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2008年7月18日(金)、Y課長Pプレスを退社しました。


この日の午前中、Y課長が会社の向かいにあるコンビニから「自分の私物」を自宅に「個人名」で送りました。


Y課長が会社から段ボールを運び出すのを見た社内の誰かが、(Pプレス社長)にそれを告げました。


は、Y課長が「会社の重要書類」を勝手に盗み出したのではないかと疑い、編集部の女性社員に対し、荷物を引き上げるよう命じました。


コンビニに行った女性社員は、先ほどY課長が出した荷物の中に「大事な物を入れ忘れたので、荷物をいったん持ち帰りたい」と申し出ました。


応対したコンビニの店長は、「個人名で出された物であるし、送り状もないので」と言って断りましたが、女性社員があまりにもしつこかったので、お昼時で店が混み始めたこともあり、面倒になったため、荷物を彼女に渡してしまいました。


コンビニ側の対応にも大変な落ち度があります。


しかし、これで、もし何も出てこなかったら、はどのように責任を取るつもりなのでしょうか。


夜になり、Y課長に対して一通の携帯メールを送ってきました。


以下は、その全文です(固有名詞は一部ふせてあります)。




Y○○○様


 本日、貴殿がコンビニエンスストアにて配送依頼をした荷物について、(株)P○○・プレスの業務に係る書類の有無を確認するため、配送を差し止めさせていただきました。


 内容物の確認につきましては、貴殿の立会いの下で実施したいと思いますので、平成20年7月22日10時~17時に当社にご連絡いただきますようお願い申し上げます。


 なお、上記日時にご連絡をいただけなかった場合には、当社社員のみで開封いたしますので予めご了承ください。


 なお、貴殿がお支払いになった送料につきましては、当社でお預かりしております。


 内容物の確認後、問題がないようでしたらお返ししたいと思っております。


 同様の文章を、配達記録郵便にて郵送していることを、念のため申し添えます。


平成20年7月18日


株式会社P○○・プレス


代表取締役社長 T○○○


TEL03-××××-××××




※コメントの返事は必ず差し上げますので、もう少々お待ち下さい。


※勝手ながら、コメントは承認制とさせていただきました。

悪しからず、ご了承下さい。


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2008年07月20日(日)

社長の横暴③

テーマ:仕事

2008年6月20日(金)の夜、帰宅途中の僕に電話がかかってきました。


もしもし、T(Pプレス社長)ですが、ちょっと、お時間いいですか?


ここは新宿駅の雑踏の中です。


今、外にいるんですけど、少しならいいですよ。


が早速、話し始めました。


今日の件なんですけど、政権交代さんはY課長のこと、どう思いますか?


下手に僕の意見をぶつけるより、黙ってが何をしようとしているのかを聞いた方が良いなと思いました。


私だってY課長には頑張って欲しいとは思っているんですよ。でも、前から感じていたんですけど、このごろY課長の暴走がヒドイんです。だって私の言うことを全然、聞いてくれないし…。


しおらしそうに話していますが、要するに、「私は正しい。悪いのはY課長だ」ということです。


このままだと、もはやY課長は



【降格】


させるしかなくなっちゃいますよ。


(おいおい、「降格」って…。)


以前にも書きましたが、Y課長は取次(本の問屋)に「営業責任者」として名前を届けられています。


もしもY課長が、例えば「係長」に「降格」されたりしたら、取引先はどう思うでしょうか。


Yさんが、何かしでかしたのだろう」と考えるでしょう。


そんなことになったら、これまでPプレス独立に向けて必死で頑張ってきたY課長の立場がありません。


会社にとっても大きな「マイナス」です。


この人は、社長でありながら、そんなこともわからないのでしょうか。


僕は、これ以上、話したくなかったので、「すみません。ちょっと周りがうるさくて落ち着いて話ができないんで、続きは来週にしましょう」と言って、電話を切りました。


僕は直ちにY課長に電話をして、たった今、が話していたことを伝えました。


ふ~ん…。そんな風に言ってたんだ…。


Y課長は言葉少なでしたが、いろいろ考えをめぐらしているように思われました。


週が明けて、23日(月)の朝、Nさん(経理)は『退職願』をに提出しました。


それを受け取ったは、表情ひとつ変えず、「なるほど、そう来ましたか。やっぱりね」と言いました。


(無理矢理、辞めさせる方へと仕向けたくせに、何を言ってやがる。)


普通は、取締役の紹介で入社した、一人しかいない「経理」が、「辞めたい」という意思を示してきたら、まずは「慰留」するものではないでしょうか。


最初から辞めさせるつもりだったのは明白です。


しかも、その理由が、「彼女は私の前で、いつもつまらなそうな顔をする」といった、極めて幼稚で、感情的なものなのです。


仕事のミスうんぬん」は、後からくっ付けられた「屁理屈」に過ぎません。


が気に入らない社員を滅茶苦茶な理由で辞めさせたのは、実は今回が初めてではないのです。


今年の4月に、


【即日解雇】


された編集部員(女性)がいます。


僕もY課長も、入社前だったので、直接その人と話したことはありません。


けれども、Pプレスには頻繁に出入りしていたので、彼女の顔はよく知っていました。


ある時、打ち合わせでPプレスに行くと、お茶を出しにきたその編集部員を突然、が叱り付けました。


呆気にとられた僕とY課長を見て、は言いました。


今の言い方をキツイと感じたかも知れませんが、口で言ってもわからない人にはこうするしかないんですよ。


それからは、ヒドイ調子で彼女のことを罵り始めました。


いわく、「彼女は社会人失格である」、「アルバイト以下だ」、「だから、試用期間のやり直しを命じました」等々。


狭い社内に、当の本人がいるのにも関わらず。


さらに、ご丁寧にも『組織図』を取り出して説明を始めました。


その図には、いちばん上にの名前があり、そこから入社した順に編集部員の名前が書かれています。


そして、紙を横切るように点線が引かれていて、その下に件の編集部員の名前。


彼女の名前の横には、「バイト以下」と記されていました。


この点線の意味は何かと言うと、社会人合格ラインということです。


が得意げに説明を続ける横で、僕とY課長は眉をひそめて顔を見合わせました。


(これは、何とか言わないと。)


あの、お話中すみませんが、本人が向こうにいるんですよ」僕が切り出しました。


続けてY課長が「僕だったら、自分がいるところで社長がこんなに自分の悪口を言ってたら耐えられません!


