. ゼロ戦と紫電
..
靖国神社にある遊就館に行くと「ゼロ戦」が展示されてあります。
ただね。面白くないですね。
私の頭にあるゼロ戦は、あの当時の映画で見たのが印象として強く残っているせいか、何もしないで展示してあるゼロ戦は「なんだ こりゃ??」----そんな感じ。
ハデハデの大きなプラモデルと云った印象。
.
戦時中、映画館での「ニュース映画」に出て来るゼロ戦は、ボロボロでありながら、まさに生きていました。空母に着艦する際、片足がが出ないで着艦出来ず、やむを得ず空母そばの海水に不時着し、操縦員が大勢の仲間に助け出されるシーン、とか、猛烈な対空掃射の中をくぐり抜け敵艦に突入して大爆発を起こさせた特攻隊シーン
等々、それらのシーンが 通称「雨降り映画」と呼ばれたキズだらけの映画フイルムの中に 生きた姿で生々しく登場していたのです。勿論
色はありませんでした。
ただ「紫電」の方は、当時知らなかったので、飛んでいる姿は見ていません。それならば色付きで静止した姿でもOK。然し、この方の実物機は、このへんにあるのかな。話題にも上りませんね。
「紫電」は先日亡くなった 元・特攻隊待機員!で、鹿屋で終戦を迎えた兄貴が絶賛していた機種。これは色付きであれ実物を見たいなあ〜〜〜ホント。
写真は「紫電」と「ゼロ戦」
※最初の「紫電」は翼が中翼でしたが、その後の「紫電 改」は低翼に改良。
----------------------------------------------------
.... . 露呈された弱点
開戦半年後に古賀一飛曹が操縦する零戦21型がダッチハーバー空襲中に被害を受け、無人島に不時着、機体は事実上無傷の状態で米軍の手に落ちました。
これを米軍は飛ばしあらゆるデーターを作成しゼロ戦の弱点、性能上では右横転が遅く、降下中の加速には多くの時間を要する。
一番致命的な防御性能がほとんどゼロに等しく、燃料タンク防御、飛行士用防御装甲は”大和魂”任せの状態でした。
ともあれ、ゼロ戦となると、私には、ちょっと旧式戦闘機、との印象が残ります。スタイルも、なんとなく野暮ったい感じがするのです。思うに、緒戦の頃となると私は小学の低学年生、従って、それほど飛行機の機種まで云々出来る立場にはありませんでした。高学年になって改めて眺めてみて、これじゃイクサにもならないんではないのか?とも思いました。とか云って
それ以外の新しい機種の発表もなかったわけだし、いつまでもゼロ戦に頼っている日本軍に情けない思いもしていましたね。
それが、終戦になって、始めてゼロ戦以外の高性能機もあった事を知らされました。加えて、特攻隊予備兵の兄が帰って来て、時代は「紫電」に移っていた
と聞かされ、そうだったんだろうなあ〜〜と納得しましたね。
大戦中、最高傑作機だったと云われたのが 海軍戦闘機「紫電 改」でした。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
「紫電改」(しでんかい)とは、水上戦闘機「強風」を元に開発された局地戦闘機 紫電を低翼に再設計した紫電二一型以降を指す(「紫電改」は紫電二一型の試作時に付けられた仮称であり、制式名称は紫電である)。局地戦闘機として太平洋戦争末期の日本本土防空戦で活躍した。設計生産は二式大艇の設計で有名な川西航空機(現新明和工業)、主任設計技師は菊原静男技師。同時期に開発された同じ発動機を搭載する中島飛行機の四式戦闘機「疾風」が保守的な設計だったのと対照的に、紫電改は新機軸の設計(世界初の自動空戦フラップ、層流翼)が特徴である。後世の評価は大きく分かれているが、その数奇な運命やネーミングから人気の高い機体である。米軍を中心とした連合軍側のコードネームは"George"。日本海軍の搭乗員からは「J改」と呼ばれた。(以下
略)
------------------------------------------------
モノの評価にはいろんな基準があって、いくら戦争とは言え、単に優秀だからいい、とばかり言えない面があります。ただ、当然ながら性能が優秀である点は絶対的条件ですが、製作に
いろんな困難な条件を含んで生産生がワルイ、とか、操縦性にも問題があるとか、いろいろ出て来ると思われるのですよ。
・・・・そんな事もあってか、この戦闘機には一体どんな 問題点があったか、私が知りたい点は何か・・・と、これを書いてみたいと考えた次第でした。
●まず、この飛行機の部品点数は、いくつだったのか。(少ない方がいい。)
●部品点数一点はいくらとなったか(納入価格と製造原価、そして台数)から算定して。(安い方がいい。)
●総部品の点数で全体の重量を割算したら、一点当たりの目方が出ますね。それは 何g だったか。(軽い方がいい。)
以上の3点の関門をクリーアーして、それを土台にして 同じ条件で他の機種との優劣を判断すべきだと思いますね。
紫電はゼロ戦よりは優秀だったと云われていますが、果たして上記条件を どれだけクリアーしていたのか、どうか、部品点数が多すぎて生産に困難を来たした、とか、モノによって高価な部品部材を使わざるを得なかったとか、目方が かかり過ぎて操縦性に問題が出た、とか、結果的に一台当たりの単価が高すぎて それが量産でネックになった、とか、いろいろ出たと思いますよ。
国家存亡の折、そんな事に拘泥している場合ではなかった、とかの反論が出るかも知れませんが、それだからこそ効率の良い生産を継続するための条件を勘案すべきだと思うのですよ。冷静な人材の有無も戦局に大いに関係したでしょうね。
参考 紫電は水上機からの延長開発でした。従って 当初は中翼でしたね。
●google検索と件数 紫電 456.000件
●google画像イメージ検索と件数 紫電 18.100件
(2007.12)
大辞泉 ゼロせん
0 【―戦】
旧日本海軍の「零式艦上戦闘機」の通称。太平洋戦争直前に完成。航続距離が長く、
軽快で運動性に富み、当時の世界水準を抜いた単座の高性能戦闘機であった。零戦(れ
いせん)。〔皇紀2600年(1940年.昭15)に制式採用されたところからの称〕
大辞泉 しでん
0 1 【紫電】
1 紫色の電光。
2 鋭い光。鋭い眼光や、とぎすました刀剣の光などにいう。
3 旧日本海軍の局地戦闘機。のちに中翼配置が低翼に改められ紫電改となり、本土防
空戦に活躍。
●google検索と件数ゼロ戦
184.000件
●google画像イメージ検索と件数 ゼロ戦
84.400件
●google検索と件数紫電 333.000件
●google画像イメージ検索と件数 紫電 69.900件
(2007.07)
■|続く| ■|戻る|