大淀事件を通して今感じること(追記) [医療記事]
大淀病院の事件は、一医療機関と一患者側との医事紛争の枠組をすでに超えてしまっているというのが大きな特徴だと思います。既存の報道機関が提示する情報が、とても社会的公平性を欠いた不適切なものであったということを、ネットを通した医師個人レベルの活動が明確にし、そして非常に質の高い医学的論がネットを通してリアルにやり取りされ、そういう中で裁判経過が多くの医師の注目を浴びているという特徴です。これは、医療報道のありかたそのものを変える大きな転機ではないでしょうか。
2006年10月17日、毎日新聞は、次のような報道を行った。それがすべての始まりであった。
病院受け入れ拒否:意識不明、6時間“放置” 妊婦転送で奈良18病院、
脳内出血死亡
2006.10.17 大阪朝刊 1頁 政治面 写図有 (全1,454字)
◇手術は60キロ先の大阪
奈良県大淀町立大淀病院で今年8月、分娩中に意識不明に陥った妊婦に対し、受け入れを打診された18病院が拒否し、妊婦は6時間後にようやく約60キロ離れた国立循環器病センター(大阪府吹田市)に収容されたことが分かった。妊婦は、脳内出血と帝王切開の手術をほぼ同時に受け元気な男児を出産したが、約1週間後に死亡した。遺族は「意識不明になってから長時間放置され、母体の死亡につながった」と態勢の不備や病院の対応を批判。大淀病院側は「できるだけのことはやった」としている。過疎地の産科医療体制が社会問題化する中、奈良県や大淀町は対応を迫られそうだ。(31面に関連記事)
◇県外搬送常態化
遺族や病院関係者によると、妊婦は同県五條市に住んでいた高崎実香さん(32)。出産予定日を過ぎた妊娠41週の8月7日午前、大淀病院に入院した。8日午前0時ごろ、頭痛を訴えて約15分後に意識不明に陥った。産科担当医は急変から約1時間45分後、同県内で危険度の高い母子の治療や搬送先を照会する拠点の同県立医科大学付属病院(橿原市)に受け入れを打診したが、同病院は「母体治療のベッドが満床」と断った。同病院産科当直医が午前2時半ごろ、もう一つの拠点施設である県立奈良病院(奈良市)に受け入れを要請。しかし奈良病院も満床を理由に、応じなかった。医大病院は、当直医4人のうち2人が通常勤務をしながら大阪府を中心に電話で搬送先を探したが決まらず、午前4時半ごろ19カ所目の国立循環器病センターに決まったという。高崎さんは約1時間かけて救急車で運ばれ、同センターに午前6時ごろ到着。脳内出血と診断され、緊急手術と帝王切開を実施、男児を出産した。高崎さんは同月16日に死亡した。大淀病院はこれまでに2度、高崎さんの遺族に状況を説明した。それによると、産科担当医は入院後に陣痛促進剤を投与。容体急変の後、妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)の妊婦が分娩中にけいれんを起こす「子癇(しかん)発作」と判断し、けいれんを和らげる薬を投与した。当直の内科医が脳に異状が起きた疑いを指摘し、CT(コンピューター断層撮影)の必要性を主張したが、産科医は受け入れなかったという。緊急、高度な治療が必要な母子について、厚生労働省は来年度中に都道府県単位で総合周産期母子医療センターを指定するよう通知したが、奈良など8県が未整備で、母体の県外搬送が常態化している。大淀病院の原育史院長は「担当医が子癇発作と判断して処置した。脳内出血の疑いも検討したが、判明しても対応しようがなく、診断と治療を対応可能な病院に依頼して、連絡を待っていた。ご遺族とは誠意を持って対応させていただいている」と話した。一方、高崎さんの遺族は「大淀病院は、脳外科を備えながら専門医に連絡すら取っていない。長時間ほったらかしで適切な処置ができていれば母体は助かったはずだ」と話している。【林由紀子、青木絵美】
