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遺書

我が子への遺書

(2001/1/26up)


・植村眞久大尉「愛児に遺した手紙」 (書式変更/10/8)

東京都出身 立教大学卒 25歳
昭和19年10月26日「第一神風特別攻撃隊大和隊」
スリガオ海峡付近にて戦死

 植村大尉は母一人子一人の母子家庭であったので、家系を絶やさぬために学生結婚しており、早くして子供を作っていた。にもかかわらず特攻志願していたのである。
  彼はそのような事情を知る戦友達の配慮で長崎県大村基地から南方へ出撃する前夜、深更に東京の自宅まで軍用電話をつながれ、受話器を通じて赤ちゃんの泣き声を一声だけ聞いて出発したそうである。

    (参考:「靖国神社と日本人」、引用:会報「特攻」第43号)


・久野正信中尉「正憲 紀代子へ」 (2001/1/26up)

少候22期 29歳
昭和20年5月24日「義烈空挺隊」の飛行隊(第3独立飛行隊)
沖縄にて戦死 戦死後中佐

 5才の長男と2才の長女に宛てた遺書。手紙を早く読めるように、当時最初に習ったカタカナで書かれたご遺書である。

(引用:会報「特攻」第43号)


・渋谷健一大尉「出撃に際して倫子、生れる愛子へ」 (2002/3/31)

山形県出身 少候22期 31歳
昭和20年6月11日「陸軍特別攻撃隊振武隊隊長」
沖縄海域にて戦死 戦死後大佐

 渋谷大尉は仙台飛行学校で特操1期の区隊長をしていた。自ら特攻精神を説き、そして特攻隊員に志願した。幾度目かの志願でやっと認められ若い搭乗員8名を連れて出撃散華されたとのことである。

(引用:会報「特攻」第43号)


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