富山県魚津町(現魚津市)の米倉庫に米の県外への搬出を阻止しようと、漁師の妻たちが押しかけたのは、九十年前のきょうのことだ。米価の高騰で苦しんだ上での行動だ。
当時の寺内正毅内閣を総辞職に追い込んだ米騒動の発端だった。無名の女性たちが歴史を動かした事件として、地元では九十周年を記念するイベントも行われた。
岡山県内でも数日間で全域に広がった。八月十三日には、岡山市の精米所や米穀商が焼き打ちに遭い、鎮圧のため軍隊が出動する騒ぎとなった。本紙の前身の山陽新報は、政府によって記事掲載が禁止された。
当時、消防団員として出動した人に思い出を聞いたことがある。「警官でも止められなかった。道路にまき散らされた米で雪が降ったようだった」という言葉が印象に残っている。
なぜこんな暴動に発展したのか。買い占めや売り惜しみで米価の高騰を招いた業者に対する激しい怒りだろう。根底には毎日の食事も満足にできない民衆の極度の貧しさもあったことを忘れてはなるまい。
九十年後、食料価格が高騰し、アジアやアフリカ、中南米などで暴動が起きている。投機マネーや農作物をバイオ燃料に使うなど原因は複雑になったが、国際社会が対応を誤れば、現代版「米騒動」は地球規模に広がろう。