日本で大流行した場合、最大64万人が死亡するおそれがあるとされる新型インフルエンザ。国はその時に備え、05年11月、各都道府県に行動計画を策定するよう要請したが、毎日新聞が行った調査からは、実効性のある準備が十分にできていない現状が見える。何が障害なのか。対策の技術的な難しさのほか、国の支援の不足も浮かぶ。【清水健二、樋岡徹也、関東晋慈】
新型インフルエンザは、病院での感染急拡大が懸念される。このため国は対策の柱として、感染の疑いがある人専用の「発熱外来」を医療機関や公共施設に設置するよう、都道府県に求めている。
だが、調査からは多くの都道府県の準備不足がうかがえる。
熊本県は「他の患者への感染防止対策がネック」と指摘する。発熱外来を設けても他の病気の通院者をシャットアウトするわけではなく、感染の危険性は完全にはぬぐえないからだ。
広島県も「医療従事者が感染した場合の補償は県では対応できない。発熱外来に来てもらう開業医への休業補償も考えなければならない」と訴える。公民館などへの設置も、防疫の難しさからか市町村の了解を得るのに手間取る例があるという。
入院患者の病床確保も難航している。愛知県は「主要病院に要請しているが、既に入院している患者の転院問題や院内感染の心配から了解を得られていない」と説明。岡山県も「患者の移動や医療資材確保策などを国が主導してくれないと、病院に協力を求められない」と注文する。
医療スタッフの確保も問題だ。06年の人口10万人当たりの医師数が190人(全国平均206人)の滋賀県は「大流行時は大阪や京都からの派遣も期待できない。どう考えても不足する」。全国平均より医師数が多い大分県でさえ「一般病棟だけでなく、発熱外来にも医師や看護師、薬剤師の配置が必要で、確保は困難」という。
一方で静岡県は、一部の医療機関へ感染患者を集中させる他県とは逆の発想をする。基本的に感染患者を受け入れない「特殊・専門医療病院」を27カ所指定し、がんなど専門治療が必要な患者を集約。それ以外の全医療機関に発熱外来を設置し、入院患者も受け入れてもらう方法だ。
大流行時には、患者が医療機関を選ばずに押しかける事態は止めようがないとの判断。担当者は「今でも外来患者の8~9割は発熱が原因で病院に来る。新型インフルエンザと区別しようがなく、『熱があったら別の病院に行ってくれ』というのは現実味がない」と説明する。
国の新型インフルエンザ対策の旗振り役は、内閣府を中心とした関係省庁対策会議と、約30人の有識者が参加する厚生労働省の専門家会議だ。省庁対策会議が05年12月に発生・流行段階別の行動計画、専門家会議が07年3月に「検疫」「医療体制」「ワクチン接種」など13分野のガイドラインを策定し、対策の柱はできている。
しかし、今回の調査では、流行前に接種するプレパンデミックワクチンや治療薬タミフルの国の備蓄目標について「現行で十分」と答えたのはわずか8府県だけ。多くの都道府県が国の姿勢に不安の声を上げた。
秋田県は「全国民分を備蓄目標にすべきだ。大流行時には他の自治体から助けがない中、それぞれの県が自立して対応しないといけない。安心・安全の目標として掲げる方がいい」と主張する。
プレパンデミックワクチンは新型インフルエンザウイルスに変異する可能性がある鳥インフルエンザウイルスから製造する。鳥取県は、厚労省のガイドラインが示すこのワクチン接種の優先順位に懐疑的だ。
ガイドラインは、医師や救急隊員など「医療従事者」と、消防士や電気事業者ら「社会機能維持者」を選んで接種するとしている。同県の担当者は「医療従事者は納得してもらえるだろうが、社会機能維持者は定義があいまい。範ちゅうに入る自分自身を優先させることができるのかどうかも分からない。このままでは大混乱を起こすだけだ」と批判する。
自民、公明両党も6月、治療薬の備蓄量を国民の4~5割分に倍増させることやワクチン研究センターの設置などを提言している。与党プロジェクトチーム(PT)座長の川崎二郎元厚労相は「一種の有事ととらえた備えが必要」と強調した。
自治体への国のバックアップも大きな課題だ。対策に実効性を持たせるには、医療なら都道府県、福祉なら市町村、社会機能維持なら産業界や企業が具体案を持つことが必要。しかし、市町村や民間レベルの取り組みの実情は国もつかみ切れておらず、具体的な支援の仕組みが構築されていない。今回の調査でも、多くの都道府県が国の支援の必要性を直接、間接に訴えている。さらに、移動の禁止や社会活動の制限など、最も難しいとされる国民の権利や義務にかかわる対策にいたっては、具体的な議論がほとんど進んでいない。
国立感染症研究所感染症情報センターの岡部信彦センター長は調査結果について「自治体は新型インフルエンザを極端に恐れたり目をそらしたりしている。国は自治体に原則、物差しを示し、不明の病気に対する危機管理をレベルアップさせなければならない」と指摘する。
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■ことば
ヒトに免疫がないインフルエンザのことで、アジアで流行している高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)ウイルスの突然変異により出現する恐れがある。国内で最大64万人が死亡するとの政府の予想は、90年前に大流行したスペインかぜを基に計算しているが、毒性の違いや交通網の発達によって、死者数がもっと多くなるとの予測もある。現在、中国などで鳥インフルエンザのヒトからヒトへの限定的な感染が確認されている。
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(1)大流行時の病床確保の見通し…○「できる」、×「できない」
(2)発熱外来の設置場所…○「決まっている」、△「医師会などと協議中」、×「今後検討する」
(3)大流行時の医師や看護師確保の見通し…○「足りる」、△「分からない」、×「足りない」
-は「その他・無回答」
(1)(2)(3)
北海道 × × △
青森 × △ △
岩手 - △ -
宮城 × × ×
秋田 ○ △ ×
山形 - △ ×
福島 ○ × ×
茨城 ○ △ △
栃木 - △ ×
群馬 × × △
埼玉 ○ △ △
千葉 ○ △ △
東京 - △ △
神奈川 ○ △ △
新潟 × × △
富山 × × ×
石川 ○ × △
福井 - × △
山梨 ○ × ×
長野 × △ △
岐阜 × △ ×
静岡 ○ ○ ○
愛知 × △ △
三重 × × △
滋賀 × × ×
京都 ○ △ △
大阪 × △ △
兵庫 - ○ -
奈良 ○ × △
和歌山 - × △
鳥取 × △ ×
島根 × × ×
岡山 × △ ×
広島 × △ △
山口 × ○ △
徳島 × × △
香川 × × ×
愛媛 × × △
高知 × ○ △
福岡 - - -
佐賀 × ○ △
長崎 × ○ △
熊本 - × -
大分 × ○ ×
宮崎 ○ × △
鹿児島 ○ ○ △
沖縄 × △ ×
毎日新聞 2008年7月21日 東京朝刊
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