.第四章 デカルトと心身二元論
さて、この章ではデカルトとその認識図式について述べる。まずは近代の始まりを見よう。
.神学の崩壊
中世が終わると、ルネッサンスと宗教改革を通して教会の権威が低下し、教会が支えていた中世的心理観も崩れることになった。教会による思想統制はなお続いてはいたが、その支配はもはや個々の学者の思考にまで及ばなかった。学者たちは神学を離れ、自由な思索を始め、新たな発見を重ねていくことになる。
(脚注:ルネッサンス:ルネッサンスにおいては、神学から切り離して、古代ギリシアの知をそのままの形で見直すことが行われた。この研究に従事した学者たちは、硬直し無意味に複雑化した中世神学より、ダイナミックで明快な古代ギリシアの知のほうに魅力を感じることになった。)
(脚注:宗教改革:宗教改革においては、ヨーロッパの各教会がカトリックとプロテスタントに分裂して血生臭い戦いを繰り広げることになった。ついた側によって教会の主張する真理は違う。つまりは神学の真理が唯一絶対のものではないことを露呈してしまった。)
.科学
ここで触れておかなければならないのが、『科学』の発生である。
(脚注:科学革命:近代初頭、16世紀から17世紀に渡って『科学』的研究が始まったことを、科学史において『科学革命』と呼ぶ。しかし、『science(科学)』という語が現在のような意味で使われるようになったのは19世紀に入ってからである。).
(脚注:科学の定義:これだけ『科学』の発達した現代においても、『科学』という言葉に唯一絶対の定義は存在していない。様々な『科学』の諸領域(物理、化学、生物など)を具体的に明示し、それを総称して『科学』と呼ぶのだとする説明が一般的である。)
従来の権威である中世神学に疑問を抱くようになった学者たちは、新たに正しい理論を築きたいと思った。
その際に武器となったのが、「観察」「論理」「因果」などの方法論であった。これはアリストテレスの重視した概念であったことは既に述べた。
(脚注:近代におけるアリストテレス思想の継承:アリストテレスは中世神学の中でも学ばれ、神学の中に吸収されていた。だが、そうした神学的アリストテレスは近代に入って拒絶された。しかし、アリストテレス本人の持っていた学問的態度は、科学思想の元に、より明確な形で表現され尊ばれるようになったと言える。)
そうした方法論を、より徹底して実践することが提唱された。『科学』においては、「観察」されない物事は事実として認めないし、「論理」的ではない議論は許容されず、全ての説明が「因果」的になされる。『科学』を興した学者たちは、そうした『科学』的態度によって、否定しえない新しい真理を形作ろうとした。そしてさらに、そうした科学的態度を追求する上で、「数学」を道具として重視するようになった。
(脚注:科学思想:科学思想の源流は古くは古代ギリシアにまでさかのぼることができる。しかし、実質的に上記のような科学思想が明確化され始めたのは、この『科学革命』以後であると言われる。科学思想の成り立ちは複雑で、その生みの親として誰か一人の科学者を指定することはできない。科学革命以後、多くの科学者たちの科学的行為によって、科学思想は徐々に醸成され、明確化していったものであると考えられている。)
.デカルト
上記のような『科学』的方法論に思想的土台を与えたのが、「近代哲学の父」デカルトである。
(脚注:デカルト:デカルトが活躍したのは17世紀。アリストテレスより実に2千年以上が経過している。長い知的空白の後、近代の基礎となる哲学を築いたその功績は大きい。)
まずデカルト思想の特色を見よう。これは、大きく分けて二つある。第一は『機械論的世界観』の重視、そして、第二がプラトン的『理性』の重視である。
.機械論的世界観
さて、まず『機械論的世界観』の成立を見よう。
『科学』的方法論が始めに成果を上げたのは、天文学であり、その原理を成す物理学であった。
(脚注:より正確に述べると、天文学や物理学の諸発見が、『科学』的方法論の確立につながり、その後の『科学』を形作ったと言える。)
デカルトは哲学者である以前に数学者であり、物理学者でもあった。そのため物理学者としてのデカルトは、「世界を物理学的にとらえる思想」を生み出した。これを『機械論的世界観』と呼ぶ。
より具体的に解説しよう。
物理学とは、自然現象を質量や距離などの数値からとらえて、数学的な法則を明らかにしようとする学問である。近代初期には、基本的な物理法則が発見され、「天体から地上の物質まで、自然界の全ての運動が単純な物理法則に支配されている」という事実に人々は驚嘆した。この結果、「世界の全てが物理法則に従って動いているという世界観」が生まれた。これが『機械論的世界観』である。
(脚注:機械論と決定論:『機械論的世界観』は物理法則という名の因果によって、未来を計算予測できるという意味において、「因果による未来の決定性を持つ世界観」=「決定論的世界観」でもある。)
