イエスの惑星BBS

キリスト教信者の方、又はキリスト教や聖書に興味のある方の 交流の場です。

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最近の左傾化した教会の環境や教会の政治的な言動に疑問を
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カトリックの祈りの真髄・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月23日(水)01時18分11秒
   奥様の訃報は、ちょうど一年前の今頃でしたね。

 亡くなられた2、3日後、奥様のために、レクイエムをささげられた、神父様がおられます。澤田先生からのご依頼があったかどうかは分かりません。しかし、奥様の永遠の安息のために、早朝、心をこめてごミサをたてられたことは、間違いありません。

 私は人を大勢集め(時には動員をかけ)、イヴェント化し、共同祈願にたっぷりと心情吐露するミサとは、対極の、カトリックの祈りの真髄を見たように感じました。人が来ようが来まいが、依頼を受けようが受けまいが、生前の奥様を知る司祭として、静かになすべきことをなさったのだと思いました。

 尊敬する神父様のお一人です。
 

純愛の物語り  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月23日(水)00時55分55秒
   沢田氏は戦後間もなく、アメリカの確かコーネル・カトリック大学に留学、そこで、ドイツから留学してきた女性と肝胆合いてらすこととなり、その女性がドイツに帰られると、その後を追っかけてドイツに渡り、その女性の実家の二階に寄宿、今度はドイツの大学で、学位を取得されることとなるのです。

 当時ヒコザはオーストリアのインスブルックで哲学を勉強していましたが、そこへ、突然、沢田氏のお兄さんの沢田神父がやってきたのでびっくりした事を覚えています。

  じつは沢田師は、弟の昭夫氏の事を心配して、ドイツまでやってきたのでした。
しかし、二人の間の純愛と正常な関係を確認、安心したとおっしゃっていました。

 沢田先生とドイツ人の奥様との純愛の物語です。
 

澤田先生  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月22日(火)22時55分49秒
  澤田先生の奥様はドイツ人でした。お亡くなりになりました。
コンサートの会場で、度々ご夫妻にお目にかかりました。音楽に深い造詣をお持ちでした。

二年ほど前でしたか、山手で、澤田和夫神父司式のミサがありました。
この時のミサは、祭壇が輝いていました。発光していました。
何が、どうだったのでしょうね?
 

余談というか蛇足ですが  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月22日(火)20時35分15秒    編集済
  エリザベス・サンダース・ホームの澤田美喜さんの次男・久雄氏の奥様は祥子さんといいますが、
この方は姉妹で童謡コンサートを実に2,000回以上もこなしておられる、「安田祥子」さんです(安田は旧姓)。
http://www.yuki-yasuda.com/sachiko_yasuda_profile.html
「由紀さおり」のお姉さんで、澤田昭夫氏からすると従弟の奥様ということですね。
 

澤田さんのこと  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月22日(火)16時30分33秒    編集済
  澤田昭夫氏のことを小生元南山大学(名古屋のカトリック系大学)教授(助教授?)と紹介しましたが、これ誤りではありません。ただその後氏は、筑波大学に移られ、多年そこで教鞭を執られ、筑波を退職後は、さらに、日大や東京純心女子大でも教えておられました。

  氏は1928年、ワシントンで、日本外交官澤田節蔵氏(後のブラジル大使)の子息として誕生。おじさんの廉三氏も各国大使を務め、当時澤田二兄弟といえば、外務省の逸材として関係方面では有名だった。ちなみにこの叔父さんの奥方はかのエリザベス・サンダース・ホームで有名な澤田夫人である(駐留軍が日本に残した孤児たちのホームを経営)。

  兄さんの東京教区神父、澤田師は、東大法学部出身。終戦時には海軍士官として、横須賀におられて、米軍との折衝に当たられた、と聞いている。
 

金寿煥枢機卿  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月22日(火)13時20分42秒
  金寿煥枢機卿関連です。
ここのメンバーは周知でしょうが。

http://www.chosunonline.com/article/20040129000057
http://www.chosunonline.com/article/20040130000082
http://www.chosunonline.com/article/20040402000084
http://www.chosunonline.com/article/20040913000050
http://www.chosunonline.com/article/20040915000002
http://www.chosunonline.com/article/20080619000038
 

