◆「竹島」記述で予想通りの反発
学習指導要領解説書での竹島記述問題が、韓国の強い反発を引き起こしている。この問題については当コラム5月24日付の
<韓国親日政権を反日に変える愚行―05年の「竹島の日」騒ぎを文科省が繰り返す>
http://www.news.janjan.jp/column/0805/0805237757/1.php
で取り上げたことがある。
◆「北方」と同じ固有の領土と主張
政府は韓国に配慮したというものの、記述の内容は、「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」とされた。「北方領土と同様」となっているのだから、竹島も我が国固有の領土だということになる。
竹島を実効支配し「固有の領土」としている韓国の反発は、ほぼ5月24日付の文章で懸念したとおりのものである。日韓関係の悪化も、竹島の値打ちもともに「カネに変えられないもの」であることは事実だが、比較考量するという考え方を捨ててはいけない。
◆隣接国すべてと領土紛争
私自身の考え方を言うなら、「領土へのこだわり」など捨てるべきだというものである。海を隔てて隣接する国はソ連・南北朝鮮・中国ということになるが、そのどの国とも国境紛争を抱えている国など、日本しかない。恥ずかしい国だと思わざるをえない。
◆「北方」に帰りたい人はいるのか
竹島も尖閣列島も「無住の島」であり、じっさいに人々が住んでいた「領土紛争の島」は北方領土だけである。いまでも「記念日」になると、「故郷」であることを強調し、「帰りたい」という人が出てくるが、フィクションが入り交じっているように思えてならない。どの島も夏の人口が増えた。根室などに住み、夏だけ「島」に行って水産加工工場などで出稼ぎする人が多かったからである。戦後島に残った人はいまだに確認されていない。
◆中止のやむなきに至った旧島民調査
旧総理府はサンフランシスコ講和によって主権を回復した後、北方4島の「旧島民調査」なるものを開始した。しかし昭和30年代に入るとすぐに止めた。「故郷の島に帰りたいですか」という質問に「帰りたくない」と答える人が過半数に達したからである。当然のことだろう。誰もが戦後新しい生活を築いた。その生活が大切なのであり、「望郷の念」で生きられるわけはない。
◆一人歩きの返還要求
私の父も、旧満州(中国・東北地区)に住んでいたことがある。しかし仮に戦後のある時期、満州が日本の領土になったとしても、私の兄弟も含めて誰も満州に帰ろうとはしなかったはずだ。同じことで、北方領土に移り住もうとする人も少数だったはずなのだ。
私の父はすでに死亡した。戦後すでに63年である。じっさいには、誰も帰ろうとしない領土について「返還要求」だけが一人歩きするのはおかしい。
◆日本は領土を大切にしているか?
「領土要求は当然」という人たちにもう一つ聞きたいのは、「日本は領土を大切にしていますか?」ということである。私自身北海道の田舎村の出身だが、村の農地・山林の中で、放置され荒れ果てている部分はどんどん増えているとしか思えない。
私の生まれ育った旧穂別町は香川県の3割ほどの面積に人口4千人弱という過疎状態になり、南隣の鵡川町と合併、むかわ町の一部となった。人口の減少、農地・山林の放棄という現象はどんどん進むように思えてならない。
◆返還領土に住む人もなく放置?
じっさいに居住者がいる地域についてさえ、「国土を大切にしない」傾向がどんどん進んでいるのに、帰ってきた領土だけ大切にするということがあり得るだろうか?
