奈良・大分・四国 年越しツーリング

2008年1月4日
今日も快晴だ。
愛媛県をゆっくりと北上して松山に入るのが今日の予定。
ホテルのシンプルな和朝食を食べて出発。
まずはすぐ近くの南レク御荘公園の宇和海展望台に行ってみる。

料金は410円だがJAF会員は団体割引が受けられるので会員証提示で330円になる。
細く高い煙突のような搭が空に伸び、展望台が回転しながらゆっくりと上昇しながら地上107mまで昇って行く。
建っている場所自体が馬背山の頂上にあるので、展望台は270mの高さになる。
わずか10分程度だが360度まさにさえぎる物のない実に素晴しいパノラマビューを堪能した。

宇和海展望台(展望室は上がっていない状態)
御荘湾をまたぐロープウェイが見えるが営業停止

この公園の敷地には太平洋戦争末期に活躍した旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の展示館がある(入館無料)

戦時中海中に墜落した機が、昭和53年に発見され翌年7月に34年ぶりに引き上げられ補修されて展示してある。
子供の頃にちばてつやの「紫電改のタカ」という漫画を愛読し、プラモデルも作った事があるので馴染みのある戦闘機だが、無論
実物を見るのは初めてだ。
米国には1機、接収された紫電改が保管されているが、国内ではここに展示されている機が唯一現存するのみだ。

30年以上海中に沈んでいた機体は当然相当痛んでいた訳だが、あえて完全に復元せずに当時のダメージを残しているので
非常に生々しい印象を受ける。
紫電改が自動空戦フラップなど当時の日本軍の戦闘機としては最新の技術を注いで作られた事。
その生産がもう少し早ければ戦況にも少なからず影響が出たであろうと言われることなど、名機と呼ぶに相応しい戦闘機であった
事は展示館の説明文で改めて理解できた。

すでに優秀な操縦士を多く失い、また純度の高い燃料が確保できない資源状況や、勤労奉仕の未熟な工員が多く加工精度が
高まらなかったなど、その性能を十分に引き出すだけの国力が終戦間近の日本にはなかった訳だが・・・
この展示で紫電改を生産した川西航空機が現在の新明和工業であることも初めて知った。

戦争の記憶を消え去らないためにも、こういった展示は意味が深いものだと思うが、私自身も当地に来るまでまったく知らなかった
のだから、あまり知られていないことは少々残念ではある。

プロペラは墜落時の衝撃で曲がったまま
主翼の幅 11.99m
高さ 3.9m
全長9.34m 重量4,86t
最高時速620km エンジン出力2000馬力
紫電改展示館

西海地区は入り組んだ海岸線の半島で、半島であれば当然先端の高茂岬まで県道34号で行かなくては岬ハンターの名折れだ。
途中の集落、外泊では海岸からの傾斜した地形を生かすために石垣を積み上げた家々を見る事が出来る。
山を削り、谷を開き、そこで出た石を使って海岸の強い風に耐える塀を築き上げてきた先人の知恵が見て取れ、家を出なければ
ならない二男、三男が住む場所を求めて隣の集落から移り住み、築き上げた石垣には、その苦労がしのばれる。

しかし石垣の描く直線と曲線の融合は美しい。
ここもまったく予備知識なしで訪れたが、半島・岬巡りをしていてこういうその地の風土を感じさせる場所に出会えると嬉しいものだ。

外泊・石垣の里
まるでお城のような石垣
海岸から続く斜面に石垣の家が連なる
高茂岬は愛媛県の南端に位置し豊後水道に突き出す形の岬。
周囲は全て100m以上の断崖に囲まれている。
岬には非常に低い灯台があるが、これだけの高さがある地にあれば灯台そのものの高さは無論必要ないことは一目瞭然だ。
愛媛県豊後水道側の岬はなかなか訪れにくい場所だけに、またひとつ岬を制したことは、この旅の大きな収穫と満足して岬を
あとにした。
飛び出ているのは鼻面岬
この岬はアクセスルートが無いのでここから見るだけ
高茂岬灯台 高さは6m 昭和25年初点灯

宇和島に向かうR56を北上中に2002年の四国一周ツーリング中にキャンプした須の川公園に立ち寄ってみた。
前回は到着した時はすでに真っ暗で、周囲の景色も分からず心細い気持の中で幕営したことを思い出すが、海辺の実にのどかな
公園で平坦な広場はテントを張るには最高だが、冬場はキャンプする人の姿を見ることもなかった。

昼をだいぶ過ぎてきたので宇和島市内に入ったところで、国道脇のうどん屋さんで昼食。
これから四国滞在中はうどんづくしになりそうだ(笑)

須の川公園

かつてこの場所にテントを張った
(マウスオンで2002年の画像)
じゃこ天うどんは650円
今回の四国旅の目的は城めぐり。
日本に現存する天守閣を持つ城は12城だが、そのうち4つは四国にある。
高知城は前回訪れ、残る三つのうち松山城と丸亀城は遠くから眺めたことはあるが、宇和島城だけは見たこともない。
今回は宇和島城、松山城、丸亀城と訪れる予定。


宇和島城(鶴島城) 天守閣(重要文化財) 城跡(史跡)

宇和島城は湾頭の丘陵に築かれた平山城で、慶長年間、藤堂高虎によって築城され、寛文2年から5年にかけて伊達宗利に
より大改修されたものである。
天守は独立式で3層3階本瓦葺、白壁の総塗込め造りで荘重である。
正面最上層の屋根に唐破風、二層に大型の千鳥破風、その下に二つの千鳥破風を並べ、最下層にこれらの総てを受けた玄関
に唐破風がある。
これらは各層の屋根とよく調和して、美しい姿と安定感を持ち、江戸時代初期の貴重な天守閣となっている。
なお、上がり立ち門(市指定)や、二の丸・籐兵衛丸・長門丸・代右衛門丸などの石垣遺構もよく保存されている。
(入場券裏の説明文より)

宇和島城は今まで見てきた現存天守に比べて小じんまりした印象を受けた。
実際には犬山城や備中松山城と比較しても差はないのだろうが、石垣以外に何も残っていない広場になった本丸跡にポツンと
天守だけが残っているので、より一層小さく感じたのだろう。

現在は埋め立てられているが築城当時は城のすぐ下に宇和島湾が迫り、海が天然の堀の役割を果たすとともに物資の輸送にも
便利だったことが伺える。
天守閣の上からは市街地が一望できる。
昔は市中のどこからでも天守閣を仰ぎ見る事ができたんだろう。
天守閣しか残っていないのが本当に惜しまれる。


宇和島城
天守閣内から眺める宇和島市街地
二層、三層の千鳥破風

宇和島城を見学して今日の予定は終わりなので、あとは宿泊地の松山まで移動するだけ。
内子の町並みを見て行こうかとも思ったが、早くホテルに着きたかったので、大洲松尾インターから松山インターまでは高速を利用。
大洲松尾−大洲間は500円だが大洲ー松山間はETC通勤割引が適用されて550円で済んだ。
明日訪れる松山城を横目に見て本日の宿泊先の「ホテルNo1松山」に到着。
2006年に開業した新しいホテルで、きれいな大浴場があり、室内LAN完備で快適な設備だった。
朝食付で5640円(ポイント使用で支払いは940円)の価格は決して高くない。

夕食はローソンで弁当を買ってきて部屋で発泡酒を飲みながら済ませた。
せっかくだから松山の街を散策すれば良さそうなもんだけど、一度部屋で落ち着くと外に出かけるのが面倒くさくなっちゃうんだよね。



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