澤田昭夫先生  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月22日(火)12時58分18秒
  Pasさんの紹介して下さったサイトに澤田先生の
http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/sawada/index-sawada.html
があります。
このページは澤田先生直々の校正文を頂いているにもかかわらず、遅れています。
近々、最新versionをアップ致します。

追記すれば、このサイトで紹介している、麻生太郎、渡部昇一、曽野綾子の各先生は無条件で、山谷えり子先生は若干の条件付きで、文章を引用することの許可を得ております。渡部先生からは直筆で、曽野先生からは秘書の方の代筆で、励ましと思えるお言葉を頂きました。私が許可を得るにお約束したことは、
「編集者のコメントを一切加えず、一切の編集をせず、文章の全体を丸ごとアップする」
というものです。
 

記憶では・・・  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月22日(火)08時50分2秒
  私の記憶では、フィリピンのシン枢機卿、韓国の金枢機卿は、
民主化運動が頂点に達し、双方に政治的に利用されそうな頃、
突然、日本を訪問されていました。
心は、国の人々と共にあったのでしょうが、
長崎巡礼地、ヨハネ・パウロ2世の回られた道を
大司教館付の神父様の案内で、同じく訪問されていました。
教会が政治利用されないための賢明な選択だと思いました。
お二方とも、大きな影響力をお持ちの方々でしたから。

聖職者は、双方の信者の告解を聞かなければなりません。
キリストの福音について話している場合は問題ありませんが、
あまりに政治的に発言されていると、
それに反する側の信者は、教会から遠ざかることにもなります。
 

参考までに:澤田昭夫氏と酒井新二氏の対談  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月21日(月)23時25分36秒
  《カトリック生活》2003年4月号 対談 酒井新二氏、澤田昭夫氏 司会/G・コンプリ師
http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/yamanouchi/yamanouchi2005.07.10bb.html
山内智恵子さんの感想
http://www17.ocn.ne.jp/~antijpj/yamanouchi/yamanouchi2005.07.10.html
 

(無題)  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月21日(月)21時31分9秒
  サボテンさんへ、

  小生ヒコザも澤田さんに期待すること大きいです、
 

長崎の教会を紹介するサイト  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月21日(月)18時23分40秒
  長崎の教会
http://www1.odn.ne.jp/tomas/
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/
キリシタンの里をたずねて
http://www.ne.jp/asahi/yuriko/kyokai/kyokai/kyokai-2.htm
http://www.pluto.dti.ne.jp/~yuriko/
 

澤田先生・・  投稿者:サボテン  投稿日:2008年 7月21日(月)16時14分45秒    編集済
   カトリック教会の信者として、信頼のおける期待している方のお一人です。東京教区澤田和夫神父様のご兄弟です。筑波大学名誉教授でいらっしゃるので、筑波大学教授もなさっていたと思います。

 筑波大時代、さいたま教区の教会にもいらしていたようで(所属されていたかどうかは不明)、「正しいこと」を毅然と神父様に話されたようです。その神父様は、「かなわなかった・・」と言われましたが、澤田先生が何かおっしゃらざるをえないような現実がその小教区か日本のカトリック教会にあったのでしょう。

 『護教の盾』サイト その他《日本の信徒さん》のところに、文章があります。

★「カトリシズム荒廃の教訓」
――聖なるものの復権のために――
 「魂の救済」から「社会奉仕団体」へ  (澤田昭夫)

 どうぞ、お読みください。この中に出てくる、ニコラス神父とは、今年イエズス会総長(黒い教皇)に選出されたあの方です。(みなさま、ご存じだと思いますが・・・)

