カトリック高松司教区 〜usagiの日記〜

★ カトリック 本当の信仰って何だろう?
 信じない人も救われる!★

2008年7月
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自己紹介
1958上智大学文学部へ。哲学研究科博士課程。1969国際金融業へ。コメルツバンク、リーマンブラザーズ、など。1989ローマのグレゴリアーナ大学へ。神学修士。著書「バンカー、そして神父」(亜紀書房)



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★ 二度あることは三度ある(その−1)


           二度あることは三度ある
「神よ!神よ!どうしてわたしを見捨て給うのか?」(マルコ15章34節)

 このブログは、
         =現代の棄民、またの名を、従順とは?=

の副題のもとに、「二度あることは三度ある」というテーマの舞台構成で書きます。
 少しずつ書き進みます。公開した後も時々、元に戻って推敲・加筆しながら進みます。思いついたことがあれば、随時、自由に関連の話題を割り込ませることもあるでしょう。(本文中のブルーの太字は今日加筆した部分です。)
 基本構成は:
    〔序  幕〕
    〔第一幕〕 「一度目の棄民」 (一年の流刑)
   〔第二幕〕 「二度目の棄民」 (二年の追放)
   〔第三幕〕 「三度目の棄民」 (無期の禁錮)
   〔終  幕〕
です。

               〔あらすじ〕

〔序 幕〕
 高松教区にM司教が着任したのが正確に何時だったか、思い出さない。
 彼は着任早々各小教区教会、各修道会、各施設を精力的に回って、そこの責任者たちとじっくり話し合った。
 当時三本松教会の主任司祭だったわたしには、「後回しにして申し訳ないが、その内必ずいくから」と言っていて、ついに来なかった。そういえば、わたしが交通事故で一時入院したときに見舞いに来たことがあった。しかし、数分の見舞いと司教の公式訪問とは同じではない。結局、ずるずる日がたって、ついに訪問は無かった。わたしは教区のために司教に話したいことが山ほどあったのに・・・・。これが最初の公約違反。最初の嘘であった。

〔第一幕〕  「一度目の棄民」 (一年の流刑)

 そうこうするうちに、「前司教様の下でよく働いてくれた。ご苦労さんだった。ご褒美に1年間のサバティカル(休暇)をあげよう」ときた。寝耳に水だった。休暇など願い出た覚えはなかった。前司教の遺産を受け継ぎ、それを守り、発展させるのは自分の仕事だと心得、大いに働こうと意気込んでいた矢先だった。
 「どこで何をすればいいのですか?」と聞くと、「ローマにでも行って、好きな勉強でもしてくれば?」との答えだった。「留守中の教会はどうなるのですか?」「神学校を手伝うN神父が兼務するからなんとかなるだろう。」「なるほど。」「では、帰ってきたらどうなるのですか?」「もちろん、もとの三本松教会の主任司祭に戻してやる。」55歳で司祭になったとき、F司教様とその後継者に従順を誓ったわたしは、何の疑いも無く従うことにした。
 だが、治まらなかったのは三本松教会の信者たちであった。着任当時、三本松教会の日曜のミサは、10人も来れば多いほうであった。それが、2年ほどで倍以上になっていた。聖堂も改築して50人までは入れるようにした。新しく教会に近づいた求道者の多くは、わたしと個人的に強く結ばれていた。彼らの間に不安が走った。 「神父さん!1年たったら本当に帰ってきてくれるのですか?」
 「司教さんがそう言っているから大丈夫だろう。」「私たちを置いていかないでくださいよ。」「司教さんの命令だからそうはいかないな。」
 「司教さんに直訴しよう!」実際、何人かが、司教さんに遭いにいったらしい。もちろん、休暇の取り消しには至らなかった。しかし、「1年たったら、貴方たちの神父は必ず帰ってくる」との確約は取りつけられたと言う。
 わたしがローマへ発ったのは、2005年5月、三本松教会の年に一度の大イベント「ルルド祭」の直後だった。
 (ローマでの苦難の生活は、次回以降に追加しよう。)

〔第二幕〕  「二度目の棄民」 (二年の追放)

