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学園投肛写真・日本 〜少年愛と世界の未来〜

「学園投肛写真公式サイト」(アイル)

アイル「学園投肛写真」(amazon)

相手は美少年でなければならない。美少年とはこの場合
「他者の裡に再発見したナルシシズム的対象のことだ」と云っておこう。

(稲垣足穂「少年愛の美学」)

美なるものに醜悪な意味を見出すの者は好ましからざる者達であり、
それは過ちなる行為である。

美なるものに美しき意味を見出す者は審美者であり、かかる人は有望である。

美なるものがただ「美」のみを意味しうる者こそ真に選ばれし者である。
(オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像 序文」)

「学園投肛写真〜変態性癖の目覚め…〜」(凄いタイトルだな…)
をプレイしているんですが、なんというか、このゲームはある種、
世界の未来を指し示すイノベーターなんじゃないかなと思いましたね…。

このゲームのどこが世界革新的イノベーションに優れているのか。
それは、ただ一つのシナリオとそのヒロインに帰結します。それは…

本庄正美くんシナリオです!!

このシナリオの破壊力はずば抜けていました…。

主人公(名前は長田)の机に正美君からの手紙が入っていたんですよ。

「お話があります。放課後屋上で待っています」

って…屋上に行ってみると…。


正美くん
「僕、長田君の事が好きです!」


私、十数年来、エロゲをプレイしていますが、こんなに
正々堂々と、男の子に告白されたのは始めてだ――


「俺…………男だぜ?わかってるか?」

「自分でも変だってわかってるけど……
このまま、思いを伝えないまま、卒業したくないから」

「はぁ………変だと思うなら、告白なんてするなよ」

「だって……好きになっちゃったんだもん」

本庄は、今にも泣き出しそうな表情で、俺を見つめてくる。
そして、その表情は、真剣そのものだった。

「長田君、僕のこと何度も助けてくれたし……」

「僕、そういう風に、優しくされたことって…無くって……」


………………。

やべえ…、こいつは可愛過ぎる…!!

マジ惚れた!!(^^)


で、この物語について簡単に説明しますと、変態系投稿写真マニアの
主人公が、その投稿する写真を取る為に被写体となるパートナーを
探しているという物語で、主人公の動機付けのスタンスは、
「変態系投稿写真を取ること」で、他のヒロイン達の動機付けは、
「自分の異常変態性欲を満たしたい」「投稿写真の被写体になりたい」
等なのですが、正美君シナリオだけ、「主人公のことが好きだから、
主人公の為に彼が望むどんなことでもしたい」で、動機付けが彼だけは
『恋愛』のモチベーションなんですね。

本作の真のヒロインは彼(正美君)としか云い様がないよ…。

で、主人公は正美君の女装写真を撮りたいという願望から
正美君と付き合い始めるのですが、正美君は主人公のこと
を愛しているのに、主人公は正美君を写真の被写体として
しか見ていないのが…正美君に惚れた私としては、残念無念
という感じなんですが、正美君の献身的な努力によって
だんだんと主人公も正美君のことを好きに…というのが、
大まかなシナリオです。

この作品のエポックメーキングなところがどこにあるかと
云いますと、『美少年の性愛』というテーマを逃げずに、
正面切って描いているところにあると云えましょう。

先にも挙げました通り、美少年がダイレクトに主人公へ告白してくる
のはおそらくは男性向け18禁ゲームにおいて、始めてのことです。

美少年と恋愛するゲームは、それなりに近年増えてきていますが、
だいたいにおいて、そこには何らかのエクスキューズが存在している。
その美少年の少年性を低減させることで、緩やかに展開を
運ぶテクニックが使用されているのですね。

例えば、女装していて、主人公は女性だと思っていたというのが、
最も多いエクスキューズのやり方ですね。他にも、
三角関係によるエクスキューズや、近親(弟)によるエクスキューズ
によって、美少年+αの何らかの入りやすい属性を付加している。

けれど、美少年というのは、そういった、ある種云ってみれば
小細工的なことをやらずとも、美少年であるというだけで、
非常に強い欲望の喚起を促すシンボルであって、寧ろ、
美少年そのもので勝負を掛けてくることこそ、新しいエロゲ
を築くイノベーションな作品となると昔から思っていましたので、
本作にはたいへん感銘と喜びを受けましたね…。

元々、日本は厳格な性道徳によって徹底的に性を抑圧した
キリスト教の範を明治維新までは免れており、男性はこうあらねば
ならぬ、女性はこうあらねばならぬと云った、厳格なジェンダー
規範は存在しませんでした。日本にあった規範は、支配階級
であった武士とそれ以外といった、階級規範的なものが主で、
ジェンダー規範だけが傑出して存在するということはなかった。

明治維新後、富国強兵政策の為に、西洋から輸入した
徹底的なジェンダー規範が敷かれるようになり、そこにおいて
同性愛は悪とされた。これはあくまでキリスト教の論理で、
キリスト教の論理における二元論、崇高な神の属性を司る”男”
と、堕落の悪魔の属性を司る”女”が、互いに補完することで
完全なる人間となるというキリスト教以前のプラトニズム、
拝火教などの二元論から来ている思想であり、二元論において、
一元的な世界、つまり、同性愛は、二元の相互補完による上昇を
妨げる悪、すなわち堕落であるとして、徹底的に弾圧されたのですね。

