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働く母親に優しい社会を

ワーキングマザーが一念発起、会社を興した理由

 「お母さん。お母さんは僕に夢をあきらめたらあかん言うといて、自分の夢はあきらめたんか?」
 ある朝、小学校3年生の長男が口にしたこの言葉が、上田理恵子さんに起業を決断させた。仕事を持ち、家事も育児もこなす母親(ワーキングマザー)をさまざまなサービスで支援するマザーネットという会社が、ここから生まれた。

 働く母親がいちばん困るのは、どうしても休めない仕事があるのに、子どもが急に熱を出したり具合が悪くなったりしたときだ。世話を頼める両親や知人が近くに住んでいればまだしも、頼る相手がいない場合は途方に暮れるしかない。

 マザーネットは、そんな母親の依頼を受けて、「ケアリスト」と呼ぶスタッフを派遣している。母親の代わりに子どもの世話をし、食事の用意や掃除なども代行する。いわばワーキングマザーの“駆け込み寺”だ。

仕事と子育ての両立に悪戦苦闘

 1985年の「男女雇用機会均等法」制定以来、女性の社会進出が目覚ましい。女性管理職は今や珍しい存在ではなくなった。
 ところが、そんな女性たちが仕事と子育てを両立させようとすると、これはとてつもなく大変なことになる。周囲の無理解や支援制度の未整備など、さまざまな障害が一気に噴出するのだ。企業は社員の育児支援などにようやく目を向け始めたものの、まだまだその動きは遅い。

 上田さん自身、ワーキングマザーとして子育てをしながら働く大変さを、身をもって経験した。大学卒業後、大阪の空調機器メーカーに入社し、24歳で結婚。子どもが欲しかったがなかなか恵まれず、2年間の不妊治療の末に長男を授かったのが30歳のときだった。しかし、喜びもつかの間、ここでワーキングマザーにとってつらい社会の現実に直面した。

 最初の壁は、子どもが保育所に入れないことだった。
 「11月に出産して、1カ月後に訪ねた保育所で『今ごろ来ても遅い。翌春から入所させたいなら7月までに産むのが常識』と言われ、びっくりしました」
 なぜ7月か。今年4月に生まれた子どもから来年の入所が決まっていくので、夏を過ぎるころには枠がいっぱいになるからだという。保育所を20カ所くらい回ったが、どこでも同じように言われた。

 先輩に受けたアドバイスを参考に、化粧なしのスッピンで疲れた雰囲気をにじませて、市役所と交渉。なんとか第8希望の保育所に入所できると決まったのは、職場に復帰する直前の3月だった。

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上田理恵子さん

(うえだ・りえこ)

マザーネット代表取締役
1961年鳥取県生まれ。84年、大阪市立大学を卒業し、ダイキン工業に入社。業務用食器洗浄機の開発や新規事業開発に携わる。94年、「『キャリアと家庭』両立をめざす会」を発足。2001年、ダイキン工業を退社し、マザーネット設立。2006年、にっけい子育て支援大賞受賞。2007年、女性のチャレンジ支援賞(男女共同参画担当大臣賞)受賞。


No.34(2008年9月号)

7月19日発売!

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