雑木帖 ─ メディアウオッチ他 ─
 




 「赤報隊」と朝日(その2)  2003.07.22
 …その1からの続き

「赤報隊」の犯人に神奈川県警の警察官が容疑者として浮かんでいたが闇に葬られたという記事が、「噂の真相」誌2000年5月号に載っている。
 この警察官は「大悲会」とも接点があるらしい。
「大悲会」は、「暴対法」の成立を阻止するために国政選挙にも立候補しているが、たしか何者かに狙撃された国松警察庁長官はその「暴対法」を断行した長官でもあった(この国松警察庁長官狙撃犯人はオウム教信者の現職警察官であり、また本人もそれを自供したと報じられてもいたが…)。朝日新聞の阪神支局襲撃事件などの一連の「赤報隊」の犯行が、「大悲会」とも接点を持った神奈川県警の警察官によって行われたものであるとすれば、何か無気味な共通点を持った事件といえるだろう。

 東京地検特捜部の調べによって現職の公安警察官五人の名前が浮上したのと前後し、警察と検察の間では微妙な綱引きが行われるようになる。
 事件について、当時の警察庁長官山田英雄は87年5月7日の参院予算委員会で「警察は過去も現在も電話盗聴を行ったことはない」と強弁したが、間もなく神奈川県警本部長の中山良雄が辞職、同県警警備部長吉原丈司が総務庁に転出する。
 これに続き、警察庁警備局長の三島健二郎が辞職、同公安一課長小田垣祥一郎、さらには「サクラ」を指揮していた公安一課理事官の堀貞行までが配転させられる人事が発令されたのである。
 警察庁は当初、国会の場などを通じて「定例の人事異動を早めたもの」と抗弁していたが、後に事実上引責人事だったことを認めるに至る。こうした動きを受け、東京地検は、警察が内々とは言え事実を認めて再犯防止を約束したことを理由の一つとし、五警察官の不起訴、あるいは起訴猶予処分を決定するのである。[日本の公安警察/青木理著]”
 5月7日といえば、阪神支局の襲撃事件から僅か4日後である。その襲撃殺害事件で日本中が騒然としていた中で警察の盗聴事件の収束が行われたのである。

