旧長銀の破たんから十年。最高裁で元頭取らに逆転無罪の判決が出た。刑事責任は免れたが、巨額な公的資金が投入された。損失が国民の負担となった責任の重さを歴代経営陣はかみしめてほしい。
日本長期信用銀行の一時国有化が決まったのは、一九九八年のことだった。国有化時の債務超過は二兆円を上回っていた。
その直前の同年三月に提出された有価証券報告書には、銀行の損失を少なく記載していた。株主に配当できる利益もないのに、配当をした。それが証券取引法と商法に触れるとして、元頭取ら三人の旧経営陣が罪に問われた。
一審、二審とも有罪だったが、最高裁は無罪とした。判断が分かれた大きなポイントは、決算当時、旧大蔵省の資産査定基準が周知徹底されていたかどうかだ。金融行政の転換期だったから、不良債権をめぐる査定基準も変わっていた。その通達について、最高裁は「大枠の指針を示すもので、具体的適用は明確となっていなかった」と判断したわけだ。
旧経営陣は公正な会計慣行に反したとはいえず、刑事責任は及ばなかった。配当をめぐる民事上の責任も免れている。だが、旧長銀には公的資金が約七兆九千億円も注ぎ込まれた。損失は国民負担となり、確定分だけで、三兆二千億円にものぼる。今後、さらに増える可能性もある。ツケは国民に回っているのである。
もともと旧長銀は鉄鋼や化学、自動車、家電など、日本の経済成長を支える産業分野に長期資金を供給する役割を担っていた。
ところが、バブル期に不動産やリゾート開発などの分野への融資に急転換した。それがバブル崩壊とともに、不良債権化し、破たんの致命傷になった。しかも、不良債権を受け皿となる会社に移す「飛ばし」と呼ばれる工作を行ったことも判明している。
刑事責任は時効の壁もあって、粉飾決算に焦点が当てられただけだ。だが、破たんの責任は、経営計画の大転換時まで遡(さかのぼ)って考えられるべきだ。歴代経営陣のかじ取りのまずさが指弾されても当然だ。経営の見通しも甘かった。モラルや責任の自覚も甘かった。巨大銀行であるが故に、つぶれないという甘い考えもあったろう。
巨額な損失のツケには、税金が使われている。国民は到底、納得できまい。甘い経営は、国民にとっては苦々しい。歴代経営陣は反省の念を強くしてもらいたい。
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