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独島:「西暦512年から韓国が支配」(下)

古地図・古文献は語る

 大韓帝国は1900年10月25日、「勅令第41号」を通じ「鬱陵郡の管轄区域は鬱陵全島と竹島(鬱陵島の東方約2キロにある島)・石島(独島)」と明示し、中央官報に収録した。日本側は、ここで出てきた「石島」は独島ではなく鬱陵島の北東にある観音島だと主張しているが、観音島は鬱陵島から100メートルも離れていない。事実上付属している島に対しわざわざ「管轄区域」を定めるというのは、理に適っていない。

◆日本、「独島は我が領土」と密かに主張

 日本は日露戦争の最中の1905年1月28日、閣議で独島は無主地であるとの前提に立ち、独島を日本の領土に編入することを決定した。これは「以前から独島は日本固有の領土だった」という主張とはかみ合わない上、その後も独島編入を中央官報に掲載しなかった。1905年の島根県県報に人知れず公示され、関係国である大韓帝国への通報措置を取らなかったというのも疑わしい部分だ。

 この「独島編入」自体が極めて不確実なために、日本政府は、韓国併合後も継続して「独島は朝鮮の領土」という認識を抱いていた。慶尚大のホ・ジョンファ名誉教授は最近、1939年に日本の東京学習社が出版した『小学国史絵図』を入手したが、この教科書は日露戦争を説明する地図で鬱陵島と独島を朝鮮と同じ色で表示しており、独島のことを「リャンクール島(竹島)」と表記している。同書は1928年の初版で、少なくとも11年の間、日本政府は児童・生徒らにこう教えていたことになる。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

【ニュース特集】独島問題

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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