますので、文語を後世に残すという意味で新人発掘はできていません。そこで、大学に同好会を作ろうと動いて、お茶の水女子大学の「文語倶楽部・茶苑」になったのですが、あとが続かないのです。
なぜか? それは学生のサイクルが早いことに問題がありました。「茶苑」の学生は優秀だなと思いはじめた頃、彼女たちは卒論や就職活動に入る。「茶苑」に出てくるのは3年生までというほんとうに短い期間です。
世界に誇れる文化遺産が日本の文語
●私は高校時代の古文や漢文は苦手でした。今、文語文を読んでもすぐに投げ出してしまいます。
たとえば、明治の文豪、森鷗外の小説を持ってきて、これは文語体か口語体のどっちでしょう? と聞いても分からない人のほうが多いでしょう。最近では、口語体で書かれたものでも夏目漱石や森鷗外となると、若い人たちは歯が立たなくなっています。私はあらためて文語の本を読むようになって、「平家物語」あたりだと小説のように、文語か口語かの意識なしにスッと読めます。
「文語を残そう」という運動をはじめた時、誤解されました。つまり我われが、「今の口語文をなくして、文語に置き換えようとしている」のだと。ですから、最初は“文語の復興”と言っておりましたが、そういう誤解をする人がいるから、“文語の保存”と言い換えています。
和歌とか俳句は今でも文語を使っていますが、それは趣味の世界。しかし、それでも文語自体が残ればいいと思います。文語を読むことにまったく抵抗がなくて、自分でもそれを書くことができるという人が、人口の1~2%でもいれば文語は「死語」にならないわけですよ。
とにかく残さないことには、絶滅したあとに議論したところで意味がありません。実際にこの運動をやって、自分でも文語を書き、それから若い人たちに文語を教えていて分かったことは、日本人は世界に誇れるすごい文化遺産を持っているのだなということです。
(「月刊すこ~れ」330号につづく)
|