大学卒業の頃。
卒業試験やらバイトやら初ライブに向けてやら
ちょっとバカに無理し過ぎて肺炎でぶっ倒れて
クリスマスから正月にかけて
2週間くらい入院した事があった。
念願の初ライブも多大なる迷惑をかけキャンセルさせてもらい
バイト先の皆にも迷惑をかけて
卒業試験も演奏の完成が間に合うかも怪しくなる。
でも、どうする事もできず
肺をヒューヒュー鳴らし
熱でうなされながら夢うつつの狭間
毎日悔しくてベッドで泣いていた。
熱が少し下がった数日後
ぼやけた視界の中に
見覚えのある顔が。
全部事情を知ってた愛知の親友が
この大事な時に東京で一人で入院などさぞ心細いだろうと
新幹線に飛び乗り来てくれたのだ。
その頃など携帯もネットも普及してなくて
親友は病院の名前だけを頼りに
見知らぬ東京まで訪ねて来てくれたのだった。
たまげたわ感激したのなんのって。
小1時間したら
養生中は暇だろうからと言いながら
ものすごい分厚い小説を枕元に置いて
親友は去って行った。
あっと言う間だった。
一瞬だったけど
何百キロ超えて飛んで会いに来てくれたと言う
揺るぎない事実を目の当たりにした時の
強烈に湧き出る元気ったら他にはない。
会うって事はこんなに凄い魔法なんだと思った。
そして会いに来てくれるほんの1時間前まで
自暴自棄になっていたのに
親友と過ごしたひと時で
とにかく捨て身でまた頑張ばってみようと
思えるようになったのだった。
で。
もう元気になったでええんだが、
昨日ね、
実はちょっと心ん中の溜め込んでいた悲しみのダムがついに崩壊してしまった。
もう何の為に生きてるのか分からなくなって
記憶がないくらいわんわん泣きながら人様に電話してしまったのだ。
弱い自分が悪いんだし、いつもなら一人で時間かけてどうにか這い上がるんだけど、
たまたまついさっき電話をくれた友人にパニックリダイヤル。
でも
ボロボロのこんな自分の所に
夜遅いのにその人は飛んで来てくれた。
また会う魔法だ。
自分の為にこうして来てくれたと言う事実や
興奮でぐしゃぐしゃな頭から飛び出る言葉に対して
背中トントン的な会話の時間を頂き
落ち着いて
ごはんも食べて
やがて普通の話になって
最後にたわいもない話になって
4、5時間後
お店を出る頃には
明日も生きようと思えるように
なっていた。
うーん、うまく言えないけど、
一人ぽっちの東京で家族と会ったような安堵がした。
それは
一人ぽっちではないのかもとの認識や
生きてく小さな自信ってやつでしょか?
そうねえ。
人に迷惑かけて・・・
人に助けられて・・・
恥ずかしい人生です。
まだ未熟極まりなく恥ずかしい最中だけど
いつか自分も
誰かがまた頑張って生きようと
思い直してくれるように、
飛んで行けるような側の人に
なりたいです。
ほんの一言や、たわいもない時間で、
生き返れる弱い人間がおります。
こうして元気をくれる方々
ありがとうございます。
としか言えません。
ありがとうございます。
はい。
もう100までがめつく生きます(笑)。
人生と世間様、お手柔らかによろしくお願いします。 |