 1年が過ぎて、ルルド祭の応答日も近づいた頃、それまで一通の手紙、一本のメールも無かった司教から突然メールが入った。読んで見て、我とわが目を疑った。「引き続き2年間教区外居住を命ず。」「教区外ってどこ?」「生活の原資はどうするの?」ローマでも無論そうであったが、今回、ジプシーのように車に身の回りのもの乗せて、広い日本、一体どこへ流れて行けと言うのか?教区が振り込んでくれる手取り9万円ちょっとのお金で、どうやって生きて行けと言うのか。支援してくれる友人、知人の多くは東京だが、屋根付きガレージひとつ借りても9万では足りないだろう。どこに住み、何を喰らって生き延びればいいのか。せっかく神父になったのに、教会も無しに、誰を牧し、誰に福音を宣べ伝えよというのか。20年前の、年収ウン千万の国際金融マンも、いよいよ落ちぶれたものだ。 これが司教の二度目の公約違反。二つ目の嘘であった。
 辛くも、2年間を、日本国内で、しかし自分の帰属する高松教区の外で、生き延びた。(どうやって生き延びたかは、また追い追い書くとしよう。)その間、司教からは一通の手紙、一本のメールも届かなかった。教区報が発行されても、それも送られては来なかった。
 二年目の応答日、ローマに行く直前のそれから数えて、3度目の「ルルド祭」の日が近づいたが、それでも何の音沙汰もなかった。
 二年間の教区外生活を命じられた。二年間教区の外に生活するのが「従順」と言うものだ。しかし、二年を越えて勝手に教区外生活を続けることは、逆に「従順」に反することになるではないか。
 3年目の応答日を期して、あらかじめ司教に手紙を書いて、司教館に帰った。司教は留守だった。スタッフが用意してくれた一室で、じっとその帰りを待った。
 やっと司教に会うことが出来た。彼が教区に着任から4年たって、やっと始めてのご対面が実現したというわけだ。
 徳島の山奥で、又は、愛媛の西の端のほうで「開拓宣教をしないか」と言う話になった。山で小鳥に説教をしろというのか?海で魚に説教をせよとの命令か?人のほとんど住まない過疎の地で、開拓宣教も何も無いだろう。「宣教というものは、そこそこ人の住んでいるところでするものではないのですか?」と反論すると、以外にもあっさりとこの2地点は引っ込めた。人が住んでいて教会の無いところ・・・・・。こちらから、例えば四国霊場86番の札所「志度寺」のあたりなどは?と水を向けると、ああ、そこそこ、志度がいい、志度がいい、と言うことになった。志度がどんなところか知っているの?本当はどこでも良かったのではないか、と思った。そして、一枚の紙切れをもらった。ただ、「志度で開拓宣教をせよ。当面は三本松教会に住め」という趣旨であった。日付も無い、司教の署名もない。すぐピンときた。ああ、第三幕の「三度目の棄民」の始まりだ。今回は「無期の禁錮刑」だ。

〔第三幕〕  「三度目の棄民」 (無期の禁錮)

 これは、今まさに始まったばかりのこと。これについては、これから書くことも多かろう。

〔終 幕〕
 ここでは、キリスト者にとって「従順」とは何か、と言うテーマを、今回の一連の体験を通し、神学的、社会学的に考察してみたいと思う。
 ハイペースでは進まないだろう。一度書いてしまったことでも、あとで振り返って消すこともあろう。書き足りなかったところは補足もしよう。行きつ、戻りつ、このテーマを膨らまして行きたいと思う。
 「従順」の一言に呪縛され、虫のように苦しんできた多くの司祭、修道者たちに、小さな慰めとなればとの思いもある。


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コメント
 
 
 
それゆえ神はキリストを高くあげ (村本友二)
2008-07-14 09:36:58
キリストの教会に仕えるものの神から与えられた使命を履き違え、見失った時、神はどうお思いになるだろうか。
 
 
 
Unknown (usagi)
2008-07-14 09:46:37
村本さま
教会が世俗の二流、三流の企業以下に堕落したとき、もはや信仰に基づく霊的な行為としての「従順」は良心的には機能しません。それでも信仰ある者が一見従順しているように見えるとすれば、それは「悪に逆らってはいけない」と言うキリストの教えと、「裁きは神にあり」と言う慰めに満ちた言葉に支えられてのことです。
 
 
 
いにしえ人に想いを馳せて (ふむ)
2008-07-15 01:52:41
某局大河ドラマ「篤姫」を見ていますが。
信長の時代に来日した宣教師はまさに志度寺詣の様相だったのでしょう、とオーバーラップしました。
聖フランシスコ・ザビエルがスペインにしがみついていたら...
お働きが守られますようお祈り申し上げます。

 
 
 
Unknown (usagi)
2008-07-15 06:23:23
ふむ さん。
有難うございます。
今回の一連の出来事で、お祈りが一番力があると身に沁みて確信しました。祈りの輪を広げて行きたいものです。よろしくお願いいたします。
 
 
 
Unknown (野の花)
2008-07-15 06:37:25
usagiさん

三度追放とは大変ですね。

私たちの周りを見ても、教会上部は本当にイエズスの真の切なる思い(ご自分を十字架上に芋虫のようにお捧げになってまで果たそうとされた思い)を第一のものとして考え、行動しているのか?と疑いたくなるようなことが多い様に見えます。(羊たちよりもご自分たちの安泰が大事。)

貴方にとっては暫く茨の道が続くのではないかとも受け取れますが、教皇様が下された決定に新たな決意を
もってひた走り、終には神の前に大きな栄冠を得られるであろうあなた方の姿を彷彿とさせてくれます。

是非とも頑張って頂きたいものです。

 
 
 
Unknown (usagi)
2008-07-15 07:12:22
お友達から励ましのメールを戴きました。
余り良く的を得ていると思ったので、その一節を勝手に引用させていただきます。

拝復 猛暑がやって参りました。
お便り有難うございました。
日本の常識=世界の非常識、日本の非常識=世界の常識、
とよく言われます。
この言葉は、主として政治的な面、
経営的な面、外交的な面で使われますが、

