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レベッカ
2008/7/25 (Fri.) 19:49:50
ギアーナ大好き。
わたしは、うまくやる、というのが余程嫌いな人間なので、結構苦しいのは、綺麗に物事をやりたくないけど、目的がある場合です(笑)。このひねくれた価値観さえなければ、わたしももっと他人から理解してもらえるんではないでしょうか。極端にいうと、格好良く、素敵に、要領よく事をこなしたくはないけど、自分なりの解決に向けては一直線でいたい、という考えの持ち主です。まして、それを人に理解してもらえるわけじゃないので、尚更事態が混乱するというか何というか・・・でも、何事もうまくいかない、くらいで丁度いいと思います。個人的には。
いろんな考え方の人がいるときは、一部だけがうまく行き過ぎるというのは「不平等」だと思うので。
難しいですね、この考え方に立つと、ある程度敵のことも考えなくちゃいけないからね(笑)。
でも、そうして見たとき、本当の敵なんか結局一人もいない、それが多様性ってものなんだってふと思うときもあるんです。
はい、日記主張です。 私は、日記に綴ることと、それに対してコメントすることは、一応違う種類の行為だと思ってます。
わかんないけど、日記とかが叩かれて結構苦しいことになったりとかってネット上ってしばしばですけど、その「叩かれる理由」が「こ、こんな理由で・・・」っていうのが多い気がします。そんなに他人が気にくわないのか、君たちは。と思ってしまう。
サイト立ち上げて、日記書いて、楽しく頑張りたいって思うひとの自由なダンスや来て下さる方とのふれあいに水を差すような存在は、やっぱり私は変だと、思います。
あと、コメントで「私はあなたに興味があるのです、チャットしませんか」とか言うの、結構(いやそうとう)失礼だな、と思いました・・・以前ネチケチャットやったときにそういえば出ました、そういう体験談。突然、名前もメールアドレスも明かさない人に、公然(これが日記のコメント機能というものの中で一番注目すべきことだと思います)と誘われるのって、結構怖いものありますよ。 いきなり何だこの人、みたいな。せめてハンドルネームくらい名乗って軽く自己紹介してくれよ、と思ってしまう。
でも、そう相手に直接言うのはこれまた失礼ですしね・・・こっちがいろいろ気を遣おうにも向こうさんはどこまでもあつかましい態度というか・・・人の日記に書き込む言葉とは思えないようなことを書き込んできますし。
その数日前に「文章を気持ち悪い」はじめ、日記に関する個人的感情で文句を言われまくった人からチャットを持ちかけられるというのも状況がよく掴めません。個人的には。明らか中傷だよなと思いつつ、多分理解出来てないんだろうなと思って説明しましたが、今考えたら、そういう私もまた恩着せがましかったかな、とか思わなくもない(笑)。黙ってコメントを切った方がよかったですかね。管理って難しいです。
しかもタイミング良く、そのコメントが入ったくらいの時間に、拍手に「チャットやろうぜ、みんなでお前を叩いてやるよ(笑)」的なコメントまで入っていて、ぞっとしました。ひ、ひとのやることってこええな。連携プレー・・・?