(脚注:機械論的世界観:世界が時計仕掛けの精密機械のように物理法則に従って動いているというイメージから、機械論と名付けられた。この『機械論的世界観』は、すぐ後に確立されるニュートンの古典物理学によって、より確かな物理法則を得て、強固な思想へ発展し近代思想の柱を成した。)
それ以前の世界観においては、神や精霊など超自然的存在を議論に持ち込み、そうしたファンタジーによって主観的に物事を解説してしまう面があった。しかし、『機械論的世界観』においては、物理学の数値性が客観性を保証し、いかなるファンタジーも入り込めない冷徹な世界像を描きあげることになった。
しかし、こうした世界観は、旧来の世界観から余りにかけ離れており、多くの人々に受け入れがたいものであった。その上、無神論的であるため、教会からは迫害の対象となりかねなかった。そこでデカルトは、こうした『機械論的世界観』とキリスト教との間を調停を成し遂げる必要があった。その調停が生みだされる上で重要となったのがプラトン的『理性』の重視である。
.理性の重視
デカルトは科学的方法論を重視しながら、一方では敬虔なキリスト教徒であり、神学者としての教育を受けていた。無神論的な世界観に魅せられたデカルトは、神学による世界説明を拒んだ。しかし、デカルトの中には、神学教育を受けた時の影響が残り、神学の中に埋没していたプラトン思想を受け継いでいた面があった。
(脚注:デカルトとプラトン:デカルトの学んだ学院は、カトリック系すなわち神学的アリストテレスを重んじる学院であった。だが、ルネッサンスの影響でプラトンの影響を受けたアウグスティヌスの神学も学べるようになっていた。その中でデカルトはプラトンの思想に間接的に接したのではないかと言われている。実際、アウグスティヌスの思想とデカルトの思想には共通点が多い。)
デカルトはプラトンから『理性』の重視を継承した。ここでの『理性』というのは、真理を直観できるとする、超自然的な側面を持つ理性である。人には真理を知る力が元々備わっていると考えた。真理を直観できると言っても、神話時代の認識図式のように思いついたことが何でも真理になりうるわけではない。基本的に、プラトンの『理性』がソクラテスの方法論(議論、論理)に裏打ちされていたように、デカルトの『理性』は科学的方法論に裏打ちされていた。しかし、その裏打ちは不徹底であり、時折彼らの理性は神話時代のように論理的な飛躍を見せ、独断に陥ることがある。
(脚注:デカルトの方法論:解析的方法と呼ばれる科学的発見の手法をデカルトは定式化した。その方法とは、分析(問題を細分化し単純化する)、総合(単純化された問題の結合)、枚挙(全ての事例をあげる)をその要諦とする。これらの方法を使った上で明らかだと思われる事実(明晰判明な事実)は真であると考えた。)
.内省
さて、本書の主題である『心』の問題に立ち返ろう。
デカルトは、『心』について考察し、『心』には科学的方法論を用いることはできないと気づいた。『心』は取り出して観察することができない。よって、「自分の『心』を自分自身で主観的に知る」=『内省(内観)』という方法によってしか知り得ないと考えた。そうした主観的な認識は、科学の持つ客観性に反する。主観的に知り得た『心』の姿は、本当に正しいものなのかどうか確証が得られない。しかし、デカルトはそのような疑いを持たなかった。『内省』の正しさは、『理性』によって保証されるはずだと考えた。人には「自分の心を誤らずに見通す力」=『理性』が与えられているという楽観論がここにはある。このデカルト以後、「『心』というものは基本的に『内省』によって哲学的に研究するものだ」という態度が定着する。
(脚注:こうしたデカルトの思想、「心理現象は内省によってのみ観察できる」また「そうした内省による心理把握は正しい」という考えは、近代を通して一般的な見解であったが、現代に入ってから批判を受け否定されることになる。)
.心身二元論の成立
さて、そうして『内省』という方法論を得たデカルトは、『心』の本性について考察した。『心』には質量も距離もない以上、数量化することもできない。数値化できないからには、物理学の対象とは成りえず、『機械論的世界観』を『心』に適用することはできない。そう考えたデカルトは、世界を二つに分けた。片方が『機械論的世界観』の適用できる物質からなる世界。もう一つが『機械論的世界観』の適用できない『精神』の世界である。ここでデカルトの考えた『精神』というのは、我々の考える『心』という言葉より意味が狭い。デカルトの『精神』は、「『内省』によって把握できる心理現象」=「思考や意識」のみを指している。それ以外の心理現象(感情など動物にも存在するような心理現象)は全て『精神』には含まれない。『精神』は人間だけが持つものとし、他の動物は全て物質的存在のみからなるとした。
(脚注:動物精気:デカルトは感情などの心理現象は動物精気と呼ばれる物質(血液の一種のような物)によって生理学的に説明できると考えていた。)
結論として、人は「肉体と情念」という『物質』と、それに含まれない『精神』という二つの存在から成り立っているとされた。こうした世界観を「心と体の二つから成る論理」という意味で『心身二元論』と言う。