       ×   ×   ×

「サクラ」という符合で呼ばれた集団が結成されたのは1952年である。
「サクラ」とは、全国の公安警察において行われる限りなく非合法に近い、あるいは非合法そのものの活動を統括する組織だった。また公安警察が運営する協力者獲得作業の指示、あるいは管理を一手に引き受ける機関であった。組織の全貌は、今も厚いベールに包まれている。[日本の公安警察/青木理著]
 ここでいう「公安警察」というのは、警察庁警備局のことであり、その中の公安一課が運営にあたったが、この「サクラ」を統括するキャップは「理事官職」でありながら、警察庁の組織名簿からは名が消される秘匿性を特徴とした。それは、上の作業から考えれば当然の防護策であったともいえる。ちなみに、「協力者」というのはスパイのことである。また、公安調査庁も独自に同じようなことをやっているということは書き加えておきたい。
 この「サクラ」の実行部隊となっていたのは各都道府県警の「公安」業務を行う警備部の四係だったが、初期の「サクラ」部隊の教育には旧陸軍の諜報機関の人間があたったということである。
「サクラ」という符合名の由来は不明のようだ。1937年の20万英ポンドのアヘンの密輸(たとえば、1963年における算定では、1キロ1億円の麻薬密売市価でいうと9兆720億円という麻薬史上世界最大のもの。日中戦争は実は大規模なアヘン戦争であったという学者も存在する)で、東京毎日新聞社社長の藤田勇に密輸の使いを頼む陸軍中佐の長勇は「桜会」なる団体に属していたのだが、公安の「サクラ」とその「桜」は無関係なのだろうか。というのは、この国の支配者図というのは非常に狭いということがあるからである。また、組織の謀略的な性格も関東軍と一面共通するところがあるからである。
 たとえば、この長勇についても、この男は前に記した沖縄における細川護偵の日記にも登場する人間である。また、「南京大虐殺」でも活躍した人間である。
 また、次の1952年に公安機関が起こした「菅生事件」と呼ばれる謀略事件は紛れもなく陸軍が満州で行った「柳条湖事件」を真似たものだろう。
 事件が起きたのは講和条約発効直前の1952年6月2日、日付が変わったばかりの午前零時半ごろのことだった。場所は熊本との県境に近い大分県直入群菅生村(現・竹田市菅生)。標高約600メートルほどの高原地帯にある住戸数わずか350程度の人里離れた寒村だった。
 当時、夜の早い村民たちはすでに寝静まり、村は深い闇と静寂に覆われていた。だが突如として鳴り響いた激しい爆発音によって、一瞬にして静寂は切り裂かれる。村の中央を貫いて大分−熊本を結ぶ県道に面した駐在所が爆破された瞬間だった。
 事件は奇怪な展開を見せた。事件発生時、現場近くにはなぜか数十人もの警察官がすでに待機しており、直後に近くを通りかかった二人の共産党員をあっという間に取り押さえ、’犯人’は一瞬にして逮捕されたのである。さらに現場付近には新聞記者までが待ち受け、事件直後には早くも周辺で取材活動を展開していた。記事は翌日の新聞に大きく掲載される。駐在所巡査の妻との会見記だった。
「私は昨夜、駐在所が爆破されるのを知っていました。主人から今夜共産党が駐在所に爆弾を投げ込みに来ると聞かされました」
 なぜ、このような寒村で起きた「爆弾テロ」の発生時、大量の警察官が現場で待機していたのか。そしてなぜ、新聞記者までが居合わせたのか。謎ばかりが多い事件だった。[日本の公安警察/青木理著]
 逮捕された共産党員らは1955年大分地裁の法廷で有罪の判決を言い渡された。
 ところが、1958年にその大分地裁は原判決を破棄し、無罪の判決を下した。
 実はその後明らかにされたことによると真犯人は、その逮捕された二人の共産党員を、自分との待ち合わせという用事を作り(彼はスパイとしてもぐりこんでいた)その夜その時間に爆破現場の近くを通るように仕向けた戸高公徳という当時国家地方警察大分県本部に所属する公安警察官だったのだ。
 この真犯人はそこ後どうなっただろうか。
 謀略工作のため投入されていた公安警察官、戸高公徳はその後、どうなったのか。
 大分地裁は戸高を爆発物取締罰則違反で起訴し、その後福岡高裁も戸高の有罪を認定したが、結局は「爆発物に関する情報を警察の上司に報告したことが自首にあたる」として刑を免除される。驚くべきはこの後の戸高に対する処遇だった。警察庁は有罪判決からわずか3ヶ月後、警部補としての復職を認めたのである。
 当時の警察庁人事課長はこんなコメントを出している。
「上司の命令でやむを得ず関係した気の毒な立場を考慮した。今後も同じような犠牲者が出た場合を考えテストケースとしたい」
 復職後の戸高は警察大学校教授、警察庁装備・人事課長補佐などを歴任して警視の地位まで昇任。85年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。ノンキャリアの公安警察官としては異例の出世だった。
 事件から37年以上もの時を経た1989年10月25日。いわゆる「パチンコ疑惑」の論戦が繰り広げられた参院予算委員会で、再び「戸高公徳」の名が物議を醸す。
 取り上げたのは社会党議員の梶原敬義。梶原は、警察職員や家族を対象にした障害保険代理業を目的に設立され、職員の四分の三を警察OBが占める「たいよう共済」の常務に、問題人物が就任していることを明らかにした。戸高公徳のことだった。
 「たいよう共済」は、パチンコ業界にプリペイカードを導入しようと設立された「日本レジャーカードシステム」の資本金のうち9パーセントを出資しており、梶原は「かつて陰謀工作に関与した人物が、こんなところにも顔を出している。たいよう共済を警察の身代わりにして業界を取り仕切ろうとしている疑いが強い」などと訴えた。
 手元にある「たいよう共済」の法人登記簿をめくる。確かに「戸高公徳」の名前は刻まれていた。それによると、戸高は1987年同社の代表取締役に就任。95年5月まで役員を務めていた。
 菅生事件の’亡霊’は事件から40年以上を経ても警察組織の中枢でひっそりと息づいていた。そしてプリペイカードは、今も巨大な警察利権の一つと指摘されている。[日本の公安警察/青木理著]
「日本レジャーカードシステム」は1988年に、たいよう共済の他に、三菱商事、NTTデータ通信によって設立され、警察庁OBが役員として天下っている。
 パチンコのプリペイカードシステムは、パチンコ店が反対するのを警察庁が利権獲得のために強引に制度化させたものである。また、プリペイカードに三菱商事やNTTを引き込んだのは、「コスモワールド」の熊取谷稔のようであり、その熊取谷は赤坂の高級料亭の「満ん賀ん」を通して小沢一郎に、稲川会にと繋がっていく。この稲川会は千葉県柏市の「カーサ」で店員の女の子の頭を拳銃で撃って殺した組員が所属するところだが、その射殺事件は名古屋の住友銀行の畑中支店長射殺事件(やはり頭を撃たれている。一般市民が頭を撃たれ殺されるというのは、日本ではこれが最初ではないかと思われる)の後に起きており、住友商事がプリペイカードで「日本ゲームカード」を設立していたことなども考えると(「日本レジャーカードシステム」は「日本ゲームカード」と偽造プリペイカードの件で激しく対立していた)、偶然とはいえないようなものを感じさせる。住友商事ではその後、横浜の社宅で社員の妻の戸田正美さんが、福岡の刑務所を出たばかりの男に殺されたが、マスコミはこれを「ストーカー殺人」だとした。しかし、福岡の刑務所を出たばかりの男が面識もなかった戸田正美さんに、どうして「ストーカー」ができるというのだろうか?マスコミのこの報道には非常に胡散臭いものを感じる。
 この戸田正美さんを殺害した男は、オウム教のサティアンなどがあった山梨県の上九一色村に逃げ込んでいる。故意にかどうかは知らないが。
 実はオウム教の黒幕の一人とされている人物─「ナミレイ事件」で、親しかった石原慎太郎と警察官僚出身議員の後藤田正晴を恫喝の道具として使ったという人物─が、このプリペイカードを批判していたのだ。この人物は嘗て「政権掌握が選挙で達成できない時はクーデターも辞さない」という台詞も吐いていたが、オウム教の解体後は、マイケル・ジャクソンを担ぎあげて、日本でオモチャ屋を開業するという計画や、黒人信者をあてにした宗教組織作りを画策している。よほど黒人につてがあるようである。

