『森恒二先生』 その2

子どもの頃からまんが家を目指してきた森先生が、ある事を契機にまんがが描けなくなってしまいます。友人であり、ライバルでもある三浦建太郎先生が、まんがの世界で、その頭角を現し伸びていくのを感じながら、どん底へと落ちていく森先生。そしてさらに思いもがけない事件が先生を襲って・・・。

今、明かされる「描けなくなった」理由

――前回は、『ホーリーランド』の「シチュエーション」や「舞台」が先生の実体験をベースにしているというお話をお伺いしましたが、作中で描かれる「感情」についてはどうですか? ユウの深い「怒り」や、作中であるキャラクターが言う「友人と本気で殴り合って得るものなんてない」というセリフなども実体験に基づいているんでしょうか?

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森:実際、親友と本気で殴り合いのケンカをして、その後関係が修復できたことはほとんどなかったですね。「怒り」に関してはどうかな……高校生の頃って、なんであんなに怒るんでしょうね(笑)。

でも確かに、泣きながらトイレに籠もるような、そういう激しい怒りがありました。10代の頃はとにかく、何もかもがうまくいかなかった。両親とも仲が悪かったし、成績も悪いし……。ずっと暗かったんです。

――そういえば、作中で20歳くらいのころに一番ダウンしていたみたいなことが描かれていますよね。

森:そうです。その頃に一度、まんがをやめているんですよ。どうしても描けなくなって10代の頃よりさらに良くなくなっていくんです。

――そのあたり、具体的なことは作中では伏せられていますよね。差し支えなければ、もう少し踏み込んだことを教えていただけませんか?

森:当時の僕は、まんがで小さな賞をもらっていたりはしたんですが、雑誌掲載までは行かないという状況が続いていて、先の見えない足踏み状態になっていたんですよ。何回か読み切りを投稿していたんですけど、ぜんぜんうまくいかないんですよ。

そうしたらですね、ある編集の方が、その……話を書くな、こっちで考えるから、って。

――それはショックですね!

森:ショックでしたね。その人からしてみたら「ちょっと気分を変えようか」くらいの気持ちだったかもしれないんですが、当時の僕はすごく傷ついて……その言葉が頭をグルグルグルグルグルグルしちゃって、それでまんがを描けなくなっちゃったんです。

ネームすら一切描けなくなってしまってね。完全な挫折ですよ。1コマも描けないってことは、もうまんが家になんかなれないってことですから。

それで、さらに良くなくなった。有り体に言うと、「悪く」なったんです(笑)。

――え、えー……具体的には、どのような御活動を(苦笑)。

森:もうその頃はバブル真っ盛りだったんで、六本木とかで遊びまくってました。くだらないことになって、人を殴ったり、捕まったり、そんな感じのことを繰り返してましたね。

そんなふうに荒れた生活を送っていたある日、大学4年生くらいのころかな、三浦君(『ベルセルク』三浦建太郎先生)の作品が雑誌に載るって話を聞いたんです。しかも、なんと武論尊先生(『北斗の拳』原作など)原作で。

実は、そのちょっと前くらいまで、三浦君も僕と同じようにひどい状態だったんですよ。18歳の時にマガジンでデビューしていたんですが、その後、あまりうまくいってなかった。彼はまじめなので僕のように悪いことはしないんですけど、とにかく落ち込んじゃって……。

でも僕は、コイツは他の雑誌でなら売れる、と確信していたんですよ。SFとかを描かせてくれるマイナーなところに行けば、あっという間に売れるだろうって。

――三浦先生はメジャー志向ではないだろう、と?

森:ロボットとかSFとかしか描かないヤツでしたからね。それだとメジャー誌には載らないんですよ。でもそれを教えて、彼が大成功するのもすごく悔しくて、ずっと言い出せなかったんです。自分が挫折したまんがで友達が成功するのを見たくなったんですね。

でも、やはりそこは最後の良心ということで、「白泉社に行きなさい」ってアドバイスしたんです。

――白泉社を名指しだったんですね?