◇「確認可能なはず」
妊婦が意識を失った場合、子癇発作と脳内出血の差はどう判別されるのか。県立医大の小林浩・産科婦人科教授によると「いずれもけいれんを起こし、普通どちらなのかは判断できない」という。一方、別の産科医は「頭痛があり、妊娠高血圧症候群がないなら、脳内出血を疑うべきだ。病院内にCTがあるなら、確認は可能だったはず」と話す。遺族は「脳内出血を疑う情報が、転院依頼先の病院に伝わっていれば、次々と断られることはなかったのでは」と訴える。
毎日新聞社
今あらためて、この報道が、いかに医療者の侮辱にさえ値する報道であったかが、裁判の証言を通して明らかにされつつあります。これは、ネットによる個人レベルの情報発信手段が確立された昨今であったからこそ、明らかにされたとも言えます。僻地の産科医先生のところに、その情報が最も集約されていると思います。その精力的なご活動に心から敬意の意を表したいと思います。とても貴重なその資料はこちらです⇒ 大淀病院 目次
私自身、この記事を最低と評する最大の部分は、6時間放置という表現である。
そして、ご遺族の発言として、新聞社としての責任を回避しながら、長時間ほったらかし という報道を行ったことも許しがたいが。
では、実際は・・・・
僻地の産科医先生の資料(第5回資料 診療経過表)から適宜抽出してみる。
大淀事件 証人喚問 内科医先生編 大淀事件 証人喚問 高崎さん編 大淀事件 証人喚問 産婦人科医先生編
からは、さらに詳細な現場の様子が伝わってくる
最初の症状 午前0時頃 (より正確には0:14) ・・・・A
本来の急変時 午前1:37 ・・・・B
直ちに転送交渉開始
(産科医が詰め所で転送交渉にあたり、
内科医が、患者のそばについている状況で)
交渉成立 午前4:20 ・・・・C
現場出発 午前4:50 ・・・・D
国循到着 午前6:00 ・・・・E
この経過で、どうして6時間放置になるのでしょう?
・ぎりぎり嘘という批判に対して言い逃れが可能な最大な時間のとり方(=E-A=6時間)にしています。
・放置というこの単語一語のみで、医師が何もしなかったという悪印象を自動的に読者に与えるようにしています。
この2点は、明らかに毎日新聞社の意図です。
医療を悪者にしたかったという意図が明らかすぎるほどに明らかです。
転送システムを論じるとすれば、C-B=約3時間弱 というところを検討すべきでしょう。
いずれにしても、この裁判を通して、明らかに当初の報道が不適切だったことがはっきりとしました。
医師ブログは、「情報流出・誹謗中傷」云々で、メディアの攻撃対象にされましたが、結果的には明らかに既存のメディアより早期に的確な情報を流していたこともこの裁判経過から判明したわけです。 もちろん、そんなことをメディアが報道するはずもありませんが、大きな事実だと私は思います。
新聞社側に最大限歩み寄って当初の取材当時は仕方がなかったという側面は仮に認めたとしても、今はもう違いますよね。それは、毎日新聞だって知っているはずです。
医療界を侮辱するような「6時間放置」という発言に対して、今、毎日新聞社は医療界にそして何よりも大淀病院の関係者達に真摯に謝罪するべきではないでしょうか?もしかしたら、私の知らないところですでに謝罪されているのでしょうか?
