地球の危機を救う者は誰か
News & letters 109/
G8のサミットが無力をさらけ無様な失敗に終わった。もはや8つの列強では地球温暖化やエネルギー問題、食糧問題を解決することが出来ない。
世界各地でエネルギーや食糧を巡って暴動が起こっている。米騒動のようなことが世界中で勃発し始めた。
日本でも7月16日は全国の漁民が休漁ストライキを打つという前代未聞の事態も発生した。 保守陣営の一橋頭堡であった漁民が体制に対して根本的な変革を求めだしたのである。 経済学者だけではなく、もはやこれまでの資本主義の支配体制では人類の存続そのものが危ういということが普通の人の目にも見えるようになってきた。
温暖化については、2050年までに二酸化炭素の排出を半減させるというが、これも実現される可能性はゼロであろう。世界にまたがる巨大資本の利潤追求第一によって支配された地球はもはや全く自制がきかないのである。
二酸化炭素の排出、それによる温室効果だけが問題なのではない。膨大な量の二酸化炭素を排出する程の過剰な熱の放出が問題なのである。
工場や自動車、空調施設、ゴミの焼却炉、原子炉など地球を燃やし沸騰させるおびただしい釜炊きを止めなければ温暖化どころか過熱暖化によって人類は焼け死んでしまうだろう。人体で言えば38度に達する高熱状態でうわごとを言いながら裸で過重な労働をしているのと同じである。
原子力発電に血路・代替を求めようとしているが、それも、それを建設し維持するために莫大な石油資源を消費しなければならず、その上に解消不能な放射性廃棄物を積み上げばらまいて人類の脅威となり、原子力産業全体がこれまた巨大な熱の放出源ー地球温暖化の元凶となっていくのである。
人類は化石燃料の焼尽によってか、原発による放射能の汚染によってか、いずれの毒素によって早く衰滅するのか、競争しているようである。
その2つの毒素を噴出し狂奔させているのは、飽くなき資本の増殖の論理なのである。
G8のリーダーを番頭として世界支配を維持してきた資本家も中国・インドらの新興資本家国家の無制限なエネルギー消費は押さえられない。高騰し続ける燃料費では、漁民だけではなく、農民も運輸業者も、誰も彼も仕事をすればするほど赤字となり生活が出来ない。暫定税どころではない。
それに世界的な食糧危機がせまっている。自給率40パーセントの日本では、漁民や農民の生活が成り立たないということ自体で、直接国民の生存そのものが成り立たなくなる。
米騒動のような社会情勢、物情騒然とした世の中が日常の姿となる時代に入りつつある。
しかも今の体制では、解決の糸口も見えない。
北や南の氷山や氷河の崩落や融解を止めることが出来ない。異常気象、異常な生態系、異常環境が日常化してきている。世界を股にかけた資本家連中は、それでも自分の工場から排出する二酸化炭素等の有害物質の排出を止めない。あらゆる化石燃料を使い果たし、あらゆる鉱物を掘り尽くし、燃やし尽くすまでその稼働を止めようとしない。
現在の国家体制、現在の世界の政治状況では人類は救えないことは明瞭である。
全世界の働くもの、労働者階級人民が現体制を変革する以外に人類の生きる道はないであろう。 政治・経済・社会全体の革命的転変が起こらなくてはならない。現在の支配体制では、地球は救えない。救うどころかますます悪化させている。
道路はもう維持管理するだけにしてその大半の税金は荒廃した農山漁村の復興に向け食糧を確保し、環境保全や新しいエコ・エネルギーの開発費に大きな予算を回すべきだ。それぐらいのことも出来ない政府は存在の価値がない。
労働者階級がこれまでの体制を根本的に打破する行動を取らなければならない。それぞれの国情に合わせ、日本には日本のやり方でこの革命的転変・変革が遂行されねばならない。現在の日本の民主警察では、また自衛隊すらも、農漁民や労働者階級の整然とした進撃に対して野蛮な弾圧は出来ないだろう。国民の圧倒的多数が現在の閉塞された時代・旧体制の打破を望んでいる。
予断は許されないが国会や地方議会などの議会制度が有効に機能すれば、平和的にこの変革は行われるであろう。そうでないとしても、何らかの民主的な代議制や直接民主主義方式が編み出されるであろう。革命の時代であればあるほど民主主義の原則は保持されねばならない。
いかなる手段を講じても体制を変革しなければ漁師も百姓も生きていけず、労働者国民が生存できないことはあきらかである。単なる政府交替では不可能だ。革命的動乱の時代において、かつて都大路を赤旗をなびかせて変革を呼号していた君や私はただこのまま老耄して生涯を終わっていいのであろうか。
暴動を起こして憂さ晴らしをして終わってはならない。漁民の史上初のゼネストはそれ自体は大きな問題提起の意味がある。これをおこなった勇気とそのせっぱ詰まった気持ちに多くの国民が敬意を表する。が、体制変革の具体的な政策なしに休漁ストやゼネストやを乱発しても何にもならないだろう。 漁民や農民も労働者も自分たちが生きていく政治学や哲学を考えなければならない。
地球の自然環境を保持することが第一であり、人間も環境もどうでもよいという資本の増殖に我々の政治や経済を任せておく訳にいかない。資本が中心ではなくそれが優先ではなく、人間や動植物が存続できる新しい体制、新しい生き方、新しい人間関係(若きマルクスはそれを「人間主義=自然主義」と呼んだ)を構築しなければならない。そういう革命の時代が近づいている。 私は それを真の意味でカール・マルクスの「資本論」の時代が来たと実感している。
かつて昭和21年、私が幼児の折、南海地震が襲ってきた。私は母に抱きかかえられて近くの山に避難したという。不気味な地鳴りが上がり、人々の呼び交う声の中で、大地を揺すったその大地震に対し私の祖母は庭に出て天に向かって叫んでいたという。「世直れー、世直れー」と。 それが、幾千年、地震の度に私のふるさとの人々が叫んでいた声であり祈りであったろう。
私はそれと同じ言葉を世界の空に向かって叫びたい。「世直れー、世直れー」と。今は、革命的転変の時代の夢を見、人類の悲劇の回避を願いながら、現体制の中で精一杯の日常業務の小さい革命を積み重ね住民の福祉のためにがんばるしかあるまい。
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