しかし、このような二元論は、人間に対し強力な禁止によって
方向付けするゆえに、人間の肉体の根源的な全方位性を抑圧し、
その抑圧された情動は常に外部へ噴出する。

女性において、ジェンダー規範による抑圧は、”百合(レズ)”として
開花し、”S”(女性同士の愛情を交わす関係性を示す。Sはシスターの頭文字)
と云われるような関係性が、女学院、乙女文化によってある程度の
解放のはけ口、キリスト教に抑圧される前の欲望のあり方への
再帰を見ました。しかし、それが、抑圧者そのものである”キリスト教”
に属するキリスト教系女学院の内部からの、抑圧への対抗の
日本文化として誕生したことは、極めて面白いですね。

男性の場合は徹底して情動は社会化され、戦前は富国強兵の
為のエネルギーとして、戦後は経済成長の為のエネルギーとして
使われることになりました。性的エネルギーを条件付けすることに
よりそれを活力として使う、生-権力による国家的な誘導です。

しかし、もうそういう時代ではないでしょう…。

男性もそろそろ、禁欲主義を捨てて、
女性と同じく自らの快楽に忠実に生きてよい頃ですよ…。

禁欲主義というのが、結局何を意味するかというと、それは
ルサンティマン的なところを源泉とする強さへの願望なんですね。

客体的な理想を主体的な強さの力によって得る為に、
自らの理想性を抑圧(禁欲)して、それを外部への働きかけと変える力。
おもいきり乱暴に言えば、アメリカニズム、マッチョイズム、
力による思想、自ら美しくなるのではなく、美しいものを手に入れる
為に手段を選ばない=醜くなる、美しい外部を手に入れる為に
自らが醜くなるという倒錯的な欲望が働いている。

この倒錯こそルサンティマンであり、神という美に奉仕する為には
手段を選ばないことによって自らは醜く変貌してゆく宗教者と、
女性という美を手に入れる為に、手段を選ばないことによって自らは
醜く変貌してゆく男性は、同じルサンティマンに囚われているのですね。

結局のところ、男性が、自らの男性性を
受け入れられない(愛せない)ことに最大の問題がある。

キリスト教というのは、男性の最も良くない部分を全面的に
展開してしまった宗教であって、それが世界を席捲しているのが、
今の時代の現実です。

男性が自らの男性性を愛せないから、自らの女性性(美が象徴する)
を自ら愛せる(美を所有する)女性を、暴力的に手に入れようとして、
ルサンティマン的な倒錯が発動するのです。そしてヘテロセクシュアルを
絶対として機能するこの社会的機能の基盤こそが、その倒錯そのもの
であるがゆえに、現代の病根は果てしなく深いと云えます。

だが、日本には古来より連なる、美少年を愛する伝統があります。
これは、日本が、キリスト教とはまったく対極にある、柔軟と包括を
持ったアニミズムを貴ぶ八百万の神の国であったがゆえの奇蹟。

「日本の文化のように、千年も少年の美しさを制度化してきた文化は
少ないではないでしょうか。そういう記憶は(日本人の)身体のなかに
沈殿して伝わっているようにしか思えません。例えば、自分自身も
含めて、子供の頃にお祭りで薄く化粧をした少年の美しさなどという
ものは、エロティックな間=主観性というものの発端であったりした
のですから。美少年ということで、両性具有の表象を持ち出すのも、
こういった記憶の劇場があってこそです」

(渡辺守章。高原英理「無垢の力」より)

男性が同性である美少年を愛することというのは、
男性自身を受け入れる(愛する)ことそのものなのですね。

男性のなかの美性というものを、認識し、受け入れることで、
ルサンティマン的倒錯ではなく、敬意を持った関係性が
女性(外部の美)に対しても抱けるようになるのです。

本来的には、性愛関係の発展性として、

「自己愛→同性愛→異性愛」
(橋本治「ぼくらのSEX」)

というような発展性があるのですが、同性愛をキリスト教が
弾圧したことで、発展できずに、直接異性愛にジャンプして、
それが、極めて幼稚な愛情というか、略奪みたいなものを
男性に齎しているのが、世界的にあらゆる問題を生んでいる…。

女性の場合は、先に挙げたように、同性愛の部分を上手く
活用して、男性よりも成長を遂げている訳ですが、
男性にはそれが今迄なかった。

しかし、もう日本の男性はいい加減、
ルサンティマンに満ちた禁欲生活には疲れている。
日本経済発展はこれ以上望めそうにないですし、
わざわざ禁欲することにもはや何の意味性も
なくなってきている。男性も女性のように、だんだん
と素直になってゆくでしょう。

その時こそ、大いなる美少年愛復権の時であり、
美少年愛の輝きが日本を照らし出す時こそ、
日本が果てしなきアメニカニズム(二元論世界)から救われ、
真の日本の叡智と栄光と歓喜を取り戻すのです。

そして、キリスト教的二元論によって疲弊した世界に
とって、覚醒した日本こそが救世主となるでしょう。

キリスト教的二元論は西欧の絶対的基盤の為、
西欧には決してこの問題を解決することはできない。

解決することができるのは、異質な外部の他者、
すなわち解き放たれた我が日本国だけなのです!!

美少年は日本を覚醒させ、世界を救う。

その革新的先駆けこそが、

本作「学園投肛写真」なのです!!

正美くん、愛してる!!!

参考作品(amazon)
アイル「学園投肛写真」

稲垣足穂「少年愛の美学」(足穂全集 4巻)

高原英理「無垢の力 少年表象文学論」

橋本治「ぼくらのSEX」

ワイルド、他「ゲイ短編小説集」

コクトー、他「美少年 書物の王国」

オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

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