 澤田先生には・・・、がんばっていただきたいと、心から願い、応援しています。
 

バティカンへの手紙  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月21日(月)15時04分9秒    編集済
    おつるさん:
 >たぶん、護教の盾という ホームページhttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/poppyoil/
の 札幌の方が 聖体拝領や跪きなどについて教皇様と大司教様に 質問されて、
大司教様からお返事をもらわれたという事だと思うのですが・・・

  おつるさん、ご教示有難うございました。この記事は小生も読みました。札幌
教区の信徒さんが跪いての聖体拝領を神父に拒否され、このことについて、バティカンの典礼聖省への手紙を二回書き、その返事がちゃんと来て、司教さんの方にもご注意が行ったと言うものだと思います。

  実は小生の頭にあったのは、この記事ではなく、どなたかが、司教さんたちの政治的逸脱、偏向について、バティカンに注意を促したと言うものです。そしてそれをご当人からの報告として、どっかで読みながら、それがどこかをどうしても思い出せないということであったわけです。ひょっとしたら、これは小生の白昼夢か?

  しかし今日は、K氏から、司教たちの非違については、澤田昭夫氏がバティカンに注意を促す手紙を書いているという示唆を貰いました。

 澤田氏は元南山大教授、カトリック系西洋史学の泰斗、ニューマンやトマス・モーアの研究でも有名な方です。ひこざは学生時代から個人的にも存じ上げている方です。
しかしこの情報、澤田氏がどこに書いているのか、まだ分りません。

 澤田氏は語学的には非常に強い方なので、氏なら英語、フランス語でも、ドイツ語でもラテン語でもすらすら書いて、思い立ったその日のうちに投函できるでしょう。
 

補佐司教の 宗教交流  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月21日(月)13時35分39秒    編集済
  >補佐司教はキリスト教一致から、今度は、諸宗教交流に力を入れるそうですよ

それなのに 「比叡山宗教サミット」と 平和をうたう正平協や 宗教者九条の会との関連が あまりないのは なぜなんだろうと思いました。

もしかしたら
★「比叡山宗教サミット」には 教派神道や 神社神道が参加していること

 (●教派神道・・・国学(日本固有の精神理念)が興り、神道を心のよりどころと考える人々が増えて行く中、明治政府は神社と別に、数多くの宗教活動を行う団体の中から神道を信奉する民衆宗教団体を教団として認めることによって、布教活動を許可し、国民の精神生活の柱となる部分を培おうとしました。この時に勅許(天皇からの直接の布教許可)を受けた、のちの「神道十三派」と言われる教団が「教派神道」と総称されるようになったのです。
 ●神社神道... 明治から終戦までの間、「神社神道は宗教ではない」とされ、政府に保護された。これを「国家神道」と明治末頃から称していた )


★天台宗は 天皇と深い結びつきがあること
(斉藤吉久氏 ブログ 「皇室とゆかりの深お寺http://izasaito.iza.ne.jp/blog/tag/238628/ )

★イスラム教なども参加すること

これを考えると 補佐司教の宗教交流というのは
批判対象の 神道や イスラム教、天皇とゆかりの深い仏教などの
宗教者は排除し、交流せず

宗教界の中でも偏った 九条関係、社会活動家だけとの交流ということなんでしょうね

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/470/

 

新たな目標???  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月21日(月)04時06分54秒
  補佐司教はキリスト教一致から、今度は、諸宗教交流に力を入れるそうですよ。

それを聞いたとき、シラーーー!としてしまいました。

靖国を批判し、伊勢神宮を部落の根源のように批判していた方たちが
どう交わるのでしょうか?