そして「私に興味がある」のに、「無記名」でブログに不躾な言葉を入れてくる上、メールの一つもくださらないという「興味」への心意気の低さというか礼儀のなさというか・・・うん、少なくともわたしは、生理的な理由とか個人的な嗜好で相手や相手の文章を否定するのは、幼い行為だと思います。
人の存在価値を値踏みするような言葉を、人に突きつけるという非常識な行為にどうしても出る必要があると言いきれるなら、それこそ相手の命に見合うだけの「命がけ」の意志をもってやるべきだと思います。本当、わたしの眼前に立ちはだかって私を汚したい心意気の人が、気安く声をかけてこないで欲しい。そんなに安い女じゃない。
なんつーか、覚悟がないくせに無記名になると途端に口がでかくなる、というこのイラッとくるムード、どうにかならないんですか、ネットって(笑)。
無記名っていうのは、「誰でもない」、もっというと「誰でもある」ってことだと思います。 だからこそ、発言には責任を持つべきだと思ってます。まして、人のブログに書き込むなら尚更です。むかつきますよね、「通りすがり」とか「人」とか、何か、そのあえての没個性な名乗り方に身の毛がよだちます。誰だか分からないんですよ。私の親友かもしれないんですよ。無記名、というのは、やっぱり、気を遣って発言するべきだと思います。
二年間、こんな不躾なの来たこと一回もなかったですね・・・「無記名」だって、全然こんな説教臭いこと言わなくていいような普通のコメントだったし。別に、わたしに反論するなと言ってるわけじゃないんですよ。想いを言うにしても、言い方ってあるでしょ、と言いたいだけで。 なんか、こういうことも言いたくないんですけどねぇ(笑)、率直な意見というものが、私が言えば言うほど遠ざかっていく気がして。本当に、あんまり、言いたくないんですけど、一度は誰かが言った方がいいんじゃないかってくらいネット上のモラル、問題だと思いました。
中傷が「死ね」とかそういう酷い言葉だけだと思ってる、人が多い気がしますけど、一言も罵り言葉がなくたって、汚い言葉がなくたって、相手を傷つける目的で言葉を放ったらそれは中傷ですよ。悪口、だと思います。 それすら分からない人がいるなら、少なくともこの世からいじめはなくならないと思います。いじめというのは受け手の感じ方の問題だからです。わたしはいじめというものはなくなってほしいと思ってるので、悪口はよくないって呼びかけたいと思ってます。・・・私なんかが言うまでもないことだと思うんだがね・・・そんなことも、言われなくては分からないひとがいるんだろうか・・・。
あと、文脈を読まない風潮、ネットってそうとう強いなと思いました。単語にのみしか飛びつかない、というか、単語とかごく短いセンテンスだけで何もかもの価値判断をするようなところがあるというか。
文章の一部分に少しでも目につく表現があると、そればっかりに目を付けて、全体の文章の主旨を判断せず、「これひどい!」「あれひどい!」ってすぐに声をあげる。
・・・日本語は文脈が命の言語ですから、言葉の一個一個以上に、「文脈」を読みとることが重要だと思います。そして文章の作り出す「内容」、ですね。言葉一つよりは、言葉の組み合わせの方を見ないと、その言葉自体の意味も取れないと思います。 言語構造が、そういう構造なんです。さしずめ、言葉のはしっこばっかり取り上げるひとというのは、自分のつかってる言語の構造を理解できてない、って事だと思います。
一単語にいちいち気を取られて人を値踏みする前に、全体を読んで論旨を理解する努力をし、「自分」に取っての利益というものを考えた方がいいと思います。 人を罵倒したり、人をちまちまいじめたって、自分にとって得られるものが何もありません。もしも罵倒に値すると感じたら、そんなものは読まなくて良いと思います。何かを読むべきか否かは、自分で判断すべきことだと思います。 自分で自分を貶めたり、自分の格を下げることだけは、して欲しくないです。それこそあつかましいかもしれないけど、私の願いです。人にそうされるだけでも、苦しいってことは、私はそれなりに、ここ二ヶ月で身をもって知ったつもりだから、尚更自分で自分にそんなことをして欲しくありません。誰にも。
わたしがいろいろ日記で言い続けたのは、躍起になっていたというよりは、あえて言い続けようとしていたからです。 ぶっちゃけ苦しいですね・・・(笑)。何もかも投げ出したくなるときも、ありました。
だけど、自分の書きたいことを、人に馬鹿にされたり、酷いことを言われたり、変に曲げて取られたくらいで書けなくなる人にはなりたくなくってずっと書いてました。
人をいじめたって、何も得られないと思います。言うまでもないことなのかもしれないけど、やっぱりはっきり言う必要があると思いました。失礼ですが、それすら、分かっていないひとがいる気がしたからです。 その場その場の言葉のテンポに騙されて、言葉の本当の「意味」というものの理解をおこたるのは、もったいないことだと思います。
