希望
非常にばたばたとした時期が続き、とてもブログを書ける状態にありませんでした。しかしこの間、大手食品企業との間で、スリランカをターゲットとした短期事業(青果物ビジネス)及び長期事業(ODAとの連携事業)について会長決済を頂くことができ、一応の結果は出したものの、いよいよ慌しさに拍車がかかってきました。
また、「平和構築とビジネス」案件をはじめとした幾つかの他の事業も、今日、明日の一刻一刻が勝負ともいえる大事な時期を迎えてきました。
途上国でのビジネスに特化した新しい会社の発起も秒読みに入り、またBDFや起業サポートをメインとしたLLPの設立、そしてあるNGOからスタッフに加わることも打診されており、それら全てを含めると、これからだけでも更に4つの肩書きが新しく増えることになります。
資料の作成、プレゼン、そして会合と朝から晩までの詰まったスケジュールのため、遂に不整脈も再発してしまいました。まさに体力の限界を感じながら毎日を過ごしているような感じです。
しかし、私はこの状態に極めて意欲的であり、生きがいすら覚えています。「いまどきくさいことを・・・」と笑わずお聞きして頂きたいのですが、それは希望と言うものを持っているからだと思っています。
「ショーシャンクの空に」という映画をご存知でしょうか。ホラーの巨匠スティーブン・キングの原作を下敷きとしたヒューマンドラマですが、人間の尊厳を踏みにじられるような最低の事柄を幾つも体験することになる主人公が、20年近くも刑務所の中で耐え抜くことが出来たのは何故か。映画でも貫かれているメッセージですが、それは「希望」という人間だけが持つことが許された耐え難い宝のお陰であると思っています。
今の日本を眺めてみて、どうでしょうか。ある評論家の方が、「これほどまで、未来に希望が持てない時代、特に若い世代が希望を見出せない時代は、かつて無かったのではないか」とおっしゃいました。いつの時代にも、そんな要素は潜んでいるのかもしれませんが、若い世代が「現実的であれ」という圧力を他の時代と比べて、必要以上に背負ってしまっているのは確かなのかもしれません。
教育に目を向ければ、国家教育の基礎はナショナルパワーの向上にあるのは当然かもしれませんが、小さい頃から「現実的であること」を徹底的に教え込まれることが、そもそもナショナルパワーの向上につながるのかは、私は結構疑問に思っています。「現実的」な視野を持つことは、大切なことですが、現在では、「現実的」な人材とは、「現実を達観できる人材(老若関係なく)」を育てるということを意味しているようにも思えます。見方を変えれば、国家や企業にとって「即戦力」な人材を育てることになるでしょう。
私は基本的には、「ゆとり教育」には疑問を持っている人間ですが、問題が「ゆとり教育」なのか「非ゆとり教育」なのかという次元に終始してしまっているところに、一番の疑問を感じています。
「可能性」や「希望」よりもあくまでも現在の視野においての「現実的」な視点を植えつけていく・・・私はこれほど不毛なことは無いと思っています。
社会起業家がもてはやされ始めている理由の一つには、このような背景も手伝っているのでしょう。
企業はそもそも、その存在自体が社会に不可欠であり、貢献性を秘めたものであったと思います。そして、起業家は、まさに利益だけでなく、希望を生み出す職業ではなかったでしょうか。起業家と社会起業家が区別される時代こそが、最近変なのではと感じ始めてもいます。
ずっと前に述べたように、今準備中のいろんな事業の一つに、小規模の起業サポートをメインとするプログラム、マイクロファイナンスと連動した、いわばマイクロ企業ファクトリーと呼ぶべきシステムの構築があり、ようやくにしてですが、始動を間もなくに控えています。
起業家・企業家として、利益は当然として、希望というものを常にクリエイトしていきたいと思っています。希望こそは、命をかけてでも持ち続けるものであり、命をかけてでも守るべきものなのではないでしょうか。つくづくそう思うのです。(坂井)
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/224259/41838004
この記事へのトラックバック一覧です: 希望:
コメント
坂井さん、どもです
今、何十年ぶりかで白戸三平「カムイ伝」読んでるんですけど
かつては士農工商エタ非人という人為的な身分差別に押し込められて
水飲み百姓やエタ非人にはめこまれた人々には
希望なんて、まったく持てなかった時代が
これでもかというくらい書き込まれてて
読んでて、つくづくイヤになってます
あたしたちは少なくとも、現代日本に生を受けたというだけで
何かしら天命が与えられて今ここにいると思います
あたしは勝手に「天命」と言ってんますが
それを坂井さんは「希望」と名づけているんじゃないでしょうか
回りくどくなりましたが
坂井さんの主張に全面同意です
ただ引用されてた(坂井さんと関係ない)
「ある評論家の方が、「これほどまで、未来に希望が持てない時代、特に若い世代が希望を見出せない時代は、かつて無かったのではないか」とおっしゃいました。」
が、
その評論家は違うんじゃないの、と思ったもんですから
投稿 大浦 | 2008年7月15日 (火) 23時39分