仮に日ロ領土交渉が急進展し、歯舞・色丹両島が帰って来たと仮定する。現在居住しているロシア国籍の島民を全員追い出して、領土だけ受け取るという形になった場合、日本領の両島は住む人もなく放置される。そんな姿を外国のメディアに紹介されて、日本人の一人として限りなく恥ずかしい思いをする……。そんな気がしてならないのである。
◆政治によってつくられた返還要求運動
そもそも北方領土返還要求は、「政治」によってつくられたものにすぎない。歴史年表を見ればすぐに分かることだが、初の「北方領土復帰促進国民大会」が東京で開催されたのは1968年10月19日である。
翌69年5月22日、「北方領土問題対策協会法(北対協法)」が公布された。政府に北方対策本部(総理府所属)が置かれ、国民運動を展開する組織として北対協が設置される。毎年2月7日を「北方領土の日」とし、 北対協の下に全国の各都道府県に「北方領土返還要求県民会議」が設置され、各県とも北方領土問題の担当課を設置する――。こういうことは全て北対協法によるのである。
73年9月20日には、衆議院本会議が初の北方領土返還要求決議を全会一致で採択した。以後繰り返し行われた国会決議の嚆矢である。
◆沖縄返還要求と同時期
どうしてこの時期に北方領土返還要求が急速に高まり、新たな「国民運動」が生まれるような動きになったのだろうか。
当時の日本外交の焦点は「沖縄返還」であった。米国がもっとも恐れたことは、沖縄の主権を得た日本が、1転してソ連との「友好国」に豹変することであった。外交はだましあいである。対立する2つの勢力のうち一方から欲しいものを手に入れた国が、「これで用ずみ」とばかり他方の勢力に寝返った前例は、珍しいことでもなんでもない。
◆米国に対する証(あかし)の意味
北方領土返還要求の国民運動化は、この恐れはないことを米国に保証するための証しであった。北方領土では多数のソ連国民が生活しており、ソ連が返還することなどあり得ない。日本の返還要求が国民運動であり続ける限り、北方領土をテーマとする日ソ対立は半永久的に続くというわけだ。
米国の外交官がこうしたことをむき出しに要求したのではないかもしれない。日本の外交官の方が提案したとも考えられる。ともかく日本の「沖縄食い逃げ」を許さない保証として、米国側には満足しうるものであった。そして沖縄返還は72年5月に実現したのである。
◆石橋湛山の小日本主義
日本の戦後復興をリードした政治家に石橋湛山(1884〜1973)がいる。
経済誌「東洋経済新報」の主幹だった石橋は1921年、同誌の社説として「大日本主義の幻影」を書いた。植民地だった朝鮮、台湾も、満州(現中国東北地区)の権益もすべて放棄せよ。日本は4つの島で生きて行けばいいのだ、という内容であった。
◆「中国経済の発展こそ日本にプラス」
満州の権益放棄を主張したのは、中国に近代国家としての発展を促すことこそが日本の利益になると考えたからである。民族自決の原則の下で、中国が経済成長を遂げると、日本は大きな市場を獲得することになる。その方が日本経済にとってプラスになる、というのである。
◆文明度の高さを競う
こういう考え方をする方が、文明度は高いだろう。何が何でも係争中の領土は「自分のもの」と主張する国は、「遅れている」ことを自認しているのと同じだという気がする。
<私たちは中国や韓国の兄貴分だと思っている。だから係争中の領土は、中国・韓国に譲ってもいいと考える>
と主張するオピニオンリーダーがいない現状は情けない。
◆ドイツの旧領土放棄
欧州の敗戦国・ドイツは75年8月、全欧安保協力会議(CSCE)で採択されたヘルシンキ宣言を受け入れた。アルバニアを除く全欧州諸国に米国、カナダを加えた35か国によるこの「宣言」は、東側諸国に対して人権尊重や東西交流を約束させたが、ソ連は「現存国境の尊重」を原則とすることに成功、戦後欧州の東西分断を固定化することに成功したとされた。
◆「国境の壁」を低くする意味
ヘルシンキ宣言受け入れによってドイツは、ドイツ民族居住地を含む旧領土を放棄したことになる。その決断が、「国境の壁」を低くするという意味を持ったのは、その後の歴史の進展を見れば明らかだろう。
◆EECからECへ、さらにEUへ
1958年発足していたEEC(欧州経済共同体)は、67年「経済」を外したEC(欧州共同体)に発展していたが、93年11月のマーストリヒト条約の発効によりEU(欧州連合)となった。99年には単1通貨ユーロが導入され、2002年にはイギリス、デンマーク、スウェーデンを除いた12カ国でユーロへの切替えを実施した。
◆欧州合衆国を目指して
