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地球の温暖化と安全保障。一見かかわりなさそうな二つの課題の結びつきに、世界の目が向けられ始めた。
中央情報局(CIA)などの情報機関のデータを統合して分析する米政府の「国家情報評議会」が今年6月、温暖化によってもたらされる悪影響を検討し、公表した。その中で、温暖化は貧困や資源の問題を悪化させ、もともと不安定な場所で内戦や戦争を誘発する恐れがあるとの懸念を示した。
昨年4月には太平洋軍司令官や中央軍司令官などを務めた元米軍幹部11人が提言をまとめた。そこでも、同様の認識から、米軍出動の機会が増えるかもしれないと指摘されている。
■同時に多発する脅威
国際社会は温暖化対策づくりに動いているが、現実にはある程度の温暖化は避けられない。温暖化を食い止める一方で、温暖化によって引き起こされる様々な問題に備えなければならない。そんな深刻な課題の一つに、安全保障、ひいては世界秩序の不安定化をどう防ぐかがあるのだ。
温暖化で海面上昇、干ばつ、洪水などの頻発が予測される。これは現代の文明を支えてきた自然条件が変動することを意味する。大きな変化のもとで、できるだけ世界を安定化させるには、何をすべきか。
第一に必要なのは、安全保障に対する発想の転換である。
これまでの戦略は、紛争が起きそうな地域や国益が深く入り組む地域に、政治力や軍事力を集中させる傾向が強かった。たとえば、冷戦時代なら欧州、現在なら中東や朝鮮半島である。
だが、温暖化がもたらす脅威は海面上昇でも異常気象でも、世界の広い範囲に打撃を与える。しかも、この脅威は世界各地で同時多発的に起きる恐れがある。温暖化による被害を引き金に紛争が次々と起きれば、いかに巨大な軍事力を持つ米軍、世界最大の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)でも対応しきれない。
■危機管理で協調を
米軍付属の大学で教壇に立つジョン・アッカーマン博士は、温暖化による世界秩序の混乱を防ぐため、「持続可能な安全保障」を提唱する。
国際的な足並みをそろえ、できるだけ自然環境を壊さない経済を定着させる。どこでも生活や健康を維持できるだけの食糧や物資を確保する。統治能力を失った「破綻(はたん)国家」が続出しないように民主的な統治を世界に広げていく。それらが基本の考え方だ。
温暖化に備えての安全保障では、日ごろから幅広い国際協力が欠かせないということだろう。博士の持論は米軍の本流とはなっていない。だが、こうした考え方が米軍の内部から出てくることに、米国の変化が見て取れる。
世界秩序の安定を守るには、紛争の予防に加え、いざという時の危機管理の態勢も欠かせない。
温暖化によって食糧の生産が減れば、紛争の種になりかねない。異常気象に強い品種の改良と普及を進めなければならない。アフリカなどでの収穫を上げる必要もある。緊急時に備え、食糧やその購入資金を融通し合う制度も整えておくべきだろう。
メコン川やナイル川、ヨルダン川などの国際河川では、水量が減って、上下流の国でもめる恐れがある。紛争につながらないよう、流域諸国による協調的な管理制度を根づかせたい。
温暖化が進むと、自然災害に加えて、感染症が広がりやすくなる。感染症を抑え込むには、国際協力で速やかに医療や救護の活動を展開することが大切だ。温暖化の脅威に対応の遅れという人災が重なると、混乱が増すばかりだ。
とりわけ心配なのは途上国である。
温暖化による海面上昇や洪水などで最も被害を受けやすいのは、途上国の貧しい人たちだ。貧富の格差が広がり、暴動や政情不安につながりかねない。行き詰まった国から逃れた人が難民となり、なかにはテロ組織に引き込まれる人が出るかもしれない。
■低炭素は最大の防御
そんな最悪の事態も想定して、途上国の貧しい人たちへの援助を拡大する。押し付けは禁物だが、政治制度や行政能力などの改善を手助けし、温暖化で生じる問題への対応力を高めていく。こうした途上国支援は国際社会を安定させる要石となるはずだ。
温暖化を和らげるために二酸化炭素(CO2)の排出を減らすことは、実は安全保障上の有効な戦略にもなる。そのことも胸に刻んでおきたい。
経済成長のために石油や石炭の争奪戦を続ければ、国際緊張は高まる。大量のCO2排出で、温暖化による脅威もふくらむ。
逆に低炭素型の社会に切り替えれば、国際緊張を和らげると同時に、温暖化を抑えることにも役立つ。低炭素化は、いずれに対しても最大の防御なのである。
昨年4月に国連安保理で温暖化問題が議論された時、議長国の英国代表はこう強調した。「気候変動は安全保障にかかわる問題だが、狭義の国家安全保障ではない。もろさを抱えながらも相互依存を高めているこの世界における集団安全保障の問題である」
できるだけ温暖化を防ぎつつ、温暖化に備えて手を打ち、国と人々を守る。そのためには、国際社会が手を携えて進んでいくしか道はない。