は、ちょっと驚いた表情をしましたが、「わかりました。本人がいる所で話さなければいいんですね」と言って、この話は終わりました。


しかし結局、彼女は「即日解雇」されてしまったのです。


その編集部員が辞めさせられた後、僕とY課長は、から一枚の紙切れを見せられました。


表題は『顛末書』となっており、10~20行に渡って、「月○日、私はお客様に出したお茶を片付けませんでした」、「試用期間中に読めと言われていた××という本を読んでいませんでした」、「郵便物を取りに行きませんでした」といったようなことがワープロで打たれています。


最後に、「上記のように私は貴社に対して多大なご迷惑をお掛け致しました事を心よりお詫び申し上げます」の一文と、本人による署名、捺印がありました。


(何だ、これは?)


これを読んで、お二人はどう思われますか?が言いました。


私だって、即日解雇なんて、したくありませんよ。だけど、これだけのことをしておきながら、本人には何の反省も自覚もないんです。いくら口で言ってもわからない。だから、仕方なかったんですよ!


我々は「絶句」しました。


即日解雇」というのは、世間の常識では、例えば「会社のカネを使い込んだ」とか「長期に渡って無断欠勤をした」という時に行なわれるものではないのでしょうか。


出したお茶を片付けなかった」って…。


おまけに、「私だって、やりたくてやった訳じゃない」、「仕方なかった」とは…。


もっとスゴイのは、その次のセリフです。


でも、大丈夫です。ちゃんと解雇予告手当を30日分支払っていますから。それに、彼女は自分の落ち度をこうして認めていますから。


つまり、『顛末書』に署名・捺印があるから、仮に訴えられても安心だと…。


(なんてタチの悪い!)


そうは思ったものの、その時点では、我々は「部外者」だったので、どうしようもなかったのです。


(Tのやり方はヒドイけれども、その編集部員にも、何か悪い点があったのかも知れないしなあ…。)


今にして思うと、あの時、あんな風に考えてしまったのが間違いだったのかも知れません。


もっと早い段階で、のやり方に対して猛烈に抗議をしていれば、こんな会社に入ることはなかったかも。


あるいは、ここまでこじれることはなかったかも知れません。


今さら後悔しても仕方のないことですが。


とにかく、その編集部員のことについては、我々もよく知らなかったので何も言えませんでしたが、Nさに対する一連の仕打ちによって、「Tが自分の気まぐれで社員をポンポン辞めさせている」という実態が明らかになったのです。


今度こそは、きちんと闘わなければ…。


僕とY課長は決意しました。


~つづく~


2008年07月19日(土)

社長の横暴②

テーマ:仕事

あまりにも急速にPプレスの社内でおかしな流れが出来上がりつつありました。


このまま放置しておくと大変なことになるだろうと思い、僕・Y課長Nさん(経理)といった元A出版のメンバーで集まって相談することにしました。


2008年6月18日(水)の夜のことです。


まず、さんに「今日の状況」をたずねました。


まるっきり変わってないです。と言うより、もっと悪くなっています。


その週の月曜日から始まった(Pプレス社長)によるさんへの「攻撃」が、収まるどころか更にエスカレートしているというのです。


何のことを、そんなに攻められているの?


いちばん大きな問題だとT社長が言っているのは~さんが話し始めました。


ある時、さんから「資金繰り表」の作成を命じられました。


その中の「販売」に関する項目でわからない部分があったので、さんY課長に「すみません、ちょっと教えていただきたいのですが…」と、表を見せて質問しようとしました。


すると、その様子を見ていたが「それは他の人に見せてはいけないものでしょ!」と叫びました。


確かに、「資金繰り表」は見せてはいけないとから言われていたそうです。


さんは「あ、申し訳ありません」と表を引っ込めました。


ということは…」僕が聞きます。


結局、Y課長に見せてはいないんだね。


はい。


Y課長が、「オレが見たって単なる数字の羅列だから、意味は何にもわかんないよ」と言いました。


それって、いつの出来事なの?


何週間か前のことです。その時に謝って、もう済んだことだと思ってたんですが…。


かなり以前の、とっくに終わった事柄を持ち出してきて、執拗にさんを「攻撃」しているということです。


(これって、完全な「イジメ」じゃないの?)


の言い分が奮っています。


あなたは見せてはいけないものを見せようとした。このまま行くと、いつか他のやってはいけないことをやるようになる。そんな金庫番にカギを預けていたら、いつか中身を持ち出されることになります。


つまり、「犯罪予備軍は、犯罪をおかす前に逮捕しなさい」というのです。


何という論理の飛躍でしょうか。


今回の件が、そんな重大な問題だとは、とても思えません。


どう考えても、単なる「うっかりミス」で、「すみませんでした。以後、気を付けます」で済むことではないでしょうか。


にも関わらず、は、「あなたは経理として一番やってはいけないことをした。謝っても許されることではない」とさんを攻め立てているのです。


これって、私はもうダメという烙印を押されたってことですよねさんが落胆した表情で言いました。


……。


せっかくT役員(元A出版社長)の紹介で入って、Y課長や政権交代さんもいるからと思って今まで頑張ってきたんですけど、このままだと、もうこの会社に私は必要ないってことになりますよね。


……


私のどこが気に食わなくて社長が怒っているのかがわかれば、対処のしようがあると思うんですが…。


さんは、なかなか責任感の強い人でした。


社長の気持ちが収まるように、もう少し頑張ってみます


この日の集まりは前向きな話で終わりました。


けれども翌日以降も、残念ながらさんを取り巻く状況が好転することはありませんでした。


は、「あなたのことが信用できないので、それは私がやります」と言っては、どんどんさんから仕事を取り上げていきました。


そのうえ、とうとう会社のカギまで取り上げてしまったのです。


20日(金)は、さんに対して、これまで以上に猛烈なマシンガンのような「口撃」が、朝から延々と繰り広げられていました。


まるで、映画『フルメタル・ジャケット』(スタンリー・キューブリック監督)の鬼軍曹(写真↓)のようです。



onigunnsou

フルメタル・ジャケット
¥2,362

しかも、内容は全く同じことの蒸し返しです。


Nさん、頑張って」と心の中で唱えながら、僕は営業に出かけました。


夕方、お客さんと会っている僕のところに、Y課長から連絡がありました。


状況確認のためのミーティングを行なうので、18時には戻ってきて欲しい」というからの伝言でした。


会社に戻ると、が言いました。


Nさんは定時なので、もう上がって下さい。


さんが帰ると、会社のドアにカギがかけられました。


その日は代休を取っている編集部員が二人いたので、会議テーブルについたのは、Y課長編集部でいちばん古株の女子社員新人のアルバイトの女の子5人です。


最初に、一枚の表を見せながら話し始めました。


これが、Nさんが今日一日でやった仕事の全てです。


A4の紙に、エクセルで作ったらしき何行かの表がプリントアウトされ、の確認印が押してありました。


振込みが何件かと、備品を買いに行ったり、他にも幾つかありますが、まあ、全部あわせても1~2時間くらいで終わる量です。


(そりゃそうだよな。どんどんNさんから仕事を取り上げていったんだから。)


○○さん、この表を見て、どう思いますか?


