風知草

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風知草:町医者の高齢者医療論=専門編集委員・山田孝男

 東京・国立市の開業医、新田國夫(くにお)(63)に言わせれば、高齢者医療を考える上で最も大切なことは「その場所で老いて、病気を持って、やがて死んでいく、そのことに対する安心感」である。私は後期高齢者医療制度の是非を聞くために訪ねたのだが、それは新田の関心の中心ではなかった。

 新田は病院の外科部長だった。先端的ながん治療に取り組んでいたが、「もっともらしく治療しているつもりが、再発を繰り返す。それが医療なのか」と悩み、地域に飛び込んだ。在宅医療に力を入れ、18年間におよそ1000人を看取(みと)った。うち半数あまりが自宅で死を迎え、残りは病院に移って1週間以内に亡くなっている。

 新田は言う--。

 「いまの医療は、一人の人間を何人もの専門医が細切れに診る。めまいがすれば脳のMRIだ、頸動脈(けいどうみゃく)エコーだ、頸椎(けいつい)も見ましょうとなり、結局、何でもなかったと。高齢社会にこんな医療では、どんな制度だってつぶれますよ」

 「かかりつけ医が気心の知れた患者をトータルに見る世界をつくらなきゃダメです。救急医療や特殊な医療は病院が引き受け、日常的な医療は地域診療所が受け持つ。そういう分担を確立する必要がある」

 後期高齢者医療制度の是非を問われるなら、あえて支持すると新田は言う。老人医療費抑制に賛成だからではなく、不要な検査を抑える効果があると思うからだ。高度な医療機器をそろえた大病院は検査の乱発で医療費を稼ぎ、経営効率を上げようとする。新制度はそういう流れを断ち切るステップになりうると新田は見ている。

      ◇

 新制度は導入されたが、新田の医療は何も変わらない。財政上の理由で必要な検査を省くことはない。従来通り、むだな検査をすることもない。

 新制度について新田に不満を言う患者はいないそうだ。新田の人柄と実績に対する信頼によると見るべきだろう。東京西郊の比較的豊かな住宅街という土地柄かもしれない。患者が政府を信頼しているからでないことだけは確かだろう。

 「高齢の方は皆さんそうですが、私たちはもう役に立たない人間だ、家族に迷惑を掛けたくない、という気持ちがとても強い。怒る気力もないというのが現実だと思います」

 そう語る新田自身、与党の医療政策全体には強い不満を感じている。特に小泉政権以降、財政現実主義の名の下に制限医療と自己負担ばかり強調されるようになった。新田のめざす「安心できる地域医療」へ歯車を回す提案が行政側からなされたという記憶はない。

 今月10日、厚生労働省のプロジェクトチームが発表した認知症に関する報告書にも失望したと新田は言う。高度な医療機器を必要とするがんならともかく、認知症まで専門中核病院方式とはどういうことか。そのための施設を全国に整備するという。大病院中心主義のハコ物行政にどっぷりつかって医療費抑制もないだろう--。

      ◇

 日本の医療はどこへ向かっているのか。マイケル・ムーア(米映画監督)が「SiCKO」で描いた、地獄のさたもカネ次第の米国型へさらに近づくのか。そのつもりはないが、ハコ物行政に安住する結果、そこへ流れ着くのではないか。老人切り捨てか、財政健全化かという硬直した対決から抜け出し、議論の質を上げる時だ。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

毎日新聞 2008年7月21日 東京朝刊

 

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