7月25日(金)
嬉野です。
このところ札幌は蒸しますよ。
なんてなことを書きますと、道外の皆様に怒られそうですが、
なにしろ蒸すといってもね、札幌は気温26度なもんで。
つまり、道外出身者の私としては、
ほどよく夏を感じているわけです。
日差しの中を歩くと暑くて汗かくけれど、日陰に入れば気持ち好い風が吹くし、夜になれば涼しくなる。
「あぁ、40年くらい前の子供時代の夏って、九州だってこんな感じの暑さだったよなぁ」ってなね、ことでして。
懐かしく子供時分の夏を、北の大地で思い出しておる余裕のある今日この頃。
みなさんのところは猛暑でしょうに。
すんませんね。
でまぁ、先日のことですがね、
うちの奥さんと札幌の老舗デパートへ行きましてね、
そこのレストランで昼飯を食べました、二人でね。
嬉野さんの子供時分なんてなぁねぇ奥さんさぁ、デパートのレストランで家族が食事をするというのは晴れの日のことでね、
いや、お天気の話じゃないのよ。
ほれ、晴れ着とか言うじゃないのよ。
あの晴れ。
特別な日って感じ。
あんまりないことだったのよ外で食事することなんて。
お父さんたちにお金なかったからね。
お金が無い時は今だって家でご飯作るほうがなんぼ安いか、
ねぇ奥さん。
だからそんなめったに出かけないところへ行く時はさぁ、
特別の日だからね、子供らは「よそ行きの服」というものに着替えさせられたものでしたよ。
晴れ着に対する普段着という言い方も、
いつの間にか無いものね。
しかしまぁ、あの時代から40年も経てばね、すっかり様子もかわるのでね、老舗デパートのレストランもふつうにラフなレストランだったね。あたりまえだけど。
なんでそんなとこで夫婦してお昼ご飯を食べたかというと、そのデパートの金券を誰からか三千円分いただいたからでして。
で、夫婦で豪遊!ということでね、行きました。
その帰りのことです。
エスカレータで一階上の催事場へ行きましてね、
そしたら世界のお菓子見本市みたいなものが実にコンパクトに催されておりましたね。
家の奥さんはそこを覗きたかったらしくてね、
私も並んでエスカレータに乗りましたよ。
で、その催事場を二人で歩いていた時にね、
私のこの目に擦り寄ってくる景色があったのよ。
それを不意に見て、私の体中の細胞がホッとしてる気がしたの。
そのホッとしてるの程度が半端じゃなく、もの凄くてね、
ずいぶん長い間こんなにホッとしたことはないというか、
ずいぶん長い間このホッとした感を感じることが出来なくて、なんだか喉の奥に小骨が刺さったままのような薄いストレスを感じていたのだなぁオレは、ということまで思ってしまうほどで。
その原因はこれだったのかと意外に思うほどだったのよねぇ。
いや、でまぁ、私が何を見たかというと、
盆提灯でしてね。
お盆にほら、仏間とかにあった盆提灯。
あれ?
拍子抜けしました?
「なんだよぉ」みたいなあれですか?
「なにそれ?」みたいなかい?
盆提灯自体を知らない人が大勢居る、みたいなあれかしら。
でも私はそのフロアの隅に地味に飾られているお盆の提灯の群れを久々に見てね、もの凄く心がリラックスしていくのが分かったのですよ、その時。
嘘でなく。
久しぶりにまったく忘れていたチャンネルに繋がった気がした。
そこから自分の中で処理できなかったものが流れ出て行った。
そしてホッとした。
そんな安心感の気持ち好さ。
そうだ、そういえばこんなチャンネルがあった。
忘れてた。
なんで忘れてたんだろう。
みたいな。
見た瞬間は、分からなかった。
嬉野さんの実家はお寺だから、お盆になったらお盆の準備をしていたから、そういう郷愁、懐かしさを盆提灯を見て瞬間的に感じたんだろうなと、その時は思った。
でも、それだけではないとどうしても思えた。
60年前の戦争で、人がたくさん死んだ。
そういう記憶が、日本の社会にはずっとあって、
その戦争が終わったのが8月15日で、
それは、たまたまお盆の最後の日でもあった。
暑い夏の日だった。
お盆というのは、死んだ人が帰って来る日。
自分たちの成り立ちの元になっている、
御先祖様という昔生きていた人たちが帰って来る日。
あの世から、人ならぬ者たちが戻ってくる日。
一年に一度、この世とは違うもうひとつの世界と繋がる日。
盛夏という、一番生命が躍動する季節に、死の世界とこの世がつながるのだというドラマチックな舞台装置。
その象徴が、亡者の道しるべとして、お盆の闇を照らす盆提灯。
そんな物語へ現実の自分が通じていく、あの世への入り口。
それ、それ。
「あの世の入り口を見た」。
多分、私はそう思ったのだと思います、奥さん。
久しぶりに盆提灯を見た懐かしさなどではなく、
私は、久しぶりにあの世の入り口を見たのです。
ここに入り口があったんじゃないか!