ただ、私個人の倫理観は、新聞社という組織には通用しないのかもしれません。
それが社会の不公平性の1つかもしれません。
(ちなみに、私は社会や人生は不公平なものであるという認識を前提にもっています)
この裁判を通して、医師側と患者側の間に、新たな相互理解が生まれることを願ってやみません。
(7月21日 追記)
2007年5月 2chでは、大阪保険医雑誌2007年5月号に記載された「対論 奈良・大淀病院問題から医療報道を考える」という記事の内容が紹介されていました。ネット上ではそれなりに有名かもしれませんが、いちおう、初めての方もおられるであろうと思うので、ここにも開示しておきます。
卵の名無しさん 投稿日: 2007/05/16(水) 22:10:14 ID:ytRbtdiX0
大阪保険医雑誌5月号より
吉村:
後の「医療クライシス」からは報道の姿勢が変わってきていると 医師仲間も思っています。 ただ、最初の大淀病院を巡る報道では亡くなった妊婦さんを担当した医師個人の資質の問題をターゲットにした書き方を されているのではないかと思うのです。
毎日新聞 砂間裕之:
具体的にどこがターゲットになっているのか、 示していただけますか。
吉村:
「当直の内科医が脳に異常が起きた疑いを指摘し、 CTの必要性を主張したが、産科医は受け入れなかった」という 箇所はどうですか。 一部には内科医師が「子癇発作の痙攣でしょう」としてCTを 進言した事実もないという話もあります。
毎日新聞砂間裕之:
そ れ は ネ ッ ト 上 の M 3 で の 話 で し ょ う 。 詳細な経過がなぜ外部に流出するのかも、こちらは全然理解できないです。僕らは取材に基づいてやっているので。
吉村:
しかし、この文面は体制の問題を強調している文章と言えるのですか。
毎日新聞 砂間裕之:
事実経過を説明しないと、体制の話もできないでしょう。 この中で、悪いとも何とも書いていないわけです。 事実経過がなくて、どうして体制が不備だと言えるのですか。
吉村:
だから、これが事実かどうかも明らかではないでしょう。
毎日新聞 砂間裕之:
事 実 に 基 づ い て い ま す 。
吉村:
では、どこから、誰から取材したのですか。
毎日新聞 砂間裕之:
取材源は明かせません。 少なくとも、病院関係者と遺族、奈良の医療関係者から取材しています。 子癇か脳内出血かというのは、診断するに当たって、大事なところではないですか。
このようなやりとりが実際になされていたわけです。しかし、裁判での関係者の証言が、明らかになった今だからこそ、もういちどこの砂間氏の発言を考え直してみるのも良いかと思います。 いろんな立場がおありでしょうから、ご自由にお考えいただければ幸いです。
併せてここに、裁判証言での関係箇所を抜き出しておきます。皆様のご判断の一助となればと思います。
0:14の意識消失に関して助産師の証言
[被弁2]
その後、お二人の医師が何か話されているのを聞きましたか?
[助産師]
「陣痛中の単なる失神でしょう、しばらく様子を見ましょう」というようなことを言われました。
[被弁2]
誰が言いましたか?
[助産師]
内科医だと思います。
1:37の痙攣発作に関しての内科医と産科医の証言
[内科医]
脳の異常だと思いました。脳出血ないし、脳梗塞。CTは撮ってもいいと思ったのですが、産婦人科医先生が動かしてはいけないとおっしゃった。それに搬送先でCTも撮ってもらえばいいかなと。
[産科医]
マグネゾールがきいたから。子癇には絶対安静が必要。それに高次機関ですべきだと思った。CTには40-50分かかる。脳の病気では?といわれた覚えはない。
(コメントを下さる方へ 単語1つを切り取って、誹謗・中傷と言われかねない単語は、できるだけ回避してくださるようにご配慮ください)
このころの医療報道はひどかったですね。特に毎日新聞。最近もありましたね。例の英文サイトのお下劣記事をはじめ毎日新聞の報道機関としてのレベルの低さにはあきれてしまいます。今月中に社長が辞職しなければ毎日新聞の購読は止めます。
by 元外科医 (2008-07-17 22:27)
できるだけ先入観を抜きにして各新聞を並べてみると、
日経新聞 : 「蘇れ! 医療」 でしたか、いいシリーズです
朝日新聞 : 柔整問題に関する1面記事は良かった。GJ!
で、問題の毎日新聞ですが、
英文サイトの下劣さは論外!
