「日本海軍制式機大鑑」
All the Regular Formed Aircraft in Japanese Navy

紫電そして紫電改
解説 = 秋本 実


1944(昭和19)年・・・初飛行
Intercepter“Shiden”<George> Kawanishi
局地戦闘機「紫電」一一型(N1K1-J) 川西

昭和16(1941)年12月28日、川西は同社で開発中の十五試水上戦闘機(強風)を陸上局地戦闘機に改造することを海軍航空本部に提案した。この計画を検討した海軍は、三菱十四試局地戦闘機(雷電)の開発が遅れていることを勘案して、仮称一号局地戦闘機(N1 K1-J)の名で、この計画を取り上げることとし、翌17(1942)年の1月31日に計画要求書案の審議会を開き、4月15日に正式に試作を発注した。

すでに、川西では航空本部の内諾を得ると直ちにX-1という社内名で作業に着手しており、3日後の4月18日には実大模型の審査が実施され、同年末には1号機が完成した。

大きな改造点は、発動機を火星から誉に換装したことと、降着装置を浮舟式から車輪式に変更したことで、中翼式のため主脚は脚柱が長くなり、そのままでは翼内に収容できず、二段式引込機構を採用していた。また、発動機換装にともないプロペラはVDM電気式4翅定速式プロペラに変更されていた。

胴体は、直径の小さな誉にあわせて再設計し低翼化するのが好ましかったが、短期間で完成させるため中翼形式のままとし、防火壁前方と後部胴体と垂直尾翼が再設計されていた。そして、自動空戦フラップのほか、高速時と離着陸時のいずれの場合でも操縦感覚と舵の効きが対応し最高の操縦性を得られるようにした腕比変更装置が採用されていた。

1号機は17年12月27日に地上滑走試験を開始し、31日には初飛行に成功したが、誉発動機、プロペラ、脚などのトラブルが続出、飛行試験は難航した。軍に領収されたのは18(1943)年7月24日で、審査の結果、速度不足、前下方視界不良、工作不良等が指摘されたが、生産を続けながら改修を行うということで18年8月10日、未解決の問題を抱えたまま試製紫電の名で量産に入った。

このため、試作機の実用実験が進むにつれ、要改造箇所が続出し、生産が混乱したこともあったが、空技廠や工廠の協力により難局を乗り越え、19(1944)年10月に紫電一一型として制式採用となった。

生産数は、試作機と増加試作機(合計8機)を含め、1,007機で、次の各型があった。

一一型(N1K1-J):胴体に九七式七粍七固定機銃2挺、翼下面のポッドに九九式一号二十粍固定機銃二型2挺を搭載した初期量産型。

一一甲型(N1K1-Ja):胴体銃を廃止し、翼下面のポッド内の機銃を九九式二号二十粍固定機銃三型に換装したほか、翼内に九九式二号二十粍固定機銃三型を追加し、20mm銃4挺とした武装強化型。

一一乙型(N1K1-Jb):翼下面のポッドを廃止し、翼内にベルト給弾式の九九式二号二十粍機銃四型4挺を搭載したほか、翼下面に250kg爆弾2発を搭載可能とし、水平尾翼の翼端を角形に整形した武装強化型。

一一丙型(N1K1-Jc):一一乙型の爆撃兵装を60kg爆弾4発または250kg爆弾4発とした爆撃兵装強化型。試作のみ。

このほか、一一丙型の胴体下部に500kg跳飛爆弾懸吊装置と加速用火薬ロケットを試験的に追加したマルJとよばれる実験機、胴体銃だけにした練習戦闘機型などもあった。

最初の紫電部隊は341空で、19年2月中旬から紫電の供給が開始された。初陣は同年10月12日の敵艦上機の台湾空襲の際で、初戦果を記録している。つづいて比島決戦に参加、基地防空、レイテ進攻、船団掩護、魚雷艇攻撃、強行偵察等に活躍した。本土防空戦では、横須賀空、筑波空、谷田部空、210空、343空等の紫電が活躍、沖縄決戦では210空や601空の紫電が制空や特攻掩護をしており、偵察第11、12飛行隊の紫電は強行偵察に奮闘している。

