日本海軍
川西 局地戦闘機「紫電改」(紫電21型/N1K2-J)
就 役 昭和19年12月
エ ンジン 「誉」21型
離昇出力 2,000馬力
最大速度 594km(5,600m)
上昇限度 10,760m
全備重量 4,200kg
武 装 20mm機関砲 4門
昭和18年3月、川西航空機は、試作が完成したばかりだが不具合が多い「紫電」を低翼化し、各種不具合を抜本的に改修した本格的な
陸上戦闘機の開発案を海軍部に提示して承認された。昭和18年12月、川西設計陣の血の滲む努力により、設計着手から僅か10ヶ月
で試作機が完成し、「試整紫電改」と命名された。その後、増加試作や実用テストが繰り返され、昭和20年1月、日本海軍最後の新鋭戦
闘機「紫電改」は局地戦闘機「紫電」21型の名称で正式に誕生した。
実戦においては源田司令の下、各方面からベテラン搭乗員を集めて編成された343空の活躍が敗色濃厚な時期に異彩を放った。
昭和20年3月19日、呉地区を急襲しようとする120機にも及ぶグラマンの大編隊に全機新鋭戦闘機「紫電改」で編成された343空の
全稼働機54機が迎撃に出動し、優位な態勢から敵機を捕捉、約2時間の空中戦で敵機52機撃墜の大戦果を挙げた。
また、空の「宮本武蔵」と言われた「武藤金義」少尉は昭和20年2月17日、関東地区を襲ったグラマン12機の編隊に厚木基地上空で
「紫電改」只1機で空戦を挑み、その内4機を優位な態勢からそれぞれ1撃で撃墜し、他の8機を追い散らした。
第343海軍航空隊 戦闘301飛行隊 管野直大尉搭乗機 昭和20年3月 松山基地

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