独島:「西暦512年から韓国が支配」(中)
古地図・古文献は語る
◆「日本領ではないため免許が必要」
日本は、1618年に米子の住民が鳥取藩主から鬱陵島への渡海免許を受けて以降、日本人が独島を停泊地とした17世紀半ばまでに「独島の領有権」を確立したという「固有領土論」を展開している。しかし、「渡海免許」とは外国に行って漁をする際に発給されるもので、むしろ、鬱陵島・独島を日本の領土とは認識していなかったことの証拠となる。1667年に編纂された『隠州視聴合記』は、日本側で独島を記録した最初の文献だが、この文書には鬱陵島・独島は高麗(朝鮮)の領土であり、日本の北西の境界は隠岐島までとする、と明記されている。
1696年(粛宗22年)、鬱陵島・独島付近に漁に出掛けた安竜福(アン・ヨンボク)は日本の漁船を発見、これを追い払い、さらに追跡して日本の伯耆地方の大名や対馬島主と談判、鬱陵島・独島が朝鮮の領土であるとの確認を得た。続く1699年には、日本の幕府の最高責任者である関白が対馬島主を通じ、このことを再確認する外交文書を送ってきた。こうした状況は19世紀末まで変わらなかった。1870年の日本側の報告書『朝鮮国交際始末内探書』には、「松島(独島)は竹島(鬱陵島)の属島」と書かれている。その当時の日本では、「竹島」とは独島ではなく鬱陵島を呼ぶ名称だった。
◆1900年、大韓帝国の皇帝が「独島=鬱陵郡所属」を宣言
開港後の1882年、朝鮮の政府は、鬱陵島に対するそれまでの空島政策(遠方の島に人が住んではならないとする政策)を廃止、開拓令を発布し、江原・慶尚・忠清道などから募集した人々を移住させた。鬱陵島の本格的な開拓以降、独島は鬱陵島の漁民らによって夏の間漁業基地として利用された。
この時「独島」という名前が付けられ、1904年に書かれた日本の軍艦の日誌や1906年の沈興沢(シン・フンテク)鬱陵郡守の報告書にこの名が登場している。鬱陵島の再開拓の後、それまでの「于山島」を「岩の島」を意味する「石島」と呼ぶようになったが、これを朝鮮語読みで「ドルソム」あるいは「ドクソム」とも呼び、ここから転じて「独島(ドクト)」になったというわけだ。特に鬱陵島移住民の多数を占めた湖南(全羅道)地方・南海岸の漁民らの方言では、石を意味する朝鮮語「ドル」が「ドク」となまる。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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