が編集部でいちばん古株の女子社員にたずねました。


Nさんの仕事量が少ないということが、これを見ると、よくわかります。


(何だ、この模範解答は。きっと事前に打ち合わせをしてあるな。)


そうですね。Nさんは経理としては非常にレベルが低いです。それに加えて、やってはいけないこともやってしまいました!


(おいおい、何だよ、この「欠席裁判」は!)


このあと、Nさんについてが何を言ったかは、心が痛むので、これ以上は書きません。


ここまでの文を読んで想像して下さい。


次の議題に移ります。


は、Y課長の名前を挙げました。


Yさんが、これまでに行なった数々の問題行動について、自分自身では、どのように認識していますか?


は? 問題行動って何ですか?Y課長が言いました。


何もわかっていないのですか? まず、あなたは先週の飲み会の時に、社長である私に対して説教をしましたね!


それは…。


それから今週の月曜日、倉庫業者の方が見えた時に、社長である私を差し置いて、勝手に社員を先方に紹介しましたね!


……。


さらに、火曜日、H社のKさんに対して、私が任命してもいないのに、勝手に自分が部長であると言いましたね!


(何なんだ、この幼稚な吊るし上げは?)


Y課長は、心の底から呆れた目でを見ていました。


あの、それらのどこが問題行動なんでしょうか?


あれから時間が経過したというのに、まだ認識が改まっていないようですね! わかりました。今回の一連の問題行動について、


【始末書】


を提出して下さい! 従わない場合は


【然るべき措置】


を取ります!


まるで赤軍派の「総括」を見ているようです。


これまで、このブログを読んで下さった皆さんは、の発言について、どのように感じますか?


Pプレス独立の立役者であるY課長に対して、新人のアルバイトの前で起立させ、指差して、このように命じているのです。


あまりにもヒドイ仕打ちだと思いませんか?


ミーティングが終わった後も、は更にY課長に対して「説教」を続けました。


あなたは、どうして、いつもNさんの肩を持つのですか?


彼女が一生懸命、頑張っているからです


一生懸命なら、レベルが低くても良いのですか!


おまけに、こんなことまで言い出しました。


Pプレスのコミックスを企画・編集したのは誰ですか? Yさんですか? 違いますよね!


……。


Yさんは私たちが作った本を、ただ売っているだけなんですよ!


これは明らかに営業に対する侮辱です。


僕は、いたたまれなくなって会社を出ました。


その日の夜、僕はY課長と落ち合って、「今後の対応」について話し合いました。


さっき、Nさんから電話があったよ…Y課長が言いました。


もう無理です、って…。だから、来週の月曜日に退職願を出します、って…。


あれだけ罵倒され続けたら、神経が参ってしまいます。


こうなってしまっては、他に方法はないでしょう。


僕もY課長も、こんなになるまでどうすることもできなかった申し訳なさと悔しさで、わなわなと身が震えました。


そして、Y課長に対する「始末書を提出しなさい!」という命令。


このような暴挙が許されて良いはずがありません。


僕はY課長に言いました。


始末書は断固、拒否しましょう!


~つづく~


2008年07月18日(金)

社長の横暴①

テーマ:仕事

Pプレスに入社し、僕とY課長は新たな気持ちで日々の仕事に精を出していました。


多少の困難があっても、それに負けないくらいの気力を持っていたので、前途は洋々に思えました。


あの日」が来るまでは…。


忘れもしない2008年6月13日(金)のことです。


その日の夜は、僕とY課長の歓迎会も兼ねて、社員全員出席の飲み会がありました。


会は予想以上に盛り上がり、そのまま「二次会」にも全員が参加しました。


僕は編集部の新人の女の子たちとバカ話をしていたので、詳しくはわからなかったのですが、一番端の席で(Pプレス社長)とY課長が向かい合って、何やら深刻そうな話をしています。


後でY課長に聞くと、飲み会の場を借りて、社長であるに対し、普段なかなか言えないことを言ったとのこと。


は極端に人の話を聞かないタイプなので、Y課長は「いろいろ大変なのはわかりますが、みんな頑張っているんだから、もっと一人一人の話を聞いてあげて下さい」と、強く訴えたそうです。


すると、は大粒の涙を流しながら、うなだれたと言うのです。


僕は一瞬、「大丈夫かな」と思いましたが、酔っ払っていたので、そんなことはすぐに忘れてしまいました。


週が明けて16日(月)の朝、出社すると、が異常にピリピリしています。


経理のNさが、「どうしたんでしょう? 今日の社長は、やけに機嫌が悪いですね」と僕に話しかけてきました。


僕も訳がわからず、「何だろうね」と、首を傾げました。


その日の午後は、「倉庫業者の人が来て打ち合わせをするから、政権交代とNさんも同席してくれ」とY課長に言われていました。


そして、倉庫業者の担当の人が、社長と一緒にやって来ました。


が電話中だったので、Y課長が、僕とさんを相手に紹介しようとしました。


するとが、ものすごい剣幕で「あなたはいいから!」とさんを追い返したのです。


何が何だか、よくわかりませんが、明らかに様子がヘンです。


夕方、僕はから、「政権交代さん、ちょっといいですか」と声をかけられました。


よく内緒話をする時に使うベランダに移動し、ドアを閉めると、は切り出しました。


Nさんのこと、どう思います?



これは、が何かを主張する時の常套手段で、例えば、「自民党について、どう思います? 私は祖父の代からずっと支持してるんですよ~」と話し始め、結局、こちらの意見は全く聞かないまま、勝手に「政権交代さんも自民党を支持しています」ということにされてしまうのです。


僕は民主党支持なんですけど」とは、いっさい言わせてくれません。


案の定、さんの取るに足りないような幾つかのミスを列挙して、「だから、彼女はレベルが低いんだということを覚えておいて下さい!」と言うのです。


さらに、「それなのにY課長が彼女のことをかばうのが理解できない。直属の上司は私なんですよ!


……。


Nさんは私が何か話すと、いつでも、つまらなそうな顔をする。私の方は、こんなに彼女に気を遣っているのに。それで、A出版の時から知っているからと言って、わからないことはY課長に聞こうとするんですよ!


さんは特別にノリの良い人ではないし、社長の前で緊張していると、確かに「つまらなそうに」見えてしまうのかも知れません。


(何だよ、これは? 要するに「ジェラシー」か?)


