東京都出身 立教大学卒 25歳
昭和19年10月26日「第一神風特別攻撃隊大和隊」
スリガオ海峡付近にて戦死
植村大尉は母一人子一人の母子家庭であったので、家系を絶やさぬために学生結婚しており、早くして子供を作っていた。にもかかわらず特攻志願していたのである。
彼はそのような事情を知る戦友達の配慮で長崎県大村基地から南方へ出撃する前夜、深更に東京の自宅まで軍用電話をつながれ、受話器を通じて赤ちゃんの泣き声を一声だけ聞いて出発したそうである。
(参考:「靖国神社と日本人」、引用:会報「特攻」第43号)