口に出すのも恥ずかしくて、人に説明することもできません
医療関係に関しては、
質はともかく記事の数の多さは誉めてあげてもいいと思います
三振も多いが、少しずつヒットも出るようになってきました
朝日、毎日が
かつての医者叩きから少しずつ軌道修正を図っているのに対し、
サンケイ新聞は未だに見当外れの医者叩きを続けています
私はこの新聞の政治的立ち位置が結構好きなだけに、
医療関連の記事にはガッカリです
「キミ周回遅れだよ」 って、誰か教えてあげてください
by 石部金吉 (2008-07-17 23:41)
もしかすると、お得意の懲罰的昇進・褒賞を逆にした表現だったのかもしれません。医師をたたくことによって医師のすごさを称賛したつもりかもしれません。件の魔法の言葉「このコメントに中傷の意図はありません」では、危ないかもしれません。
ここしばらく大淀病院事件を扱う医療系ブログへのコメントは非常に気を使います。大丈夫なつもりですが、ブログ主の判断で削除でOKです。
by ミヤテツ (2008-07-18 07:34)
「産科医療のこれから」で、大淀病院の産科、内科の先生方、そして助産師の方の証言内容の詳細を知ることができました。まず傍聴し記録をしてくださった方々に感謝します。
一助産師として、自分がその場にいたような思いで読みましたが、その場でできる限りのことをされていたのではないかと思います。「高次医療機関への母体搬送」を早々に決定して受け入れ先を探しているのですし、証言の内容からみても、ICU,NICUのない病院で産科的、内科的あるいは脳外科的にも積極的な検査や治療に入れる状況ではないと思いました。師長さんは、受け入れ先が見つかったらすぐに搬送できるように救急隊を早めに手配されていたそうですね。誰もが精一杯のことをされていたのではないかと思います。
経時記録を読んでも、状態の変化に合わせた対応をされていたのではないかと思いますので、本当にこれを「6時間放置」と世の中に情報を送ってしまったことは、取り返しのつかないことをしたのではないでしょうか。
また、傍聴報告の中で、国循のカルテ開示を家族がしたうえで病院側が話し合いをする予定であったのに、御家族側がそれをしなかったこともふれていました。傍聴された方は、高崎さんのご主人に良い印象があったことも書かれていました。
時間をかけて病院側と話し合いを繰り返していく中で、もっと違う受け止め方もできたのではないかと思えます。
先生が日頃、このブログで繰り返し書かれているように、もっとお互いの理解を深めていける方法があると思います。
スクープ狙いで、対立をあおるような記事は、結局社会に不信感だけを残して、なにも解決にはならないのではないでしょうか。
by フィッシュ (2008-07-18 14:00)
大淀病院事件そのものについてのコメントを忘れていました
私から見れば、母体死亡については予見不能・回避不能
だと思います
開頭手術+カイザーで子供だけでも助けることができたのは、
国循ならではの離れ業ですね
ところで、あまりどなたも触れておられないようですが、
頭痛や意識障害発生時の focal sign はどうだったのでしょうか?
そこから議論が始まるのが普通だと思うのですが……
by 石部金吉 (2008-07-18 19:34)
どうも、大淀病院では麻酔科医が常駐していないみたいですね。
麻酔科医が常駐しているか、あらかじめ起こりやすい体質だということに気づいて対応できる所に入院していたら、ここまでこじれることがなかったのかもしれない。母子ともに助かっていたのかもしれない。
そう思うと、すごく悔しいです。
患者にできることと言えば、麻酔科医が常駐している病院に入院するか、期王将を伝えるぐらいしかないんでしょうか。
by rirufa (2008-07-19 21:58)
大淀事件は現在裁判進行中でいろいろな記事を目にすることができます。その結果、以前に増して、妊婦を診療することはとても難しいと考えるようになりました。
これまでにも妊婦の喘息発作や重症肺炎を診たことがあり、とりあえず母体優先で治療をしました。内科医としては、まだ見ていない胎児を救おうと考えるのは難しいです。重症のときには事態がはっきりするまでは保存的治療で経過観察するという内科一般の手段を選ぶと思います。
大淀事件では産科医は胎児も母体も救おうとし、内科医はそれに従って経過をみていた、という診療科特有の意識の違いもあるのではないでしょうか。いろいろな記事を見て思いました。
by uuchan (2008-07-20 06:59)