この状態を放置しておくと、指示系統が混乱して、会社の経営が間違った方向に行ってしまいます。Y課長は、勝手に自分がナンバー2のつもりになっている。これには早急に何らかの対応をしなくてはなりません。社長は私なんです!


僕は呆れて、物も言えませんでした。


しかし、これは僕にだけ言っていることではなかったのです。


どうやら、編集部の女の子たちも個別に呼び出して、同じような話をしていたのです。


編集の女子社員は、ほぼ全員が22~24で、新卒でPプレスに入社した人ばかりなので、誰も社長には逆らえません。


いや、他のところを知らないので、むしろ、「会社とは、このようなものだ」と信じ込んでいるフシさえあります。


17日(火)、朝から、がヒステリックにさんにわめき散らしています。


何か仕事のミスを攻め立てているようです。


あなたの犯したミスは経理としての信用に関わることです。謝って済む問題ではありません!


非常に気にはなりましたが、僕はお客さんのところに行く予定があったので外出しました。


夕方、僕が帰社すると、会社の電話が鳴りました。


政権交代さん、書店さんからお電話です


はい、お電話かわりました


電話に出ると、受話器の向こうにいるのは書店さんではありませんでした。


もしもし、Tです


あれ? あ、お疲れ様です…。


今、Y課長はいますか


あ、はい。いらっしゃいますが…


かわらなくて結構です。今からY課長にわからないようにして駅前のドトールまで来ていただけますか


指定された場所まで行くと、が編集部の女性社員たちと3人で話していました。


僕が席に着くと、が「今日の出来事を政権交代さんに説明してあげて」と言いました。


はい。今日の午後、H社のKさんがY課長あてに会社にお見えになったんですね


H社というのは、T役員(元A出版社長)の紹介でPプレスと取引することになった製本所で、担当のは、Y課長A出版の前の会社にいた時の元同僚です。


それで、KさんがY課長の名刺を見てあれ、課長なの? 部長じゃないんだとおっしゃったんですね。そしたらY課長がそうなんですよ。まあ、僕は部長のつもりで頑張っているんですけどねと言ったんですよ


女性社員が一生懸命に語っているのが少し滑稽に見えました。


それを聞いて、ああ、これは直ちにT社長に報告しなくては!と思いました。


隣に座っている、もう片方の女性社員も「そうなんですよ」と深く頷きました。


(何だよ。おまえら、「スパイ」か?)


は、「政権交代さんはどう思います?」と聞いてきました。


僕はにではなく、二人の編集部員に向かって話しかけました。


Y課長は、取次(本の問屋)に対しても営業責任者として名前を届けてあるし、ウチくらいの規模の出版社なら、本来は部長であっても全然おかしくはないんだよ。


これまで、このブログを読んで下さった皆さんなら、むしろ、「なぜ、Y課長は部長ではないのか」と、疑問に思われたのではないでしょうか。


実は、僕とY課長が一緒にの面接を受けた時に、「役職」の話が出たのです。


僕が「Y課長を部長にしないのですか」とたずねると、が「これまでの役職よりも上にする考えは今のところ、ありません」と応えました。


だから、「課長」のままなのです。


話を元に戻します。


僕が言ったことに対して、編集部の女の子たちは「へえ、そうなんですか」という顔をしていました。


だが、は、「それは政権交代さんの意見ですよね。役職の任命権を持っているのは社長である私なんですよ。にも関わらず、取引先に対して勝手に部長を名乗るのは問題だと思いませんか?


いやいや名乗ったとかではなくて、元同僚の親しい人との間で出た軽い世間話のレベルでしょう。そんなに問題にしなくても…。


すると、編集の女子社員が口を挟んできました。


Y課長が最近、少しヘンなので、私たちは気にしているんです。この前の飲み会の案内状、あれは笑えませんでした。


飲み会の案内状」とは、先日の飲み会で、Y課長が幹事を務めたのですが、その時、社内に配った案内状の最後に「宴会部次長 Y」と書いてあったのです。


僕は、それを見た時、Y課長に「なぜ、宴会部長ではなく次長なんですか?」と聞きながら苦笑しました。


まあ、単なる「シャレ」ですね。


(それが、どうかしましたか?)


あれ、実は全員、気付いてましたよ」とが言います。


そして、Y課長は、これほど役職にばかりこだわっていて大丈夫なのかと、みんな心配しているんですよ!


(役職にこだわっているのはどっちだよ!)


僕は言葉を失いました。


(何なんだろう、この会社は?)


今までは離れていたので、よくわかりませんでしたが、こんな下らないことを大問題に仕立てあげて騒いでいるなんて、この会社の方が、よほど「大丈夫なのか」と心配になります。


けれども、こんなのは、ほんの「序章」に過ぎませんでした。


これから起こる一連の出来事に比べれば。


~つづく~


2008年07月17日(木)

僕が入社してしまった会社⑥

テーマ:仕事

2008年が明けると、いよいよPプレスは独立に向けての具体的な動きを始めました。


Y課長が中心となって、取次(本の問屋)に対し取引口座開設のための手続きを行ないます。


申請に必要な書類を取り寄せ、アポを取って、取次に提出しに行くのです。


様々な書類があり、内容について細かく質問されますから、その説明のために、また違う資料が必要になります。


そのため何度も通わなければなりません。


もちろん、口座を開く取次は1社だけではありません。


大手だけで7社あり、他に中小の取次とも口座を開かなければならないので、ここに書くと簡単なようですが、想像以上の労力が掛かるのです。


T元社長も、「取次に交渉に行くのに、これまでのような顧問的な立場では通用しない」と、新たに「取締役の名刺」を作成しました。 


このT役員(A出版元社長)20年近く出版社を経営してきたので、取次に対して「私が面倒を見ているから大丈夫ですよ」というアピールができます。


また、会社の経営方針や今後の出版計画などについては、社長であるがまとめました。


実際に取次に行くのは、この3人ですが、その前に何度もミーティングが行なわれ、それには僕も参加しました。


途中、事前の根回しが足りなくてT社(現発売元)の会長を怒らせてしまうなどのトラブルもありましたが、さすがに売り上げ実績を積んできただけあって、取次との交渉はスムーズに運びました。


目標としていた2008年6月の「独立」は、どうやらメドが立ってきたようです。


2月には、Nさんという女性社員がPプレスに入社しました。


彼女は以前、A出版で「経理」を担当していました。


当時、Pプレスでは(Pプレス社長)が経理を兼ねていたのですが、これから取次と直接取引を開始するに際して、出版の経理は返品などの関係で非常に複雑なため、どうしても経験者が必要になります。