おそらく、仏教会の中国すり寄り勢力と、真宗系部落問題の赤ーい僧侶と
手を取り合ってということでしょうか?
正平協全国大会の分化会発題者としても、ご参加のようですし。

思い存分、カトリックの典礼を崩して、さぞご満悦なんでしょう。
司教団に続いて壮年から若手の司祭まで赤く染め上げ、
信徒にはピース9で尻を叩き・・・
バチカン否定、教会法無視も明確に打ち出し、
次に目新しい目標が必要だったのでしょうか?
どこまでも 害毒を垂れ流す人たちです。

これも、なし崩し的に他宗教交流を勧めていますから
それに乗っかるシスター・信徒の無分別は
今でも十二分に目を覆いたくなるばかりなのに。
他宗教交流というのは、相手の宗教に敬意と節度を持って接するのが大切なのに
あの人たちは、何でもあり!なのです。嘆かわしい!
 

比叡山宗教サミット  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月21日(月)00時52分7秒
  ヨハネパウロ2世提唱の アッシジの世界宗教者の祈りからはじまった
比叡山宗教サミット21周年が 8/4に 行われます。
昨年度の ベネディクト16世からのメッセージ

「比叡山宗教サミット20周年に教皇のメッセージ(2007.8.4)
教皇ベネディクト16世は、京都と大津で3、4日の両日に開催された「世界宗教者平和の祈りの集い」にメッセージをおくられた。

今年は比叡山宗教サミット20周年にあたる。
教皇は主催者、日本宗教代表者会議の名誉議長、天台座主・半田孝淳師に宛てたメッセージで、すべての参加者らと平和への思いを共にされた。

その中で教皇は、1986年10月27日、故ヨハネ・パウロ2世が
イタリア・アッシジで開催した「平和のための祈りの日」に、
当時の天台座主・故山田恵諦師が出席し、そのアッシジの精神を
生かし、1987年、最初の比叡山宗教サミットを呼びかけたことなどを思い起こされた。
「平和は神の賜物として、それぞれが取り組むべき課題です」
「平和を求める世界の叫びは、家族や共同体の間をこだましながら
世界をめぐり、神への祈りとなると同時に、人類家族のすべての
兄弟姉妹へのアピールとなるのです」
と教皇は記され、参加者らの祈りと協力が神の平和で皆を満たし、暴力の不条理に打ち勝つ平和の理性を証しする決意を強めることができるようにと祈られた。
 この集いには、バチカンを代表して教皇庁諸宗教対話評議会議長ポール・プパール枢機卿と、同次長フェリックス・アンソニー・マチャド師が出席した。」

この比叡山宗教サミットに 天台宗 書寫山圓教寺 大樹玄承執事長様から
フリーチベット関西に チベット旗を持ってぜひお越しくださいと メッセージが
きました。
私も フリーチベット奈良デモで お友達になった山口県の本願寺派の僧侶さんたちと
いっしょに 参加してきます。

http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/470/

 

(無題)  投稿者:おつる  投稿日:2008年 7月20日(日)23時06分22秒
  彦左衛門さま・・・
たぶん、護教の盾という ホームページhttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/poppyoil/
の 札幌の方が 聖体拝領や跪きなどについて教皇様と大司教様に 質問されて、
大司教様からお返事をもらわれたという事だと思うのですが・・・

ノムさん・pasさん・ダンボさん
文化大革命の時に 内モンゴル自治区の方もチベットの民族浄化のように
ひどい虐殺を受けたということです。
実は チベットについで
6月末に日本で初めての東京での 東トルキスタン(ウイグル)デモ
7/5に 同じく東京で 内モンゴルデモが 行われました。

8/3には 大阪で初めてとなる ウイグル・モンゴル少数民族デモが 行われます。

なかなか難しいけれど 日本から中国の民主化・
少数民族の独立の声をあげていこうとしています。
ウイグル・モンゴルの場合は チベットとは少し違って 独立の意志があり
また ウイグルはイスラム教などということもあり チベットほどヨーロッパ諸国による支援がありませんから 日本の支援がとても必要なのです。
 

ダンボさん  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月20日(日)22時14分11秒
  本当にいろいろなことを考えさせられる旅でした。とてもひとことでは言えないのですが......。
ずっと旅の余韻が残っています。(疲れもずっと残っていますが)

