あたし・・・実は・・・ナースなんだ。
ずっと、黙ってて、ごめん。・・・隠してて、ごめん。
でも、どうしても言えなかったの。
あたしがナースだって知ったら、きっとみんな離れていっちゃうって思って。こわくて。
わかってる。わかってるよ。
ナースは国家試験を通った人だけがなることができる、人の命に関わる重要な任務だって。
でもね・・。
でもね、全然ちがうんだよ。
あたし、みんなが思ってるようなキレイなものじゃないんだよ。
あたしは汚れている。
あたしの手は、汚れているんだよ。
ナースになったとき、すごく嬉しかった。天使になったような気でいたの。
あたし馬鹿だから、人の命を救うんだ!なんて、本気で思ってた。
でもね、全然違ったんだよ。
国から言い渡されたナースの任務は全く別のものだった。
人の命を、まるでナイチンゲールのように平等に助けるようなものじゃなかった。
あたしたちナースに課せられた任務、・・・・それは、ふるいわけ だった。
生きるべき命と、それ以外の命のふるいわけ。
そして、それを見守ること。
ねぇ知ってた?
この世界には、あるんだよ。こんな日本のど真ん中にね、平然と、あるの。
どうなっても大丈夫な命っていうのが。
ナースはね、それを見守るの。
そこにあるだけで、まるで医療が行われているかのような錯覚を起こさせる。
あたしの仕事は、そうやって、平等に医療が行われているかのように見せる暗幕みたいなものだったの。
人なんて、全然、救えなかったよ。
救う義務も権利も、この任務にはなかったの。
例え、その人がどうすれば助かるか、明確に解っていたとしても、
あたしたちは医師の命令が無いかぎり、何一つの医療行為もできない。
あたしたちには薬も酸素も与えることはできないの。
ただ、ただ、走って先生を呼びに行くだけ。そして伝えるだけ。
夜なんかになれば、一つの病院に一人か二人とかしかいないの。
「先生、吐いている人がいます!」
「先生、胸が苦しい人がいます!」
「先生、脈が弱い人がいます!」
「先生、腹痛でもがいてる人がいます!」
懸命にナースたちが叫んでた。
でも医師は一人。
私も声を荒げて「苦しい人がいます!」って叫んだの。
でも、ここでもふるいわけが始まる。
経済状況、年齢、地位。そんなものが病状と一緒くた になって命令が言い渡される。
「とりあえず酸素を」
その日、10秒ごとにナースコールが鳴った。
「苦しい、苦しい、まだ苦しい」
「もう少しだけ待ってください、今先生、来ますから・・」
何度も先生のもとに走ったけど・・・。
あたしは先生に背中側から叫んだ。
「酸素をしても、まだ苦しいみたいなんです!」
「酸素を上げてみて!」
その患者だけじゃない。
「トイレに連れて行ってください」
「シーツが汚れたから替えてください」
「薬を飲ませてください」
「テレビがつかないんのですが」
「眠れません」
廊下を走る。
忙しさに言葉が荒くなる。
認知症の患者さんがエレベーターに乗って外に出て行こうとする。
遠くの病室で、人工呼吸器の異常アラームが聞こえる。
必死にあたしもふるい分けた。
今、一番いのちの危険がある人から、一番苦痛を感じている人から、手を差し伸べなきゃ。
「いつになったら来るんだ!」と言われても。
「遅い」と言われても。
私は頭を下げたり、ちょっと言い争ったりもしながら、
「苦しい、苦しい、苦しい」と言う人のとこに走ったよ。
唇から色が消えていた。冷や汗をかいていた。
あたしは心臓だ!と思った。
あたしは医師の指示を待たずに心電図の検査をした。狭心症の波形だった。
急いで先生に連絡した。
「狭心症の波形です。ニトロ内服させていいですか?!」
「いや、波形を見ないとわからない、ただこっちの処置があるから、10分後に行く」
患者は胸を掻きむしるようにしていた。
「待てません!飲ませます!」
あたしは医師の指示無くニトロを内服させた。患者の苦しさはスッと納まった。
それは駄目なことだったけど、一人の患者を救ったことに、あたしは浮かれてたの。
貧相な正義感をぶら下げて、意気揚々とナースステーションに戻ってきたの。
ナースステーションの・・・・
ナースステーションのモニターの一台の波形が、フラットになってた。
あたしは急いで病室に飛んだよ。
でも、亡くなってた。
喋れない患者さんだった。
ナースコールも押せない人だった。
あたしは、その日、目の前の苦しい人に夢中で、モニターなんか見てなかった。
それでもね、・・・あたし、まだ、ナースなんだよ・・。
先生は患者の家族に「いつ何があってもおかしくないご年齢でしたから・・」と告げた。
患者の家族は「ありがとうございました」と涙を浮かべて頭を下げた。
そして、あたしにも「看護婦さん、ありがとね」と言ったの。
大好きな、患者さんだった。
この人が歩ける頃から知っていて、喋れる頃から知っていて。
「自分は寂しがり屋だから、最期は家族に手を握ってもらいながら逝きたい」と言っていた。
あたしが新人の頃から知っていて、注射が下手だったのも知っていて、
「おまえは俺が育てたようなもんだ」が口癖だった。
「まぁ、・・・歳だったし、家にも帰れないって言ってたからなー」
と先生があたしの背中ごしに言った。
あたしはモニターの記録を見てたの。
その記録には、波形が狭心症から心筋梗塞となり心停止するさまがしっかりと記録されていた。
歳だから死んだんじゃない、そこには心筋梗塞で死んでく命があった。
でも、そんなこと全部まるめこんで、死んじゃって仕方ないっていう命が、そこにはあったんだ。
似たようなことはざらにあった。
何人もの人が、私の手のひらから零れていったよ。
でも、あたし・・・ナースなんだ。
誰も、辞めろって言わないの。
ナース同士は実情がわかってるから、言わない。
国はきっと、全部知ってて、それ込みで「それが仕事だ」と言うかもしれないけど。
いや、言わないか。国は、何も言わない。きっと。
救えたかもしれない命を、ナースは一番わかってる。見えてしまう。
医師の指示が適してないのも、判断が遅いのも、治療がのってないのも、全部わかってる。
それでも「あの時!」と、自分の行動と判断を何度も振りかえる。
その向こうにはいつも「あのとき、こうしておけば」が、くっきりと見える。
でも、救えなかった責任も、見過ごした責任もナースには問われない。
ナースって・・ほんと、なんなんだろうね・・・。
くすり一粒すら出せないのに、
検査一つ指示できないのに、
命に関わることなんて、一つも独立してできないのに、
どんなに辛くてもナースしか呼べないなんて。
そしてあたしたちは色んなものを抱えて、あなたの前に立つ。
先生が来ること、来れないこと、
できる治療があること、ないこと、
色んなことを知りながら、なにも変える力もないままに、
さも救いの天使が舞い降りたかのような顔で。
医療が崩壊していく。
全然止められない速度で。
その砂上の城で、あたしは見てるんだ。
沈んでいく人の命を。