2008/07/17
(7/22追記あり)
皆さん、こんにちは。
今週の月曜日(7/14)は大安で、一つの計画がスタートしました。
私はこの春に66を通過しました。一般的には仕事の一線を去る年頃ですが、たまたまこの時期になって、今までで最大のテーマに取り組むことになりました。私は資本家でなく番頭社長なのですが、オーナーがやりたければやれというので、やらせて貰う方向でスタートした訳です。
そんなことがあって気分がそっちに集中していたので、昨夕になって靖国の「みたま祭り」へ行きました。最終日でしたね。
凄い人数でした。若い人が多いですね。それに「外国人」。年ごとに増えていく気がします。
盆踊りにも、若者が飛び入りして楽しそうに踊ります。
本当に稀有な場所ではないですか、戦死者の慰霊の場として。
類する場所としては、私は、韓国の「国立墓地」を思い浮かべますが、あそこで鐘や太鼓で踊るとは、考えられませんね。アーリントンでも、おそらくそうでしょう。
雪洞を見るのが「みたま祭り」の楽しみの一つです。今年はこれを推薦しましょう。
崇敬者総代・古河潤之助氏の揮毫です。これが靖国の心であると、私は思っています。
外国の人も、踊っていますね。
これが軍国主義施設という。カトリックの一部聖職者も覗いたらいいですよ。“敵状”を知ることは、必須でしょう。
腰を抜かすかも知れませんが。その人の多さに。若さに。明るさに。
これらの提灯の前で、私は静かに頭を下げます。
国家というものは、これほどの苦しみを、人に要求するものなのか。そうだ、という人はいるでしょう。
私は、そうだと、確信をもって発言できない。しかし、そうでないという気もない。
その苦しみを厭うたら、その苦しみから逃れることができるのか。できる、という人がいる。しかし歴史は、それができた、ただ一つの実証例も残していない。
“悪魔の証明”
「無かった」ということは、「あり得ない」の証明にはならない。(*)
神州が不滅でないことは、滅亡によってしか証明できなかった。
だからローマ人が言ったように、戦いを覚悟したものだけが、戦いを避けることができる、のだろう。
(*)7/22追記
独りよがりの文章で意味が取りにくいと思いますので追記します。
「非武装・無防備」平和運動というのがあります。武力を棄てれば平和が来るという主張です。
1) 武力を棄て無防備で存続し続けた国家、民族、部族は、歴史上、存在しません。
2) しかしそのことが、「武力を棄て無防備で存続し続ける国家、民族、部族」は将来も“あり得ない”
の証明にはなりません。
「九条平和教徒」に、だから論理的反論はできないのです。証明できるときは唯一、自らの滅びの場です。証明できる唯一の現象こそ、証明者が絶対に避けたい事態なのです。「議論が噛み合わない」とよくいいますが、この議論は、噛み合いようがないのです。
歴史は無防備が(あるいは弱い防備が)平和よりもむしろ戦いを誘引したと教えます。
彼らが指弾してやまぬ大日本帝国においても、朝鮮がより強い武力を持っていれば、朝鮮から大陸へ出て行く“誘惑”に陥らなかった、とも言えます。事実、西郷隆盛や伊藤博文は「自立した」強い朝鮮を李王朝に求めたと私は理解しています。隣国が「武力の空白」であることは、日本にとって大きな不安でありました。李王朝の武力軽視が、自国を舞台とする清、露、日の角逐を生みました。
1950年1月12日、
アメリカの国務長官ディーン・アチソンが、韓国を防衛ラインに含めない「アチソン声明」を出しました。半年後の6月25日、北朝鮮軍は韓国へ進撃しました。
日本の降服によるアメリカ軍政終了後も、アメリカ軍が韓国に存在し、アチソン声明に韓半島が含まれていたら、悲惨な「朝鮮戦争」は避けられたかも知れません。どちらかが「勝てる」と思ったとき、戦争は起こるのです。だから平和のためには、相手にそう思わせない努力が必要なのです。
ローマ人のことわざに、「戦いを覚悟したものだけが、戦いを避けることができる」というのがあるそうです。
私はこの言葉を、正に戦いを知る者の真実と思いますが、証明する手立てはありません。
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