旅の途中、「人生あとどれくらいかわからない(から準備をしなければ)」という考えが常に心にありました。
なぜか理由はわからないけれど、その考えがずっと心の中に浮かんできて、どうしても消えませんでした。
それが神さまからの問いかけだったのかもしれません。どう答えるかは今後の私次第ということになりますが......。
 

バティカンへの提訴  投稿者:彦左衛門  投稿日:2008年 7月20日(日)22時10分55秒
    今、一所懸命再度確認しようとしていますが、まだ分らないので、困っています。

  認知症のせいか、それが、どこで、どなたであったか分らなくなっています。

  それはどなたかが、カトリック司教団の政治問題への介入を批判されており、この実情について、バティカンに手紙を書かれたと言うことで、それをどこかで、発表されていたということです。

  こういう労をとられたことに感謝。彦もこれに続きたいという思いはありますが。しかし、生きているだけで精一杯なので、すぐには出来ないと言うのが実状です。

 この言わば、バテイカンへの提訴ともいうべきことは、かねて、おとっさんさんの忠告に、そうすればいいと,言われていたことです。

 すぐには、バテイカンからの反応はないかも知れません。しかし反応のあるなしに係わらず、看過できない司教たちの、逸脱と非違について、バティカンの注意を促す事は、信徒の義務です。そしてそれは必ず報いられることです。
 

文化大革命は・・・  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月20日(日)20時23分0秒
  Pasさん、巡礼のお恵みをいただけたでしょうか。
暑い中、大変だったでしょうけど、先人たちの血と汗と涙の地。
蒼い海が何よりの癒しを感じられたのでは?

文化大革命の書き込みを拝見して、今で言うマインド・コントロール。
国をあげてのマインド・コントロールのようですね。
ヤマギシ会という集団がありましたが、睡眠不足状態で自己暗示?すり込みをしていました。
親子関係の絆までも否定していました。
結局は、独裁者と何ら変わらないと思います。

ノムさん、文化大革命は、多くの人を犠牲にして 無残に失敗に終わったのですね。

 「人の心を変え、魂をきよめ、真底からふるいたたせ、
  未来にむかって驀進させているのである。
  この地上に、いままで見ることのできなかった
  全く新しい人間をつくり出そうとしている」

神を認めず、人間の力しか信じない人たちの、驕りですね。

金日成、金正日とソックリ! 血友ですからね。
 

『「文化大革命」簡史』から  投稿者:Pas  投稿日:2008年 7月20日(日)19時47分47秒
  (席宣・金春明『「文化大革命」簡史』<中央公論社、原出版社は中国共産党党史出版社>441〜442ページから)
毛沢東個人に対する「毛主席に忠誠、毛沢東思想に忠誠、毛主席のプロレタリア独裁に忠誠」という「三つの忠誠」とか、「限りなく毛主席を熱愛し、限りなく共産党を熱愛し、限りなく祖国を熱愛し、限りなく社会主義を熱愛する」という「四つの無限」が人の革命化程度を測る尺度であった。そのころは、「忠誠踊り」を踊り、「忠誠歌」を歌い、「語録体操」をやるのが限りなく忠誠であることの具体的な表明である。「血は忠誠の上に流し、力は忠誠の上に使う」というのが限りなく忠誠の誓いの言葉である。胸に毛沢東のバッジをつけ、家には毛沢東の像を据えたり肖像画を掲げたりし、赤い毛沢東の語録を持ち、口を開けば「毛主席万歳、万歳、万々歳」と唱えるのが限りなく忠誠の手本である。食事は食べなくとも、睡眠はとらなくとも、「朝の申告」「晩の報告」に一度でも参加しなければ大罪を犯すことになる。学習の成績は「毛沢東語録」をいくつ暗記したか、「学習体得」を何枚書いたか、「語録活用体験談」を何回したかできまる。こういった「革命の新しい気風」が手を変え品を変えて次から次に生み出された。
(同書432ページから)
当時の不完全な統計によっても、一九六六年十月十四日までに、「妖怪変化」とされて都市から農村に追いやられた人の数は、全国で三九万四七〇〇人以上に及び、一九六六年八月下旬から九月末までの四十日あまりの間に、北京市だけで八万五一九八人が原籍地に追い返され、一七七二人が殺害され、三万三六九五世帯が家捜しを受けた。