さんA出版にいた期間は1年足らずでしたが、彼女の真面目な働きぶりを高く買っていたA出版の元経理部長(女性)が、T役員を通じて推薦したのです。


面接を終えると、(Pプレス社長)はさんに「こちらとしては、すぐにでも来ていただいて結構です」と連絡を入れました。


このようにして、A出版時代の同僚がPプレスに先行入社したことは、僕やY課長にとって非常に心強く感じられました。


3月には、それまで「有限会社」だったPプレスが、増資を行なって「株式会社」に移行。


それに伴い、T役員も「出資金」を増額させました。


4月に入ると、「事務所移転」の準備が始まりました。


それまでは編集のみで、わずか5人(社長含む)の小所帯だったPプレスですが、独立に向けて急激に人数が増えるため、今の事務所では手狭になってしまうからです。


編集業務で毎日、夜遅くまでお忙しい(Pプレス社長)や編集の方々に気遣って、引越業者の手配などは、ほとんど新入社員であるさんが行ないました。


まだ日常業務にも慣れていないのに、引越しの手配までしなくてはならないのは大変だろうと思い、僕とY課長は仕事の合間を縫って手伝いに行きました。


がギリギリまで物件選びにこだわったため、移転先の事務所が決まったのは4月14日(月)。


4月20日(日)の引越し当日まで、たったの1週という強行軍です。


引越し前夜の18日(金)、夕方過ぎに僕とY課長Pプレスに行ってみると、予想通り、業者から送られてきた段ボールが、まっさらな状態のまま置かれていました。


我々は、お仕事でお忙しい編集部の方から指示を受け、片っ端から段ボール箱に荷物を詰めました。


しかし、夜遅くまで掛けても全ての準備は終わりません。


仕方がないので、僕とY課長19日(土)も作業をすることになりました。


お仕事でお疲れの編集部の方々に無理はお願いできないので、我々だけで作業をするつもりでいたら、さんもやって来て、「あまりに申し訳ないので私も手伝います」と言ってくれました。


20日(日)は、さすがにPプレスの社員全員が出勤して引越し作業を行ないました。


終了後、駅前の「白木屋」で飲んだビールは格別の味でしたね。


この二日間、他の社員の方々と違い、僕とY課長は入社前なので完全な「ボランティア」でしたが、これからお世話になる会社であるし、女性社員だけで男手がないのは大変だろうと思っていたので、特に不満は感じませんでした。


むしろ、引越しが終わった後の事務所を見渡した時には、「6月から、ここで働くことになるんだなあ」と、感慨深かったくらいです。


そして4月末、取引口座開設を申請していた取次(本の問屋)のうち、最後の1社から「OK」という連絡が入りました。


これでPプレス2008年6月より、「発行・発売元」の出版社として独立できることが正式に決定したのです。


5月下旬になると、T社の人たちが僕とY課長の送別会を開いてくれました。


T社出勤の最終日となった5月30日(金)、僕とY課長は、「短い間でしたがお世話になりました。あまりお役に立てず申し訳ありませんでした」と会長(T社)に挨拶をしました。


すると会長は、「いや、いいんだよ。出版のことがいろいろ勉強できて、こっちも助かったよ。Pプレスに入ったら、あなたたち二人が営業の中核なんだから、頑張りなさいよ」と励ましてくれました。


会長には厳しく叱られたこともありましたが、この言葉を聞いて、「人間味のある人なんだなあ」と感動しました。


長年に渡って会社を経営してきた人は、やはり人間的にも器が大きいようです。


6月2日(月)、僕とY課長は晴れやかな気持ちでPプレスに初出社しました。


これまで、会社の倒産に見舞われるなど、さんざん浮かばれない思いをしてきましたが、それらはさっぱりと水に流し、我々には「今日から心機一転、この会社で頑張るぞ」という決意がみなぎっていました。


その時は、まさか1ヵ月あまりで二人とも辞めてしまうことになるなどとは、思いも寄りませんでした。


~つづく~


2008年07月16日(水)

僕が入社してしまった会社⑤

テーマ:仕事

勢い勇んでT社に入社したものの、そこは、あまり居心地のいい場所ではありませんでした。


母体が「印刷会社」なので、「出版業界」に慣れ親しんだ僕やY課長は、なかなか社風に馴染めなかったのです。


朝は8時45分出社。


通常、出版社は9時30分10時に始まるところが多いのですが、T社では親会社のS印刷に始業時間を合わせていました。


S印刷と合同の朝礼では、まず「ラジオ体操」を行ない、その後に「社訓」を唱和します。


しかも、それは「株式会社S印刷は」で始まります。


どうも、出版部門は印刷部門の「おまけ」でしかないように思えました。


さらに、週3回は始業時間の30分前(8時15分)に来て、掃除をしなければなりません。


まあ、「早起きは三文の得」というくらいですから、健康には良いのでしょうが、これまでいた出版社との雰囲気の違いには非常にとまどいました。


Y課長は、「1年間、実績を積めば、Pプレスが出版社として正式に独立できる。それまでの辛抱だ」と自分に言い聞かせながら、Pプレスのコミックスの販促に今まで以上に精を出しました。


その努力が実り、Pプレスのコミックスは極めて好調な売れ行きでした。


しかし、T社の会長には、それが面白くないようです。


T社にとっては、Pプレスから毎月定額の「販売委託手数料(僕の月給より少ないくらいの金額)」が支払われるだけなので、いくらPプレスのコミックスが売れても何のメリットもないのです。


それよりは「自社の出版物を、もっと頑張って売って欲しい」というのが、T社の会長の本音でした。


一方、僕はT社の売れ残っている絵本や写真集を知っている書店に営業して回りました。


けれども、やはり売れ残っていた商品だけあって、最初は注文を取れても、結局は「返品」されてしまうのです。


前回、注文をくれた書店を訪問するたびに、「いやあ、政権交代さん。あの本さあ、悪いんだけど返しちゃったよ」と言われる日々が続きました。


さすがの僕も、だんだん気が滅入ってきました。


そのうえ、あまりにもT社の本の売れ行きが芳しくないので、データを上げるために、書店を回って「買い出し」をするよう命じられました。


書店営業として入社したはずなのに、いったい僕は何をやっているんだろう。


そんなことを思っていると、Y課長が僕に言いました。


よし、政権交代もPプレスに入社できるように、オレが相談してみるよ。


もともと、Y課長Pプレスが独立する際には同社に移籍するという契約でしたが、僕は、あくまでT社の社員として採用されているので、その後のことは特に決まっていませんでした。


