2008/07/27
また炎上するよ
クライマックスで大病にかかり感動の為に死んでしまうお涙頂戴お決まりパターンは大嫌いで、やはりボクはハッピーエンドのお話が好きです。そんでもってコメディーが好きです。さらに言えばそのコメディーが大人だけでなく、ガキンチョも手を叩いて笑えるコメディーであれば、それが一番好きです。ボクはドリフターズがそうだったと記憶しております。それからいろんなカタチのお笑いが出てきて、今では一般の方までもが「フリがどうだ」「オチがどうだ」と唱えるようになってきました。それはそれでお笑いの楽しみが増えて、見る側にとっても、そして見る側が勉強してくれることによって演る側も同業者を笑わすのに近い感覚でお笑いができるようになる場面も増え、「良い時代になった」と言えるのかもしれません。部分だけを切り取れば・・。
その楽しみはその楽しみ。何も間違っちゃいないし、進化を否定しちゃダメだと思う。だけどガキンチョを置いてけぼりにしてしまっている状況はいかがなものかと思う時がある。ガキンチョが眠ってしまう時間帯、ガキンチョが足を運ばないような舞台、そこでは大人が楽しめるお笑いをすればいいと思うし、それが正しいと思う。ボク自身もそれを観たいというのが正直なところだし。条件はゴールデンタイムだけれどM-1なんかもそうかな・・。ただしガキンチョがチャンネルをひねる時間帯のTVや、ガキンチョが足を運ぶような舞台では、「ガキンチョが面白がれるモノ」をしたいと思う。ボクがガキンチョの頃に誰かがソレをやってくれたから、ボクはお笑いを楽しいと思えたし、こうしてお笑い芸人になった。そこに大人だけが面白がれるモノを持ち込んでしまうというのは、これは大人のエゴでガキンチョ置いてけぼり。ボクは街中でガキンチョ等がゲラゲラ笑いながら「グゥ~!」や「いいよ!」とギャグを言っている様が大好き。この光景は無くなって欲しくない。どこぞの媒体で作家で演芸評論家の吉川潮さんという方が昨今のお笑い番組をナナメから切られていましたが、これは非常に浅はかな発言で、ひらたく言えばアホだと思う。そういうことを皆わかった上でやっている。「自分は気づいてるぜ」じゃないんだよ。それだけ芸術を知って、お笑いに長けている方なのであれば、「せーの」でお話を作って、どちらが面白いか比べてみてもらってもいい。あなたには1ミリも負ける気がしない。
前作の『日の出アパートの青春』という舞台は神保町花月という場所で演り、客層も知っていたのでそういった内容でしたが、今回の『ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック』というのは夕方の番組での流れ、そして夏休み。来場するお客さんの層にガキンチョが混じってくることは簡単に予想できる。大人も笑えて、そしてなによりガキンチョが手を叩いて笑えるモノを作ろうと思ったのです。そしていつかお笑いが一周して、そういう時代が来てくれたら嬉しい。そしたら自然とそれを壊す面白い人が出てくるだろうし・・そんな感じでグルグルして欲しい。とにかくはそのお笑いのサイクルを大人達の正義だけで止めちゃダメだということ。
もっともっとお笑いが盛り上がってくれたらボクは嬉しいもん。