Kawanisi Fighter SIDEN Model11/21
局地戦闘機紫雷/紫電改

アメリカは1940年にP&W R-2800=1800hpを信頼出来る高性能エンジンとして実用化。1942年から次々と2000hp級戦闘機(最高速度600km/h超)を送りだし始めた。F6F、F4U、F8F、F7F、P-47、P-61 。
日本も1938年から2000馬力級航空エンジン研究に掛かり1941年=BA11(ハ45/誉=1800hp後1990hp)を完成させ1942年から量産に入った。紫雷、疾風、彩雲、烈風、流星、銀河。
WR-2800とハ45/誉。この2つのエンジンの信頼性と稼動率が太平洋の明暗を分けた、この明暗こそ国力の格差だった。

川西は水上機の先行き不安から試作段階である強風の機体をそのまま局地戦闘機にする案を1941年12月海軍に提出した、この案はエンジンを試作中のハ45/誉を搭載する予定で仮称一号局地戦闘機と呼ばれた。

1942年4月から試作に取りかかり1943年12月に初飛行したがエンジンを筆頭にプロペラ、脚、翼、胴体まで故障と問題点が続出し、計画速度650km/hの所、最高速度580km/hで何とか完成させたが、初納入機約200機の内約70機のみが稼動機だったといわれる。

それでも時代遅れになった零戦に代わるべき強力な戦闘機の誕生で、1943年10月「紫電一一型」として大量生産に入り、海軍側からも整備応援隊を出すなどして 1944年制式採用、台湾・フィリピンなどに急ぎ実戦配備した。
紫電は現地部隊からも米機に対抗し得る初めての2000馬力級強武装戦闘機として歓迎されたものの、粗製乱造された本機の能力は低く、戦力というより混乱する現場ではむしろ戦闘力の低下を招いた。
それでも稼動機はグラマンにもひけを取らず紫電改が出て来るまでは海軍で唯一米軍機と対決出来る機材で、その20mm×4の強武装と空戦性能が評価され生産が続けられた。爆撃、哨戒、対戦闘機戦闘、護衛、訓練、特攻とその任務は多岐に渡る。

「紫電」の視界の悪さ、脚の故障、エンジン故障、工作の雑さからくる性能低下など、この機体の失敗は明らかで、これをさらに造り込み1945年新型主力戦闘機として「紫電改」(2000hp、最大速590km)を実戦に投入した。欧米より3 年遅れの最大速度 500km/h台の新型機だった。

生産数は「紫雷」1007機「紫雷改」400機。その頃のヨーロッパではジェット戦闘機が飛んでいて、プロペラ機は最大700km/h近い速度を出していた。


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