ただ、T社の売れない本を営業するよりは、Pプレスのコミックスをバリバリ売る方が、はるかにやりがいがあるだろうなとは思いました。


Y課長T元社長に話すと、「う~ん。確かに政権交代は欲しいけど、Pプレスの規模の会社で営業が二人というのは、ちょっと難しいんじゃないかなあ」という反応です。


そこで、Y課長は「よし、二人でT(Pプレス社長)に直談判しよう!」と僕に提案しました。


2007年12月のある日、僕はY課長と一緒にPプレスを訪ねました。


Y課長はまず、「政権交代は書店営業としてT社に入ったのに、仕事に張り合いがなくて腐っています」と話を切り出しました。


そして、「このままだと、S印刷(T社の親会社)が印刷を請け負っているB出版のコミックスを営業しろと言われるかも知れません。


B出版というのは、Pプレスと同じ「女性向け同人アンソロジー」を出しており、元Pプレスにいた編集者が移籍しているので、にとっては「最大のライバル」であり、「絶対に負けたくない」出版社なのです。


そのため、B出版の名前が出てくると、の顔色が変わり、「それだけは困ります」と即座に言いました。


わかりました。それでは、Pプレスが独立した暁には、政権交代さんを書店営業担当として迎え入れましょう。そのための準備を今から進めておいて下さい。


僕の次の就職先が決まった瞬間です。


早速、T元社長に報告すると、「なるほどな。Yと政権交代は、お互いタイプは全く違うけど、とてもいいコンビだと思うから、二人いっしょに雇えるのなら、それに越したことはないよな」とのことでした。


Y課長と共にPプレスに入社することが決定したので、僕はPプレスのコミックスを営業するための準備を始めました。


もちろん、T社の手前、あまりおおっぴらには動けないので、少しずつではありましたが。


女性向け同人アンソロジー」を発行している出版社は何社かありますが、いずれも小規模の会社なので、きちんと書店を回って営業しているところは皆無です。


従って、本気で営業をかければ、同業他社に比べて圧倒的に優位に立てることは明白です。


また、特殊なジャンルなので、どこの書店でも扱っているわけではありません。


コミックに力を入れており、かつ担当者が興味を持っている店でなければ、ほとんど取り扱いがないのです。


逆に言うと、ターゲットが非常に絞られているので、そうした書店さえ把握できれば、営業戦略を立てるのは容易です。


僕はY課長に頼んで、Pプレスのコミックスの配本リスト(本を送品した書店のリスト)を取次(本の問屋)から取り寄せてもらいました。


そして、リストに載っている書店を、近いところから順に、一軒ずつ訪ねてゆきました。


実際に担当者と会えば、このジャンルに理解のある熱心な人かどうかは、すぐにわかります。


こうして、「このジャンルに力を入れている書店リスト」を作ってゆくのです。


何て原始的なんだ」と思われるかも知れませんが、営業ルートが確立されている老舗の出版社ならともかく、新規で立ち上げる時は結局、これが最も確実な方法です。


それに対してY課長の方は、FAX送信サービスのデータを整備し、FAXを使った受注活動や、「ポストカード」を始めとする販促物の充実に力を入れていました。


FAX注文書に毎回、書店へのアンケート用紙を添付し、書店担当者の声を集めるという工夫も行なうようにしました。


いわば、Y課長は「空中戦」、僕は「地上戦」という「二人三脚」で、営業活動を展開することにしたのです。


このようにして、「独立への機運」が高まる中、2008年という新たな年が幕を明けました。


~つづく~


2008年07月15日(火)

僕が入社してしまった会社④

テーマ:仕事

Pプレスを「出版社」として独立させようと動き始めたT元社長Y課長でしたが、いきなり大きな壁が立ちはだかります。


取次(本の問屋)最大手のトーハンを訪ね、自信満々でPプレスのコミックスの売れ行きデータを見せると、「Pプレスは編プロとしてコミックスを作っていたに過ぎないので、この数字は、あくまでA出版の実績です」と言われてしまいました。


発行元の出版社として1年間くらいは実績を積んでいただかないと、直接取引口座を開くわけにはいきません


T元社長Y課長は落胆しました。


専門的な話になってしまうので詳しくは触れませんが、「編プロ」が単に本を編集するだけなのに対し、「発行元の出版社」というのは、編集はもちろん、紙の手配から印刷・製本まで全て自社で管理し、「販売」のみを別の出版社に委託するという形態です。


発行:○○社、発売:××出版」などと表示されている本を、皆さんもご覧になったことがあるかと思います。


取次は完全な「お役所体質」なので、いつも簡単には話が前に進みません。


そうは問屋が卸さない」とは、よく言ったものです。


落ち込んでいても仕方がないので、T元社長は「販売委託」を引き受けてくれる出版社を探すことにしました。


T元社長は、20年近も出版社を経営してきたので、かなりの人脈を持っています。


ただ、以前に書いたように、「同人アンソロジー」というジャンルは著作権の問題があるため、普通の出版社はなかなか発売元になりたがりません。


幾つかの出版社を当たった結果、T社が発売を受けてくれることになりました。


T社は、中堅印刷会社・S印刷の子会社です。


T社の会長は、印刷一筋で40年も生きてきた人で、印刷に関しては非常に詳しいのですが、出版については、あまりよくわからないとのことでした。


確かに、T社が他に出版している本のラインナップを見ると、どれも今ひとつ売れそうもないような気がしました。


どうやら、S印刷に印刷の仕事を請けさせようとして、無理矢理つくられた本が多かったようです。


もちろん、Pプレスのコミックスも全てS印刷で印刷するというのが条件でした。


正式に契約を交わし、具体的な事柄を詰めていく中で、Y課長の身分は次のように決まりました。


籍はT社に置き、T社の社員となる


ただし、給料はPプレスが半分、負担する


T社の会長としては、「ウチには出版に詳しい人間がいないので、Y君にぜひ、ウチで出している本の営業も手伝って欲しい」という思惑があったのでしょう。


こうして、Y課長A出版を退職してT社に入社。


同時に、Pプレスのコミックスも、発売元がA出版からT社に変わりました。


2007年6月のことでした。


一方、僕はA出版で、「明日か、それとも明後日か」と来るべき「倒産」の日を思いながら、不安な毎日を過ごしていました。


そこへ、T元社長から、「今すぐT社の会長に会って来い」という指令が来ました。


T社の会長から「売れない本を少しでもさばくためにガンガン注文を取りたいので、誰か書店営業のできる人間がいたら紹介して欲しい」という相談があったようです。


それに対してT元社長は、「それなら、ひとり優秀なヤツがいますよ」と応えたそうです。


T社の会長に会いに行くと、その場で「A出版に何かあった時には、ウチがキミを引き受けるから」と言われました。


僕は、首の皮が一枚、ようやくつながった思いでした。


本当に、ありがたいことです。


結局、A出版2007年7月、「民事再生法」の適用を申請(事実上の倒産)。


その後、再生に向けたスポンサー探しを開始しますが、頓挫し、同年9月、「破産」しました。


僕はA出版破産の翌日から、T社の社員になりました。


3ヵ月ぶりに、Y課長と同じ会社に勤めることになったのです。


~つづく~


2008年07月14日(月)

