河内孝氏は中央。大手新聞社の元経営幹部が語る本音トークは、ジョークなのか皮肉なのか。会見場にはなごやかな笑いがあった
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今年3月刊行の『新聞社-破綻したビジネスモデル』(新潮社)の著者、河内孝氏が、6月6日、日本外国特派員協会で会見を行った。幹部として経営に携わった人物が語る新聞社の言論と経営実態のギャップは、何度も出席した記者たちの苦笑を誘った。話は、閉鎖的な新聞社らの既得権組織「日本記者クラブ」(千代田区)で本の出版会見をしようとしたら断られた、というジョーク(?)から始まった。
【Digest】
◇どうして記者に経営者が務まるのか?
◇紙資源の無駄遣いの張本人・新聞社
◇国民のレベル以上の新聞はもてない
◇マネジメント不問だったのは規制産業だったから
◇聞く耳をもたない「淋しげな恐竜たち」
河内氏は、毎日新聞社で、社会部記者として出発し、外信部長、編集局次長など記者職を26年、社長室長、中部本社代表など経営側として10年を勤め、2006年6月、常務取締役で退社した人物。
要職を歴任し、経営側としての経歴も長い河内氏は、まさに新聞社の内幕を知る人物だ。河内氏の退社をめぐっては、その退社時、販売体制の改革を進めようとした河内氏の姿勢が、配下の販売店側の反発を招いたためだったとする報道が『週刊文春』でなされている。
会見は、資料をパワーポイントで示しつつ、細かな質疑以外はすべて英語で進められた。冒頭で行われたプレゼンテーションは、題して、「ロンサム・ダイナソー(淋しげな恐竜たち)」。新聞産業の危機、部数至上主義の虚妄、メディア独占体制、メディアは再生できるか?の4部構成で、著書の要点が紹介された。
◇どうして記者に経営者が務まるのか?
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『新聞社-破綻したビジネスモデル』(新潮社)
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河内氏は、今年、アメリカに遊学する機会があった際、ある質問を何度もされたという。「なぜ日本の新聞、いや、テレビも含めたニュースメディアの経営者は、マネジメントの経験もない記者出身者がなっているのだ?」
河内氏は、「日本のメディアは、政府によるとても手厚い規制によって保護されていて、経営者の最も重要な仕事は、政府・与党の政治家や高官と、親しい関係を維持することだからだ」と答えていたという。
手厚い保護の出発点として、河内氏が指摘したのが、戦時中に成立した新聞の統合。統合の結果、いまや、全種類で107種、総発行部数は7,035万部、となった日本の新聞界の現状は、世界で類を見ない寡占体制となっている。
新聞産業がこれから直面する危機には、人口減少、多メディア化による広告の減少と新聞の地位の低下などがあるが、直近の危機は、消費税の増税だという。
現在、不透明なまま放任されている新聞社の収支決算は、消費税の増税で、勝ち組と負け組の実態がさらけ出されるという。河内氏の分析では、勝ち組は、読売、朝日、日経。ちなみに河内氏は、負け組、毎日の生き残りをかけて、産経と地域紙・中日新聞との三社業務提携の構想を提唱しており、会見でもその構想を語った。
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各国の新聞発行部数のグラフ。05年、世界新聞協会調べ。グラフ上が発行部数、グラフ下が発行紙数。左から、中国、日本、アメリカ、インド、ドイツ、イギリス、ブラジル。 |
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◇紙資源の無駄遣いの張本人・新聞社 さらに、販売部数以上に過剰に印刷される新聞、いわゆる「押し紙」の問題も言及された。部数至上主義に陥りやすい「押し紙」の問題は、
黒藪哲哉氏が追及しているとおりだ。
これに関連して河内氏は、新聞産業の根幹にかかわるタブーにも言及した。新聞が大量の紙資源を無駄にしていることの暴露だ。河内氏の試算によると、2003年段階で、220万本のスギが読者のいない新聞のために消えているという。
著書では、年間の新聞用紙消費量の10%と見積もっても、年間37万トン、金額にして486億円分が闇から闇へと葬られていると計算されている。
発行する新聞社と販売店の双方にとって、部数が多く見えることは広告収入を確保するために望ましい。しかしその影で、驚くべき環境破壊が行われていることになる。河内氏は後の質疑でこう告白した。
「新聞がパッケージされたままのかたちで製紙工場に戻る状況は、ビジネスの倫理から考えても、私は受け入れることが出来ない。それを変えたいと思って、やってきた」
また河内氏は、日本では新聞とテレビが完全に系列化され、メディア間の健全な対話がないことも問題だと指摘した。「日本の新聞社は、商法によって特別扱い(日刊新聞法のこと)されているので.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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本当の部数のイメージ図。購読部数、雨などに備えた予備紙、そして過剰に印刷されて販売店に卸される押し紙(excess copies)。 |
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