森:白泉社が一番いいと思いました。その当時、比較的大きな出版社でSFを載せているのは白泉社だけだったんですよね。雑誌は全然売れてなかったみたいなんですけど、むしろそれも掲載機会が多くなっていいんじゃないかと思ったんです。

そうしたら案の定、すぐに載ることになって、連載も決まって。しかも、武論尊先生原作。さすがにそれを聞いたときはショックでしたよ。言わなきゃよかったって思いました。正直、嫉妬しましたね。

……それで僕はさらに悪くなっていくんです(苦笑)。

――素直に喜べない何かがあったんですね。

森:そうです。自分の状況は最悪だったんで。しかも、そうこうしているうちに、三浦君のまんがが、マイナーながらも高い評価を受けるようになって、どこの本屋に行っても見かけるようになってくるんです。

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僕は、辛くて彼のまんがを読めなかったんですけど、読まないでも「売れているっぽいぞ」ってことは伝わってくるんですよ。それが本当に苦しくて、めまいがしましたね。

15歳の頃から一緒にやってきた友達が成功をつかんでいるのに、自分は……って思ってしまう。もう、本屋に行きたくなくなって、何もかもがダメでしたね。あの時期は本当に最悪でした。その最悪な感じが「明日も続く」ってのがどうしても耐えられなかった。

伊沢が自殺未遂を起こすシーン(単行本14巻収録)がありますが、あれと全く同じ感情ですね。それで、1度だけですけど「死のう」って思ったんです。

――それは、まさか『ホーリーランド』序盤の……。

森:そうですね。ユウのように屋上に行って、飛び降りようと思ったんです。明け方に六本木の雑居ビルの屋上に登ってね。前の晩に最悪なことをして、酔っぱらってそこにいるわけです。もう、これ以上こんなこと続けていたくないって感じだった。結局、まんがと同じように、怖くて死にきれなかったんですけど(苦笑)。

――そんな森先生の人生が、どうやって好転していくんでしょうか?

森:死にかけたんです(笑)。

――あれ?(笑)

森:25歳の時、バイクで死にかけたんですよ。

当時の僕は、まんがは描いていなかったんですが、仕事はしていたんですよ。周りが広告のイラストとか、コマーシャルの絵コンテとかの仕事をくれたので。

その中にF1の仕事があって、鈴鹿に取材に行っていたんですが、帰り道で事故っちゃったんです。集中力のない、うつろでいい加減な運転をしているところにトラックがかぶせてきて、それに激突して、転がったところを後続車にはねられちゃった。それで左側の肋骨を全部折って、それが肺に突き刺さったんです。

手術がうまくいったおかげで命は助かるんですが、その時は「これで俺は死ぬな」って覚悟しましたよ。搬送された病院でも、先生と救急隊員が「だめですね」とか言っているのが聞こえたし。

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でもその時、死に直面して真っ先に考えたのが、今頃、三浦君はまんがを描いているんだろうな、ってことだったんですよ。

すると、俺も意地張らないで描いておけばよかった、って後悔の気持ちばかりがどんどん沸いてきて……だから、もし、奇跡的に助かったらもう一度まんがに挑戦しようって思ったんです。

――なるほど。そこから先生のまんが道が再開されるわけですね。

森:実際には、その時やっていた仕事の整理とかもあって、広告業界から抜けるのに2年くらいかかったんですけどね。28歳の時に、まんが家としての自分を復活させることができました。

そうしたら、それまで1コマも描けなくなっていたまんがが描けるようになっていたんですよ! それは、本当にうれしいことでしたね。7年半、一切描いていなかったわけですから。

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ただ、同時にすごく後悔もしましたね。早くこの気持ちになっていればよかった。20代前半の、一番描ける時期に描いていなかった、その8年間のブランクは今でも大きいですよ。同じ世代の人と比べると絵も上手くないし、描くのもすごく遅い。その苦労があったから今の君があるんだよ、って言われるんですけど、僕個人としては、いつもそのことを後悔しています。

まあ、僕みたいな人間は、一度死にかけないと分からないってことなんでしょうけどね。「馬鹿は死ななきゃ治らない」ってのは本当にうまくいったもんですよ(笑)。

森恒二プロフィール

森恒二(もりこうじ) 1966年、東京都生まれ

『ホーリーランド16』
『ホーリーランド』
『ヤングアニマル』連載

2000年、ヤングアニマルにおいて『ホーリーランド』で連載デビュー。それまでの精神論一辺倒だったケンカまんがに、リアル格闘技まんが的なエッセンスを盛り込み人気を博す。2005年には石垣佑磨主演で深夜ドラマ化。原作者がアクション監修を行なったことが話題になった。現在『ホーリーランド』は単行本16巻まで刊行中。なお、ヤングアニマルで『ベルセルク』連載中の三浦建太郎先生、『拳闘暗黒伝セスタス』連載中の技来静也先生は高校時代の同級生。


「まんがのチカラ」次回予告
奇跡の生還からまんが家活動を再開し、デビュー作『ホーリーランド』で大人気を博すことになった森先生。しかし、その人気の上昇とともに、ネット上では先生に関する様々な憶測が飛び交うことになります。次回は、その憶測の真偽とともに、クライマックスを迎える『ホーリーランド』の結末と、次回作の構想を、先生自ら語ってくださいます。次回、森先生編最終回! 2008年3月24日掲載予定。お楽しみに!

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