僕が入社してしまった会社③

テーマ:仕事

数年前から、出版業界の内外で「本が売れなくなった」と盛んに言われるようになりました。


いわゆる「出版不況」です。


女性向けコミックを中心に発行していたA出版も、この流れには逆らえず、みるみる業績が悪化していきました。


こうして、A出版は投資会社に買収され、創業者であったT社長は退任します。


新しいオーナーは、「とにかく売り上げをもっと上げなさい。そのために、コミックス以外の新しいジャンルに挑戦しなさい」と指令を出しました。


当時のA出版は、既に雑誌やコミックスを目いっぱい出していたため、新たに出版できるのは「書籍」しかありませんでした。


しかし、書籍というのは大変、売り方が難しい商品です。


ごく稀に「ベスト・セラー」も生まれますが、その影には、何千・何万もの「失敗作」がゴロゴロと転がっています。


雑誌やコミックスは、取次(本の問屋)が、前号の売れ行きデータを参考にして、自動的に全国の書店に配本するのですが、書籍は違います。


まず、書店から事前に注文を集めなければなりません。


どれだけ多くの注文を集めたかによって、取次が仕入れる部数が決まります。


従って、書籍を出版するには、「一軒一軒の書店を回って注文を取る」という「書店営業」が、どうしても必要になるのです。


A出版には書店営業の担当者はいませんでした。


T元社長と販売部長は「政権交代を呼び戻すしかないな」と思ったそうです。


僕は以前、A出版で出していたハムスターや猫のコミックスを全国のペットショップに卸す販路を開拓したのですが、その仕事ぶりが強烈に印象に残っているとのことでした。


そのころ、僕は家庭の事情などでA出版を退社し、別の出版社に勤務していました。


けれども、一旦は辞めた会社から「どうしてもキミが必要なんだ」と言われると、ソノ気になりやすい僕は「ならば、書店営業で自分の力を試してみよう」と思い立ちました。


こうして、僕はA出版に戻り、書店営業のルートを一から開拓することになったのです(2006年5月)。


僕がA出版に復帰してすぐに、T元社長は僕をPプレスに挨拶に連れて行きました。


前にウチの編集部にいたTが今、独立して、なかなか面白いコミックスを作ってるんだよ


Pプレスに着くと、(Pプレス社長)は「政権交代さんに期待しています。前にペットショップを営業していた時みたいに、ぜひウチのコミックスをガンガン売って下さい!」と、嬉しそうに言いました。


ところが実際には、そんなに都合よく物事は運びません。


A出版が目先の売り上げのために、全く実績のない書籍を毎月7~8点も乱発したので、僕はその注文を取るのに精一杯で、とても外部の編プロが作っているコミックスまでは手が回らなかったのです。

隣の席のY課長が「政権交代さあ、このPプレスのコミックスのデータ見ろよ。すごい売れ行きだろ。それからさあ、もっと売るために販促用のポストカードを作ったんだけどさあ、これがまた人気で」と僕に話しかけてきても、聞き流すしかありませんでした。


この頃、Y課長Pプレスのコミックスのために販促用のポストカードを手配し、「特典付き注文書」を全国の書店にFAXしては注文を吸い上げていました。


あまりの熱心さに、社内ではY課長のことを密かに「ポストマン」と呼んでいたほどです。


ある日、飲み会の二次会でカラオケに行ったのですが、その時もY課長は「政権交代さあ、ポストカードのことなんだけどさあ」と大声で話しかけてきました。


気分良く歌っていた部長が、その光景を見て、「こら、オマエら! 黙ってオレの歌を聴け」と怒鳴りつけたというエピソードまで生まれました。


それぞれのメンバーが、それぞれに与えられた立場で精一杯、頑張ったのですが、A出版をめぐる状況は日に日に悪くなってきました。


売れない書籍を乱発した結果、その返品が資金繰りを圧迫するようになってきたのです。


」というのは、返品できることが前提の商品なので、いくら注文をたくさん取っても、売れなければ戻ってきて、出版社の「不良在庫」となってしまうのです。


出版に関しては素人であったA出版の「新オーナー」は、その辺の事情を読み切れなかったようです。


僕も、1年余の間に、首都圏600軒の書店を回って、約12万冊の注文を取ったのですが、皮肉にも、それが「返品」の数を増大させてしまったのです。


2007年が明けると、いよいよA出版に「倒産」の兆しが見え始めました。


作家への原稿料の支払い遅延、印刷所に手形ジャンプの依頼、社員の給与支払日が「25日→末日」へ変更…などなど。


T元社長は考えました。


A出版が倒産すると、Pプレスへの編集費の支払いもストップし、連鎖倒産となる。


→でも、Pプレスのコミックスは非常に売れ行きが良いので、つぶすのは何としても惜しい。


→「そうだ、この機会にPプレスを出版社として独立させよう


編プロ」が「出版社」として独立するためには、まず取次(本の問屋)と取引の口座を開かなくてはなりません。


それには、もちろん「営業担当者」が必要となります。


そこで、「営業担当」には、それまで情熱的にPプレスのコミックスを売ってきたY課長に白羽の矢が立ちました。


よし、Yを連れて行こう」と、T元社長は決意したのです。


~つづく~


2008年07月13日(日)

僕が入社してしまった会社②

テーマ:仕事

Pプレスは、「女性向け同人アンソロジー」という、ちょっと変わった内容のコミックスを出版しています。


同人誌の中には、主に『少年ジャンプ』(集英社)などに連載されている人気作品をパロディーにしたジャンルがあるのですが、それらを商業誌として再編集し、発行しています。


