戦争体験を話す奥原さん(右から2人目)ら
旧満州(現中国東北部)で終戦を迎え、旧ソ連軍の捕虜になった後、1953(昭和28)年まで中国・八路軍(後の中国人民解放軍)の衛生兵として戦線を渡り歩いた木曽郡木祖村の男性が住民有志の求めに応じて初めて戦争体験を証言した。「いい機会に体験を伝えられた」と話している。
男性は同村小木曽の奥原宗一さん(85)。戦争体験者の証言を集めている有志が村内で24日夜に開いた「戦争体験を記録する会」で、10人余を前に話した。
奥原さんは終戦前年の1944年に召集されて満州に渡り、歩兵と衛生兵の訓練を受けてソ連国境近くの陸軍病院に配属された。終戦でソ連軍の捕虜となり、同じ捕虜となった傷病兵の面倒をみる日々を過ごした。「発心チフス、栄養失調、赤痢でバタバタと死んでいった」と奥原さん。
ソ連軍は翌年に引き上げたが、今度はやってきた八路軍から「感染症が落ち着くまで協力を」と求められた。「2カ月くらいとの話だったが、野戦病院に組み込まれ、軍とともに各地を渡り歩いた」という。短歌が唯一の楽しみだったが、「思想教育が激しく、気持ちの余裕を失って書けなくなった。帰国後はあいつは共産主義者だと言われ、就職がなかなかできなかった」と話した。
奥原さんは取材に対し、「八路軍とともに川を渡っていた時、上流から国民党軍の兵士の死体が次々と流れてきた。同じ国民同士が戦う内戦は本当に切ないと感じた。戦争はあってはならないこと」と力を込めた。
会には、同じく中国で終戦を迎え、47年に帰国した同村薮原の湯川勲さん(86)も出席。当時の中国での写真などを見せた。