自分は、それを実感したと思うのですよ、あの瞬間。
ここから、あの世へ分け入って行ける。
行けるじゃないか。
そう思って、私はホッとしたのではないか。
今はそう思うのです。
いや、別に奥さんね、あの世というのはさぁ、
死んだ人の世界とかいうそんなホラーめいて怖そうなところではなくてね、この世とは価値観のまったく違う、もうひとつの世界が、本当はあるのだと認識することだというね、ことを言っておるんですよ。私はさ。
ほら、奥さんが毎日覗かれる鏡ね。
あの鏡を覗くとさぁ、覗くたんびに綺麗な御婦人が鏡の中に毎回見えると思うんですけどね、その方の後ろにね、左右が反転したもうひとつの世界がありますでしょう。
あれって、見るうちにもうひとつの世界がその中に広がっているようだって子供の頃に思いませんでした?
じっと見てるうちに、なんだか水に飛び込むようにその鏡の中の世界へ分け入っていけるのではないかしらん、てなことをね、思いませんでした?子供の頃に。
奥さんさぁ。
今、「さぁ」とか言いました?
いや、ここでね、
「そーです!思いました!」というね、
力強いお返事が欲しいんですよね。
お感じになりませんでしたか?奥さん!鏡の中に!
確かなイメージの広がりを!
…。
ま、感じたことにしてください。
先に進めませんからね。
そういうことでね、ここにとどまらず、別の世界へイメージを広げていけてしまう能力が、実は人間にはあって、この世で虜になったように暮らす者でも、そうやってイメージを広げながら、人は自分の中で鬱積していくこの世で背負わされた重荷を解放する場所を得て生きていた。
わたしゃそう思うんですよ。
けど、鏡に映った世界は、たんなるこの世の照り返しですよと、誰かに教えられてしまった瞬間からね、もうひとつの世界へとぼくらを解放してくれるはずのイメージの力も嘘のように力を失い、ぼくらはまた閉ざされた世界の囚われ人のようなね、ことになる。そんな気がするのです。
「…」
いや。ぼくはね。
するのよ奥さん。
奥さんはしなくても好いの。
好いの好いの。
だから、水木しげる先生の妖怪の世界も、怪談話も、お盆という日本中を巻き込んでいた壮大なイメージの舞台装置も、迷信も、宗教も、地獄も極楽も、狐や狸の化かし合いも、たどっていくと、みんなどこかで繋がっているような、巧妙な仕組みを千年以上の時間を掛けてぼくらが豊かに生きるために、日本人がこつこつと作ってきた、ぼくらのための生命維持装置だったような気がするですよ。
なんとなくね。
思い付きですけどね。
でも、とにかく、これみんな、昔の日本の人は信じていた。
それは、事実ですからね。
みんなが代々伝えられたルールとして無視できないでいた、そういう時代がほんの数十年前まで脈々とあったというこの事実。
そのことは事実なのよ。
そうして、壮大な時間を掛けてこつこつ形作ってきたルールをみんなして把握してた。否定しにくいものとしてね。
で、これをずっぽし、全部、壊しちゃいましたね。
今やね。
だからまた、イメージを解き放つために、あの世へ繋がるルールが欲しければね、
もう一度、一から、構築していかなきゃならないんだなぁと、
思いましたよ奥さん。
あぁ、いらなきゃ好いんですけどね。
すんませんね。ぼくは、いるような気がねするからね。
ま、人それぞれ、ね。
ありますから。
ね、足並みをそろえるのも大変な時代なわけですよ(笑)。
でもルールというのは足並みが揃わないとね、これはなかなか出来にくいね。
ささ、ということでね、本日はこれにて終了!
また来週!
解散!
(15:18
嬉野
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