いわゆる「女子」と呼ばれる「女子オタク層」に安定した人気を誇る商品です。


けれども、「著作権」の問題がクリアされていないため、一般の出版社はなかなか手を出したがらない「グレーゾーン」に属するジャンルであるのも事実です。


Pプレスの社長・(36歳女性)は、埼玉県川越市出身。


立教大学文学部を卒業後、幾つかの出版社を経て、「女性向け同人アンソロジー」の老舗であるFぷろだくとに入社し、編集長まで登りつめました。


しかし、社長と経営方針をめぐって対立し、同社を飛び出して編集プロダクションを立ち上げます(2004年7月)。


これが現在のPプレスの土台です。


実は、僕はのことを10年近く前から知っていました。


は一時期、A出版に在籍しており、僕の同僚だったことがあるからです。


飲みに行ったことも何度かあります。


この頃のA出版編集部は、「女帝」と呼ばれる編集長が君臨しており、部下はイエスマンに徹している人が多かったのですが、その中では異彩を放っていました。


僕は彼女に対して「熱心で、自分の意見を持った編集者」という印象を抱いていました。


一方、彼女は僕のことを「一生懸命、本を売るために努力している営業マン」だと思ったそうです。


僕は当時、A出版で発売していたハムスターや猫のコミックをペットショップで販売するために東奔西走していました。


これが、後にPプレスに入社する際の大きな決め手になったのは間違いありません。


にとっては、イエスマンばかりのA出版編集部は居心地が悪かったらしく、わずか半年ほどで転職を余儀なくされました。


さて、話をPプレス設立時点まで戻します。


は「編集プロダクション」としてPプレスを起こしました。


編プロ」というのは、簡単に言うと、本を作るだけなので、その本を販売してくれる「出版社」を探さなくてはなりません。


編プロ」は、多くの作家を知っている優秀な編集者なら一人でも回せますが、「出版社」というのは全く規模の違う組織です。


編集」だけではなく、紙を手配し、印刷所に印刷を依頼し、製本所に製本を頼まなくてはなりません。


出来上がった本を流通ルートに載せるための販売部門や、雑誌を発行している出版社なら広告を集める営業部門なども必要になります。


は最終的には自分の会社を出版社に育て上げたかったのですが、その資金も実績もないため、まずは「編プロ」からスタートしたわけです。


は販売先の出版社として、自分が以前、籍を置いていたA出版を訪ねました。


A出版T社長(当時)は、の持ち込んだ企画を、「オレには内容はよくわからないが、オタク向けの商品だから、面白い展開になるかも知れない」と言って、同社での販売を引き受けました。


A出版の社内では、のことを快く思わない元上司(女帝)らが猛反対したそうですが、T社長がそれを押し切りました。


つまり、Pプレスが自社で編集した本を市場に流通させられるようになったのはT社長のお陰だということです。


これは重要な点なので押さえておいて下さい。


次に、いざA出版で販売することに決まったものの、同社の営業部門内で、Pプレスのコミックスを積極的に売ろうとする担当者がいなかったということも大きな問題でした。


それまでA出版で出していた女性コミックスは、ハムスターなどの「動物モノ」か、ソフトな「レディース・コミック」などの一般向けのものしかなく、誰もPプレスの「オタク向け」コミックスには理解を示さなかったのです。


そのため、何度も担当者が変わりました。


せっかく自分が作った本を真剣に売ろうとする営業マンがいないので、はかなり辛い思いを味わったようです。


そんなことをしているうちに、Y課長Pプレスのコミックスの販売担当になりました。


Y課長は「これは今までのA出版の中途半端なコミックスと違い、ターゲットが絞られているので、売り方を工夫すれば必ず売れる商品になるはずだ」と考えました。


そして、自ら売れ行きデータを調べ、マンガ専門店の本部に営業に行ったり、販促物を提案するなど、積極的な販売活動を展開したのです。


その甲斐あって、Pプレスのコミックスは、A出版のコミック部門の柱になるまで成長しました。


ピーク時にはA出版の全コミックス発行点数600点のうち、Pプレスのコミックス約30点だけで、売り上げの3割を占めるに至ったのです。


Y課長の活躍ぶりを、皆さんの心に刻んでいただけたでしょうか。


次回は、Pプレスが出版社として独立するまでの過程と、T役員(元A出版社長)・Y課長・「」が、いかにして同社に入社するに至ったかについて書きます。


~つづく~


2008年07月12日(土)

僕が入社してしまった会社①

テーマ:仕事

僕は、このたび本年6月1日付で入社した会社を7月7日付で退社しました。


在籍期間はわずか1ヵ月あまり


これまでに4回の転職をしていますが、これほど短期間で、しかも次の行き先を決めずに辞めたのは初めてです。


これから、「この会社に入社するに至った経緯」、「退社までの一部始終」、「どんな会社なのか」、「社長はどのような人物か」について、なるべく詳細に、かつ客観的に書きたいと思います。


とても1回では収まり切らないと思うので何回かに分けて書きます。


どうぞ、よろしくお願いします。


最初に、「僕の経歴」を簡単に説明しておきます。


僕は現在36歳で、学生時代にアルバイトとしてA出版に入社(1993年2月)。


→大学中退後、同社のT社長に拾っていただき、正社員となる(1999年4月)。


→主に広告や販売の営業部門を担当。


→家庭の事情などで退社(2003年6月)し、3年ほど別の会社で働く。


T元社長(この時点では既に退任)に説得されてA出版に戻り、書店営業を担当(2006年5月)。


A出版が「倒産(2007年9月)」。


A出版T元社長の紹介で、同僚のY課長と共にT社に入社(2007年9月)。


Pプレスが販売部門を設立したのに伴い、T役員(A出版元社長。現Pプレス役員)の仲介で、同僚の課長と共に同社に移籍(2008年6月)。


→同僚のY課長と共にPプレスを退社(2008年7月)。


ここまでで、僕は何度か転職をしているものの、おおむねA出版からのつながりであることが確認していただけたと思います。


出版業界」は横のつながりが非常に強く、ある出版社を辞めても、前に居た会社のコネクションで次の行き先が決まるのはよくあることです。


最近では、出版も「斜陽産業」と呼ばれ、出版社の「倒産」が相次いでいますが、仮にそのような自体に陥っても、元の会社にいた人達のネットワークが後々まで生きてくる業界なのです。


僕の場合、就職や転職に際して、A出版T元社長(63歳男性。現Pプレス役員)がかなり面倒を見て下さったことをおわかりいただけるでしょう。


また、もう一人の主要人物として、A出版以来、常に行動を共にしてきた同僚のY課長(37歳男性)のことも記憶しておいて下さい。


では、紹介されて入社したにも関わらず、なぜ僕とY課長は、わずか1ヵ月少々で、しかも同時に退職することになったのか。


そのような事態を生んだPプレスとはどのような会社なのかについて次回、書きたいと思います。


~つづく~


2008年06月29日(日)

皆さんにお聞きします

テーマ:仕事

会社の飲み会で従業員が社長に意見を言いました。


それについて、「問題行動である」として、社長から「始末書の提出」を求められました。


これは、社会通念上相当であると認められるでしょうか?


皆さんのご意見を伺えれば幸いです。


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