今週9月26日、東京地裁103号大法廷において、中国「残留」孤児国家賠償(国賠)請求訴訟の口頭弁論が実施された。原告は同訴訟の第2次ないし第5次までの1052人。すでに第1次原告の40人は、2002年12月20日に同地裁に提訴し、今年5月24日弁論が終結し、来年1月30日の判決を待っている。
東京地裁 (撮影者:OhmyNews) 現在、東京を含め全国15の地方裁判所に提訴されている。 原告ら孤児の親や親族の多くは、戦前、国の政策により、当時の「満州国」の奥深く(ソ連と満州の国境付近)に開拓団員として送り込まれた。そして敗戦直前の1945年8月9日、関東軍は、ソ「満」国境を越えて進行してきたソ連軍に対し、為す術もなく撤退しつつ、一方で軍関係者の本土避難を優先させ、他方で開拓団員を満州奥深くに放置した。 満州開拓団では、敗戦の約半年前に、成年男子がことごとく現地徴兵(「根こそぎ動員」)されたため、老人と女性と子供しかいない状況にあった。 そのため、逃避行を行う開拓団員はソ連兵あるいは中国人の攻撃・略奪にさらされた。その過程で多数の子供が死亡し、同時に孤児として遺棄されるという状況に至った。 戦後、アジア諸国に残された日本人の多くが帰国を果たしたのに対し、中国には、原告ら孤児を含む多数の日本人が放置されるという状況が生じたのだが、日本政府は中国に多数の日本人が生存していることを知りつつ、1954年、戦時死亡宣告制度に基づき、未だ死亡が確認されていない多くの孤児について戸籍上死亡させるという措置をとった。 日中国交は1972年に回復したが、原告ら孤児の訪日調査が始まったのは、9年後の1981年から。原告ら孤児の大半は、訪日調査後に日本に帰国したが、政府の孤児らに対する「自立支援策」はないに等しいものだった。そのため孤児の大半が日本語を習得できず、その結果、就職の困難、地域住民との交流の困難など「普通の日本人としての生活」が出来ない状況に至っている。 原告ら孤児は既に60歳を超え、全国孤児の7割前後が生活保護を受給しているという。厚生労働省の孤児政策は「生活できなければ、生活保護を受ければいい」というものである。しかし、例えば、原告ら孤児が養親の墓参をするために中国に行けば、その間の保護費がカットされる。また、知人を自宅に泊めれば、生活に余裕があるとして保護費の一部がカットされてしまう。これが実情である。 全国15の地裁における原告総数は、帰国した孤児2500余人の8割を超える2000人以上。その多くが生活保護を受給し、現在受給していない原告も、相当数は数年後には生活保護を受けざるを得ない状況にある。 原告らは「せめて北朝鮮拉致被害者と同じような支援策を実施して欲しい」「北朝鮮拉致被害者の加害者は北朝鮮であるにもかかわらず、あのような手厚い支援策が実施されている。私たちの加害者は政府自身なのだから、拉致被害者と同じような支援策が実施されてもおかしくないはずだ」という。 昨年、大阪地方裁判所は、同事件(大阪第1次訴訟)に対する判決を言い渡した。そのなかで、原告らの親や親族が国の政策に基づいて旧満州国に移住させられた事実を認めつつ、他方で、原告らの被害を「戦争損害」と捉え、この「戦争損害は等しく国民全体が甘受すべきものである」として原告らの請求を棄却した。 しかし、原告らが裁判で請求の理由としているものは、原告ら孤児が敗戦前後において中国の地に遺棄されたことに基づくものではなく、戦後における国の義務違反に基づいている。同判決は原告らの現状に目をつむり、破綻している論理で国を勝たせた。 今月21日、結審を間近に控えた高知地方裁判所の審理では、孤児の惨状を見るに見かねた裁判長が「原告らの現状が放置しておけない状況にあることは事実だ。何とか解決する道はないか」と国に和解解決のテーブルに着くことを勧告した。 ところが、国は「和解の余地は全くありません」と述べて、裁判長による和解勧告を拒否した。 原告らは、来年1月30日の東京地裁判決と今年12月1日に予定されている神戸地裁判決に強い期待を持ちつつも、孤児の現状を抜本的改善するに早期の政治的解決を願っている。 拉致被害者の救済に尽力した安倍新首相は「美しい国」を作るという。原告ら中国「残留」孤児は、果たしてその「美しい国」の中に居場所があるのだろうか。 安倍新首相が唱える「美しい国」は、今、目前にある国内問題にどう対処するかで試される。 (記者は中国「残留」孤児訴訟関東弁護団の弁護士)
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