激しい激情だって、自分の醜さだって、わたしは、日記には綴ります。隠したくないし、そういうのを「表現したい」という形式を取る一種の「作品」のつもりです。
そういう「意味」を理解せずに、言葉だけを見て、とやかく言う人は、文脈おろか言葉を読みとる力がないと思います。そういうことも、「気付いたこと」なので書きました。
「さようなら」という意味の「愛してる」があるとします。でも、「愛してる」だけしか見なかったら「さようなら」という意味は浮き彫りになりません。 言葉には「意味」があって、大抵その「意味」は一つではありません。前後の言葉とか、状況とかと一緒に見てはじめて判断されるものだと思います。
文章中の一部の「言葉」だけを見て何かを問うことは基本的に出来ないと思います。
楽しい、正直な、奥の深いサイト運営が出来るようになりたいなぁと思います。「楽しい」の意味は、一つではありません。アイロニックとブラックユーモアを大事にした日記を書きたい。そういうものが好きな人もいます。ネットの一部の人の、多様性を認めずに、文章を文章として読もうともしない態度というものに、やっぱり疑問は感じます。野放しにされてるかもしれないけど、疑問を口にせずにはいられません。
あと、説教の言い逃げに正直腹が立つときあります(笑)。さも、わたしが何も分かってないみたいに言われると・・・私の文章を読んだらそんな説教は出てこないはずなんですけど、と言いたくなるような恩着せがましい言葉とか、ですね・・・いや、本当、よくもまぁこんな言葉を人に直接言えるものだなぁと思ってしまいますね。何より。相手をどう思うか、だとか相手に対する性格のことだとかって、直接叩きつけられるもんなんですかね・・・わたしには分からない感覚です。
私のことを何も知らないのに私自身に関する勘違い満載の失礼な言葉を叩きつけておきながら、相手の気持ちは聞く気がないからと一方的に言葉を押しつけてこられることほど卑劣な言葉の暴力もないなぁと思いました。憶測で物を語るって愚かなことだと思いますけど、案外人って憶測を信じるものなんだなぁ、とも思います。嫌なことですね・・・ゴシップもでたらめも、何も疑わず信じてしまうってことは。・・・もちろん、あくまで一部の人だけがそうなんだってことも知ってますが。
私の文章をちゃんと読まずに、憶測でねじ曲げられた方を信用して、それを平気で信じて、説教しに来れるというのは、あらためて憤りを覚えずにはいられないことだなと、感じます。一生懸命で悪気無さそうなのがまたこちらとしても辛いところです。ある意味尚更罪深いと思います、自覚することを投げているところが(笑)。いくら悪気無いからって、人に無礼働いていいとは思えないので、私は容赦なく言いますけど。 まるで同人だけ読んでその作品を語られるのと同じくらい、興ざめなことだと思いました。
ネットで「中傷」してくる人は、概して大人げない人が多すぎると思います。何でわたし、こんな、物心ついてすぐの子も知っているようなことを忘れて勘違いしているひとにコメントもらわなくちゃいけないんだろう、と思います。わたしに対する「反論」って、その程度しか出てこないのか、と思ってしまう。
私、普通に意見として頂ける言葉は素直に欲しいし、感想はどんなものも真摯に受け止めたいです。でも、性格悪いとか、文章キモイとか、一生懸命議論したことの議題からはき違えられてけなされたり、とか、そんなコメントもらうのは、正直もううんざりです。根拠無き批判もお断りです。掲示板に貼り付けられて当然?検索避け原則のドリームサイトを?ドリーマーとしてのルールは、どうなってしまうんだろう、と思います。 ましてや掲示板を見に行けと来た日には・・・「あなたやあなたのサイトより、あなたを殴り殺そうとするひとたちの方がまともです」、だから集団リンチの現場に赴いて反省しろ、と言われたような気分でしたね(笑)。いや、でも少なくないですよ、この手の言葉。
本当に、言葉のきれっはしだけで「良い悪い」を判断することしか、言葉の「価値」というものを考えることが出来ないんだな、と思ってこれまたあきれ果てました。やっぱり、惑わされやすい場所ではあるんだと思います。
そんな個人的趣味に偏った低俗な指摘と批判を一緒にしないでいただきたい。辞書をどう曲解解釈するのか知りませんが、批判というのは生活の中で繰り返されてこそその心を理解されるべきものだと思います。
楽しくて、気持ちよい日記っていうのを目指したいと思います。ええ。今日から。目指したいと思います。
誰しもが、そんなふうに、楽しんでネット生活送れるといいですね、足の引っ張り合いじゃなくて、自分の向上のために。
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