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2008.07.23

みんなの意見で社会が滅ぶ

うちの地域でも、中学生以下の小児医療が無料になる。来年あたりから本決まりになるみたいで、 まだかろうじて生き残っている、小児救急やってる先生がたは、今からもう「終わった」とか言ってる。

夜間の小児科外来は、来る子供のうち9割以上は「軽症」。たいていの子供さんは、 日中の小児科外来が開くまで待っても、大きな問題は生じない。

今はそれでも、「時間外」であることが、わずかながら抑止力にはなっているけれど、 これが「無料」になってしまうと、もう歯止めがかからない。

黒幕はいない

たぶん、議員も役所もそんなに馬鹿じゃないから、無料になったら患者が殺到して、 現場が疲弊して、病院が潰れることぐらい、容易に想像できるはず。

「無料化」を推し進める人は、たぶんそうなることを分かっているんだろうけれど、 多数決の原則は、その流れを止められない。

選挙は公約の争い。

誰かが「小児科医療無料化」を打ち出したら、無料に反対する理由はないから、 その候補者には票が集まる。集まる票を黙ってみてたら落選するから、対抗する側も、 同じく「無料」だとか、補助を出すとか、対抗せざるを得ない。恐らくは誰もが、 無料化すると大変なことになるのは分かっているけれど、「無料化」叫ばないと そもそも議員になれないから、そう叫ぶ。

「無料」を公約した議員が当選する。公約に従って、無料化を進める。 うちの地域なんかは、与党側も、野党側も、両方の陣営が「無料」を公約してたから、 流れとして無料化は確定して、現場が震え上がってる。

そこから先は分からない。ワーストケース想定するなら、たぶんうちの地域の基幹病院は 小児救急回せなくなって、地域にここしかない新生児集中治療室は稼働できなくなる。 県内に、また「子供を産めない街」ができて、夜間子供が病院にかかろうと思ったら、 県庁所在地あたりまで行かないと難しくなる。

現場が吹き飛んで、はじめてその時、犯人捜しが始まる。

現場から「逃げた」小児科医。 現場守りきれなかった基幹病院の病院長。「無料化」推し進めた議員だとか役所の人。 「医師としての良心が足りない」だとか、「こうなることをどうして予見できなかったのか?」とか また叩かれるんだろうけれど、やっぱりそこには、「黒幕」に相当する人はいないのだと思う。

こんな流れの真犯人は、そんなに困ってない大多数が「ちょっとお得」なやりかたを志向する空気であって、 あとから犯人扱いされる人達は、たしかに破綻の特異点に立ってはいたけれど、 誰にもたぶん、そんな流れを止めるだけの力はなかった。

「成果の最大化」と「嫉妬の最小化」

小児科医療の問題には、たぶん「正解」がある。

小児科の受診料を、夜だけ値上げするとか、 医療費を全体的に値上げした上で、還付金だとか補助金みたいな制度を拡大して、 その時本当に医療が必要だった人には、あとから医療費を戻すようにすればいいはず。 小児科医は眠れる時間が増えるだろうし、本当に医療が必要な子供さんは、結果として 医療費負担は減らせるはず。

ところがそんなやりかたは、夜間の救急外来に来る人達の97%、 医療者からみて「明日の朝でも大丈夫」なんて断じられた人にとっては、「痛み」として感覚される。 97% の人が「痛い」と感じるやりかたは、それがたとえ全体最適を約束するものであっても、 社会制度が多数決で回っていくかぎり、そんなやりかたは選択されない。

上手な独裁者が支配する独裁国家と、良くできた民主主義社会とは、 しばしば似たような振る舞いかたをする。時にはむしろ、独裁主義国家のほうが、 もっと正しいことをやってみたりする。

独裁者は、成果を最大にするやりかたを選択する。独裁者というのは、「みんな」とは切り離された個人だから、 独裁者個人の最適と、全体最適とが、しばしば一致する。「いい独裁者」には、 全体最適な政策と、個人の思惑とに葛藤が生じない。独裁国家は、だから案外うまく行く。

選挙で選ばれる政治家は、社会にある「嫉妬」の量を最小化するように振る舞う。 多数の人に恨みを買った政治家は、次の選挙で落選してしまうから、「成果最大」と「嫉妬最小」とが ぶつかりあう状況になると、議会制度の下では、「成果最大」はしばしば選択されなくて、 政治家は何だか、馬鹿の集まりのように見られてしまう。