今回は、日本の司教評議会の常識=ヴァチカンの非常識、
日本の司教評議会の非常識=ヴァチカンの常識、
ということが、今さらながらはっきり致しました。
もし、MIO+Mの4氏がやりたいなら、
あくまで、日本的常識をつらぬいていくなら、
中国のまねをして、日本天主教という、
ヴァチカンから独立した、新宗教を立てればよいのです。

高松の神学校は、好ましい形で、
存続が決まりましたので、ひとまず良いとして・・・・。
 
 
 
幸紀さんへ (山内継祐)
2008-07-16 19:27:27
司教団が高松教区立神学院を閉じようとの一念で「日本教会1神学校体制」をでっち上げ、それだけでは飽き足らず高松教区立神学院の閉鎖を教皇に直訴して門前払いを食い、追いかけて新求道共同体(最近は「道」と略称しているようですね)の正当性を認める文書をバチカンが出したために進退窮まっているらしいところまでは理解できています。が、司教団機関紙による最近の解説だけでは経緯がまったく分からないというのが、私の周囲の反応です。そのため、あちこちから呼ばれ、自分なりの情報で“解説”し歩いている毎日です。“解説”の最後はいつも、「幸紀神父さんのブログを読んでください」で締めていますので、これからも健筆を折らないでください。
小生は、新求道共同体のシンパでも反対派でもないノンポリの立場でいるつもりですが、それでも司教団の態度はいただけません。落としどころを探りつつ、貴兄のご健闘を祈っています。
 
 
 
Unknown (maria)
2008-07-17 13:54:25
山内さん、そうなんですよ・・。私もカトリック新聞の記事だけじゃ分かりにくいんです。存じている方のコメントを読んでも、「う〜ん、嘘じゃないんだけど、受け取り方と心の在り方の問題だよねえ」って事が多すぎて。カトリック新聞は、トップが溝部司教様ということをお聞きしたので、仕方ないかなあと思ってはいます。

usagi様、お気持ちは分かりますが、ちゃんと司教様には「様」をつけて頂きたいんです。書かれている内容は、間違ってはいないと思いますが、過激な書き方は、かえって御意志と反対の方向へ行ってしまうことが多いものです。毎回、祈られて落ち着いてから更新をして下さいね。(応援してないわけではないですよ)
 
 
 
Unknown (usagi)
2008-07-18 18:32:10
7月18日17時16分ごろ「質問です」というコメントをを寄せてくださったUnknownさんにお答えします。
個人的な質問については個人的にお答えしたいと思います。その場合、顔の無いUnknownさんでは対話になりません。そこで提案ですが、下記のメールアドレスへ、メールをいただけないでしょうか。そうすれば、心を開いてお答えできると思います。不特定多数の方が見守っているブログのコメントの場では書きにくいこともあります。ご理解ください。

john-john-john@mail.goo.ne.jp


 
 
 
Unknown (usagi)
2008-07-19 07:31:31
7月17日のmariaさんのusagi宛てのコメントについて、ある匿名の方との間にやり取りがありました。私なりに要約すると、「教皇」「司教」「司祭」などの教会の「役務」に付けられた呼称には、常に「様」が付かなければならないものか?という疑問のようでした。
私も、同じ疑問を持ちます。
例えば、歴史的記述の中で「『皇帝様』は『教皇』と覇権を争った」と書けば変でしょう?同様に「『教皇様』は『皇帝』と覇権を争った」も変でしょう?「『皇帝様』は『教皇様』と覇権を争った」はもっと変でしょう?ここは淡々と「『皇帝』は『教皇』と覇権を争った」とするのがスマートで正しいのではないでしょうか。
私は、いま一人の「司教」と一人の「司祭」との関係を客観的に記述しています。私的感情を込めて『様』をつけたりはずしたりしていないつもりです。
mariaさんのコメントを前にしても、自分からは言い出しにくいことでしたが、匿名の方のコメントに触発されて、敢えて書かせていただきました。
 
 
 
Unknown (maria)
2008-07-19 08:59:09
usagi様、こんにちは
私が言いたかったのは、深堀司教様には「様」をつけられているのに(神学校に来られていた時の記事を読みました)、溝部司教様には「様」がないので心配しているだけのことなのです。色々な思いがあるにしても、usagi様は高松教区にいるのですから。溝部司教様は私達の司教です。つける必要がないのであるなら、それで構わないのです。心の裁きが「様」で表現されているのでないかということを心配しているのです。このブログを読まれた方の多くは、usagi様個人のブログでありながら、この内容が新求道共同体の考え方と思っていると思います。クローバーの話なら全く構いませんが、「道」の部分に触れられるのなら、熟考してから更新して頂けたらと思っているのです。
歩んでいる人にも問題が出てきています。
内容は、間違っていなくても心に裁きがあり、赦しを所持していないと、どうしても文章は過激になっていくのではないでしょうか。

そして、老婆心ながら、いつも心配しているのは、このブログを読まれている「道?」に反対されている方が、納得するよりもかえって余計に反対する心の傾きをされていることです。

ブログ自体を反対しているわけではないですよ。心配性なのです。
 
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