旧ユーゴ紛争で国際戦犯法廷から起訴されていたセルビア民族主義指導者カラジッチ被告が逮捕された。凄惨(せいさん)を極めた民族浄化の実態解明とともにバルカン地域の安定化につなげたい。
旧ユーゴ紛争は一九九〇年代初めのユーゴスラビア連邦解体に伴う内戦で始まった。連邦を構成していた六つの共和国の結合が冷戦の終結で緩みスロベニア、クロアチアが順に独立を宣言、連邦維持を図るセルビア人勢力との流血事態を繰り返した。
セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が混在していたボスニア・ヘルツェゴビナの内戦は凄惨を極めた。そのセルビア人勢力の指導者だったのがカラジッチ被告だ。九二年から九五年までで犠牲者は二十万人に上ったといわれる。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は九五年、人道に対する罪、ジェノサイド(民族大量虐殺)の罪などで起訴。特に七千五百人のイスラム系住民が犠牲になったとされるスレブレニツァの虐殺、悲惨を極めた民族浄化への責任が問われる。
旧ユーゴ紛争が国際社会に突きつけたのは、東西冷戦後に東欧、バルカンで噴出し世界に広がったナショナリズム(民族主義)の流れを新しい国際秩序の中にどう位置付けるか、という課題だった。
欧州連合(EU。当時はEC)による制裁、勧告など度重なる調停は有効な外交的、軍事的手段を欠き事態の長期化、泥沼化を招いた。国際社会も介入に積極的だったとはいえず、収拾は米国の介入による九五年のデートン合意まで待たなくてはならなかった。
起訴から十年以上経ての逮捕は遅きに失した感を否めないが、この間にEUも大きく変わった。当時十二カ国だった加盟国は新たな国民国家の統合体をめざし二十七カ国に拡大。バルカンの旧共産国ルーマニア、ブルガリアも加盟した。セルビア共和国内コソボ自治州の独立に際しても、将来のEU加盟を前提に一つの紛争収拾のモデルを示した。
コソボ問題では欧米主導に反発するロシアが国際法違反を理由に独立を認めておらず、なお課題を残したままだが、今回のセルビア当局によるカラジッチ被告逮捕は旧ユーゴ諸国のさらなるEU加盟に道をつなぐことになる。
拡大の前提となるEUのリスボン条約がアイルランドの批准拒否で一頓挫したままだが、今回の逮捕が拡大統合の流れを促進するきっかけとなることも期待したい。
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