(脚注:こうした心身の二元的把握は、プラトン→キリスト教と継承された霊肉二元の系譜を引いている。しかし、ここに来て、魂という概念はついに消滅し、精神と肉体という二元的解釈が起こり、魂の一部であった命は肉体に宿るものとして解釈されるようになる。)
.デカルト哲学の特色とその問題
こうして、心と体を分離させることにより、デカルトは、科学的な『機械論的世界観』と、プラトン的『理性』との両立を成し遂げた。または、相矛盾する二つの思想を一体化させようとしたため、心と体の分離を起こしたと見ることもできる。デカルトによって、科学の対象というのは物質の世界のみに明確に限定された。心や心がからむ諸問題(信仰、道徳、社会など)の問題は科学のらち外に置かれる事となった。そうした科学的に扱えない問題をはっきりさせた事によって、デカルトは科学の基礎を固めたと言える。人の精神を除く全ての現象(自然、生物、人体)が科学の対象となり、また科学以外ではその真理を追究できないものと見なされることになった。
(脚注:科学の範囲:しかし、後に現代に入って、そうした精神がからむような問題も、できる範囲で科学的に考察しようとする潮流が生まれ、そうした潮流を支えた人々にデカルトの唱えた心身二元論は厳しい批判を受けることになる。ずっと科学の発展した現代においてなら、そうした視点も生まれるかもしれないが、近代の始めにおいてデカルトが科学の立て役者としてあげた功績は大きいことは否定しえない。)
.心身二元論モデル
さて、この章をまとめるため、『心身二元論』から成るデカルトの認識図式を見よう。
感覚を通して外界を知るという図式はアリストテレスから継承している。デカルトはプラトンほど感覚を軽視しはしなかった。科学的方法論に観察が含まれていることから、観察の際必要となる感覚も、事実を知る手段の一つとはなっている。だが、プラトンと同じく、真理は理性からの直感的把握によって知り得るものであり、感覚からの情報は補助手段に過ぎない。理性を高める手段の一つとして、感覚を使った観察が挙げられているだけである。
このようなデカルトの認識図式には大きく分けて二つの問題点が秘められている。
第一は「心身問題」、第二が「理性の過信」である。
.二元論モデルの問題点
まずは「心身問題」を解説しよう。
『心身二元論』モデルには、「身体と心がどのようにつながっているのか」という問題を生む。我々の精神は、物質と何らつながりを持っていないわけではない。精神は外界を感覚によって知ることができる。また精神は行動を起こして外界に影響を及ぼすことができる。つまりは精神と物質は互いに影響を及ぼしあっている。
しかし、デカルトの『心身二元論』においては、「本質的に全く違った存在である物質と精神がどのように影響を及ぼしあっているのか?」という問題が出てくる。「精神と物質の分断」は、「精神と物質が協調して一体となり、身体を成している」という事実に反する。この問題はデカルトを悩ませた。結局デカルトは脳の一部でそうした精神と物質の相互作用が起きているのだ、として、それ以上考察を深めることを避けた。しかし、どこかで相互作用をしているにせよ、「全く違った存在である精神と物質がどのようなメカニズムで相互作用を成し遂げているのか」という問題が残る。デカルト以後、この問題は「心身問題」と呼ばれ、哲学上の大問題となった。
(脚注:松果体:デカルトが精神と物質の相互作用の場と考えたのは、脳にある松果体と呼ばれる部位であった。現代科学においては、松果体は本能をつかさどる部位の一つに過ぎず、デカルトの考えたような特別な機能は認められていない。)
(脚注:心身問題:後にこの問題が『心身二元論』の正当性そのものを揺さぶることになる。そもそも心と体を二分してしまうこと自体が間違っているのではないか、と考えられるようになっていく。)
.生得論
さらにデカルトのもう一つの問題点は「理性の過信」である。
デカルトはプラトンと同じ間違いを犯している言える。デカルトの認識図式においては、人は理性により真理を直観できるとされている。これをデカルトは「生まれつき人の精神の中に秘められていた真理を発見すること」であると考えた。またこれは「神が人の精神を生む際に、その中に真理となる観念を刻みつけているためだ」としていた。このような考え方を「真なる知識が人に生まれつき備わっているとする」点において「生得説」と言う。
(脚注:生得説:この考えもプラトンの思想を受け継いだ形になる。プラトンの章の脚注参照)
デカルトの生得説によると、特に『神』の観念は人に生まれつき備わっているもので、その『神』を存在を疑うなどという事は愚かしいことであった。しかし、キリスト教の権威に反発を覚える人々は、こうした「キリスト教の真理を疑いなく当然のものとするデカルトの思想」にも反発を感じるようになった。「何が正しいか、生まれつき決まっている」などという考えはおかしいと主張しだした。
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