僕たち、私たちの時代からもう一度「特攻」を考えよう


*欧米列強の植民地化政策に対抗する歴史の中で*


 1853年のペリー来航(黒船艦隊による威嚇)、それに続く開国より欧米列強の脅威を目の当たりにした日本は、その帝国主義(アジア諸国植民地化政策)に対抗すべく富国強兵に努める中で、欧米に混じって激動の世界の波に飲み込まれていきました。

回天創始者の一人、仁科中尉(左)上別府大尉
 その後、日清戦争、日露戦争の勝利による国土の拡張、さらに第一次世界大戦参戦等を通して、日本は次第に力をつけ、また同時に列強の帝国主義にも染まっていき、それがやがて日中戦争、世界恐慌を継起としたアメリカの経済封鎖政策、日本の宣戦布告(太平洋戦争の勃発)、圧倒的な力の差による戦局の悪化、原爆投下を期とするポツダム宣言の受諾(敗戦)へとつながっていったわけですが、その戦争末期、一部軍人のとった反省すべき行動は別にして、敵本土上陸を前に生まれた「特攻」という護国防御の戦法は、僕は何か、長い歴史のある、しかも単一民族(*)の日本という国に育った若者だからこそ生まれた、必然性のようなものを感じます。

 特攻を犬死と呼ぶのはたやすいですが、それは遠くで簡単に聞き流すレベルの無責任な議論であり、実際死んでいった彼らの思い、またそうせざるを得なかった当時のアジアをも含めた日本の状況を真剣に考えた場合、もっと真摯な立場に立ってこれら特攻作戦を論じなければ、彼らの魂が浮かばれないばかりか、それに続く我々日本国民も、その魂を蔑ろにした軽率な、弱々しい社会しか作っていけないという気が、僕はします。

 彼らは、日本――当時列強の東亜完全植民地化支配に立ちはだかった最後の国でもあった――が、まさに滅亡の危機に直面した戦況の中で、日本を、愛する仲間を、恋人を、家族を護るために、また新たな日本再建を願って未来の我々のために、敢えて自らの命を犠牲にしていった若者達なのですから。

 そうする必要のある国であると思えたからこそ、死んでいけたのですから。


出撃していく回天搭乗員と潜水艦乗組員 (千早隊)

 この特攻隊員達の残した心が、今の日本の人達にとどくことを願います。そしてその心が次世代へと受け継がれていくことが、日本の更なる発展、世界の和平、そして、「一人一人の命、生活を大切にする、ゆたかな社会」につながっていくであろうことを、信じて止みません。

(*) ここでいう単一民族は、先住民であるアイヌ民族、琉
球民族の方々を含めた、広義のものとさせて頂きます。

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