その後、EUは「欧州合衆国」を目指す動きを強め、07年12月にはリスボン条約が調印された。同条約はアイルランドの国民投票で批准が否決されたが、EU首脳会議などでは、発効にこぎ着ける作業をあきらめないことで一致している。
◆東西対立の枠組みも打破
ヘルシンキ宣言の精神は、東西対立という世界の基本的枠組みも打破してしまった。1980年代末のソ連・東欧の崩壊である。この巨大な成果によって欧州だけでなく、国際政治の枠組みさえ1変してしまった。
◆先進国の中で最高の活力
EU加盟国は旧西欧だけでなく旧東欧にも拡大、さらには旧ソ連を構成していた国々にも及んでいる。EU内部の経済・社会・文化は、「国境の壁」を低くすることによって活力を取り戻している。ユーロはいまドル・円とは大きな格差をつけた通貨となっているが、それはEUの社会・経済の活気を反映した現象なのである。
◆歴史にも隣人にも学ばない日本
歴史に残る正しい主張をした石橋湛山という先人にも、同時代の賢明な隣人であるEUにも学ばず、ただただ「国境」と「領土」にこだわっているのが、いまの日本なのである。
◆新聞社説のキーワードは冷静な対応
この問題では、新聞各紙が15日付の社説のテーマとしている。 読売の
<学習指導解説書 「竹島」明記は遅いぐらいだ>
が突出しているだけ。
朝日=竹島問題 日韓は負の連鎖を防げ
毎日=竹島記述 領土問題は冷静さが必要だ
東京=『竹島』明記 ここは冷静な対応を
以上の3紙はいずれも「冷静な対応」を協調している。しかしよく読んでみると、日本が竹島の領有権を主張するのは「当然のこと」とされている。
◆日本の主張は「当然」
朝日社説の論理を読んでみよう。
<韓国にとって、竹島は単なる小さな島の問題ではない。日本が竹島を島根県に編入した1905年は、日本が韓国から外交権を奪い、併合への道筋を開いた年だ。竹島は、日本による植民地支配の象徴とされている。
韓国の人たちは「独島」と呼び、「独島、われらが土地」という唱歌で子どもの頃から愛国心を培ってきた。島の領有は韓国ナショナリズムのゆるがせにできない柱なのだ。
3年前、島根県が編入100周年で「竹島の日」条例を制定し、韓国側が猛反発したことも記憶に新しい。
日本政府はそうした韓国側の事情もくんで、竹島問題には抑制的だった。だが今回、様々な事情が重なって問題が先鋭化している。
学習指導要領はほぼ10年ごとに改訂され、それに伴って解説書も見直される。それが今年に当たった。
そこに向けて、自民党の一部などに、北方領土とともに竹島の領有権問題をもっと学校で教えるべきだ、とする声が強まっていた。
一方で韓国では李明博政権が出発したばかりだ。北朝鮮の核や拉致問題で韓国との協力も欠かせないなか、福田首相としては、そうした外交への配慮から韓国を刺激するのは避けたい。
それもあって3月告示の指導要領の改訂で竹島への言及を見送ったが、代わりに解説書では何らかの形で触れざるを得なかった。政権基盤の弱い首相の苦しい党内配慮も見える。>
「竹島の領有権問題をもっと学校で教えるべきだ」という自民党の一部の主張や、それを抑えられなかった福田康夫首相への批判は見られない。
◆韓国に要求している「冷静対応」
朝日社説はさらに続けて
<韓国の事情も苦しい。米牛肉の輸入再開を機に、国民の不満が爆発している。李政権としても、ここで国民に弱腰を見せるわけにはいかないのだ。
だが、ここは冷静になりたい。
今回の解説書はあくまで日本政府の従来の見解に沿ったものに過ぎない。4社の教科書はすでに竹島を取り上げている。大多数の日本国民は良好な日韓関係を維持したいと望んでいる。日本政府はあらゆる機会にそのことを韓国に丁寧に説明すべきだ。
韓国側の怒りも分からぬではないが、解説書では竹島の領有権をめぐって日韓の間の主張に相違があることを客観的に明記している。>
と書き、これで結論としている。「冷静な対応」は韓国に対して呼びかけているだけなのだ。もちろん韓国政府が日本の新聞である朝日の韓国など聞き入れるはずもない。「朝日は韓国側に冷静な対応を呼びかけているんですよ」という日本人読者向けメッセージなのだ。
◆国内の危険な動きに警鐘を鳴らせ
朝日が真に「勇気ある言論」を展開するのであれば、日本国内の危険な動きに対して立ち向かうべきではないか。もちろんそういう言論に対する反発はあるだろう。しかしそれは覚悟の上で、あえて警鐘を鳴らすのが言論の使命だろう。
影響力を及ぼすことができる国内の諸勢力の動きについては何も言わず、韓国に対して「冷静な対応」を呼びかけるというポーズをつくる。これでは言論の使命を放棄していると批判されてしかるべきだろう。