(『岩波現代中国事典』「文化大革命」の項(1106〜1108ページ)から)
......66年、毛沢東の主導により発動された文革は理論面、情勢判断などについて大きな問題があり、理想の社会主義国家建設の目的も実現せぬまま、76年毛沢東の死をもって終結した。......10年にわたった文革は、中国の政治、経済、社会、文化のすべてにわたって重大な打撃を与えた。......おそらくその正確な数を捕捉することは不可能であろうが、一般には死者1000万人、被害者1億人といわれている。......
 

言論は自由だ! バンザイ!  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月20日(日)19時07分25秒
  現在中国でおこなわれている文化大革命は、社会主義建設途上における全く新しい境地をきりひらいている努力といえる。それは、人間に「物質的刺戟」を与えてはげみを持たせ、物欲で釣りながら動かすのではなく、人の心を変え、魂をきよめ、真底からふるいたたせ、未来にむかって驀進させているのである。この地上に、いままで見ることのできなかった全く新しい人間をつくり出そうとしているのである。それは史上空前の快挙であり、前人未踏の大実験である。この種の巨大なうねりを、日本のジャーナリズムのように、うつろいゆく人事問題に焦点を置いて眺めているようでは、ことの本質を全く見失う。それはあたかも、寄せては返す壮大な波濤を見ずに、その波頭に浮き沈みする藻屑を数えているようなものである。
寺尾五郎「林彪の作戦」昭和42年1月徳間書店p.126
 

吉祥寺の五右衛門さん  投稿者:夢之介  投稿日:2008年 7月19日(土)23時15分29秒
  たいへん御無沙汰しています。
いい情報ありがとうございます。
お忙しいでしょうが、どうかちょくちょくお寄りください。

それはそうとDr.スランプはどうしてるのでしょうか?
 

書棚の古本  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月19日(土)22時31分33秒    編集済
  この3連休は書棚の整理をしようと思っています。
何も出来ずはや一日は終えましたが。

実は22日に、さる方からホーム・パーティに呼ばれました。
集まるのはおそらく5〜6人なのですが、主賓が、大変な方です。
旧満州大連生まれ、ハルビン育ち、終戦後も帰国できず中国共産党軍に徴用され軍医助手として勤務。国共内線、朝鮮戦争を体験。第四野戦軍に属し、司令であるあの林彪に注射したこともある。康生が、食糧倉庫に入ったと言うだけのことで一切のいいわけをきかず、被疑者二人を即座に射殺した場面を目撃している。
1953年に帰国、のち大手商社に入り中国貿易を担当するが、スパイとして逮捕される。北京で5年2ヶ月の監獄生活を送った、そういう人です。
文藝春秋社『北京の檻』

そんなこともあって、本棚の『林彪の作戦』というのが目にとまりました。
寺尾悟郎、じゃなかった、五郎という人の本で、この人はその著作で、多くの若者の北朝鮮帰国を誘導した人です。
書いてあることが全部間違いであったことは、今は証明されていますね。
「毛沢東と林彪の間には、レーニンとスターリンの間に見られたような思想上の体質差は全くない。林彪の思想は毛沢東思想の継承である。林彪の思想を一言にして言うなら、毛沢東思想を徹底化したものである。」