▲昭和18年10月、川西の鳴尾工場で撮影された仮称一号局地戦闘機(試製紫電)

●紫電一一型(N1K1-J)

発動機 :名称 誉発動機二一型、設計 中島、形式 空冷複列星形18気筒、公称出力(一速)1,825hp/1,750m、同(二速)1,700hp/6,100m、離昇出力1,990hp、基数1
プロペラ :VDM金属製4翅電気定速式、直径3.30m
寸度 :全幅11.99m、全長8.945m、全高4.058m、主輪間隔4.450m
面積 :主翼23.5u、補助翼1.28×2u、フラップ2.155u、水平安定板4.435u、昇降舵0.55×2u、垂直安定板2.011u、方向舵0.664u
重量 :自重2.897kg、搭載量(正規)1,003kg、同(過荷重)1,442kg、全備重量(正規)3,900kg、同(過荷重)4,321kg
燃料 :716+400L、滑油:55L
諸比 :翼面荷重164.6kg/u、馬力荷重2.13kg/hp、縦横比6.13
性能 :最大速度315kt(583km/h)/5,900m、巡航速度200kt(370km/h)/4,000m、着陸速度75kt(139km/h)、上昇時間6,000mまで7′50″、実用上昇限度12,500m、航続距離(正規)773nm(1,432km)、同(過荷)1,374nm(2,545km)、航続時間(正規)3.86h、同(過荷)6.87h
武装 :20mm固定銃×4(一一甲型、一一乙型)、爆弾60kg×2または250kg×2
乗員 :1名
データ出所:海軍

●主要使用部隊 :横須賀空、筑波空、谷田部空、大村空、元山空、132空、171空、210空、341空、343空(初代)、343空(二代)、601空、634空戦闘第301、401、402、403、407、701飛行隊、偵察第11、12




1945(昭和20)年・・・初飛行
Intercepter“Shiden”<George> Kawanishi
局地戦闘機「紫電」二一型(N1K2-J)〈紫電改〉 川西

紫電(N1K1-J)のテストが開始されて間もない昭和18(1943)年2月、川西は紫電を低翼化して、より本格的な陸上局地戦闘機とすることを海軍に提案すると同時に設計に着手した。仮称一号局地戦闘機改(N1K2-J)という名で正式に試作が指示されたのは3月の15日で、8月1日には試作1号機の製作が開始され、12月31日に完成した。設計開始以来10か月という短時日であった。この間、新しい「航空機名称付与様式」の実施にともない、本機は紫電改と呼ばれることとなり、試作機は試製紫電改と名付けられた。

紫電一一乙型が基礎となっており、発動機、プロペラ、射撃兵装は一一乙型と同じであっが、主翼以外は再設計されており、別の機体といっても過言ではなかった。

胴体は、幅を減らすとともに断面形状も変更された。低翼化とこうした改修により前下方視界は格段に向上した。また、後部胴体を延長して垂直尾翼を後方に下げると同時に方向舵を下方まで延長、垂直安定板も再設計されたが、この結果、滑走中の偏向癖が改善され、射撃時の方向安定も向上した。

主翼は基本的には紫電一一乙型と同じで、自動空戦フラップや腕比変更装置も引き継がれていた。水平尾翼も再設計され、取付位置が下げられた。脚は二段引込機構なしの簡潔な引込脚に改められた。

