呉市街空襲
炎上する呉市街
呉を襲ったおもな空襲は、昭和20年3月19日(呉軍港)を始めとして、5月5日(広工廠)、
6月22日(呉工廠)、7月1〜2日(呉市街地)、7月24日(呉軍港)、7月28日(呉軍港)、
の6回に及んでいる。
このうち呉市民に最も大きな被害を及ぼしたのは、7月1日夜半から2日未明にかけての
焼夷弾攻撃であった。呉市は全市火の海となり、和庄地区では大防空壕の入り口にあっ
た民家が焼け、火災の熱気で約500人が蒸し焼きとなって死んだ。
死者 1,949人(海軍関係は含まず)
和庄児童公園
広島県呉市
呉空襲犠牲者供養地蔵
碑文
昭和二十年七月一日の空襲の時 和庄防空壕で約五百人あまりのお方が災死せられました
この地を記念し御冥福を祈念するため この地蔵尊を建立する
寺西児童公園
広島県呉市
呉戦災犠牲者供養塔・供養地蔵菩薩像
碑文
昭和二十年七月二日払暁の戦災により死亡された呉市約二千名の菩提を弔ふため
最も遭難者の多かった和庄地区内各町の有志相図り 市民の篤志により茲に聖地を
選び 供養地蔵菩薩を建立して永久に供養しその冥福を祈り 併せて人類の平和を
念願するものである
更新日:2003/03/16