そして、
「およそ日本の解放運動史上、もっとも大衆的・革命的な立場を貫いたものは、常に、中国人民・朝鮮人民との友好・連帯を旨としていた。明治の自由民権運動の左派しかり、明治の社会主義者しかり、戦前昭和の社会主義運動しかり、そして、それらの運動の中で、変節・妥協・屈服・修正の道を歩んだものは、必ず、日本の中国・朝鮮への侵略を是認・肯定した分子たちであった。この歴史の教訓は貴重である。」
 

Pasさん&関西の皆様  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月19日(土)21時42分16秒
  7/31(木)は大阪泊まりで、久しぶりに皆様にお会いしたかったのですが、今回は本業に重大なテーマがあって、余裕がないと思います。9月にはお会いしたいです。

Pasさん
いい旅をなさいましたね。
私は8/1(金)の午後一時に金融機関との打ち合わせがあり、それを終えると帰京するのですが、高野教会へ寄ろうと思っています。大津教会はまた次の機会にします。
ソウルのホテルは明洞大聖堂の近くにあり、情報をご参考に、歩いてみます。
「水原」へ行くのは、古山高麗雄氏の作品に、その地名が出たからです。個別の目的はありません。
ソウルに駐在の知人がいて、旧交をあたためるのも楽しみです。
ここで、↓
http://www.nomusan.com/~essay/essay_17_rekisi.html
色々と教えて下さった方です。
 

子羊の晩餐  投稿者:ノムさん  投稿日:2008年 7月19日(土)21時05分8秒
  五右衛門さん
ノコさん
私も某誌の編集会議で翻訳者からご苦労を聞きました。
早速手配して拝読致します。
 

The Lamb's Supper  投稿者:ノコさん  投稿日:2008年 7月19日(土)20時17分23秒    編集済
  >9年前、米国でベストセラーになった“The Lamb's Supper”という名著がついに日本語に訳されて
これこれ、私の友達で翻訳家(吉祥寺教会所属のK氏)が訳しました
まあとにかく大変な難作業であったそうです
よかったよかった
 

大羊さん  投稿者:ダンボ  投稿日:2008年 7月19日(土)19時31分11秒
  絶対平和主義も、一信徒の個人の考えと言うことなら、誰も干渉できません。

しかし、聖職者は、ある陣営に組することはあってはならないことです。
それはどの国であれ、団体であれ、過ちを犯し、キリストの愛から外れ、
容認できないことをするならば、しっかりと抗議しなければならないからです。
そのためにも、政治的な偏りは避けなければならないのです。

聖職者はキリストの愛や平和の大切さを説き、祈るように呼びかければいいのです。
それを受けて、信徒がそれぞれに、福音を受け止め、判断し、行動するのです。
それが福音に相応しいものとなるように、
聖霊の導きを願い、祈り、信徒にも祈りを勧めるのではないでしょうか。

日本の司教団は、その基本を外れ、政治的発言を乱発。
それも、酷く、偏ったものです。
中国には及び腰、北朝鮮には何をされても、自虐的見解で、
相手の愚行を容認してしまっています。

信徒を信頼できず、自らの力のみを過信し、
運動の最先端に立っていることの愚かさに気づかねばなりません。
そして、キリストの福音を歪めてしまっていることにも気づかねばなりません。

司教様に司祭、修道者、信徒が同調しているかのように従うのは
あの方が司教だからです。
神父様方に修道者、信徒が従うのは、牧者だからです。

あの方々には、責任があるのです。牧者として導く先に関して。
カトリックの名を使い、聖職者の立場を利用し、
あの方々は皆をどこに導くのでしょうか。

私たちは神の国を目指しているのであって、
かの国の宣伝文句の「地上の楽園」を目指しているわけではないのです。
 

『子羊の晩餐』(新刊)  投稿者:吉祥寺五右衛門  投稿日:2008年 7月19日(土)18時27分32秒
   夢之介様、皆様、大変ご無沙汰しております。左傾化司祭などの話で盛り上がっている中、違う話題で恐縮なのですが、今回は新刊書の紹介をさせていただきます。こういった掲示板に書き込むのはもう何年ぶりになるでしょうか。

