来年5月から導入される裁判員裁判に参加する裁判員候補の来年度分の名簿作成が、全国の地裁で始まった。
裁判員裁判で何より求められるのは市民裁判員にも分かりやすい審理だが、いまの法廷は正直言って市民には判断がつきかねる部分が多い。
なかでも、犯罪を証明し事実を認定するうえで重要な位置を占める被告の供述が、任意に基づくものなのかどうか、その判断は難しい。
被告の自白は信用できるのか。強要や誘導によるものではないのか。プロの裁判官でも見抜けないことがある。
先日、東京高裁が再審開始を認めた「布川事件」でも、確定判決が認定した被告の「自白の信用性」に疑問が生じたことが決めてとなった。
いわんや素人の裁判員が供述の「任意性」や「信用性」を調書で判断しろと言われても、極めて困難だろう。
捜査段階の取り調べを録画する「可視化」の必要性が叫ばれ、検察庁が部分録画を始めたのも、ひとつには裁判員にも判断がつくよう、取り調べの適正さを映像と音声で裏付けるためだ。
同時に、冤罪(えんざい)を防ぐ大きな力となることを見逃してはなるまい。過去の冤罪事件の多くは自白の強要や誘導によるものだった。この点でも、取り調べの可視化は欠かせない。
その可視化のあり方に一石を投じる判決が今月上旬、佐賀地裁であった。
佐賀県唐津市で起きた強盗殺人事件の判決で、検察が強盗罪立証のために提出した取り調べ状況の録画映像について、裁判所が「供述の信用性の裏付けになるとみるのは困難」と判断し、強盗罪を認定しなかったのだ。
裁判所の判断理由を要約すれば、次のようになる。
「映像は調書を読み聞かせ、被告が署名、押印する場面とその後の取り調べのもようを録画したもので、それ以前の取り調べがどのように行われたかが分からない。これでは検察官に逆らえず、迎合あるいは引っ張られる形で、自らが認識していないことを被告が供述した可能性を否定できない」
部分録画では「自白の信用性」の判断材料にならないと言っているのだ。
可視化の範囲を「調書の読み聞かせ部分など一部」とする検察、警察の方針に疑問を投げかけた判決といえる。部分録画では裁判員が判断を誤る危険性があると言外に指摘したものでもあろう。
調書に署名している場面などの部分録画では、被告が供述内容を素直に認めているように裁判員には映ってしまう恐れがある。それを防ぐには、やはり取り調べ過程の全面可視化が必要だ。
取り調べの可視化は裁判員裁判での審理の迅速化や簡素化のためもあろうが、真の役割は誤判をなくし冤罪を防ぐことにある。そのことを忘れてはならない。
=2008/07/22付 西日本新聞朝刊=