――デビューはいつだったのですか?
金井 僕は20歳のときに、本宮プロを出たんですよ。先生に「もうオマエ、辞めろ」と言われて。自分で描いていけそうだと判断すると、追い出すんです(笑)。ある日突然、「ドライブしようか」って言われてね、助手席に乗せられて、「もう辞めろ」と。
――車の中で言われるんですか?
金井 ええ。「はい」としか答えようがないですよね。「なんかやっちゃったのかなあ」とか思ったんですが、「オマエはもう一人でやれるから、やってみろや」と。
――何年目ですか?
金井 2年目の終わりごろです。そう言われても、作品もないし、どうやって暮
らそうかなと。そのころ、本宮先生のお兄さんが描き下ろしの世界名作文庫の仕事を紹介してくれて、ヴィクトル・ユーゴーの『ああ無情』というのを1年ぐら
いかけて描き下ろしさせてもらったんです。それが初めての仕事でした。
――アシスタント時代はどの作品を手がけていらっしゃったんですか?
金井 『硬派銀次郎』を手伝っていましたね。
――そもそもマンガを描き出したのはいつですか?
金井 すごい小さい頃ですよ。小学4年生にはもうペンで描いてました。
――そのころに好きだったマンガ家は?
金井 ちばてつやさんですね。『紫電改のタカ』とか『ハリスの旋風』とか。『少年マガジン』ファンだったんです。
――お小遣いで買ってらしたんですか?
金井 床屋さんに行くと『少年マガジン』がいつもあったんですよ。それでお袋が床屋さんのお姉さんに交渉してくれて、新しい号が入ったらいつでも来ていいよって言ってくれて。
――素敵な話ですね。他に好きなマンガ家は?
金井 みんな好きでしたけど、やっぱりちばてつやさんが一番好きでしたね。本宮先生に出会うまでは(笑)。
――小学4年生でペンを持って描いていたのはイラストですか?
金井 画用紙にコマ割って、30~40ページくらい描いてました。学校の夏休みの自由研究で、何も宿題をやっていなくて(笑)、しょうがないからマンガを提出したら、貼り出されたりしてね。
――最初に投稿されたのはいつですか?
金井 小学6年生です。当時、『コム』という雑誌があって、どんなマンガでも受け入れてくれたんです。まあ、入選はしなかったんですが。その後、中学1年生のときに『少年ジャンプ』に投稿して、これも落ちて、2年の時に描いた野球マンガでやっと選外佳作候補になったんです。
――なぜ好きだった『少年マガジン』ではなく、『コム』とか『少年ジャンプ』に投稿されたのですか?
金井 当時の『少年マガジン』の新人賞は、レベルがものすごく高かったんです。それでムリだなと思って。
――中2のときに選外佳作候補になったときはどうでしたか?
金井 自分は知らなかったんですよ。というのも、お袋に「これ、送っておいて」と言ったことを忘れていたんですが、ちゃんと送ってくれていて、ある日学校に行ったら友だちが「オマエ、ジャンプに名前のってたぞ!」と。
――嬉しかったでしょうね。そのころからマンガ家になるんだ!という実感が生まれたんでしょうか。
金井 いや、ぜんぜん思ってなかったです。うちの親父が国鉄職員だったので、将来は縁故で自分もそうなると思っていたんですよね。
――では中2の選外佳作候補の後は?
金井 それで気をよくしてコンスタントに投稿しました。当時『少年ジャンプ』には「月例マンガ賞」というのがあって、それに入選したんです。
――いつですか?
金井 中3で描いて、半期ぐらいズレていたから、高校1年生のときだったかな。
――どんな内容だったんですか。
金井 盲目の水泳選手の少女が人命救助する話です。31ページだったんですけど、まとめきれなくて、いいや! って出しちゃったんですよ。子供を助けて終わるんですけど、逆にそのラストが斬新だっていう評でね(笑)。
――先生はそうやってずっと投稿を続けていらしたんですね。高校時代に、ちばてつやさん以外に好きになったマンガ家はいらっしゃいますか。
金井 たくさんいましたけど、やっぱり目標はちば先生でしたね。『あしたのジョー』はやはりバイブルです。
――投稿を経て、デビューまではどのように?
金井 さきほどの入選作品で、担当編集者がついてくださったんですよね。それで、その人に下描きを送っていました。なかなか採用されなかったんですけど。
――高校卒業後、すぐ本宮プロのアシスタントになったのですか?
金井 いや、半年ぐらいは大学を受けさせてくれると両親が言ってくれていたので、浪人をしていたんですが、どうしても集中できなくて。そのころに『少年ジャンプ』で本宮先生がアシスタントを募集していたので、応募したんです。
――出身はどちらですか?
金井 山形です。
――では東京に出てこられたのは……?
金井 その本宮先生のアシスタントが決まったときです。
――不安はなかったのでしょうか?
金井 いや……、なかったですね。
――そうですか。そのころ本宮先生のアシスタントは何人くらいいらしたんですか?
金井 3人かな。高橋よしひろさんとかが先輩にいらしたんですが、本宮先生が全員切り替えたんですよ。
――それは本宮先生が3人をおのおのドライブに連れ出して、「オマエ、もう辞めろ」って言ったんでしょうか?(笑)
金井 (笑)どうかな……。高橋さんはすでに『月刊ジャンプ』の連載を持っていましたし、「そちらに集中しなさい」と言ったんじゃないでしょうか。
――シフトはどのように?
金井 そういうのはなかったですね。本宮先生は締め切りがきっちりした人で、
原稿が早いんです。ギリギリにならない人なので、徹夜はなかったですね。自分のペースで出てきてやっていました。背景と人物とか仕上げとか、スタッフのノ
ルマが分かれていて、僕は人物担当。本宮先生は相手が素人でも、とにかくいきなり描かせるんですよ。下描きをする人はいたんですけど、本宮先生が顔を入れ
て、人物の僕も背景の2人もいきなり描かされた。もちろん下手だし絵が違う。でもスピード線ってあるじゃないですか。本宮先生があれをダーッと入れると、
本宮先生の原稿になっちゃうんですよ。
――(笑)それはすごいですね。
金井 どんな拙い絵でも本宮マンガになってしまう。自分が顔を描いて、ネームを作れば、どんなド素人を使っても自分のマンガになるっていう自信だったと思いますね。
――あとはアシスタントの方々もそこまで仕事をフラれたら、逆に「さっさと描けるようにならなければ!」という焦りが出てくるんだと思うんですが。
金井 そうですよね。やはり切り替え時期に一斉に入ったアシスタントは伸びます。でも上手い人がいて、その下でやっているとぜんぜん伸びない。
――それを本宮先生はわかっていらしたんでしょうね。そして自力でやれるようになったと思ったら、辞めさせる。度量の大きい方ですよね。
金井 そうですよね。
――本宮先生のところでアシスタントをされた方は、その後マンガ家として活躍なさっている方が本当に多いという話を伺ったのですが。
金井 そうらしいです。たぶんアシ時代が長くてマンガ家になれない方って、難
しく理屈で考えてしまうんだと思うんです。「立派なものを描こう」というように。でも本宮先生は「とにかく面白いものを描けばいいんだ」と教えてくれた。
本宮先生のところでアシをやると、マンガを描くのが楽しくなるんですよね、思い切って描けるから。とにかく自分の長所を思い切って出していいんだ、という
ことを学べたことが大きかったですね。
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