希望 続き
前回の続きです。
希望というものを持たせる、この難しさは、今の日本に限定された話ではありません。私が昔も今も深く関わりを持っている国々(一般的には途上国と呼ばれていますが)も、実は結構同じ問題を抱えていたりするのです。
一般的には、希望と言うものを見出せないのは、先進国と称される国々に特徴的な現象であり、途上国と呼ばれる地域では、むしろ紛争や貧困という現実にもめげず、希望にあふれている若者が多いという印象が、或いはあるのかもしれません。
しかし、これら貧しい地域や国々では、別の意味で希望を見出すのが難しいという現状がある場合があります。
紛争やあまりの貧困のため、希望すら見出せない、そのような地域も相当あります。一般的には、このような地域に希望を甦らせるために、国際機関やNGOの人たちは頑張り続けているのだ・・・こんなストーリーが出来上がるでしょう。
しかし、ことはそう簡単ではありません。それらの支援の多さが、かえって「援助漬け」と呼ばれる現象を起こしてしまったりしているのです。
つまり援助という「天からの授かりもの」に慣れてしまったために、却って労働意欲がなくなったりする場合が相応にあるということです。努力しなくても金は稼げる、待っていてもお金はもらえる・・・。
リッチマンによるチャリティや「善意」の怖さは、実はこういうところにも潜んでいることを知るべきでしょう。不労富裕層による不労貧困層の創出という図式です。
今、スリランカをはじめ幾つかの途上国・地域において活動を行っていますが、ビジネスをしていて一番エネルギーを使うのが、この「援助漬け」体質、もっと悪く言えば「たかり体質」といった依存体質を止め、独立心、つまりは自身でリスクを取ってでも事業に取り組もうとする「やる気」、「モチベーション」を引き出すことなんです。
ビジネスの話を持っていっても、できれば「ODAの話を持ってきて頂けるとありがたいのだが・・・」という現地企業や団体の方々がなんとも多いことに愕然とします。そこを乗り越え、依存心を脱却させ、独立心を引き起こし、ビジネスへのモチベーションを引き出すのが、実は一番の苦労だったりするのです。
希望は、「やる気」に直結し、そして独立心、努力といったことと不可分の関係にあります。
良く考えると、「希望」「努力」・・・今では口に出すことすら「恥ずかしい」と感じられる言葉ばかりですね。しかし、はっきりといえるのは、依存体質からは、希望というものは見出せないということです。「いや、依存はしているけど、希望は持てる」というご意見もあるでしょう。
しかし、それは希望ではなく、極端な言い方をするならば「棚からぼたもち」的な漠然とした期待感にすぎないのではないでしょうか。
今、私の周りには、たくさんの起業家の方たちが集まっています。そして、彼らは自身を社会起業家とは呼んではいなくても、確実に社会に貢献しているという自負を抱けるだけの事業を営んでいます。
私は、彼らを尊敬しますし、是非一緒に今後も事業をやっていければと思っています。しかし、依存心はありません。むしろ、どちらかと聞かれるなら、ライバル心のほうが高いくらいです。そのようなライバル心を抱けるような方々と一緒に事業を出来ること、それがとても幸せなことだと感じています。しかし余計な徒党は組もうとは、考えてはいません。「連帯はすれど、孤高を恐れず」、この気持ちだけは忘れずにいたいと思います。
新しい会社を間もなく発信させます。利益は当然として、ステークホルダー全てに希望を与えられる、そのような事業を目指しています。途上国には、慈善ではなく、チャンスと利益のシェアの機会を与えていきたいと思っています。
希望とは依存心からは生まれない、私は常にそう考えているからです。(坂井)
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