千葉市空襲

 

昭和20年 6月10日午前00:00過ぎから約三時間、B29約100機は雲上から爆弾、焼夷弾を投下。

国鉄千葉駅付近が焼かれ、市民は着の身着のまま市街地南部へと避難したが、南側の海岸にある日立

航空機千葉工場も攻撃目標とされていたため、火に挟まれて右往左往した。出洲海岸まで逃げて海中に

つかっていた人達は、爆撃後の機銃掃射により多数が死亡した。

千葉市は7月7日未明にも爆撃を受け、市街地は壊滅的な打撃を受けた。

戦災死者は約1000余名を数える。

 

国鉄千葉機関区跡

千葉県千葉市中央区

碑文

(前略)太平洋戦争中の昭和二十年六月空襲にあい 職員 動員学徒ら二十三名

の尊い犠牲者が礎となってこの地に眠っている(後略)

 

福正寺

千葉県千葉市中央区

  

蘇我町戦災死者之墓

碑文

日立航空機千葉工場爆撃の目標が僅かなる誤差により 昭和二十年六月十日午前七時五十四分

B29の爆撃により152名爆死者あり 蘇我町一丁目在住者129名なり 内124名は桜木町の市

営墓地に野天に於いて合同火葬せり 各遺族は湯呑大に入りし遺骨を受け 残る遺骨は此の墓石

下内に合同埋骨せり

爆撃に逝きたる人や碑と成りて 永久にねむりて平和の守り

 

都市空襲

更新日:2002/04/21