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2008年7月21日

◎断られた徽軫灯籠 そこまで門を閉ざさずとも

 新学習指導要領解説書に竹島(韓国名・独島)の領有権問題が初めて記述されたことに 韓国側の反発が強まり、そのあおりを受けて金沢市が姉妹都市の全州市に徽軫(ことじ)灯籠(とうろう)を設置する計画が延期になったのは、まことに残念である。

 竹島の領有権をめぐる日韓両政府の対立は根深く、政治・外交上の摩擦が生じてもやむ を得ないが、地方同士の交流まで門を閉ざしてしまうのはいかがなものか。領土問題はナショナリズムを刺激し、国民同士が感情的に反発しがちである。しかし、国と国が外交で激しくぶつかっても、民間の経済活動や自治体、市民レベルの交流まで停滞させない自制心が互いに必要であろう。金沢市と全州市が築いてきた友好・信頼関係が今回の問題で損なわれることがないようにしたい。

 徽軫灯籠の寄贈は金沢市にとって、まさに友好の証しであり、山出保市長が五月に訪韓 した際、全州市側に伝えられた。ところが、日本政府が新学習指導要領解説書に竹島を明記したことを非難する動きが全州市議会などにあり、この時期の灯籠設置は反日感情をあおることになりかねないとして、設置の見送りを全州市側が求めてきたという。

 韓国の人たちにとって「独島」の領有権問題は、日本に統治された時代につながる「歴 史問題」でもあり、かつて島根県が「竹島の日」条例を制定した時のように、日本の動きに対してしばしば激しい反応を示す。全州市当局は行政の立場から、市民感情に配慮して灯籠の設置延期を決めたのだろうが、過剰反応の印象が否めない。灯籠はあくまでも両市、両市民を結ぶ象徴的なものであり、その受け入れに待ったをかけるようなことはしてほしくなかった。

 金沢市の例以外にも、日韓の自治体レベルの交流事業が韓国側の意向で中止されるケー スが相次いでいるのは遺憾である。たとえ政府同士がけんか状態でも、地域や民間の交流が絶え間なく続いて、はじめて成熟した国家関係と言える。今回の自治体間の齟齬(そご)を賢明な対応で乗り越え、より良い関係へ前進する契機としたい。

◎少年のバス乗っ取り 幼稚さの裏に何かが・・・

 百円ショップで買った果物ナイフを突き付け、自ら携帯電話で「バスを乗っ取った」と 一一〇番し、あっさり逮捕された十四歳の中学生は、なぜ行き当たりばったりともいえる行動に走ったのだろうか。

 同じ中学校の女子生徒との交際をめぐって親や担任の教師に注意され、友人に借金を申 し込んだことで親と口論になった。その腹いせに世間を騒がせたそうだ。あっけに取られるが、乗客らに危害を加えなかったことにほっとする。

 これからの調べで、追い詰められた少年の心理や、幼稚な行動の背景にある問題などが 分かってくるだろう。現段階で少年について、生半可な見解を述べるのを慎しまねばならないとしても、少年の幼稚な行動は現代社会の病んだ何かを象徴しているといえる。

 規範意識の不足、自己中心的、すぐキレる、ブレーキが効かない―等々が最近の少年の 犯罪や非行の傾向だといわれる。バスを乗っ取った少年にも当てはまるように思われる。

 親を含む周囲の大人が子どもに常識や自己抑制を身につけることの大切さをしっかり教 えていないことが原因だと指摘されている。

 子育てに問題がありはしないかというわけだ。しかし、今の若い親たちにしても、彼ら の親たちにきちんとしつけられたとはいえない。三代ほどさかのぼらないと問題の本質が明らかにならないという見方もある。存外当たっているのかもしれない。

 折から、小社の月刊誌「アクタス」が特集した、病んだ社会の一面を考えさせる「モン スター被害」が大きな反響を呼んでいる。

 また大分県の教員採用をめぐる汚職事件においても、親たちのわが子へのエゴイスチッ クな愛情が映し出されている。もとをただせば、そうしたエゴイスチックな親の愛情が事件を起こしたということもできる。

 日本の子どもはうわべは幸福そうでも、実は人間として不幸な状況に置かれているので はないのか。子どもを甘やかし、彼らから「耐える力」を奪っているのではないか。考えてみたいことだ。


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