記事について、読者の方から反応が寄せられることはありがたいものです。先日、投稿欄で私の記事が「史実を掘り起こした貴重な情報」と評価され、まさに「記者冥(みょう)利(り)に尽きる」思いをさせていただきました。
記事は、六月二十一日付本紙朝刊の「流域紀行『軍馬の足跡』」。明治時代、蒜山地区で軍の放牧馬が逃げないように五十六キロにおよぶ土塁が築かれ、今でも三(み)平(ひら)山(やま)の登山路などで名残が見られるとの内容です。
旭川の源流付近を題材にしようと、蒜山地区に詳しいOB記者から教わった一つに土塁がありました。十年近く前、三平山で土塁の紹介板を前に「ミニ万里の長城だな」と驚いた記憶とも重なり、取材に入りました。
しかし、史料は少なく、地元教委に聞いても手応えはいまひとつ。あれほどの遺産がなぜ知られていないのか、不思議でした。
答えは情報収集に協力してくれた方が漏らした一言でした。「土塁は蒜山では負の遺産なんよ」
その意味は、古老の口々から明らかになっていきました。軍馬育成場の整備に伴い、多くの家が立ち退きを強いられ、軍刀で脅された人もいたと聞きました。豊かな草地が奪われ、畜産や農業に多大な影響を及ぼした歴史が隠れていたのです。
かつて、土塁を文化財に指定しようという動きがありましたが、前述の理由や戦争絡みということでつぶれていました。
今、避暑地としてにぎわう蒜山高原。年月の経過とともに風化していくそんな過去も知ってもらいたかったのです。
(編集委員・上原誠一)