 ともあれ、この「サクラ」は1987年に消滅し、今では警察庁の警備局公安一課から、同警備企画課に担当部署がかわり、実行部隊の符合名も「チヨダ」と改められている。しかし、作業の内容も、またキャップも前と同じように組織図から名前が消されるという秘匿性なども、「サクラ」をそのまま継承した集団といえそうだ。
 この「サクラ」が1987年に表向き解体されたのは、神奈川県警の警備部公安一課に所属する公安警察官による、共産党の国際部長を務めていた緒方靖夫宅の盗聴工作が発覚し、それが「サクラ」を中心とした公安警察の組織的工作だったことが明らかにされたためであった(これには、元公安警察官で、当時大手電機メーカーの労務部にいた人間も関っている)。
 この盗聴事件は、オウム教に殺害された坂本弁護士が勤める弁護士事務所がその被害者側の弁護士を務めていたなど、何かしら未だに霧がかかっているような事件である。ちなみに、坂本弁護士一家を殺害した実行犯は、これも濃い黒い霧がかかったような審理が行われているオウム教の裁判の結論とは違い、その後に宅見組組長を白昼射殺している○○会とされている。
 もう一つその盗聴事件にはどす黒い霧がかかっている。その神奈川県警による盗聴事件の裁判(被害者が国、神奈川県などに対しておこした損害賠償請求訴訟)が行われた直後に、同じ神奈川県内の大和市で、「覚醒剤による錯乱状態にあった」とされる男による警察官の射殺事件が発生したことである。この「錯乱状態にあった」男は、アメリカ映画のワンショットのように車で逃亡し(このような「カーチェイス」はアメリカではよく起こることだろうが、日本ではこれが最初である。しかし、これ以後では幾つか起きている。同じような、不審に思える射殺カーチェイス事件も九州で起きている)、他ならぬくだんの盗聴機事件の舞台となった町田市に正確に(?)辿りつき、民家にたてこもった。連合赤軍による浅間山山荘事件のことを一瞬思い起こさせるようなものでもある。
 この射殺逃亡劇には不穏な疑問が幾つかあがっている。その一つは、射殺されることになる警察官に、拳銃を持たさず犯人の所に行かせたこと、また、逃亡した町田では、山狩りの際、犯人が隠れていた場所だけ何故か捜索が行われなかった(これはテレビ朝日の報道)ということなどである。
 しかし、何より、その「無目的だったイカれた男」による神奈川県警の警察官射殺という事件が、「それに比べたら盗聴が何だ!」と言っているように思えることなのである。
 この神奈川県警の公安警察が行った盗聴事件の裁判では、その後のその裁判の直後に、今度は「偶然に」九州で暴力団による拳銃発砲事件が続発して、日本中を騒然とさせた。

 ・不祥事続発の神奈川県警が封印した「赤報隊」事件は警察犯行説を追跡! (『噂の真相』2000年5月号)



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