政治を回す人達と、現場回す医療者と、恐らくは両方とも、成果を最大にできる「本当の正解」を 知っているのに、多数決で回っているほとんどの地域では、嫉妬を最小にする、 無料化という「間違った」やりかたが押しつけられて、現場が吹き飛ぶ。

「衆愚」と言ってため息つくのは、それでも何か違うと思う。衆愚という言葉は、状況を形容する 言葉ではあっても、それを受け入れたところで、問題は解決しないから。

空気の暴走というか、単純に「衆愚」と言っていいのかもしれないけれど、 多数決、みんなの意見を集積しながら回していく限界みたいなものは、今あちこちに出ている気がする。

水道だとか、自治体管理のインフラを「ファンド」として公開するやりかただとか、 大失敗したけれど病院を民営化して出資をつのるやりかただとか、多数決ルールで回ってる社会に、 部分的な「独裁」を受け入れるやりかたは、一つの正解として、これから増えてくるのだとは思う。

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Comment & Trackback

その通りです。

私は多数決による民主主義政治は間違っていると思います。
少なくとも今の日本には合っていません。
では何が正解か? 

クジ引きでしょうかね。
それとも独裁かもしれません。

市場にまかせれば済む話です。

希少資源の分配を特定の個人や組織に任せると、硬直化して変化に対応できなくなるとハイエクなどが指摘しています。

市場に任せると、急性期医療は崩壊すると思います。

なぜって、急性期医療を必要とする人口は、そうでない人口よりも圧倒的に少ないから。

ほるほるさんのような考えの方は、急性期医療にかかれなくてもいいのでしょうかね?(もっとも、お金持ちでいらして、病院が潰れたときには、活気のある病院の近くに速やかに引っ越せるのであれば、そして差額ベッド代一泊数万円を支払えるのなら、そんな心配は不要でしょうが。)

市場に任せる=ゼロサムゲームなわけで、インフラを市場に管理させるのは「安心して住める場所」をなくしてしまう第一歩だと思います。やっぱ、最低限の生活は保障されているほうが、私は気楽でいいです。

清潔な水や、電気、ガス、そして病院。ないと困りますよ。きれいな道路はこれ以上はいらないでしょ。いまの車は性能がいいから、ちょっと雑な道路でも大丈夫なんじゃない?

まあ、それもこれも、選挙で投票して示せばいいことですが。みんなが病院いらないというのであれば、それはそれで仕方ありませんね。

でも、いま医者を逃散させると、団塊の世代は、野垂れ死にで、かわいそうですよね、、、。僕は団塊ジュニア。そこまでに医療復活していてほしい。その頃には食糧難になっていたりして(苦笑)

「終わった」という小児科医のため息を聞いた人、小児科医の上司である院長、小児科開業医の声を聞いた地域の医師会長あたりが「小児医療を無料化されてはこの地域の小児医療が崩壊する、時代に逆行してる」と、議会(議員でも結構)に向かって声をあげるべきでしょう。

すいません。
理想論だってわかって言ってます。

でも、くだらない政治家の公約のために地域の共有財産が黙って食いつぶされるのを見過ごしにするのもどうかと。

そもそも衆愚を抑えるために優秀な人間が代表して政治を行うのが選挙の合理性ではなかろうか?

それが選挙が単なる人気取りに変わった時点で衆愚政治へと向うことは目に見えている。

民衆の要求と様々な現場の事情とをうまく折衝し、最大公約数を導き出すことが政治家の役目ではないだろうか?

最近、官製不況という言葉をよく耳にしますが問題の本質を捉えず声の大きい部分をバランスを考えずこて先だけで変えようとするから、反って周りに大きな負荷をかけてしまうような事例が目立つような気がします。

必要な情報が市民まで届かない

みんなの意見で社会が滅ぶ - レジデント初期研修用資料 不十分な情報しかなければ間違った結論に至るのは当たり前な話。   民主主義の健全性を維持するには、選挙民に必要な情報が…

政治家には「成果の最大化」をわかりやすく国民に説明して票にに繋げる能力が、
投票者には目の前の「ちょっとお得」な餌に食いつかず、ビジョンを持った政治家を選ぶ目が、
それぞれ求められているという理解。

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