紫電自体、これまでの日本戦闘機に比べると防弾性や防火性が優れていたが、紫電改では翼内タンクも防弾が強化されていた。

そして、こうした改修の結果、重量は増加したが、最大速度が6〜8kt向上し、上昇性能や航続力も向上しており、工数、部品数の低減により生産性が大幅に向上していた。

制式採用は20(1945)年1月で、最初の生産型は紫電二一型(N1K2-J)と名付けられた。紫電改を高く評価していた海軍は、零戦に代わる主力戦闘機として使用することを考え、艦上戦闘機型を含む各種改造型を計画したが、生産されたのは二一型、二一型の爆撃兵装を60kg爆弾4発または250kg爆弾2発に強化した二一甲型(紫電改甲、N1K2-Ja)、胴体に三式十三粍固定機銃四型2挺を追加した三一型(紫電改一、N1K3-J)のみである。

三一型の発動機を低圧燃料噴射式の誉二三型に換装した三二型(紫電改三、N1K4-J)は2機(鳴尾517、520号機)製作されたのみで、二一甲型の発動機を「ハ四三」一一型に換装した二五型(紫電改五、N1K5-J)は試作機が完成直前に被爆破損してしまった。

艦戦型は、三一型(紫電改一)を改造した紫電改二(N1K3-A)と三二型(紫電改三)を改造した紫電改四(N1K4-A)が試作され、19年11月中旬、航空母艦信濃の公試運転の際、改二の発着艦実験が実施された。

発動機を2段3速過給機付きの誉四四型に換装した紫電改性能向上型、二一型を複座の練習機に改造した仮称紫電練習機(N1K2-K)、鋼製化した鋼製紫電改などは計画のみに終わった。

生産数は、川西で400機、昭和飛行機で2機、三菱と21空廠で数機ずつで、終戦時の残存機数は紫電、紫電改合わせて376機。

紫電改の初陣は、20年2月16、17日の敵艦上機の関東地区空襲の際で、横須賀空の戦闘機隊と審査部の紫電改が奮闘した。

これより先の19年12月25日、新鋭戦闘機紫電改とベテラン搭乗員で制空権の回復を計るという源田 實大佐の構想にもとづき、同大佐を司令とした343空(2代、剣部隊)が編成され、初陣の3月19日の呉地区艦上機迎撃戦で、54機の紫電改が紫電8機と出撃、52機を撃墜するという大戦果を記録したのを皮切りに、終戦まで健闘を続け、半年間に約170機を撃墜、海軍戦闘機隊の最後を飾った。

▲二一型の爆弾架を変更し垂直尾翼面積を減らした紫電二一甲型5243号機(N1K2-Ja)

●紫電二一型(N1K2-J)

発動機 :名称 誉発動機二一型、設計 中島、形式 空冷複列星形18気筒、公称出力(一速)1,825hp/1,700m、同(二速)1,625hp/6,100m、離昇出力1,990hp、基数1
プロペラ :VDM金属製4翅電気定速式、直径3.30m
寸度 :全幅11.99m、全長 9.346m、全高 3.960m、主輪間隔3.855m
面積 :主翼23.5u、補助翼1.233×2u、フラップ1.45×2u、水平安定板4.516u、昇降舵0.566×2u、垂直安定板1.59u、方向舵0.81u
重量 :自重2,657kg、搭載量(正規)1,343kg、同(過荷)2,143kg、全備重量(正規)4,000kg、同(過荷重)4,800kg
燃料 :716L+400L、滑油:55L、メタノール140L
諸比 :翼面荷重170.2kg/u、馬力荷重2.18kg/hp、縦横比6.13
性能 :最大速度321kt(594km/h)/5,600m、巡航速度200kt(370km/h)/3,000m、着陸速度78kt(144km/h)、上昇時間6,000mまで7′22″、実用上昇限度10,760m、航続距離(正規)926nm(1,715km)、同(過荷)1,293nm(2,395km)、航続時間(正規)4.87h、同(過荷)6.8h
武装 :20mm固定銃×4(翼内)、爆弾60kg×2 または 250kg×2
乗員 :1名
データ出所:海軍

●主要使用部隊:横須賀空、343空、戦闘第301、407、701飛行隊