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help リーダーに追加 RSS '05.05.14 紫電改 ジョン万次郎

<<   作成日時 : 2005/05/14 18:23   >>

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紫電改を見に行こう。
愛媛県南レク御荘公園の「紫電改展示館」。
「高知空港」か「松山空港」かどっちが便利?
バースデイ割引き。
結局、高知空港に決まりました。
「高知」と言えば「坂本竜馬」なのですが、
今回は時間の関係で、あきらめます。

小牧空港は駐車料金が無料となりました。
小牧空港のガ便利・便利・・・。
行ってビックリ。
愛・地球博の駐車場になっているではないか?
万博には興味がないので、知らなかった。
ここに車をおいてバスで万博へ乗りこむらしい。
空港利用者用の駐車場はスイスイ!
万博は朝7時で、すでに満車状態。

同伴はお馴染み同級生M先生。
高知空港到着後、即レンタカー。
今回の目的地はここからが遠い。
目的地までは100km以上はある。
おまけに高速道路は1/3程度しかない。
いろいろな「道の駅」で休憩しながら、
ひたすらM先生は車を飛ばす。
鷲か鷹か鳶が車のすぐ横に飛び降りる。
はじめてまじかで見た。でかい。
12時くらいに現地に到着。
近くのジョイフルで昼食を食べる。

駐車場からロープウェイみたいな乗り物で川を渡る。
これがまた古ぼけてて、緊張させられる。
もうすぐ廃止とか書いてある。
今度はどうやって川を渡るんであろう?
・・・・・・・・・・
到着。
こちらまで車でも来られるのが解る。

◆紫 電 改 展 示 館 ◆画像

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◆ 紫 電 改 概 要 ◆
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◆紫 電 改 墜 落 場 所 ◆
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「展望タワー」にも登る。
天気がもっとよければ最高であろう。

ふたたびロープウェイで駐車場へ・・・・・・。

本日の宿泊は足摺岬の「足摺テルメ」である。
車で飛ばさないと日が沈む。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何とか日没までに到着。

山複を利用して建てられた、
階段みたいになっているホテルである。
ベランダも広い。

     ・・・・・・・・・・・・・・

朝。ホトトギスの声が聞こえる。
はじめは「スピーカー」からの音かと勘違いしてた。
快晴である。海もとことん青い。
朝食をすませて出発である。

◆ 金 剛 福 寺 ◆四国霊場38番札所
弘法大師自作の千手観音像が所蔵されている。
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◆ジョン万ハウスからの景色◆画像


ジョン万ハウスに立ち寄る。
ジョン万次郎についての資料が 、数多く展示されている。

【ジョン万次郎】  『ウィキペディア(Wikipedia)』
1827年1月27日生。 1898年11月12日没。
波乱万丈の人生を送り幕末の日本で活躍した通訳・教師。
本名、中濱万次郎(なかはままんじろう)。

 土佐国中浜村(現在の高知県土佐清水市中浜)の貧しい漁師の次男に生まれた。1841年、14歳の時に漁師の手伝いで漁に出たあと遭難し、奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着した。そこでアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に仲間と共に救われる。日本はその頃鎖国であったため、救われた大人達は寄港先のハワイで降ろされるが、アメリカのホイットフィールド船長に気に入られた万次郎は本人の希望からそのまま一緒に航海に出る。船名にちなみジョン・マン (John Mung) の愛称をアメリカ人からつけられた。
 アメリカで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び、やがて船員達の投票により副船長に選ばれる。万次郎はアメリカの民主主義を目の当たりにすることになる。世界の各地を航海した万次郎は、その後船を購入しハワイに寄港、元の仲間と再会し、1851年共に日本へ帰国を果たす。
 海外から鎖国の日本へ帰国した万次郎達は長期間尋問を受ける事になるが、なんとか土佐に帰ることができた。その際薩摩藩の島津斉彬がその知識に注目し、幕府ではペリーの来航によってアメリカの知識の重要性が増していたことから、1853年、幕府に召聘され直参の旗本となった。この際、生れ故郷の地名を取って「中浜」の姓が授けられた。
 江戸で通訳も務め、またアメリカで身につけた学問を基に各地で講師としても活躍する。高知では坂本龍馬も万次郎から聞いた世界観に影響を受けたと言われ、激動の幕末における影の重要人物である。
 万次郎は少年期に日本で基本的な学識を身に付けることなく米国に渡ったため、通訳としては有能であったが、文章化された英語を日本語に訳することが不得手であったとされる。そのため西洋の体系的知識を日本に移入することが求められた明治以降は能力を発揮する機会に恵まれず、目立った活躍はしていない。
 鎖国中の日本において、アメリカ本土に初めて足を踏み入れた人物であるため、彼は初めて鉄道・蒸気船に乗った日本人でもある。
 伝記を子孫が3代に渡って同じ出版社から出した事でも知られ、ホイットフィールド船長の子孫とも代々交流がある。また、出身地の土佐清水市はアメリカでの滞在先となったニューベッドフォード市、フェアヘーブン市の両市と姉妹都市盟約を締結し、現在も街ぐるみでの交流が続けられている。
 蘭学者・河田小龍により「漂流記」が、まとめられた。

ジョン万次郎の英語発音
 ジョン万次郎は、英語を憶えた際に耳で聞こえた発音をそのまま発音しており、現在の英語の発音辞書で教えているものとは大きく異なっている。ジョン万次郎が後に記述した英語辞典の発音法の一例を挙げると、「こーる」=「cool 」・「さんれぃ」=「Sunday」・「にゅうよぅ」=「New York 」等、実際に現在の英米人にジョン万次郎の発音通りに話すと十分意味が通じる(多少早口の英語に聞こえるが、正しい発音に近似している)という実験結果もあり、ジョン万次郎の記した英語辞書の発音法を参考に、日本人にも発音し易い英語として教えている英会話教室もある。



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