 9年前、米国でベストセラーになった“The Lamb's Supper”という名著がついに日本語に訳されてエンデルレ書店から出版されました。邦題は『子羊の晩餐〜ミサは地上の天国』、訳者はこの掲示板の常連の方にはきっと馴染みの深い人物です。

 著者のスコット・ハーン氏(神学博士、聖書学者)は元プロテスタントの牧師で現在はカトリック大学で教鞭をとる売れっ子作家です。教授であり、作家であり、テレビ出演多数となれば、ミーハー的なイメージとと重なり合うかもしれませんが、ヴァチカンのとある神学委員会の顧問まで務める堂々たる正統派論客です。

 ハーン氏は最初の著作である“Rome Sweet Home”(奥さんとの共著、日本語版もドンボスコ書店から出ています)において、カトリックへの改宗に至った、ご自身の心の旅について書き記し、それがそこそこにヒットしたことが次に出版された“The Lamb's Supper”の大ヒットにつながりました。

 本書は聖書の中で最も理解しにくく、あたかも「攻略すべき暗号」として、神から人類に与えられた難解なパズルのような「ヨハネの黙示録」をカトリックのミサ聖祭との比較において、深遠なベールをはがしていく傑作中の傑作です。

 今までにもミサに関する本は無数に出版されていますが、単に式次第の順番を解説するだけのものであったり、聖体祭儀の本質を「いけにえ」(キリストの十字架上の犠牲の再現、現在化)ではなく、「記念」あるいは「会食」に重点を置く頓珍漢な内容のものが多かったと思います。

 又、「ヨハネの黙示録」関連の本も今までに多数出版されていますが、いずれも正式な宗教書ではなく、いたずらに恐怖心を煽るようないわゆる「トンデモ本」が大半を占めていました。

 『子羊の晩餐』は「ヨハネの黙示録」の解釈としてカトリック神学のメインストリームに流れる思想を紹介するとともに、私たちが日曜日にあずかるミサが「地上に舞い降りた天国」であることを論証する面白い本です。真面目な本ではありますが、ところどころにジョークも出てくる珍しい神学書といえるでしょう。高度な内容ではありますが、一般の人でも十分に読めるカジュアルな本です。

 ちなみに、原書にはギルバート・シェルドン司教(米国・スチューベンヴィル教区)のimprimaturが付されており、日本語版はオプス・デイ日本総代理の新田壮一郎神父が監修されております。又、司祭のマリア運動日本責任者の内山恵介神父(御受難会)が推薦の言葉を寄せており、豪華キャストが一同に会した趣があります。

 カトリック書店もしくは一般書店で注文できます。

 左傾化した司祭や信徒にも是非読んでいただきたい本です。キリストの説く正義と平和というものがどのようなものか理解できることでしょう。しかし、彼らはこういう本を読む気にならないでしょうが・・・。

 皆様にはご一読を強くお勧め致します。
 

絶対平和もいいけれど・・。  投稿者:迷える大羊  投稿日:2008年 7月19日(土)14時39分55秒
   絶対平和主義も、私自身の考えには合わないけど、それはそれで、一つの考えではあると思うのです。でも、その中身が胡散臭くて・・。

 韓国の民主化とか軍事政権の非は声高に非難だけど、北朝鮮の神政体制とか拉致問題は見て見ぬフリとか、湾岸戦争時もアメリカ大使館や米軍基地への抗議はしても、一方の当事者のイラク側にはダンマリとか・・・。

 神様とかイエス様ってそういうエコひいきをするんですか?との疑問が抜けませんね。
 

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天におられる私たちの父よ
御名が聖とされますように
御国がきますように
御心が天に行われるとおり地にも行われますように
私たちの日ごとの糧を今日もお与えください
私たちの罪をお許しください
私たちも人を許します
私たちを誘惑に陥らせず
悪からお救いください
 アーメン


   
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